第三話
「このパイプオルガン、本当に魔導具なのですか?」
ルスティ・クローディアはしばらくカノンを見つめた。
「と、いいますと?」
「先ほど私のオーラを使ってパイプオルガンのオーラと同調を試みました。ですが、パイプオルガンからはそもそもオーラが感知できなかったのです」
「おかしいですね」
ルスティ・クローディアは瞳を閉じ、左手を前に出した。彼女の身体から淡い緑色のオーラが湧き上がってくる。
「本当です。オーラが消えています」
「ルスティ・クローディア、あなたもオーラが使えるという事は――」
「いえ、勘違いなさらないでください。私は魔調律師でもなにがしかの術を使用できる者でもありません。種族柄多少オーラを操作できるだけです」
「そうでしたか」
「魔調律師のあなたには到底及びませんが、私もオーラを感じることはできます。今パイプオルガンには確かにオーラがありません。ですが、ほんの昨日までは確かにあったのです」
どういうことだろう、とカノンは思った。魔導具がそのオーラを失うことは事象としてない事はない。例えば魔導具に刻まれている祭文がかすれたり、削れたりした場合、あるいは魔導具そのものが損傷した場合である。あるいは――。
カノンは試みに祭文を探そうとしたが、あいにくパイプオルガンのパイプの中に刻まれているらしく、ここからでは見えなかった。
「場合によりけりですが」
カノンはルスティ・クローディアに言った。
「一度分解することになるかもしれません」
「分解ですか・・・」
「はい、あまりとりたくはない手段ですが、どうやらコアとなる祭文がパイプの中に刻まれているようです。ここからオーラを送ってもうまく祭文の列が読み取れません。私も魔導具の扱いは一通りわかりますが、楽器と魔導具を組み合わせたものに当たるのは初めてなのです。どなたかお知り合いに調律師の方はいらっしゃいますか?」
「そうですね・・・」
ルスティ・クローディアはしばらく考え込んでいたが、しばらくお待ちください、と言うと、奥に姿を消した。
ルスティ・クローディアが立ち去った後――。
カノンは、タフィ・ローズを呼び寄せた後、もう一度パイプオルガンの両開きの扉を開けた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
お互いを見交わす眼と眼。
中の住人が先ほどと同じ姿勢で座っている。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「さぁ、私たちもルスティ・クローディアのところに行きましょうか、タフィ・ローズ――」
「俺を無視すんじゃねえ!!」
パイプオルガンが不協和音全開で鳴り響いた。飛び出してきたのは少年、黒髪をぼさぼさにした黒のタンクトップに黒のズボンをはいた黒一色ずくめの少年である。
「お前、お前、さっき俺と目が合っただろう!?隠れている俺を見たよな?間違いなく見たよな?!」
「それは――」
「なんでそこで声を上げずにしれっと扉を閉めたんだよ!?あぁ!?お前何見なかったことにしてるんだよ!!無意識に扉に手をかけて開け、しばらく佇んだのち、そしてまた元通りに静かに閉じた・・・とかって頭ン中で流してたんじゃねえだろうな!?」
図星である。カノンは口に手を当てたまま固まってしまった。
** * * *
不協和音を聞きつけてルスティ・クローディアが帰ってこなかったのは幸いだった。教婦補の一人が姿を現したが、カノンが、うっかりしてパイプオルガンに手をかけてしまいました、と謝ると何も言わずに姿を消した。
「もういいですよ」
カノンがパイプオルガンの扉に手をかけてささやく。キィという音と共に扉がかすかに開き、少年が姿を現す。しきりに脇腹をさすっている。
「お前俺を蹴飛ばして押し込んだな。見た目に反してこの中はものすごく狭いんだ。色々な管やらなんやらがあって人一人が入るのも常識外れの狭さなんだ」
「ごめんなさい。あの時はああするしかなくて、その・・・」
「もういいよ」
少年がカノンを遮る。
「元々入っていたのは俺だし。どう見ても俺の方が不審者だもんな」
「まぁ、その格好をしている人はあまりいませんね。全身黒ずくめなんて――」
「ストレ・カノン」
バタン!!ドサッ!!ギュウウウウ~~~~~~~~~!!
「おかしいですね、先ほどまでここにいらっしゃったはずなのに。どこに行ったのかしら」
『・・・・・・・・・』
「探してみましょうか」
「ええ、私も探します」
ルスティ・クローディアと教婦補の足音が遠ざかっていく。暗闇の中でカノンはほっと息を吐いた。すぐ隣でうめき声がする。顔を満員電車のドアに押し付けるようにして少年がつぶれかかっている。
カノンは慌てて暗闇―パイプオルガンの中―から外に出た。
「あのね」
「あ・・・・・」
「・・・・なんでお前一緒に隠れんの?」
「・・・・・・・」
「俺の話を聞いてた?ものすごいここは狭いって。人一人が入るのも常識外れの狭さだって。で、俺仕方なくここに入ったんだって」
「・・・・・・・」
「要するに・・・狭いんだっちゅうとうじゃろうがぁ!!」
少年の押し殺した叫びがカノンの耳を包んだ。
** * * *
その夜――。
「その汚らしい格好の者は一体誰なのですか、お嬢様」
「私にもわかりません。道に迷っていたところを助けたのです。行くあてもないとのことなので、とりあえずここに泊まってもらう事に――」
この人が教会のパイプオルガンに潜んでいました、とはカノンにはとても言えなかった。
「いけません!そんなどこの誰ともわからない者を、泊めるなんて――」
「ばあや、あなたはそう言いますが、ではどうしろと言うのですか――」
「救貧院にでも行かせればいいではありませんか。もしくは領主様に相談なさるとか。いいですか、お嬢様、あなた様はアーガイル伯爵家のご令嬢でいらっしゃるのですよ」
「・・・・・・・・」
「どこの馬の骨とも知れぬ人間と、ましてや男を連れ込むとは!!旦那様がお知りになればどう思われるかお分かりですか!?「
「・・・・・・・・」
「第一お嬢様、お嬢様が家を出て仕事をすること等もってのほかと旦那様から言われている身ではありませんか。これ以上もめ事を――」
「ばあやが黙っていれば済む話ですよね・・・・」
カノンは小声でつぶやいたが、それが聞こえたのは隣に立つ少年だけだった。
「わかったよ、わかった!」
少年が声を上げた。
「どうやら俺は厄介者らしいから、この辺で失礼させてもらうぜ。そのばあさんの言う通りだ。どうみたって俺は不審者そのものだろうし、間違って姉ちゃんに襲い掛かるかもしれねえっていうのはもっともなご意見だよ」
「口の利き方に気を付けなさい!こちらは――」
「ばあや、私の身分が何であろうとこの方には関係ありません。第一ここは異国の地です」
「そうだろうな、俺だってそうだもの。日本の元内閣総理大臣の息子だって言ってもここじゃ何の意味もねえからな」
ナネットばあさんの口があんぐりとあいた。
「今、何とおっしゃいました?大臣と――」
「わかってるわかってる。どうせここは異世界なんだろ?日本だとかナントカって言っても通じねえことはよ~~~~~~~~~~~~くわかってるよ」
「先ほどは失礼いたしました。異国の大臣のご子息でいらっしゃったとは――」
「あ、そっちに反応?でも俺はそれを証明するものなんて何も持ってないぜ」
「この魔法屋の中では嘘を口にした瞬間にある現象が起こるようにあなたの周りに魔法をかけていますが、それがないところを見ると、あなたの話は本当なのでしょう」
カノンの言葉に少年は眼を見開く。
「すげえ、魔法屋・・・。やっぱりここは異世界なんだな。なぁなぁ、魔法屋ってどんななんだ?メラとヒャドとかファイアとかブリザドとかフ・レイとかリ・アとかそういう魔法を売ってるわけ?」
「え、あの――」
「それからこの世界にはギルドってのもあるんだろ?きっといろんな冒険者たちが登録してクエストを受注するんだろ?当然ダンジョンもあるよな?地下何百階っていう迷宮攻略、その最深部にはHP数百万、数千万、数億のモンスターが眠ってるって寸法だろ?」
「あの、一体何を言って――」
「あ、そうかそうか、悪い悪い。こんな世界でこういう事を言っても意味なかったなぁ。ははは!!そうだ、いいもの見せてやるよ」
少年はポケットから細長いものを取り出す。
「これ、スマホのオリンピックモデルの最新verなんだぜ。アンタも魔法使いだろうけれど、俺だってこれ一つで魔法が使えるんだ」
見てろよ、と少年がいいざま、何やら細長い箱のようなものに指でなぞりを入れ始めたかと思うと、不意にカノンに向かって細長いものを突き出した。カシャリという乾いた音が魔法屋の空気をゆする。カノンは少年の指先をじっと見ていた。指先が淡く青い色に光っている。
「今俺があんたの顔をこの箱の中に閉じ込めてやったんだ。永久にな!」
「・・・・・・・」
「ほら、どうだ、見てみろよ」
少年の突き出した細長い箱のようなものには紛れもないカノンの顔――当惑した様子の顔が――が写っていた。
「これは・・・・・」
「どうだすごいだろ。な!」
「これは・・・すごい、一体どうやって――」
「だろ?だろ?はっは~~やっぱりそうだよな!うん、出してよかったぜ!これは――」
「・・・とでも言うと思いましたか?」
「は?」
少年がカノンのあまりの意外な反応に一瞬言葉を失っていた。
「200年以上前の古い骨董品を見せられても・・・今更あまり驚きません」
「こ、こここ、骨董品だぁ・・・!?」
「今は――」
カノンが宙を一振りすると、どこからともなくディスプレイが出現した。宙でブラインドタッチをすると、今度は少年の顔――驚きの顔――が宙に出現した。
「画素数でいってもこちらのほうがはるかに上ですし、データ量としても最適なんです。そちら、何ネオですか?」
「ネオ・・・いや、ギガだけど」
「ギガ・・・・駄目ですね、その程度では使い物になりません」
「その程度って・・・・ちょ、ちょちょちょちょちょっとまてよ!!どういうことだよ?魔法屋っていうからてっきり中世RPG的な異世界だって・・・・どうして、どうしてお前、こんなものが――」
カノンはナネットと顔を見合わせ、少年を向いた。
「あなたがどこの時代から来たのかはわかりませんが、だいぶ前・・・約300年以上も前にはこの世界は異世界との交流が盛んだったと聞いています。結果それまで蓄積していた文明を約数千年も進歩したオーバーテクノロジーが出来上がりましたが、同時に数千の異世界を巻き込む大規模の魔対戦も勃発しました。結果、私たちの祖先は自然に近く、自然と寄り添うような形の文明に舵をきったのだそうです」
「・・・・・・・・・」
「今でも異世界からの方々がたまにいらっしゃるそうですが、だいたいの方は私たちが異世界でいう『中世的』な世界だと先入観をお持ちになります」
「・・・・・・・・・」
「あなたの保有する技術は残念ながら私たちの遥か昔の祖先が使用していたものみたいですね」
「そんな――」
少年ががっくりとうなだれる。
「あんた、私たちに自分の保有している物を見せびらかそうとでもしたのかい?相手の力量や技術をよく見もしないで・・・・だいたいその箱・・・・あんた自身が作った者でも何でもないんだろ?」
「それは、そっちだってそうだろうが」
ナネットの言葉に少年が不貞腐れた様子で言う。
「お嬢様は最初から見せるつもりなんかなかったよ。アンタがその箱をちらつかせてきたからさ。何かにつけて優位に立とうとするのはアンタの性格か、それともお国柄かい?」
「それは――」
少年は絶句した。
「ばあや」
カノンがたしなめた。
「私も失礼しました。ろくにあなたの素性を聞きもせずに・・・」
「・・・・・・・」
「もう今日は遅いですから、詳しい話はまた後で――」
「もういい!!!」
突然少年は身をひるがえすと、家の外に飛び出していった。カノンが止めようとした時にはドアが大音響と共に開け放たれ、しばらくして勢いで跳ね返り、再びしまった。
「あ・・・・」
カノンが後を追ったが、少年の姿は影も形も見えなくなっていた。夜も遅く、かすかな風の音の他にはどこから犬の遠吠えが響いただけだった。




