第四話
「お嬢様」
ナネットはカノンの背後から声をかけた。
「お嬢様、どのみち今日は遅いのですから、明日にしましょう」
「でも・・・」
カノンはためらっていたが、
「やはり気になります。放ってはおけません」
と、黒イルカを呼び出した。ボワンという音と共に黒イルカが眠そうな顔で現れた。
「タフィ・ローズ」
「こんな時間になんなのさ、もうお眠の時間だよ」
「あんた精霊なのに、どうして眠い疲れたなんて言うんだろうね」
「ばあさん、僕はこっちの世界に本来いない存在なんだから、ここにいるだけでエネルギー使っちゃうんだよ」
「それにしては多すぎやしないかい?」
「二人とも」
カノンがたしなめた。そして腕を一振りして黒く輝く球体を取り出すと、タフィ・ローズに差し出した。黒イルカは「おおっ」という表情をし、それを美味しそうに飲み込んだ。とたんに黒イルカの身体から黒く輝くオーラが噴出した。
「ふ~~~美味しい!久しぶりの糧だよ、ご馳走様。で、これをくれたってことは、何か僕にして欲しいことがあるとみた。何なの?」
「ある人を探し出して居場所を教えてほしいのです」
カノンは少年の特徴を事細かに説明した。黒イルカは宙返りしながらそれを聞いていたが、少しの間無表情になった。
「ふうん・・・異世界の住人ね」
「どうかしましたか?」
「ううん、何でもない。たぶんカノンには関係ないし。まぁいいや、わかった、探し出してくる。でも、手が足りないなぁ。カノンもそろそろ他の精霊を使役することを考えたら?」
「他の精霊」
「アンタいいのかい?お嬢様が強力な精霊を召還しちまったら、アンタお払い箱になるよ」
「別にいいもん。僕嫉妬しないし。・・・・これでゆっくり休めるし」
「そっちが本音かい。でも今度は違う飼い主に捕まっちまうかもしれないよ」
「僕はペットじゃないの!精霊なの!・・・でもそうか、違う契約者と捕まったら・・・今の契約者だって人使い荒いし――」
「タフィ・ローズ」
「ひっ!」
カノンが何とも言えない眼をして黒イルカを見ている。その眼光に黒イルカはたじたじとなった。
「は、はいいぃ~~~!!行ってきます!!」
ボワンという音と共に黒イルカは消えていった。
カノンは深い吐息を吐く。
「お嬢様・・・・」
ナネットが何とも言えない表情でカノンを見ている。カノンはそれを見ると、そっと自分の眼に手をやった。取り出されたのはカラーコンタクトだった。
「ばあやもよいのですよ、この眼のこと・・・・あまり良いものではありませんから」
ナネットを見たカノンの瞳は血のように真っ赤だった。それも見ていると深淵の深紅の渦に吸い込まれそうな恐怖を覚えるほどの。
「いいえ、お嬢様。お嬢様の眼力はむしろ誇っていただいてもよいものです」
「眼力・・・」
「あの怠け者のイルカの尻を叩くほどの威力です。どうして旦那様もご一族の方も理解なさろうとしないのでしょうか」
「単に気持ち悪いだけだと思いますけれど・・・」
カノンはカラーコンタクトを戻した。カラーコンタクトのおかげで黒い瞳と思われているが、それでも、興奮した時やオーラを解放した時等にカラーコンタクトごしにもはっきりとわかる色となる。
この色はヴァンパイアに特有なのだ。カノンの実家であるアーガイル家は上級貴族の家柄であるが、一つ特徴があって先祖がヴァンパイアなのである。そのため、たまに一族の中にヴァンパイアの血を色濃く受けた者が生まれることがある。
別に血を好むわけでも何でもなかったが、何とはなしに周囲の人間から距離を置かれ、気持ち悪がられていた。一度など、本気で眼を潰そうかと思ったこともある。これは母親に止められたが。
(私に優しくしてくれたのは、お母様、御姉様と数人程度・・・後は・・・・)
カノンは首を振った。家での日々のことは思い出したくはない。その拍子に別の者の顔が浮かんだ。
(そう言えば、ティアナさんからも私と同じ雰囲気を感じた・・・実際には瞳の色は違ったけれど、きっとティアナさんも・・・)
ヒィッツガルドで出会ったレオルディア皇国6聖将騎士を思い出していた。一目最初にあった瞬間から何かしら相通じるものを感じたのだ。それはもしかすると向こうもそうだったのかもしれない。
「お嬢様、そんな眼の事ばかり気にしていると、お体が冷えます。中に入りましょう。暖かい蜂蜜茶でもお作りします」
そしてナネット。口の煩いばあ様であるが、カノンを心配してここまで一緒についてきてくれた人間である。
口が悪いがタフィ・ローズもいるし、フィーもいる。今の私には十分すぎると思いながらカノンはナネットと共に家に入った。
** * * *
ジュンはカノンの家を飛び出した直後、あてもなくさまよっていた。完全に逆上していたが、次第に冷静になっていった。
「俺・・・なんてことをしちまったんだ」
異世界に来たからと調子に乗って、スマホを提示してみればしっぺ返しを食った。よくある中世風の世界だと思えば、そんなことはなく、自分たちの文明等とっくの昔の骨董品だといわれたのだ。普段自分たちが想像しているものと逆の立場に立たされて、自分には何一つ誇れるものがない。
「ざまあねえな・・・」
やり場のない怒りも沸き起こっていたが、それ以上に孤独と寂しさ、そしてどうしようもない無力感がジュンを襲っていた。
「一つ俺ができるとすれば・・・・」
ジュンは自分の掌を見たとき、視界の隅に何か動くものが見えた。
「見つけた」
ぞっとするような地を這う低い声が聞こえたかと思うと、ジュンは脇腹に衝撃を覚え、激しく地面に転がされた。何が起きたのかもわからず、必死で体勢を立て直そうとするが後頭部に衝撃を覚え、意識を失った。
** * * *
「音がしなくなった?」
翌日、ルスティ・クローディアがカノンを尋ねてきた。あの時は少年をどうにかして逃がすことに必死で、取り繕うようにして帰ってきた。パイプオルガンの調査もロクにしていない。そのことを言われるかと思ったが、ルスティ・クローディアは別のことを言ってきたのだ。
「はい。ひとりでに鳴ることはなくなりました。ご心配をおかけしました」
「いつからですか?」
「昨日の午後、貴女がいらっしゃった後からです。ですので、てっきり貴女が直されたのかと」
「昨日も申し上げましたが、私はパイプオルガンの中を調査したわけではありません。ましてや修理に着手してもいないのです」
「不思議ですね」
「・・・・・・・・」
ルスティ・クローディアはじっとカノンを見つめている。パイプオルガンが鳴らなくなった要因がカノンにあると内心思っているかのようだった。
内心カノンにも心当たりがある。まだ100%そうだとは言えないが、あの少年がパイプオルガンの中から姿を消したことが何か関係ないだろうか、と。当惑し、葛藤していたカノンはここにきて正直に話すことにした。隠し通すのは無理があると思った。
「実は――」
カノンはパイプオルガンの中にいた少年のことを正直に話すことにした。
「・・・・というわけです。黙っていて申し訳ありませんでした。非常に訳ありのような様子だったので、つい――」
「どうして仰ってくれなかったのですか?」
「すみません」
「私たちとて、すぐに捕えて領主様のもとに連れ出すことはしません。もっとも、事と場合によりますが」
ルスティ・クローディアはやや硬い表情をしながら言った。
「まずいことにならなければよいのですが」
「どういう意味ですか?」
「現状、その少年の行方はわかっていないのでしょう?聞けば異世界からの人というではありませんか。まったく知らぬ、風習も慣習も違うこの地で、トラブルを起こさずに過ごすことなど出来ますか?」
「・・・・・・・・・」
「保護したほうが良いかと思います。教婦補や信徒の方々に依頼して捜索してもらうようにお願いしようと思います」
「領主様には連絡は――」
「なさったほうが良いかと思います。もし差し支えなければ、私からいたします。元はと言えば私たちの教会のパイプオルガンから端を発したことですから」
カノンは迷った。領主であるドナウディア家の当主も前当主とも付き合いはある。しかし、本来であれば簡単に会える存在ではないのだ。場合が場合だけに会ってくれる要件かもしれないが、ルスティ・クローディアに対しどう説明すればいいか、カノンは考えあぐねていた。前回関わった事件が事件だっただけに、なるべくは領主家との繋がりは秘匿したほうがいい。
いっそ、ルスティ・クローディアに任せてしまったほうが良いかもしれない。
「お願いできますか?厚かましいかもしれませんが」
「いえ、大丈夫ですよ」
ルスティ・クローディアは微笑んだ。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・?」
もう話は終わったはずなのに、二人の間に重い沈黙が入り込む。何か言いたいことがあるのか、それをきりだすことができないのか。
カノンが当惑した様子を見せると、ルスティ・クローディアは急にもじもじとしだした。
「あ、あの――」
「?」
「その、こんなことを言うのはどうかと思いますが、今日は、その、お菓子・・・・」
「あ」
ルスティ・クローディアが帰ろうとしなかったわけがわかった。
「ええ。お待ちになっていてください」
ルスティ・クローディアの返答を待たずに、カノンは奥に引っ込んだ。今日はナネットが買い物で不在なので、自分でお茶道具を整え、昨日作って魔法をかけておいた菓子を戸棚から取り出す。時がたってもいつでも焼きたてが楽しめるように、というカノンの心使いだった。
「今日は焼き菓子です。芋から作りましたので、少々食べ応えがあるかもしれません」
ルスティ・クローディアの前に、柳で編んだ籠が置かれた。綺麗なピンク色のナプキンが中に入っており、その上に可愛らしい焼き立ての香ばしさが漂う渦巻き状の茶色の菓子が盛られていた。ルスティ・クローディアが目を輝かせた。
「良いのですか?」
「はい、召し上がってください」
カノンはお茶を淹れながら、ルスティ・クローディアに頷く。ルスティ・クローディアは一つ手に取り、口に運んだ。とたんに謹厳な顔がほころぶ。
こうやって自分の作ったお菓子を食べてもらうのは嬉しい。ましてや、話のついでかもしれないが、わざわざ食べに来てくれるのも。カノンはルスティ・クローディアに微笑みかけた。




