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十四 吐血

 昼下がりの午後も過ぎ、そろそろ夕日が姿を現すかという時間。


 サリスの情報収集を念入りに行い、花に覆われた噴水広場で芸をしていたピエロをマオにせがまれ最後まで見る事になったナチ達は遅めの昼食を摂っていた。海が見える見晴らしの良いバルコニー。そこで背もたれがついたダイニングチェアに座り、丸椅子を囲むナチとマオ。そして、マオの膝上に座るイズ。


 机に乗っている二つのグラスにはナチの知らない何かの果物の果汁が一杯に入っており、白い皿の上にはトカゲの肉が挟まったサンドイッチが置かれている。


 どれも露店で買った物だ。


 ナチとマオはサンドイッチを手に取り、口に運んでは果汁で口を潤わしていた。特に味の感想をいう事も無く他愛も無い話をしながら、淡々と食事を済ませる。


「見つからないね、サリス」


 サンドイッチを飲み込んだ後に、マオは視線を膝上のイズに向けながら言った。背中を優しく撫でられ、気持ちよさそうに目を細めているイズはマオに果汁を分け与えられると、美味しそうにそれを口に運んでいた。


「あのナチにしか読めぬ手紙を寄越したという男も追うべきではないのか? そいつもどうせ世界樹とやらに関わっておるのだろう?」


 口に運びかけたサンドイッチを皿に戻し、ナチは首を横に振った。


「それは分からない。一回、聞いてはみたんだけどね。はぐらかされたんだ」


「お兄さんはどう思ってるの?」


 サンドイッチに伸ばしかけた手を引っ込め、ナチは口を開く。


「多分、世界樹に関わる人じゃないかな、とは思ってる。けど、何を考えているのか分からないんだ。サリスもそうだけど」


 魔法についても、毒についても知識がある。しかも、服装や手にしている鞄は高度な文明で生まれた産物。さらに多世界の言語を習得している。あの男はナキと同じく世界を渡る事が出来る人物。この状況でそんな行動を取れる人物は真っ先に世界樹と関わりがあると疑うべきだ。それが普通で、それが自然。


 けれど、彼は何がしたいのだろうか。バジリフィリスクをレヴァルに解き放ち、人々を毒で圧倒的な力で苦しめて、どうしたいのだろうか。ナチに敵対の意思を示した訳でもなく、マオに接触した様子もない。バジリフィリスクを魔法世界からこの街に移動させたこと以外、何も動きを見せていない。


 だが、引っ掛かっている事はあった。


 バジリフィリスクをどうやって移動させたのか。


 あの男の言う事を信じるのならば、バジリフィリスクは魔法が栄えた世界の生物。この世界には存在しない生物。この世界の生物ではない以上、世界を渡る必要がある。世界を渡り、バジリフィリスクをこの世界に運ぶ必要がある。


 だが、世界は二つしか存在しない。無限と称された世界も今は黒に包まれて行方不明。


 もう一つの世界は魔法が栄えた世界だったのだろうか。それはあり得ない話ではないが、その世界にどうやって向かうのか。あの男は世界を渡る能力を持っているのか。それとも、世界を渡る事が出来る能力を持ったアイテムを持っているのか。鍵の様な強力な存在を。


 だが、鍵はサリスが所有しているはず。それは不可能だ。


 分からない。どれだけ考えても、答えが出ない。あれもこれも、あの男に会えば分かることなのだろうか。それすらも分からない。


 ナチは符から手を離すと、サンドイッチを食べようと皿に手を伸ばした。だが、そこで気付く。皿の上にサンドイッチが無い事を。


「お兄さん、もう食べないんじゃなかったの?」


 マオとイズの手元を見れば、三角の形をしていたサンドイッチが半分になり、それも一口サイズほどに減っている。ほとんど食べ終わっているのが見えた。


「食べるよ。ちょっと考え事してただけで」


「あー、ごめんごめん。お兄さん黙り込んじゃったから、残すのも勿体ないと思って。ね、イズさん?」


「そうだ。食べ物は残さぬのが我の信条だからな」


 そう言いながら、二人はサンドイッチを口の中に運び、食事終了と言わんばかりに手の平に付着したパンくずを払った。


「もう食べ終わっちゃったから何にも言えないし」


「そんなに気にする事ないって。だって、バジリフィリスク倒したから、報奨金入るんでしょ?」


「あ……」


「え?」


 マオが首を捻った。イズの視線が僅かに下がる。


「バジリフィリスクの死骸、埋めちゃった」


「何してんの、お兄さん。馬鹿なの?」


 凍土の様に冷たい眼差しを向けてくるマオ。ナチは救いを求める様にイズを見るが、イズはナチの視線に気付くと大きな欠伸を掻いた後に目を閉じた。そして、穏やかな寝息を立て始める。


 この裏切り者……。


 ナチはあはは、と取り繕う様に笑った後に歯を食いしばった。潔く覚悟を決めよう。元々、単独行動したのは悪いと思っていたのだから。


「ま、でも」


 叱られる覚悟を決めたナチだったが、マオが穏やかに笑うのを見て口をぽかんと開けた。イズも右目だけを開け、マオの表情を窺う様に見ている。


「報奨金以上の笑顔がたくさん見られたのはお兄さんのおかげだし、今回は大目に見よう。でも、次はちゃーんと私に声を掛けること。分かった?」


 どうして上から目線なんだろう、と思いつつもナチは首を縦に振った。マオに上から物を言われるのを苦だとは思わないし、別に構わないのだが。


「う、うん。分かった」


「お兄さんは、いい加減一人で行動する癖を直すべきだよ」


 空を夕景に染め上げる茜色が、バルコニーにも熱烈に差し込み出し、それは目を細めてイズの背を撫でているマオの横顔を照らした。そこに自然と視線が吸い込まれる。彼女の髪よりも濃いオレンジ色。その光に照らされた髪が同色に染め上げられていく。


 宝石の様に煌めく青い瞳も夕日を吸い込んで、輝きを増していく。美しく反射しては艶めかしく瞬きを繰り返す。潮風が髪を揺らし、それを押さえる仕草にナチは何故だか心が落ち着かなくなる。一つ一つの仕草に何故だか胸がざわつき出す。


 そして、その視線が彼女の首筋にある虫さされのような痕に目が行った時、ナチは唐突に現実へと引き戻される事になる。


「尻に敷かれているんですねえ、異世界渡り(ワールド・ウォーカー)は!」


 背後から掛かる声。それは待ち望んでいたあの男の声。陽気な声に勢いづけられたかの様に、赤みを増す夕日から目を背ける様に、ナチは背後へと振り返った。背後に居たのは予想通りダブルスーツを着た男。相変わらず全身が真っ黒で、左手には真っ黒なジュラルミンケースを手に持っている。


「お兄さん、この人は?」


「この人が僕に手紙を寄越した人だ」


「そうです、そうです。マオちゃん。僕はユライトスと言います。ユライトス・ストリキー!」


 ジュラルミンケースを地面に置くとユライトスはマオに握手を求めて、手を差し出した。


 ナチとマオは椅子から立ち上がる。マオはユライトスと握手を交わすが、表情からは嫌悪感がひしひしと伝わって来る。


「あ、はい。よろしくお願いします」


 ナチは警戒心をあらわにしながら、ユライトスへ視線を向ける。


「どうやら、ウェルディちゃんは助けられたみたいですねえ。さすがです、ナチ君。君なら倒せると思っていましたYO!」


 フレミング左手の法則の様に親指と人差し指と中指を立て、ユライトスは右手をナチに向かって突き出した。その挙動にマオは引き気味な反応を示す。


「僕はウェルディを助けました。教えてもらいますよ。あなたがこの世界に来た理由を」


「本当に駆け引きもクソも無い事を言って来やがりますね。ですが、もうちょっと待ってくれませんか。ナチ君に見てもらいものがあるんですよ」


 そう口にして男は右手首を胸の高さにまで上げた。そこにはめられているのは腕時計。時刻を数字化して、持ち主に時間を教えてくれるアイテム。またもこの世界には存在しない道具。


「一つ聞きたいんですが、ナチ君はどうして知り合ったばかりの人間を助けようと思ったんですか? やはり、ウェルディちゃんが美人だったからですか?」


「違います」


「あー。シキ君が美人だったからですよねー。だと思いましたー」


 視線は腕時計にしっかりと向けつつ、ユライトスは軽口を言い放つ。イズが机の上に乗り「この男、大丈夫か?」と小声で言った。


「大丈夫ですよ、イズちゃん。私は毎年健康です」


「やめろ。そんな風に我を呼ぶな」


 あと四十秒、とぼやいたユライトスはナチを真っ直ぐに見る。軽薄な笑みを浮かべて。


「君は全ての人間を助けたいんですか?」


「僕は、助けを求めてきた人間は助ける。助けられる命は可能な限り助ける」


「そうですか。私と同じですねえ、君は」


 再び腕時計に目を向けたユライトスは「あと二十秒」と口元を歪める。


 何のカウントダウンをしているんだ?


 疑問符が浮かび続ける中、ユライトスはジュラルミンケースを左手に持った。


「私も同じですよ。僕も助けを求めてきた人間を助ける。死の救済を与えてあげます。あー、私優しい」


「何を言って」


「あと十秒!」


 大声で紡がれたユライトスの言葉に多くの人が振り返った。何かの催しか、とナチ達の周辺に群がってくる人もいれば、煩わしそうに顔を歪める人もいる。ナチ達もユライトスの行動の意図が分からず、自然と目に力が入ってしまっている。十秒後に何かが起こるのは明白。


 それに身構える為にナチとマオは体勢を低くする。


「あと五秒!」


 心臓が跳ね上がると同時に「四」とユライトスが叫ぶ。


 目が見開き、呼吸を大きく吸った時にユライトスが「三」と声を張り上げた。


 歩いていた人々が立ち止まり、視線を傾けた瞬間に「二」とユライトスが腹から声を出す。


 ナチがポケットに手を突っ込み、符に触れると「一」と盛大にユライトスが唾を飛ばした。


「零!」


 口角を大きく歪ませ、目を大きく見開いたユライトスは胸の高さまで上げていた右腕をだらりと下ろした。ナチが符を一枚だけ取り出し、真っ直ぐにユライトスを見るが何も起きない。大地を揺るがす轟音が鳴ることも無ければ、天地を裂く神の雷が落ちる事も無い。


 波の音だけが静寂を引き裂くだけの空虚な空間。


 拍子抜けとはこの事か、とナチが符を持っている手を再びポケットに戻していると、ユライトスがナチの背後を指差していた。何故か彼は笑いを噛み殺している。大声で笑いたいのを我慢している、そんな笑いの堪え方だ。


 ナチはゆっくりと背後へ視線を向けた。


 真っ先に見えたのは木造のバルコニーに出来上がっている赤く小さな水溜り。上からボタボタと垂れ落ち、ナチが背後を振り向いたタイミングでまた大きな赤い塊が落下した。ベチャ、と大きな音を立て、飛沫を立てる赤。


 ナチの視線は徐々に上へと傾いていく。点滴の様に落下していく赤い液体を時折視界に捉えながら、ナチは赤い液体を吐き出している人物に焦点を当てた。



 マオ。



 口元に手を当て、その手を真っ赤に染めている彼女は崩れ落ちるように膝を床に着ける。そして、勢いよく咳き込んだ。指と指の隙間から零れる、赤い液体。それが血だとすぐに気付いたというのにナチの体はまるで糸を失った人形の様に動かない。


 目の前で何度も何度も吐血しているマオを見て、ナチは目を見開いた。限界まで瞼が上がり、半開きの口から吐息が漏れる。机に座っているイズは床に膝を着けるマオを呆然と見つめ、置物の様に動きを見せなかった。


「マオ……?」


 弱弱しく紡いだ声は酷く掠れ震えていた。そのみっともなく震えた声に今も吐血を繰り返しているマオが反応を見せた。青く大きな瞳がナチを射抜く。どうしていいのか分からなくなっているナチを見て、マオは口元を押さえていた手を離した。赤く汚れた口元。頬も鼻も、鮮血に染まっている。


「おにい……さん……」


 ナチに向かって手を伸ばすマオ。赤に染まる手をゆっくりとナチへ伸ばす。


「マオ!」

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