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八 強くしてくれませんか?

 アジトに着く頃には空は甘酸っぱい蜜柑色の柑橘類を想起させる橙色に染まっており、その光を浴びた途端にどっと疲れが体に圧し掛かった。夕日は何故だか一日の終わりを強く感じさせる。夜よりも強く、心に深く訴えかける。


「おかえり、マオ、ナチ」


 扉を開け、アジトに一歩踏み込むと、包容力を感じさせるシャミアの声が家屋内に響く。その声に一抹の安心を覚え、ナチは疲労感を滲ませながら、マオは満面の笑みを浮かべながら、口を開いた。


「ただいま!」


「……ただいま」


「どうしたの、ナチ?」


 シャミアが心配そうな面持ちでナチを見る。初老の男性を見る様な目だ、と自嘲気味にナチは笑うと嘆息。それを見て、マオが口角を上げつつ腕を組んだ。


「別に何もないよ。お兄さんがおじさんってだけ」


「ん? どういう事? ナチってまだ若いでしょ?」


 ナチはポケットの符を握りしめると、記憶の海を遡った。世界を渡り始めたのが九歳の時。そこから転々と世界を渡り、いつの間にか肉体も精神も大人になり、白の監獄にたどり着いた。その時の年齢をナチはもう覚えてはいない。


 十代ではないのは確かだが、細かい年齢は不明。見た目は二十代前半。ここは適当に誤魔化すしかないだろう。白の監獄で過ごした時間を考えれば、年齢など大した意味を持たないのだから。


「二十一だよ」


「なら、全然おじさんじゃないわよ。若い、若い」


 子供を慰める様な口調でシャミアに肩を叩かれ、余計惨めになった。しかも、マオがこちらを見て嘲笑めいた笑みを浮かべているのが余計に腹立つ。


 そこでふと気が付いた。首を動かし、家屋内を見回した。リルと目が合うと軽く会釈される。ナチも笑顔で返し、再び目的の人物を探す。


「あれ? サリスは?」


 元々予定があると言っていたしアジトにいなくてもなにも不思議ではない。予定というのがナチ達の様に移動に時間が掛かる場所だった可能性もある。


「少し出掛けてるわ」


「どこに?」


 マオが身を乗り出すと、シャミアは首を傾げる。


「さあ? 行先は言わなかったから」


「そうなんだ。早速、仕事の報告しようと思ったのに」


 ざーんねん、とマオは色褪せた茶色の丸椅子に座ると、シャミアの横に移動する。


「ウサギモドキの駆除と、住処の破壊だっけ?」


「うん。あっという間に終わらしてやったよ」


「ほんとにー? ナチに迷惑掛けずに行けた? マオが迷惑掛けなかった?」



 からかう様な口調と表情と共に、シャミアはナチとマオを交互に見た。ナチは苦笑を浮かべ、マオは憤慨。それを見て、リルが困った様にその場でおろおろとしている。


「迷惑なんて掛けてないよ。もう子供じゃあるまいし」


「まだ十六でしょ?」


「まだ十六なの?」


「どういう意味それ?」


 マオが真顔でナチに詰め寄る。綺麗な顔立ちをした女性の真顔というのは、素直に恐怖を抱く。それが子供であろうが成熟していようが、人の純粋な怒りというのは怖い。未知などよりも余程怖いと思う。


「若いなあって思っただけだよ」


「なんかか馬鹿にしてる感じがしたから」


「してないよ」


 馬鹿にはしていないが、十二歳くらいだと思ってました、とは死んでも言わないようにした。


「それで、依頼は終わったんだっけ?」


「うん。お兄さんがほとんど倒しちゃった」


「さすが。ラミルを倒すだけはあるわね」


 真正面からシャミアに褒められ、ナチは頬を掻くと視線を不意に逸らした。さすがに真正面から褒められると照れる。褒められた経験が少ないからか余計に気恥ずかしく感じる。


 体の熱が顔に集中していくのがシャミアとマオに気付かれる前にナチは二人に背を向けた。すると、その先にいたリルと視線が重なり、彼は体をもじもじとさせる。どうしたのだろうか。憚りでも我慢しているのだろうか。


 ナチはリルの横に置いてあった椅子へと腰を下ろすと、リルと向かい合う様に体の向きを変える。



「どうしたの? 何か悩み?」


「その……」


「遠慮しないで。僕は新入りなんだから」


 じゃあ、とリルは真っ直ぐにナチを見据えた。右手を胸に当て、瞑目。深呼吸を繰り返す。


 そして、緩やかに開かれた瞳に力強い光を宿すとリルはナチに頭を下げた。


「僕を強くしてくれませんか?」


 ナチが驚いていると、リルの背後でマオとシャミアがさり気なくこちらへと視線を移動しているのが見えた。


「強くって?」


「僕も強くなりたいんです。ラミルを倒せるくらい」


「強くしてくれって言われてもなあ。僕は人に教えるのは苦手で。上手く教えられないかもしれないよ?」


 ナチにも符術を教えてくれた師匠と呼ばれる存在はいるが、誰かを教えた経験は無い。だから、どう教えればいいのかが良く分からない。



「それでも構わないです。ナチさんに教えてもらえるなら」


「それで良いって言うなら、教えるけど」


 眩しいほどの笑顔を浮かべるリルは勢いよく頭を下げた。


「はい! よろしくお願いします」


「今日はもう遅いし、明日からでもいい?」


「大丈夫です」


「じゃあ、明日からという事で」



 はい、と笑顔で頷くリル。それを見て、ナチは少々罪悪感を抱いた。戦い方を師事するのが、自分で良いのだろうか、と。もっと、しっかりとした人間に教えてもらった方が良いのではないだろうかと。


 ナチは異世界の人間でこの世界の超能力とは全く別の神秘の術を使用している。そんなナチが、この世界の住人に対して何かを教えられる事があるのだろうか。


 それに符術は無理だ。符術は、体内に流れる霊力を物体に流し込み、符に変換して発動させる。符に属性を込めるにも、符を作るにしても、前提として霊力というエネルギーをその身に宿していなければならない。


 だが、この世界の住人から霊力を感じない。一切の霊力を感じない。


 結果、符術を習得するには先天性の才能が既に欠如しているという事になる。

 

 本当に、師事するのがナチで良いのだろうか。やはり、そう思ってしまう。期待していた特訓と違うと、リルが思ってしまわないだろうか。


 ナチは一度、内心で首を横に振った。


 リルがどんな能力を保有しているのかは知らないが、超能力というのは固有の能力。魔法や符術の様に複数の属性を操る事はできない。氷を生み出す能力ならば氷。風を発生させる能力ならば風。つまり、固有の能力を鍛え上げられる人間は本人だけだ。


 それにナチが扱うのは基本的には符術だが、使用できるのは符術だけではない。符術以外の異世界での知識が役に立たないと決まった訳でもない。


 不安は拭い切れないが、もうやると言ってしまった以上は手を抜く事は出来ない。リルがせっかく勇気を出してナチに教えてほしいと言ってきたのだ。それに応える為の努力をナチもしなくてはならない。


 さっそく、明日の事を考えていると、誰かがナチの肩を肘で小突いた。振り返るとそこにはシャミアが聖母の様に母性と慈愛に満ちた表情でナチを見下ろしていた。


「ナチ。よろしく頼むわね」


「うん。任せて」


 まず何をするべきか、と視線を宙に彷徨わせていると、不意にマオと視線が重なった。不機嫌そうに眉を寄せ、視線には鋭さを滲ませてこちらを見ている。その理由は判然としないが、一応声を掛ける。


「マオも一緒に特訓する?」


「しない」



 きっぱりと断られた。そしてマオが不機嫌だという事も口調から判明した。明らかに苛立ちの色が乗せられた声音。この不機嫌に気付かない者がいるのだろう、と思う様な声質にナチは苦笑を浮かべた。


「ナチもマオも、今日は休んでいいわよ。移動やら戦闘やらで疲れたでしょ?」


 本当ならば、これから酒場の給仕を手伝うはずだったのだが、ナチはシャミアの言葉に甘えて、そのまま休むことにした。シャミアとリルに挨拶を交わし、マオにも声を掛けるが、帰って来るのは素っ気ない短い返事。


 ナチはそのまま家屋を出ると、覚えたばかりの道を進んでいく。酒場から宿屋へ向かう道。空を覆っていた橙色は次に現れる紺色にその座を譲りつつあり、この世界に来てから二度目の夜に差し掛かろうとしていた。


 ぽつぽつとウォルケンに出現し始める蝋燭の光が夜闇を払い、ウォルケンという街を夜から守護している様にも見えた。



 宿に戻ったナチは相変わらず不機嫌な主人に話しかけ、受付を済ませると、二階の一番奥の部屋に向かった。宿に泊まる代金はサリスから貰っている。この街にいる間はこの部屋がナチの居住空間になる。部屋へ入ってすぐに上着を脱ぎ、地面に放り投げる。


 部屋に常備された蝋燭に火を灯す事もせずに、ナチはそのまま、ベッドに寝転がった。既に日も落ち、部屋は暗いが、これから何かをする訳でもない。灯りを点ける必要は無いだろう。


 ナチは天井を見つめながら、今日一日の出来事に思いを馳せた。


 


 街に帰還してすぐに起きたマオとの口論を真っ先に思い出して、ナチは思わず口角を上げた。久方ぶりに他人と喧嘩らしい喧嘩をした気がする。あれを喧嘩と呼んでいいのかは分からないが。


 下らない事で喧嘩をしたな、とは思う。詰り、詰られ、下らない言葉で相手を傷つけ合う。子供染みた発言ばかりだったと自負している。その発言を思い出すだけで体は羞恥で熱を帯び始め、ナチは決して柔らかくないベッドに頭を埋めた。


 もしかしたら、子供なマオに引っ張られて、発言が子供っぽくなったのかもしれない。そんな言い訳を重ね、羞恥によって生み出された熱を押さえようとするが、それは叶わない。


 ナチはその熱を宿したまま瞑目し、思考を更に過去に遡らせる。


 

「世界を救うまで残り八七七五時間……か……」


 世界を救う、という単語を並べるだけならば凄く勇猛に満ちた響きなのだが、実際は何をしていいのか分からず、何から始めればいいのかすら分からないというのが現状だ。


 ヒントは何もなく、全く知らない異世界に渡り世界を救う術を見つける。そんな事をスムーズに行える人間が居るというのならば、ぜひ紹介してほしいものだ。切実に。


 けれども、この暗澹とした状況でナチが取れる行動、取るべき行動はもう決まっているのだろう。


 世界を救う為に必要な事は、まずこの世界を知る事だ。この先、この世界の人間に協力及び共闘してもらう必要が必ずでてくる。ナチだけでは勝てない敵が、ナチの手に余る現象が必ずでてくる。


 そんな時にこの世界の事を知らず、この世界の人間を知らないまま協力を募ったとしても、誰もナチを信用してくれないだろう。


 よってナチがまずすべきなのは、この世界で信用を勝ち取る事。世界を救う為に必要な人材が見つかった時に、味方に付いて貰えるように。


 その時の為に信用を積み重ねる事こそが、今のナチがするべき事だ。


「明日から……頑張らなきゃ……」


 ベッドのシーツに埋めていた顔を右にずらしナチは顎を掻いた。顎に触れた瞬間、ふとマオに絡んできた太い唇が印象的な男性を思い出した。小便を漏らしながら逃げていった名も知らない彼の言葉を。


「サリルに守ってもらってる……か」


 これこそが現在、マオ達がウォルケンという街に抱かれている印象そのものだ。サリスが居なければ何も出来ない弱者の集団。そんな所だろう。


 シャミアとリルは戦闘をしている所に遭遇した事が無い為に知る限りではないが、マオは弱者と罵られる程に弱者なのだろうか。彼女は氷を生成する能力は十分使いこなせているとは思うし、身のこなしも素人とは思えない。


 強者と呼ぶには少し未熟だが、それでも弱者ではないとナチは思う。


 おそらく、あの男は他人から又聞きした信憑性の薄い話を信じ込んでいるのだろう。一度植え付けられた固定概念というのは、中々拭い取る事は出来ない。それを綺麗さっぱり拭い取る為には、革命が必要だ。


 マオ達が強者だと証明する革命が。


 世界を救う前に、ウォルフ・サリを救う方が先かもしれない。


 そんな事を思いながら、ナチは瞼を下ろした。


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