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十九 白縹と紅の激突

 眼前で佇む黒い獣は何故か巨大な肉体を取り戻し、相変わらず鋭く光る紅い双眸をナチへと向けていた。震える吐息がナチの髪を揺らし、生を諦めかけたナチの心に語り掛けるかの様な凛々しく悠然とした声が紡がれる。


「乗れ」


 ナチが反応できずにいるとイズがナチの体を大きな手で掴み、背に乗せた。そしてイズは膝を曲げ、力を溜め込むと一気にそれを放出。膝を伸ばすと同時にイズは大きく跳躍。家屋を踏み潰しながら、イズはレッドドラゴンから離れて行く。向かっているのは、レヴァルの外。


 レヴァルと隣接する、まだ開拓されていない森林へとイズは向かっていた。


「イズ! 射線上から離れて! このままだと直撃する」


 ナチはレッドドラゴンへと視線を向けながら、叫んだ。あの竜が放とうとしている魔法は全てを灰燼に帰す超魔法 《アヴォイル・リ・ソウルズ》。この超魔法は直線にしか進まない。ナチが使用した拡散光線弾の様なことは出来ない。が、その射線は広大だ。


 今から避け始めて回避できるかどうか。


 イズが右に大きく逸れたのを見て、ナチはコートの下に着ているボロボロのシャツを引き千切るとそれを符に変えた。五枚の符を作り、それら全てに属性を付加「強化」。それを霊力によって浮遊させ、イズの四肢、首の後ろへと張り付ける。すぐに属性を具象化させ、イズに強力無比の怪力を授ける。


「しっかり掴まっておれ!」


 ナチはイズの毛を掴み、自身の体に猛烈な勢いで激突する風に耐える。背中を丸め、視線はレッドドラゴンへ。先程とは段違いの速度で超魔法の射線上から離れて行くが、まだ体は射線の内側。もう少しだ。もう少し。


 放たれる超魔法。全てを焼き尽くす紅の閃光 《アヴォイル・リ・ソウルズ》。それがイズとナチにとてつもない速さで迫る。


 イズは上空へと大きく跳躍。超魔法を跳び越えるほどの大ジャンプ。けれど、上空に跳躍すれば待っているのは落下のみ。飛翔の最高到達点に達した瞬間に落下を開始し、ナチ達はこの超魔法に飲まれて消滅する。眼球を急激に乾かす熱量にナチは目を閉じた。


「お前はもう諦めたのか? もう世界はよいのか?」


 ナチは目を開けた。イズの顔は前を向いている。力強く前を向き続けている。ナチは赤く光る双眸を見ながら、微笑を浮かべる。


「そんな訳ないでしょ。寝惚けてるの?」


 ナチは靴を脱ぎ、それを符に変えた。属性を付加「大気」。それを具象化し、ナチはイズの後方に空気の渦を生み出した。イズを押し出す空気の弾丸。


 生半可な勢いで放てば、ナチ達の下を進む熱線に巻き込まれて死ぬ。だから、ナチは空気をさらに収束。空気を圧縮し、それによって生まれた熱も利用し、《アヴォイル・リ・ソウルズ》の超熱線によって生み出された大量のプラズマすらも空気の弾丸に取り込む事で、一撃の威力を高めていく。


「イズ。行くよ」


「優しく頼むぞ」


 官能的な艶めかしい声でそんな軽いやり取りを交わしながら、ナチは後方に束ねた空気を解放。災害クラスの暴風を解き放ち、ナチはイズと自身を前方へと押し出した。


 吹き飛ぶイズの体。射線上から大きく離れて行く黒い獣と符術使い。地面に落下する瞬間にナチは空気を地面に集め、猛烈な上昇気流を生み出す。イズの巨躯すらも浮き上がらせる小さな竜巻を瞬時に生み出し、イズの体を僅かに浮かせる。イズは空中で体勢を整え、安全に地面へと着地した。


「やれば出来るではないか」


 ナチとイズは地面に落下した瞬間にレッドドラゴンに向けて駆け始める。高速で瓦礫を吹き飛ばしながら進んでいくイズ。ナチは宙を舞う瓦礫や木片を掴みながら、符に変えていく。


 変換した符に属性を付加「磁力」。ナチはイズから飛び降りると、地面に落下。消えていく超魔法を尻目にナチは倒壊した家屋を符に変え属性を付加。「金属化」。鉄に変換した家屋。そして、ナチは瓦礫で作った「磁力」の属性が付加された符を具象化する。即席磁石に集まっていく、鉄の家屋。


 磁力によって生み出された極太の丸棒の先端に引き寄せられていく鉄の家屋。それは球体を模っていき歪な形状の球体を形成していく。


 そして磁力によって生み出された巨大な鉄鎚はナチの上背を遥かに超える鉄鎚。持ち上げることは叶わないほどの超重量。けれど、問題はない。これはナチの武器ではない。この鉄鎚はレッドドラゴンに向かって駆けていく黒い獣のための武器だ。


「イズ!」


 ナチは木片から作り上げた符に「磁力」と「磁力」を付加。そして、それをイズに向かって投げ飛ばす。イズは急速に立ち止まると投げ飛ばされた符を掴み、その瞬間にナチは属性を具象化。強い磁力によって、引っ張られていく鉄のハンマー。


 磁石の引き合う力を利用して、宙を移動していく鉄鎚はイズが手に持っている符に引き寄せられ、とてつもない速さで突き進んでいく。イズは手に収まった鉄鎚の柄を力強く握り締め、猛然と駆け出した。


「心地よい重さだ」


 ナチは先に投げ飛ばした「磁力」の符を解除しつつ、レッドドラゴンへと向かって行く。


 羽根をはためかせ、レヴァルに上陸するレッドドラゴンは自身の周辺に赤い球体を無数に出現させる。赤い球体の出現により景色がゆらゆらと歪み、レッドドラゴンが捻じれて映る。歪んで見えるほどの熱量を宿しているということなのか、ナチの精神に干渉しているのか。


 答えは考えるまでもない。前者だ。


 肌を焦がす高温。噴き出す汗が全身を包み、呼吸する度に気管は悲鳴を上げる。それほどの熱量をあの赤い球体は有している。


「魔力エネルギー弾……」


 あれは魔法でも何でもない。ただの魔力の塊だ。恐ろしく密度と純度が高い魔力の塊。


 本来魔力に熱という概念は無く、魔力に熱が宿るのはその後の工程だ。魔力という無機質な力に精霊や眷属、組み上げた術式などを組み合わせ、様々な変化をもたらす。それが魔法。


 だというのに、あの魔力の塊である魔力弾が熱を宿している理由。それはレッドドラゴンの特性によるものだろう。レッドドラゴンがその身に内包する特性 《燃焼力(フレア)》。生み出す魔力や魔法、自身が生み出す全ての現象に高熱を伴わせる、レッドドラゴンのみが持つ唯一無二の特性。


 あの竜はそれすらも再現しているというのか。


 ナチはレッドドラゴンに向かって駆ける。あの魔力弾は熱を宿しているというだけで炎ではない。酸素濃度の変更による鎮火は不可能であるし、水や氷を与えても消滅させることは出来ない。あの高エネルギーの魔力弾を相殺するには同程度の質量、威力、もしくはそれ以上の力で突破するしかない。


 ナチは落ちていた花瓶を拾い上げ、符に変えるとそこに呪文を刻み込んだ。白縹色の呪文に縦一文字を刻み込むと符を口に咥え、イズの援護へと向かう。次々と魔力弾を宙に生み出し続けているレッドドラゴンに向けて、イズが鉄槌を振るい、ナチが符術を放つ。


 魔力弾を破壊する為に二人は次々と攻撃を加えていく。


 だが、二人の攻撃は全て 《シェルグランデ》が受け止め、防ぎきる。鉄壁の魔法陣がレッドドラゴンに指一本たりとも触れさせない。


 ナチはコートのポケットに次々と符を収納していき、一枚の符に属性を付加。「大気」。ナチはレッドドラゴンの膝元に滑り込むと、属性を具象化。足下に生まれる上昇気流がナチの体を急速に上空へと押し上げる。


 ナチの体がレッドドラゴンの腹部に到達し、再び足下に上昇気流を生み出そうとした時、レッドドラゴンの右腕がナチに向けて振り下ろされる。


 咆哮が鳴り響くと共に眼前に迫る右腕。それを回避する為に大気を収束させるが到底間に合わない。鮮血の様に紅き鱗がナチの視界を埋め尽くしていく。鋭い爪がナチの命を絡め取ろうとする。


「じっとしておれ!」


 視界の左側に映り込む黒。それはナチよりも高い位置に飛翔すると鉄鎚を器用に両手で回し、遠心力をたっぷりと加えた一撃を右腕の側面に撃ち込んだ。左から右に、ナチの視界から消えていく赤い腕。開けていく視界の中にレッドドラゴンの苦痛に歪んだ顔面が映った。


「乗れ! 送ってやる!」


 ナチは大気を操り、イズが持っているハンマーの上に立った。そして、膝を限界まで曲げる。膝のバネを限界まで溜める。


 ナチは口に咥えていた符を右手に持ち、レッドドラゴンの顔面を睨み付けながら、呪文を唱え始める。


「我、守護を破る者なり。我、神の御霊を破る者なり。我、天を開く開闢(かいびゃく)者なり」


「決めてこい! 異世界渡り(ワールド・ウォーカー)!」


 イズの両腕の筋肉が膨れ上がり、その膂力を全て乗せて、ハンマーは振り抜かれた。


 振り抜かれる瞬間にナチはハンマーを蹴りとばし、大きく跳躍。そこに「大気」によって生み出した上昇気流も追加し、ナチの体は高速で上昇する。


 一瞬でレッドドラゴンの眼前に現れたナチは手に持った符を力強く握った。


 初めて重なり合う視線。そこで初めて気づく。このレッドドラゴンはナチが知っている竜とは違う存在なのだと。同じ姿、能力をしているだけで、《創世の四竜》とは似て非なる存在。夢も誇りも、主人を愛する気持ちでさえ持ち合わせていない、ただの偽物。


 死者の誇りを愚弄したな……ユライトス。


 ナチは歯を食いしばりながら、右手に持った符をレッドドラゴンに向けて投げ飛ばした。左手の人差し指と中指を立て、霊力を放出する。


「封殺符術 《(てん)()(ろう)》」


 レッドドラゴンの鼻先で白縹色の光を大量に放出し始める符。大量の霊力を圧縮し、高められた霊力を一気に放出する全方位無差別破壊符術。


 あらゆる結界を破壊する結界殺しの符術はナチ諸共、白縹色の破壊光で全てを包んでいく。


 ナチはポケットから符を取り出し、属性を具象化「磁力」。レッドドラゴンの足下で《天日牢》の光を見上げているイズが手にしている鉄鎚へとナチは急速に吸い込まれていく。


 ハンマーに激突する瞬間にナチは符を解除し、地面へと無様に転がった。


「イズ、早く逃げるよ!」


「分かっておるわ、この鈍間!」


 イズはナチを背に乗せると素早く戦線離脱を始める。《天日牢》によって吹き飛んでいくレヴァルの街並み。更地に生まれ変わろうとしている港町へと視線を向けた後にナチはレッドドラゴンを見た。


 猛然と吼えるレッドドラゴンは宙に生み出した魔力弾を《天日牢》に激突させ《シェルグランデ》を展開し、結界殺しの符術を防いでいる。防ぎきっている。


 白縹と紅の激突は凄まじい轟音を生み出し、高密度の破壊エネルギーを宿した光が地上へと舞い落ちる。


 《天日牢》ですら破れないのか……。


 崩壊していくレヴァルとは反対に壊れる兆しすら見せない《シェルグランデ》にナチの眉間は険しくなっていく。


 硬すぎる。ナチが発動できる符術の中で最も威力が高い《天日牢》ですら、突破する事が出来ない。もし《天日牢》すらも防がれれば、ナチが持つ攻撃手段では《シェルグランデ》は突破できない事が証明されてしまう。


 彗星のように地上へと落下してくる二種類の光をイズは素早く避け、ナチはその衝撃に吹き飛ばされない様にイズの毛を強く掴んだ。イズの背に顔を埋める。


 霊力の酷使による強制睡眠の兆候が顕著になり始めている。気を抜けば、今すぐにでも眠りに着いてしまいそうだ。だが、眠ることは許されない。ナチがそれを許さない。ナチには勝利しか許されない。


 だけど……。


「勝つんだ。必ず」


 自分を鼓舞する為に、折れそうな心を繋ぎ止める為にナチは言葉を紡いだ。小さな声で、自分にしか聞こえない様な声で。


「ナチ! 衝撃に備えろ!」


 ナチはすぐに顔を上げた。背後を確認している暇はない。けれど、分かる。自身の後ろで真っ赤な光が燦然と輝いているのが。背中に感じる高熱が。


 イズがナチを左方向へと投げ飛ばし、イズ自身は右側へと跳躍。ナチとイズは地面を派手に転がり、瓦礫の山に激突した所でナチとイズは動きを止めた。ナチとイズが居た場所に落ちた魔力エネルギー弾は地面を大きく抉り、熱波を周囲に撒き散らすとそこにあった瓦礫も船の残骸も一瞬で蒸発させた。


 大きく抉れた爆心地を視界にハッキリと捉えると、ナチは瓦礫の山に手を着きながら立ち上がった。


 全身が痛む。破れたシャツの下は火傷によって無数に水疱が浮かび上がり、それが破裂した痕跡も多数存在する。更には地面に落ちた瓦礫や木片などが皮膚を裂き、血液が破裂した水泡の痕を伝い、その度に激痛が走った。


 痛みに呻くと同時に、ナチは歯を食いしばる。


 空を照らす光が赤一色になったのを見て、ナチは歯を食いしばった。《天日牢》の消滅。それ即ち、今日何度目か分からないナチの敗北。それを嘲笑うかの様にレッドドラゴンはナチとイズに向かって歩みを進める。歩行に問題は見られない。《天日牢》によるダメージは見られない。


 一歩を踏み出すごとに地面は振動し、背後に積み重ねられた瓦礫の山が音を立てて崩れ始める。


 ナチはポケットから符を取り出した。そこに込める属性を鈍い思考回路で考える。


 何なら、あれを倒せるというのか。どの属性を込めれば、どの呪文を符に刻めば、あれに勝てる。


 ナチの前で静かに息をし、音も無く見下ろしてくるこの赤き竜を跪かせるための符術。それは何だ。


「ナチ、逃げろ!」


 イズの叫び声が更地と化しつつあるレヴァルに響く。けれど、それはナチの耳に届くことなく通り過ぎていく。ナチの意識は目の前に現れたレッドドラゴンの顔に向けられている。集中している。耳が音を拒むほどに。


 少しばかり傷が見られる鱗。右の角は半ばから折れている。だが、それ以上の傷は無い。血も流れてはいない。


 《天日牢》の直撃で、これだけ。今までの攻撃全てを足しても、これだけの傷しか与えられていない。ナチは属性を付加することなく符を握り締めた。


 レッドドラゴンの鼻息が全身に当たる。弾けた水疱の痕に当たり、また痛む。意思の伴っていない金色の瞳がナチを射抜くが向けられた視線に対して思うことはない。


 怯えることも、竦むことも、尊敬の眼差しを向けることも、慈しみを覚えることもない。


 こんな姿形だけを真似た偽りに感情を起こす事は無い。唯一抱くとすれば、怒りだけだ。


「ナチ! 何をしておる! 早く逃げろ!」


 イズの左腕からは酷い出血が見られる。地面を汚している赤い血液がその傷の深さを物語っている。現に彼女は立てていない。何度も立ち上がろうとしては地面に崩れ落ち、這う様にしてナチに迫ろうとしている。が、如何せん距離が遠すぎる。間に合うはずもない。


 ナチの眼前に展開される紅の魔法陣。至近距離で見ればすぐに分かる。これは彼が独自に組み上げた魔法陣だと。


 彼の成長と共に術式を、姿を変えてきた彼の成長の証。世界を救う為に、友を救う為に、最愛の主を守る為に。彼の強い想いが詰まった魔法陣。平和な世界の到来を祈り続けた彼が生み出した救世の超魔法。


 それすらも一人の屑が踏み(にじ)る。そのことに強く憤りを感じる。その屑に一矢報いることが出来ない自分にも、ただ苛立ちを募らせる。ナチの心を表したかのようにレッドドラゴンの喉奥から現れる赤。全てを灰燼に帰す紅の閃光。超魔法 《アヴォイル・リ・ソウルズ》。


 前髪やコートがその熱風に当てられて、後方に靡いていく。


 大きく開かれる口。徐々に出力を上げる閃光。光輝を増す紅い魔法陣。ナチはその発射の瞬間を待ち続ける。


「ナチ!」


 イズの声はもはや悲鳴のように甲高くなっている。初めて聞く彼女のそんな声にナチは静かに微笑んだ。


 左手の指先に灯る白縹色の光。


 まだだ。この超魔法を放とうとする瞬間は《シェルグランデ》は展開されない。この竜は防御の姿勢を取らない。だから、狙うとすればそこだ。超魔法を放つタイミングに合わせて、もう一度《天日牢》を放つ。そうすれば、相討ちにはなる。


 超魔法と《天日牢》の直撃を浴びれば、ナチは間違いなく死ぬ。が、それでもイズは助かる。倒す事ができれば、解毒薬が手に入る。


 マオとイズに懸けよう。世界の存亡は彼女達に任せよう。それでもいい。彼女達を助けられるのなら。


 ナチは光を灯す指先を符に押し当てた。


「ハーイ、ストップ!」

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