第二話
目の前のベッドに横たわる人間はノンナだとわかった。けれど――。
(これはひどい・・・)
全身が奇妙な格好に折れ曲がるようになっている。血と泥がこびりついているが、これでも綺麗にした方なのだという。
「折あしく治癒術師が出払っていてなぁ。申し訳ないが魔調律師のアンタにきてもらったんだ。治癒魔法ができれば一番いいんだが・・・・」
そう口を濁すのは、傍らに立つ大柄な男だ。モシャモシャとした茶色の髪を掻きまわし、無精ひげ、汚れの目立つつなぎを着ている。
重傷者が出たのでそれを治療してほしい。
その依頼を受けたカノンは迎えの馬車に揺られ、ヒィッツガルドにたどり着いたのだ。
「私は治癒術師ではないですが、何とかやれないことはないです」
「本当か?」
「怪我の程度を見ていきませんと、何とも言えないですが・・・・」
カノンはそっと傷の具合を確かめるべく、目の前の身体をあらためる。そして、注意深く体に触れていく。足、手、腰、胸、頭、全身をくまなく触れていく。それを茶色の髪の大男は心配顔で見守っている。
「少し下がっていてください。眩しいですよ」
カノンはそっとノンナの胸に右手を当てる。ノンナがうめいたが、カノンはそっと耳元で何やらわからない言葉を低くつぶやき始めた。
ノンナの呻きが止まる。
(大地の息吹よ。健やかなる風よ。恵みの陽光よ。我、この者の今ひとたびの生命の息吹を取り戻さん。光となりてその傷をいやしつくせ・・・・!!身体再生魔法)
「キュアフォーチュン」
幻想的な幾重にも響く音と共に、淡い青い光、淡い緑の光、そして太陽の陽光のような黄色い光が次々とノンナを覆いつくしていく。眼を閉じて集中するカノンの右手からオーラが漂い、ノンナを覆っていく。
「おぉ・・・・」
大男がうめいた。ノンナの傷が消えていく。苦しそうだった顔も穏やかになっていく。
「終わりました」
かがみこんでいたカノンが眼を開けて、大男を振り返る。
「ノンナ、おい、ノンナ。大丈夫か?」
「う・・・・」
「ノンナ!」
かすかなうめき声と共にノンナの眼が眩し気に開かれた。
「あ・・・ここは・・・ダイクさん」
「気が付いたか!ったく心配かけさせやがって」
「私、一体――」
「ゴーレムの前に飛び出して吹っ飛ばされたんだ」
「なんて無茶を」
思わず声が出た。ノンナはカノンの存在に気が付いたらしい。顔を向けて「あ」と声を出した。
「このお方がお前を治療してくれたんだ」
「そうなんだ・・・ごめんね。こんなところにまでわざわざ来てもらって」
「いいんです。それより・・・ダイクさん、でしたか」
「おう」
「ノンナさんの傷は治しましたが、無理はできません。今は元通りに体をつなぎ合わせて再生し終えた状態です。無理をすればまた傷口が開いて出血する可能性があります」
「わかった。おい、ノンナ。もうゴーレムのことはいいから、安静にしてろ」
「そんなことできないよ」
ノンナが起き上がろうとしたので、カノンは手で彼女の身体を抑えた。
「だって親方、ゴーレムはまだ動いているんでしょう?」
「大丈夫だ。ギルドに討伐を依頼した。もったいねえが街が吹っ飛ぶよりはマシだ。アイツがこれ以上動くことはねえ」
「壊しちゃうの!?」
ノンナがまた起き上がろうとしたのでカノンの手に力がこもった。
「あれは・・・あれは壊しちゃいけないって、言われてたじゃない」
「壊しちゃいけないだぁ?お前まだそんなこと言ってんのか?」
親方が吼えた。カノンがノンナとダイクを見比べる。
「あれはもうゴーレムじゃねえ。ただの殺戮魔導具だ。お前知ってるか?お前が意識を失ってる間、街の奴らが何人も死んだんだ」
「・・・・・・!」
ノンナの瞳が見開かれ、喉が鳴った。ズシンズシンと遠くで震動が響く。
「俺はなぁ、お前がアイツ(ゴーレム)に愛着があることも知っているし、お前が直してえと言った時も親方仲間説得してお前を止めなかった。けれどそれと人の生き死にとは別だ。まったくの別もんなんだよ」
「・・・・・・・」
「いいか、外に出ればお前の言葉がふきっさられる紙切れほどの価値もねえとわかる。アンタも見てきただろう、ここに来るまでに」
最後の言葉はカノンに向けられたものだった。問いかけるノンナの視線にカノンはうなずいた。
「街はひどいありさまでした。家は全壊多数、怪我人が急ごしらえの病院に収容されています。付近の領主とルロンド王家からの部隊が到着して治療に当たっていますよ」
またしても震動が響いた。ゴーレムは健在であり、それをギルドの討伐依頼を受けた者たちとルロンド王家の鎮圧部隊、それに領主の私兵たちが街の外に誘導しつつ被害を食い止めている。
「私もこれからヒィッツガルドのアルテに行かなくてはなりません」
アルテとは魔調律師専門の組合であり、緊急の場合には魔調律師は付近のアルテに赴き主席魔調律師の指示に従って行動しなくてはならない。
カノンがダイクの依頼を受けてヒィッツガルドにやってきたのは、もう一つ、ヒィッツガルドのアルテから召集を受けたからだ。
「・・・・・・・」
「では、ダイクさん、私はもう行かなくてはなりません」
「おう、ノンナの事は任せてくれ。ありがとうな。礼金は、コイツだ」
カノンはチャリンと鳴る革袋を受け取った。ずしりと重い革袋を鞄に入れると、代わりにいくつか小瓶を取り出してダイクに渡す。
使用法と容量の書いたメモもダイクに渡し、テキパキと説明していく。ダイクは物わかりが存外良いようで、一度の説明で頷きながら、後は任せてくれと言った。
カノンはダイクに一礼して部屋を出ていこうとした。ちらとノンナを見ると、ひきつったような表情で天井を見上げていた。
声をかけたくなったが、自分には使命がある。感情を押し殺してカノンは部屋を出た。
** * * *
ダイクとノンナの工房は鉱床に近い町のはずれにあった。一歩大通りに出たカノンの耳にズシンズシンという地響きと、喧騒が遠く聞こえてきた。音は遠ざかっているから、此方に来ているのではないことはわかったが、あまり気分の良いものではない。
「いや酷いよ」
ボワンと音がして黒イルカが宙返りして現れた。
「タフィ・ローズ、街の様子はどうなっていますか?」
「大きな足跡」
「他には?」
「踏みつぶされた家」
「・・・他には?」
「喚き声。大地に投げつけられた嘆きの声」
「・・・・・・」
「わ、わかったよ。真面目に報告するから」
黒イルカはヒレをパタパタさせた。
「カノン、ゴーレムは街の外に誘導されているよ。ゴーレムが通った後はもうめちゃくちゃ。アイツ、家も壁も何もかもなぎ倒して進むんだから。けが人も大勢出てる。広場に大テントがあって、皆そこで手当てを受けてるよ。アルテの建物も壊されちゃって――」
「アルテが?」
「うん、だからアルテの人たちも大広場にいるよ」
「ありがとう」
カノンは足早に大広場に急ぐ。道行く人たちが悲鳴を上げながら走っていく場面に何度も出くわした。
逃げようとして勢いよく転んで泣き叫ぶ子供。
その子供を抱え上げて必死に逃げる父親。
老人を背負って逃げる青年。
避難する人々を誘導する兵隊らしき人間。
皆必死の形相だった。
** * * *
カノンが大広場に到着すると、大規模な軍が到着したところだった。先ほど避難民を誘導していた兵たちと違う服装だ。
カノンが近くに所在投げに佇む住民たちに尋ねると、ルロンド王家からの増援部隊だそうだ。ルロンド王家の先発部隊、領主の私兵、ギルドの討伐志願者だけではゴーレムは倒せていないのだそうだ。
「ルロンド王家の増援部隊か。背に腹は代えられないと見て、誰かが援軍を要請したんだろうな」
「後で上納金を請求されるなぁ」
住民の一人が苦い顔をする。本来であればヒィッツガルドを治める領主が討伐の責務を負うが、手が付けられない場合、ルロンド王家が動く。この場合、王家が少なからず領主側に費用を請求することとなる。その負担が巡り巡ってヒィッツガルドの住民に課されることとなるのだ。
「おいおい、背に腹は代えられないって言っただろう。今破壊されてるのは俺たちの街なんだ。それを救ってくれるんならどこのどいつでもいいし、命を取られずに金で済むなら安いもんだ」
最初にカノンに答えた住民が言い返すと、住民は口を尖らせたものの、黙り込んだ。
続々と大広場に集結する集団をしり目に、カノンはアルテを探した。
アルテの文様が描かれたテントに入ると、数人の人間が一斉にこちらを見た。カノンは魔調律師の間で通じる作法にのっとって挨拶――右手を腰に当てて左腕を水平胸の前でまげる――をした。
カノンの左腕の祭文が淡いブルーに光る。
「カノン・エルク・シルレーン・アーガイルです」
「ストレ・カノン、ようこそヒィッツガルドのアルテへ」
初老の老人が顔をほころばせた。その隣の老婆も同様だったが、間にいた髭を生やした目つきの鋭い男は違った。
「クラス・サファイアだと?おいおい、何かの間違いじゃないのか?」
「これ、ドルフ、いきなりそう言うでない」
老人がたしなめた。
「こんな嬢ちゃんがクラス・サファイアなら、俺は今頃クラス・マスターになっていてもおかしくはねえさ」
「やっとクラス・ブロンズになったお前にはまだまだ早すぎると思うけれどねぇ」
老婆がけひゃけひゃと甲高い声で笑う。男はムッとした顔をする。カノンは男をしり目に老人に尋ねる。こんなところでかかずりあっていても仕方がないと割り切ったのだ。
「怪我人の手当てをすればよろしいでしょうか」
「あぁ、すまんが頼む。続々と負傷者が入ってきているが、何しろ手が足りなくてな」
けが人はあちらにいる、と言われ、カノンはテントを出て手近の大テントに入った。
入った瞬間、ムッとする血の匂いと喧騒がカノンを包んだ。看護人たちが走り回り、包帯を、ガーゼを、などと叫んでいる。
「・・・・・・・」
「どうしたのですか?怪我はしていないようですけれど」
「あ、いえ」
怪訝そうな看護人に声をかけられてカノンは我に返った。
「すみません。ヒィッツガルドのアルテから参った者ですが――」
「ちょうどよかった。怪我人が多すぎてても回らないところなんです。どうか力を貸してください」
「はい」
カノンは手近の怪我人に近寄ると、テキパキと治療を開始した。




