第七話
一つうなずいたジュンは静かに弾き始めた。その最初の数音を聞いた瞬間、カノンの身体に電流が走った。全く未知の物に触れた時の衝撃はこんなものなのだろうか。あまりにも自分の想像を超えた曲だった。
(これは――。こんな曲があるなんて・・・でも、どこか懐かしい・・・・何故?)
一人の人間が演奏しているのに、まるで幾人もの人間がそれぞれ違った楽器を奏でているかのような錯覚を覚える。
『それは、もう何といいますか、天上の世界で鳴り響くような荘厳な・・・いいえ、荘厳というような表現など似合いませんわ。一見バラバラに見える旋律が幾重にも重なりあい、交じり合い、曲として成立しているのです。まるで断片が羽目合わさって一つの絵を作り上げていくような、そんな曲でした・・・・・』
ルスティ・クローディアがカノンを訪れた時に言った言葉、その意味が初めてカノンにわかった。旋律が旋律を導き、手を取りあって、いつの間にか一体の曲が出来上がっている。
ジュンが体を緩やかに揺らしながら演奏している。その体からも淡い青色のオーラが立ち昇っている。教会全体をオーラが彩り、音楽の海がひたひたと満ちていく。誰一人として動こうとしなかった。
(あ・・・・・)
カノンは驚いた。自分の身体にもいつの間にか綺麗な淡い青色のオーラが湧き上がってきているのだ。
(どういうことなの・・・私、オーラを展開していないのに、これは・・・一体?)
『あなたのオーラがあの曲に同調しているのですわ』
「!?」
『大丈夫、演奏を邪魔するような無粋な真似は致しませんの。これはあなたの心にだけ話しかけている声ですから』
いつのまにやら姿を現したティアマトがカノンに話しかけている。タフィ・ローズも宙に浮遊し、音楽の海に揺蕩うような緩慢な動きで泳いでいる。
『相乗効果・・・私もあまり見た現象ではありませんけれど、あなたのオーラに良い干渉を与えているようですわね』
(どういう意味ですか?)
『これ以上はっきりとは申し上げられませんの。人の言葉にするのは難しいものですわ』
ティアマトはそれきり口をつぐんで、うっとりと演奏に聞き入ってしまった。
緩やかに動いていた旋律が皆を天上に押し上げる様な動きを見せた。パイプオルガンもジュンもオーラの色が最高潮の青に染まっている。演奏は緩やかに、それでいて確かに終息に向かっている。そして、最後の一点の音を高らかに響かせ――。
演奏が終わった。教会の中に最後の音の余韻が鳴り響いていたが、潮が引くように徐々に消えていった。
誰もが動けなかった。この教会に今も響き渡る音なき余韻を壊すことを恐れて。
「素晴らしかったですわ・・・・」
シャルローゼが長い吐息を吐きだした。
「これほどの演奏、初めて耳にしました。あなたの才能に心から敬意を表しますわ。この曲には名前があるんですの?」
シャルローゼの言葉に、皆が呪縛が解けたかのようにジュンを見る。
「あるよ」
ジュンは席から立ち上がった。すこしよろめいたのは、彼自身がこの演奏に魂を傾けたからだろう。それほど心に迫る演奏だった。
「俺もどうしてこの曲を弾こうと思ったのかわからない。どうして演奏できたのかもわからない。第一今演奏したのは元の世界なら俺一人じゃ絶対に無理な領域だ。連弾なら別だけれどな」
ジュンはそこでカノンを見た。
「アンタの名前を聞く前からなぜかこの曲が浮かんでた」
「え・・・・?」
「今弾いたのは、俺の居た世界ではパッヘルベルのカノンと呼ばれていた曲だよ」
カノン、私と同じ名――。カノンはかすれた声でつぶやいた。
** * * *
数日後――。
魔法屋シュトライトにジュンがやってきた。この街では色々な旅人がやってくるため、元の世界の服装のままでも別に違和感はない。
「俺、色々誤解していたかもしれない」
カノンが勧めるハーブティーを飲みながら、ジュンはポツリと言った。
「誤解、ですか?」
「異世界って一度は冒険してみてえなって思ってたけれど、あんな危ない目にしょっぱなから遭うなんて御免だって思った。まだ旅に出てないんだぜ。それで街の中でやられそうになるんだからな」
「あなたはどうしてここにやってきたんですか?」
「それがよく覚えてねえんだよな・・・・」
ジュンは「あ~~思い出せねえ」と言いながら、頭を掻く。そこに現れたナネットばあさんが「あんたの髪からでるフケで店の床が汚れるじゃないかね!」と一喝し、ジュンが「うるっせ、ババァ!」と呟き、ハタキの柄を脳天に食らったのをカノンはおかしそうに見ていた。
ナネットはカノンから事情を聞かされてからは、ジュンに対して遠慮のない口を利く。
「少しは行儀良くするんだよ」
そう言い捨てると、部屋を出る前にお菓子の入った籠をジュンの前に置く。この前ルスティ・クローディアに出したものと同じものだ。
「いいのか?」
「どうぞ」
微笑んだカノンをジュンは少し戸惑ったように見たが、お菓子にかぶりついた。
「うンめえ」
「美味しい、ですか?」
「あぁ、これ、店に出さないのか?」
「趣味ですから」
「残念だな、と言っても俺には買える金がないからな」
そう言いながら、ジュンは二つ目に手を伸ばす。
「俺、あのシスター・・・あぁ、こっちでは教婦っていうのか、まぁ、いいけれど、あの人の世話になる代わりにパイプオルガンを演奏することにしたんだ」
「それはよかったですね」
「でも、調子に乗らないようにしねえとな、この間みたいなことはもう御免だぜ」
「そうならないように願いたいですね」
「おい、あっさり言うなよ」
ジュンは2個目のお菓子をほおばって飲み込み、3個目に手を出そうとしたところで手を引っ込めた。
「どうしましたか?」
「俺、最初にアンタに酷いこと言っちまったって思って」
「別に気にしていませんよ」
「あのさ、俺・・・・」
ジュンの手は菓子籠に伸ばしかけたまま、宙で止まっている。
「俺、本当は不安だったんだ。こんな誰も知り合いがいねえ世界に放り込まれて、たった一人で・・・あんたにはわからないだろうけれど」
「・・・・・・・・」
「あ、悪い、気を悪くしたか?」
「いいえ、大丈夫です。それで?」
「だから虚勢はったり、ここに来れて嬉しいなんてほざいたりしてた。本当言うと元の世界に戻りてえんだけれどな」
「いいえ、わかります」
わかる?カノンは自分に自問自答した。それはなぜ?
ジュンに合わせたものではなかった。本当にそう思ったのだ。自分にはあなたの気持ちがわかる、と。
カノンはあの家が嫌で飛び出してきたのに、そして今はここで自分の望む生活を手に入れたのに、何故、そう思えるのか。
「故郷・・・本当にいいよな。俺もなんだかんだで両親に反抗してたけれどさ、やっぱり自分の家ってのはいいもんだよな」
カノンははっとなった。それこそが、偽りのない自分の気持ちだとしたら――。
それを押し殺すようにカノンはジュンのことに気持ちを切り替えた。
ジュンが元の世界に戻れるかどうかはわからない。シャルローゼがあの教婦補の身柄を預かり、取り調べている。容体が良くなれば、おそらく街を追放になるだろうとシャルローゼは言っていた。可愛そうなことだが仕方がないとも。
シャルローゼは一方で、ティアマトにジュンがこの世界にやってきた経緯、あるいは元の世界に戻れる方法を調べさせているが、はかばかしくなさそうだった。
「ま、その時は腹くくらないとな。まぁ、とにかく、最初に出会ったのがアンタで良かったってことさ」
ジュンはそっけなく顔を背けたが、急に立ち上がった。
「ありがとうな、ご馳走さん」
それだけ言い捨てると、ジュンは振り返らずに店を出て行った。カノンは残された菓子籠を見た。残りの数からすると、3個目の菓子は無事に彼のポケットに収まったらしい。
ナネットが奥から現れ、菓子籠を見て眉をひそめた。
「まぁ、いつのまにやらいなくなって!こんなに食い散らかしていった人は初めてですよ。しかもあの男、何一つ礼も言わずに出て行っちまったんですか?」
「いいえばあや、あの人はちゃんとお礼を言っていきました」
カノンはナネットに微笑むと、窓辺に眼をやった。今日はいい天気だ。ジュンが奏でたあの曲が天から響いてきそうなほどの。
「・・・まさかとは思いますが、お嬢様」
「?」
「あの男だけは旦那様も受け入れないと思いますことを、申し上げておきます」
「!?・・・ち、違います!!」
ナネットの言葉にカノンが真っ赤になった。
第三話完
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
いったん小休止し、次話がまとまり次第、投降を再開します。、
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