第九話
「エ、エフェリーツェ・ドナ・ヴァ、ヴァトリーチェと・・・も、申します」
顔立ちはむしろ冷淡さを思わせるほど整いすぎているのに、彼女は怯えを含んだ声で自己紹介をした。
「アイツの妹ね。こんな夜に、しかも食事中にいったい何の用?」
びくっと肩が震え、彼女の緑の眼が怯えた様に瞬きされる。
「も、申し訳ありません、その・・・・」
「わかったわよ、そんなに怯えなくてもいいわよ。別に取って食うわけじゃないから」
「・・・・・・・・」
「あの、もしかして先ほどのティアナさんの声がこの方にも聞こえていたのではないでしょうか?」
カノンの言葉にティアナがカノンとエフェリーツェとを交互に見る。
「私が代わりに聞いてもよろしければ、私から尋ねましょうか?」
カノンの提案をエフェリーツェはあっさりと承諾するように首肯した。その横でティアナが額に手を当ててなにやら「私の声はそんなにも」とかなんとか言っているが、カノンはエフェリーツェへ向き直り、座りませんか、と促した。エフェリーツェはストンと空いている椅子に腰を下ろした。
「緊急の要件だと伺いました」
「は、はい。ノンナのことです」
「ノンナさんの?」
「私、その・・・実は、女性職人で、ノンナの事はよく知っているのです」
カノンは内心驚いた。領主様の妹が女性職人とは。表面上は驚きを出さず、促すように優しくうなずいて見せた。
「い、今私は館を出て職人街に住んでいます。今日お兄様がノンナとダイク親方を牢にいれていると聞きました。そ、それで慌てて館に戻り、お兄様に尋ねたら『お前には関係ない』と、とりあってもらえませんでした。ノ、ノンナとダイク親方を出してくださいと、お、お願いしても駄目でした。で、でも私、諦められなくて、その・・・ティアナ様がここにいらっしゃると家人から聞いて、ここに・・・・」
あまり話すことになれていないらしく、エフェリーツェがどもりながらも懸命に話している間、ティアナはトントンと人差し指でテーブルを叩いていたが、エフェリーツェが話し終わると、
「あなたはあの二人が無実だと思うわけ?」
「よ、よくわかりません。今日職人仲間から話を聞いて慌てて戻ってきました。じ、事情も何も知らないので・・・・。で、でも・・・・ノンナやダイク親方が罪人だなんて、わ、私には思えません」
「そう・・・・」
「失礼ながら、エフェリーツェ様には弟君がいらっしゃると伺いましたが、弟君とは相談されたのですか?」
「し、小兄様の事ですか?」
カノンの問いにエフェリーツェが首を振った。ティアナは指でテーブルを叩いていたが、今度はそれが行進曲になった。
「小兄様は、す、数日不在なのだと家人が申していました。大兄様の呪いがあってから、領主のお仕事を小兄様が代行していると聞きました。し、小兄様がいれば話もできたのですが・・・。大兄様があんな、い、痛々しいことになってしまったのですから仕方ありません。治ってよかったです」
「では、他に相談できる方はいらっしゃいますか?」
「か、家宰のリッツォがいますけれど、この人は私が、や、館を出てから来た人なので、よくわかりません」
「最近、ですか?」
「はい」
エフェリーツェの言葉にカノンは内心首を傾げる。家宰というのは王国における宰相のような立場であり、その家のことを取り仕切る地位にある。そのような地位、離れて暮らしているとはいえ、家族がロクにあずかり知らぬ人間が就任できるものなのだろうか。
ティアナの演奏する行進曲が止まった。
「何かありますね」
カノンはティアナに話しかけた。
「何かあるわね。アイツ、リッツォの就任の件については何一つ話していなかったけれど、まさか妹まで知らないとは思わなかったわ」
そこまで話してちらっとエフェリーツェを見たティアナがカノンにかすかに首を傾げてみせた。
「エフェリーツェ」
「は、はい」
「この件について、私とこの人に任せてもらえる?」
「も、もちろんです」
「では、あなたが知る限りでいいから、領主館に暮らす家族や使用人の概要を、そして、最近なにかかわったことがないかどうかを話してくれる?」
「わ、わかりました」
エフェリーツェはどもりながらも懸命に話し出した。
** * * *
翌日――。
カノンはエフェリーツェと共に領主館に赴いた。昨日の呪いの治療について、経過を見るためである。ティアナは所用があるという事で同行しなかったが、領主によろしく伝えてくれという伝言を預かっていた。
エフェリーツェが疎遠になった領主館に出向く理由はたった一つ。
ノンナを助けることである。エフェリーツェはそのためならば領主館に行きますと、昨晩カノンとティアナの前で言いきった。そこでカノンはエフェリーツェを伴って領主館に赴く決心をしたのである。
鉛色の空がどんよりと覆いかぶさってくる。領主館は街を見下ろす丘の上にあり、らせん状の道がぐるりと丘を取り巻くように整備されている。
ふと、カノンは丘の下の方を振り返った。街はいたるところでまだ煙を上げており、どこからか負傷者の呻き声が聞こえてくるようだった。カノンは憂鬱な顔になりながら、市街を通り抜けてきた。
「今日は雨が降りそうですね」
カノンは話題を変えようとエフェリーツェに話しかけた。
「あ、雨ですか。傘を持ってくるのを、わ、忘れましたね」
エフェリーツェはどもりながら空を見上げた。降ろしたフードからプラチナブロンドの髪が見え隠れする。
「そういえば、エフェリーツェ様と今の領主様の髪はあまり似ていませんね」
「え、ええ。元々母親が違っていたのです」
「そうでしたか・・・申し訳ありません、変な事を聞いてしまいました」
「い、いいえ。確かにお兄様をご覧になってから、わ、私を見ればそう思われるのも、も、もっともです」
丘を取り巻く道は石づくりに変わり、どっしりとしたアーチ形の門が出迎えた。門はルロンド王家の居城がある東にむいている。貴族が忠誠を誓う一つとして、王家に対していつでも門戸を開く、という意味を込めて王家の居城がある方に門扉をつけることになっていた。
門扉の10m先に領主館が佇んでいる。足を踏み入れた時、カノンはエフェリーツェがついてきていないのに気が付いた。カノンが振り返った時にはエフェリーツェは歩き始めていた。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ、その、母のお墓を見ていました」
「お墓?」
領主館の北に多くの墓があったことをカノンは最初に訪問した際に目撃している。領主様に言わせれば墓地と一緒に暮らしているようなものなのだと言うが、これは歴代の領主や一族郎党の墓なのである。
「わ、私の母はあまり身分が高くなくて・・・そ、それでお墓の隅にひ、ひっそりと葬られたんです。今では手入れもさ、されていないのではないかと」
「そうでしたか・・・・・掃除も兼ねてお参りされますか?私もお手伝いします」
「い、いいえ。わ、私がここに来ることをあ、あまり喜ばない人もいますから」
エフェリーツェは寂しそうに言った時、空が晴れてきた。




