第一話
カノンは目の前に佇む客を観察する。既に呼鈴をならせたのだから、怪しいところはないはずなのだが、それでも観察は大事なのだということを彼女は知っている。
大柄、黄色の髪の男。幅広の剣を腰にさしているから剣客なのか、あるいは騎士か。それにしては服装は灰色に近い汚れた青に灰色のマント。旅装のようだから、旅人か。
黄色の髪の男は、カノンを見るなり、おっ、という表情を見せた。
「突然邪魔して申し訳ない。作業中だったかね?」
「いえ、大丈夫です」
初対面で話す人とはどこかしら距離を置く話し方。けれどこれは仕方がない。元々カノンは人と話すのが苦手なたちなのだから。
「ご用件を承り――」
「しかしまぁ、これは驚いたなぁ!!」
黄色の髪の男はカノンの声を遮る大きな声で感嘆を現した。
「この絵、よくできてるぜ!!まるでさっき港町でみてきた光景そのものじゃねえか!!」
「はぁ・・・・」
「それにあのラウンジの奥、まるで森のようだが、あれも絵なのか!?」
「いえ、それは――」
「アンタ、ベレー帽かぶれば画家にも見えるな」
「・・・・ベレー帽は外に出るときにしか身に着けません」
この人は何をしに来たのだろうとカノンはうんざりする思いでいる。2階に残してきた調合の事が気になって仕方がない。一時的に物理停止の魔法をかけてきたけれど、いつ進行するかわからないのだから。
「それで、あの、ご用件は?」
「ん?あ!すまなかったすまなかった。アンタも・・・いや、貴女も忙しいだろうからな」
男はゴホンと咳払いし、そしてやおら左腕の袖をまくると、カノンに突き出した。力を籠めると筋肉質の腕が膨れたがそれだけではない。文様が浮かび上がっている。
カノンは驚いた。これはこの世界で自分の姓名を名乗るときの正式な礼儀作法なのだが、この方法で初対面の人間に明かすことはめったにしない。名前とそれに付随する文様というものはあらゆる意味で重きを置かれているのだから。
「オニキス・ガナ・シャルルベルトだ」
「それは・・・拝見すればわかります。けれど、どうしてこんな――」
「今から依頼する話が突拍子もなくてな、こうでもしなければ貴女を納得させることなんかできねえと思ったのさ」
「?」
「単刀直入にお願いしたい」
オニキスは背をただした。今までの屈託無げな態度は姿を消して、武人の姿が現れた。
「人を探してほしいんだ」
「人?・・・・ここは魔法屋であって占い屋ではないのです。人探しをするところではないのですが」
「あぁ、でも魔導具の修理はできるんだろう?」
オニキスは懐から大事そうに布にくるまれたものを差し出す。それを受け取ったカノンは確かめるようにオニキスを見つめる。
「開けてみてくれ。それを見てもらえればわかると俺の依頼主は言っていた」
カノンは丁寧に布を取り外す。出てきたのは青色に静かな光を放つ宝玉だった。正確には宝玉の周りに文様が刻まれている。
「これは祭文・・・・」
宝玉をひっくり返し、裏返しながら見つめるカノンの瞳の輝きが先ほどまでと異なってくる。これは興味深い。非常に興味深い。
「誰かの位置を特定するもの、ですか。しかも・・・追跡機能がついています」
「あぁ。対になるものをソイツが肌身離さず身に着けているらしくてな、それがあればわかると言っていた。けれどどこか壊れているらしい。そいつを修理してくれというのが依頼内容だ」
「わかりました」
表面は冷静を保とうとしているが、頬がすっと高揚してくるのがわかる。けれど、それは相手に見られていないはずだ。自分の肌は白いままなのだから。
「急な話で悪いが、人探しなんでね、できれば急いでほしい。どれくらいで出来る?」
「明日のこの時間にいらしてください。修復可能かどうか、調べるだけならすぐにできます。それからの修理についてはなんとも・・・・・」
「わかった。そう伝えておく」
そう言うと、オニキスは軽く手を上げて扉に手をかけた。
「あ・・・・・・」
そう言えば、まだ受け取りを渡していない。そう思って声をかけようとした時にはオニキスは姿を消していた。
「行っちゃった・・・・・」
掌の中には青い宝玉。だから先ほどまでのやり取りは夢ではない。
「それに、どうしてあの人、あんなことを――」
宝玉を渡して修理する。それも急ぎで。そう言えば良かったのに、どうしてオニキスはあんなことをしたのか。どうしてあんなことを言ったのか。
自分の名前を相手に直接見せるという事は、こと魔法を生業とするものに対しては危険極まりない行為である。呪をかけられることもあれば、生き死にまでもその手にゆだねてしまうことになる。
だから、魔法を生業とする者は決して自分の名前を初対面の相手に見せることはしない。
「・・・・・・・・・」
カノンはぼんやりと扉を見、そして手元の宝玉を見た。どういうものであれ、ちゃんと依頼された仕事はこなさなくてはならない。
ダン!!!!!!!
突然震動が家を襲い、カノンの足が一瞬飛び上った。
二階からけたたましい悲鳴のような声が聞こえ、それをなだめる声、さらに甲高い声が3重奏を奏でる。
「フィー!!フィー!!フィー!!」
「わぁ!!フィー、落ち着いて!!・・・もう滅茶苦茶じゃないかぁ!!」
「お嬢様、お嬢様!!!」
カノンは宝玉をしまうと、二階に駆けあがっていった。とたんに鼻を衝く異臭と煙が充満する光景にぶち当たった。
(原状回復――ディリヴァース)
カノンが左手を振りながら念じると、異臭と煙が地面に吸い込まれるように消えた。あたりを見回すと、何事もなかったかのように部屋の中は綺麗になっているが、それでも消しきれなかった痕跡は机の上に残っていた。
広いロフトの2階の中央に腕組みしながら立っている初老の女性を見たとたん、雑念は消えた。
「あれほど調合中の接客は駄目ですと申し上げたでしょう、お嬢様!!」
家中に雷鳴のごとき声が降り注ぐ。
「・・・・ごめんなさい」
カノンはしゅんとなり、肩を落とした。この女性の前にはカノンは頭が上がらない。彼女は自分が生まれた時からずっと乳母として、そして、側役としている家族同然の存在なのだから。
「あんな大きな音をたてたら近所迷惑だと言いますのに!!」
「ごめんなさい。一応音や光の遮断はしているのだけれど――」
「また机が駄目になるところでした!!ご実家からの財産の貯えも、もうあまりないのですから!!」
「今日は依頼が入りましたから、ばあやの御給金を減らすようなことにはもうなりません・・・・」
「それに、可哀想に・・・・その植物が震えています!!」
「あ。フィー」
カノンは窓辺の鉢植えに駆け寄る。鉢植えの中にはよく伸びた5センチほどの茎の上四葉の葉っぱ。その葉っぱがブルブル震えている。まるで何かを守ろうというかのように包まれている。
「フィー、私よ、もう大丈夫だから」
「フィー・・・・」
葉っぱが恐る恐ると言った様子で、開く。その中にはまだ小さな1センチくらいの精が葉っぱの中心の花弁のような茎にしがみついて震えていた。
キャンバスのような真っ白の肌に黄色のスカートのような物を履いて、髪の毛は巻き毛の緑。両方の眼は空の色をしていた。震えていた精はカノンを見ると、何やら怒りだしたように声を上げた。
「フィー・・・フィ!!フィ!!フィーッ!!!!」
「ごめんなさい。もうあなたのそばで調合したまま行かないから」
「フィー!!」
「ホントだよ、あやうくボクまで巻き込まれるところだったもの」
ボワンという音とともに、黒い小さなイルカが宙に現れた。いたずらっぽそうな黒い瞳をカノンに向けながら彼女の周りを宙を泳ぐように移動する。イルカの左ひれにはカノンとの契約のしるしである祭文が刻まれている。
「あ、タフィ・ローズも。大丈夫でしたか?」
「カノンはよくそれでランク・サファイアだよね。魔法大学中級講師の資格者なんてめったにまわりにはいないのにさ」
「・・・・・たまたまです」
「いまの調合だって本当は目を離しちゃいけないものなんだよ。物理停止の魔法だけじゃ進行はちゃんと止められないんだから」
「・・・・・はい」
「はいはい、あんたたち、お嬢様を責めるのはそこまでだよ」
初老の女性が手を叩いた。
「いや、ナネットばあさんが一番責めてたんじゃ・・・・なんでもないです」
タフィ・ローズと呼ばれたイルカが眼をそらす。
「さてと、お嬢様、あたしは夕食の準備に取り掛かりますからね。そこらへんの始末はお願いしますよ。タフィ・ローズ、あんたは洗濯物を取り込んでたたんで頂戴」
「え~・・・・」
「何か言ったかい?」
「いえ、なんでもありません・・・・・闇の精霊のボクが洗濯物をたたむなんて――」
ぶつぶつ言いながら、タフィ・ローズが宙を泳いで下に降りていく。残されたカノンは少しだけぼうっと佇んでいたが、やがて静かに机の上に座った。焼け焦げた跡はしかたがないとあきらめる。クリスタル製の細長いすんなりとした口の瓶の中には何も残っていなかった。
「また材料を取りにいかないと・・・・・」
ため息を吐きながら、カノンは机の上を片付け、換気のために窓を開けた。ちょうど玄関口と同じ面に位置する窓。目の前には家があるが、その隙間にかすかな青い海が見える。海はちょうど半円形につくられたこの街を取り巻いているのだ。
かすかな塩気を含んだ風が、カノンのすっとした鼻梁を撫でていく。それを感じながらカノンは包みを開けて、依頼品の調査に取り掛かった。初めて扱う品であるが、魔導具はこうした一品ものが多いので、仕掛けを解明さえすれば簡単に直せるのだ。
カノンは完璧な美しさを持つ青色の宝玉を眺める。
どこが壊れているというのだろう。