四 薬師
レヴァルから出たナチ達は街道を進み、最初に差し掛かった分岐を右に曲がった。右に曲がると緩やかな傾斜の山道が続き、道は緩やかな曲線を描いている。
日がまだ高い事もあり、気温は少し高いが常緑樹に囲まれているおかげか山道には影が幾重にも差し込み、僅かばかりの木漏れ日だけが道を照らしていた。
影が続いている事もあって、山から吹く清涼な風が気温の高さを少しばかり誤魔化してくれている。
爽やかな風が吹く度に葉擦れが起き、葉がゆらゆらと舞い落ちる。それを何枚か空中で拾いながら、ナチはポケットに突っ込んだ。ネル達から貰った布は限りがある。符に変える触媒は何枚あっても損になる事は無いし、ポケットを多く作ってもらった事で邪魔になる事も無い。
また新緑が目の前に落下するのを眺めながら、ナチはそれに手を伸ばす。葉に手が触れ、固い感触が指先に伝わりながら、手の平に収まっていった。
それを握り締めるとナチの横でマオが唐突に口を開いた。
「迷惑だった、かな?」
マオを尻目に見ながら、ナチは葉をポケットに入れた。無表情で前を歩き続けるマオは返答を求めてナチを見る。返答を考えながら、ナチはポケットに入れた葉を符に変えた。
「迷惑だったら止めてるよ。止めなかったって事はシキだって本当は諦めたくないんでしょ。諦めたくはないけど、諦めざるを得なかったんだよ」
ナチは木々の隙間から差し込む木漏れ日を手で遮りながら、淡々と言葉を並べた。それを黙って聞くマオの表情は依然として暗い。
「いまさら迷惑かどうか気にしているのか、お前は」
「だって、気になるし……」
下唇を突き出しながら、マオが山道に落ちていた小石を蹴り飛ばした。
「さっきの威勢の良さはどうした? 急にしおらしくなりおって」
「……だって薬師って人が治せないって言ったんでしょ? なら、私達がどう頑張っても治せないんじゃないの?」
ナチとイズが顔を見合わせながら、爆笑する。森を駆け巡るナチとイズの笑い声。それに反応してか、木々が大きく揺れる。もちろん風に揺れただけだ。それでも、ナチには森が一斉に笑い出したようにも見えた。
「何で笑うの?」
マオがナチの肩をぽかぽかと叩きながら、顔を真っ赤にしている。ナチは目尻に溜まった涙を指で拭いながら、説明。
「多分、気付いてなかったのはマオだけだと思うよ」
「え? そうなの? 二人とも気付いてたの?」
ナチもイズも頷いた。それを見たマオは目を何度も瞬きしながら、口をあんぐりとさせている。
「だって、薬師って事は僕達よりも薬に関しての知識は間違いなくあるし、症状に合わせて薬を処方してきた経験もある。そんな人が治せないって言ったのなら普通は治せないんだ、って思うよ」
「マオは少し阿保の子だからな……。いや、少しではないな」
イズが小声で言うが、彼女はマオの肩の上にいる為に極小の声で紡いでもマオに言葉は届く。
「ちょっ! 小声で言わないで! 本気の悪口感でてるから」
マオがイズを見て、泣きそうな声を出した。ナチは助け船を出す様に咳払いをした。全員がナチに注目し、ナチは二人を順に見る。
「まあ実際に聞いてみればいいよ。どうして治せないって断言したのか。理由を聞かないと納得できないでしょ?」
最後の問いはマオに向けて言った。マオが頷く。力強く二回頷いた。それを見て、ナチは目を細めながら口角を上げる。
きっと、治せないという前提は覆らない。それでも真実を知れば何かが変わるかもしれない。ナチ達にも手伝える事があるかもしれない。まだウェルディを救える可能性が残されているかもしれない。全ては真実を知ってから判断するべきだ。まだ、諦めるには情報が足りない。
山道は緩やかなカーブに差し掛かると、一本だけ折れている木が道を塞ぐ様に倒れていた。
木には巨大な爪で引っ掻いた様な跡が至る所に残っており、それを付けた犯人がリザードだと疑うのは当然の心理と言えた。ナチはマオ達よりも先に木を跳び越えながら渡り、木に付けられた傷をちらりと見る。
ウェルディは薬を取りに向かった帰りに襲われた。となれば、ウェルディはこの道でリザードに襲われたという事になる。この木はこの山にリザードが潜んでいる証拠だ。
リザードが体内のどの部位に毒を内包しているのかは分からないが、もし爪に毒が内包されていれば、この倒木は毒に汚染されている可能性がある。
「二人共。あまり木には触れないようにね」
「どうして?」
怪訝そうな顔をマオは向けた。
「木に毒が入り込んでたら、感染するかもしれないでしょ?」
ウェルディに触れたイズが何ともないのだから問題は無いと思うが、あくまで念の為だ。もし、解毒方法が解明されていない毒に感染したりでもすれば旅は不可能になる。慎重に行動しておいて損は無い。
「心配性だなあ、お兄さんは。自分の心配はしないくせに」
「全くだ」
咎める気も起きない文句を言いながら、二人はナチの言う通りに木に触れない様に跳び越えた。とん、と先に跳び越えたナチ側の地面に着地すると、マオは勝ち誇った様な顔でナチを見上げた。「凄いでしょ?」と言わんばかりの顔をナチへ向けて来る。
「凄い凄い。ほら、さっさと行くよ」
先に前を進むナチの後ろで「はーい」と無感情の声が響く。声は葉擦れと混ざり合い、風に乗って流れていく。その流れに沿う様にナチとマオが先へ進もうとすると前方から複数の人影が見えた。
四人。男性三人と女性一人。武器を腰や足に装着し重厚な鎧や軽装な防具を身に着けた、いかにも傭兵紛いの集団だった。
ナチ達は会話を止め四人の集団と擦れ違う。響く葉擦れ。揺れる梢は不穏をもたらす柏手に成り代わるか。
若干の緊張感を胸に抱きながら、ナチから見て左側を通過していく武装集団に目を向ける。重厚な鎧を抉る傷。他にも土や泥が至る所に染み付いている。軽装の女性が着ている白いシャツに染み付いたうっすらと滲む赤は自身の血液か、それとも屠った敵の物か。
おそらくは自身の血だろう。
四人全員が悔しさを滲ませた様な顔をしている。奥歯を噛み締めているのか顎に力が入っている。その表情が結論付けるのは彼等の敗北。きっと、無残な敗北を喫したに違いない。
四人が浮かべているのはそんな表情だ。
「この先、気を付けた方が良いぜ」
四人の内の誰が言ったのかは分からないが男性の声だ。ナチ達は返答する事も無く、無言で先へと進んでいく。影と細い木漏れ日が差す緩やかな山道をナチ達はしばらく無言で歩いていた。気のせいだろうか。道を覆う影が少し濃くなった気がした。
暗く冷たい何かがナチ達を誘っている。そんな予感がしてならなかった。
山道を奥へと進む度に影は濃くなり、日光を遮る程に木々は鬱蒼とし始めた。
木漏れ日が降り注ぐ山道というのは幻想的で情緒的に見えるものだが、日が差し込まなくなっただけで山道は不気味で陰湿な空気に早変わりする。魔に支配されている。そんな気にさせるのだから不思議だ。
それだけ人は光や火に安心を感じているという事に他ならないのだが、大半の人はその事に気付かない。
日常化した習慣や人間関係は次第に感謝の念が希薄になっていき、最終的に透明化する。透明になった事にすら気付かず、失って初めて透明化が解除され、色付いた感謝の念に気付く事になる。取り返しのつかない所まで落ちて、初めて自身の愚かな行いに気付く人種。それが人間だ。
ナキが良くナチに言っていた話だ。人はいつも大事な物を失ってから気付く。大事だからこそ盲目的になってしまうと。
大事な人間に尽くそうと思えば思う程、自身の倫理が曖昧になっていくとナキは良く言っていた。そして、大事な存在が消滅したその時に自身の倫理は完全に崩壊するとも。
ナキが言っていた言葉を漠然と理解していたナチだが、今なら少しわかる気がした。大切な人間が失われた瞬間の喪失感や虚無感。
この世界に訪れて、ナチが最も強く喪失感を抱いたのは間違いなくイサナとメリナだろう。知り合って間もない彼女達の死を目の当たりにして、ナチは殺意に歯止めをかける事をしなかった。
もし、あの瞬間に命を落としたのがもし親交を重ねた者だったら、どうなっていたのか自分でも想像が出来ない。
不意にイサナとメリナをマオとイズに置き換えて想像してみる事にした。不謹慎だとは思ったが。
もしナチの横を歩くこの二人が、理不尽な理由で凶刃を振るわれたとしたら。もし、その刃が二人の命を奪う事になったら。ナチはどうするのだろうか。
その場面に出くわした時の自身が起こす行動にナチは興味が湧いた。ナチは横を歩く二人を僅かに首だけを動かし、眺めた。答えはすぐに出てこない。少し伸びたマオの薄いオレンジ色の綺麗な髪が涼風に揺れ、風を煩わしく思ったイズが顔を顰めながら、欠伸を掻く。
思わず微笑を浮かべてしまうほどに穏和で暖かな光景。この光景を壊す者が現れ破壊した時、ナチはどうするのか。真っ先に浮かぶ感情は何だろうか。
分からない。浮かぶ答えは曖昧模糊とした判断に困る物ばかり。怒りなのか、悲しみなのか。それとも無感情なのか。結局、結論が出る事は無くナチは思考を止めた。いや、止めようと思った瞬間に止めさせられた。
マオが勢いよくナチが羽織るコートの袖を引っ張る。勢いが強すぎるせいか、ナチは少しばかり体勢を崩すが何とか持ち直す。
「お兄さん、あれ……」
マオが差し示す方向へと視線を注ぐ。マオが立つのはナチの右側。その更に奥にマオが指し示す『あれ』はあった。自然と瞳が大きく開く。鼻から息を大きく吸い、マオが驚嘆混じりに呟いた意味を急速に理解していく。
「これは……」
ナチとマオ、そしてイズは右側のある一点を見つめた。
鬱蒼とした雑草の中に横たわる巨大なトカゲを。だが、ナチ達が見つめるトカゲはリザードよりも一回り小さい。それに鱗の形状も少し異なっている。リザードは全体的に刺々しい皮膚をしていたが、目の前のトカゲは滑らかな皮膚をしている。
何より、リザードは白い皮膚をしていたのに対し目の前のトカゲは全身が青い皮膚で覆われている。
リザードとは全く別の個体だろう。
「死んでいるな」
イズが重々しい口調で言った。目の前のトカゲが命を落としている事はナチも分かっていた。背や顔、短い四肢に付けられた裂傷。特に前足は惨たらしい。肉を喰い千切られたのか、骨が剥き出しになっている。
その骨や、赤黒く染まった肉体にたかっているのは無数の虫。耳に届く度に悪寒をもたらす羽音を鳴らし、青い皮膚に群がっている。大量の虫が骨を歩いている姿が目に映り、ナチは反射的に目を逸らした。
これが食物連鎖のもたらした結果なのだろう。強者のみが生きる事を許された実力至上主義。これが野生動物達の宿命なのだ。
「これって私達を襲って来た白いトカゲの仕業なの? 肉食獣って感じするね……」
「あのトカゲには剣や能力による傷は見られない。あるのは爪や牙を用いて付いた傷だけだ。リザードがやったと考えるのが妥当ではないか?」
イズの言葉にナチは黙って頷いた。ナチも同意見だ。
「僕もリザードだと思う。人が殺したにしては戦い方が動物的すぎるよ」
「野放しにしておいて大丈夫なのかな?」
「大丈夫ではないと思うよ。被害者が既に出てるし、早く対処しないと被害は収まらないしで嫌な事尽くめだね」
「生きて帰れただけ、あの者達は運が良いかもしれんな」
本当にね、と言いながらナチは既に死体と化したトカゲに一瞥をくれる。相変わらず死体には小虫が群がっており、そこに数羽の小鳥も加わる。虫を狙って来たのか、死肉を求めてきたのかは分からない。
それでも目の前の光景が心躍る様な景色ではないのは確かだ。
「行こう。リザードに関してはレヴァルが既に手を打ってる。僕達がまずやるべきなのは、薬師に会ってウェルディを助ける方法を聞く事だよ」
「うん……」
三人はトカゲの死骸から視線を外し、目の前に広がる暗い山道へと足を進めた。
奥へ進む度に上がる傾斜に息を切らしながら、ナチ達は薄暗い雑木林に囲まれた小屋の前で立ち止まった。木造の家屋に設置された窓から橙色の光が外へと漏れ出ており、この小屋で人が生活している事を証明していた。
そして屋根から飛び出ている煙突から、白煙が霧の様に噴出され周囲を曇らせているが、湯でも沸かしているのだろうか。薬の調合過程で発生しているのか。それとも超能力か、などと訝しむ様に煙突を見ているとマオとイズがナチを置き去りに小屋の方へとずんずん進んでいく。すかさず、二人の背を追い掛けるナチ。
ナチが追いついたと同時にマオが扉を三回程ノックした。
扉の向こうで物音。山道が静かすぎるせいか、微かな物音も鮮明に耳に届く。それは家具が床を滑って移動した音の様にも聞こえた。その音が鳴った数秒後に扉がゆっくりと開かれる。
最初に見えたのは灰色。滑らかな灰色の長い髪が眼下で揺れる。じっくりと旋毛を見てから、ナチとマオは一歩下がり、眼前で不機嫌に佇む少女を見下ろした。
少女の鈍色の双眸がナチ達を不機嫌に見上げるが、幼い顔立ちのせいかあまり凄味は感じない。また、目の前にいる灰色の少女はナチのへそ辺り程の身長しかなく、必死にナチ達を見上げようとする姿はどこかいじらしい。
目の前の少女は整った顔立ちをしてはいる為に将来有望な美少女候補ではあるのだが、憎たらしく見上げてくる大きな瞳はどうにかならないものだろうか。
それでも、目の前の小さな少女は子供らしい可愛さを十分に持っていると言えるだろう。少し生意気な近所の子供とでも思えば途端に可愛らしく見えてくる。ナチもマオもイズもそれぞれが妹や娘を見る様な目で少女を見ていると、眼前で佇む少女が八の字に曲がった口を開く。
「なんだ、おまえら。盗賊か? 山賊か? 冒険者上がりの傭兵か? もし、わたしに危害を加えようとしているのならぶっとばすぞ?」
幼い声で紡がれたその声にナチ達は顔を引きつかせた。何という生意気な物言い。変声期前なのか、幼い声質なのが余計に生意気感を増長させている。子供の言う事だからとナチは感情を殺し、笑顔を作った。
「僕達は君に危害を加えようとしてる訳じゃないよ。申し訳ないけど、薬師を呼んできてもらえるかな?」
灰色の少女から苛立ち混じりの視線が向けられる。
「おまえは何を言っている。わたしが薬師だ。そんな事も知らないでこんな場所まで来たのか? そうか。おまえ馬鹿だな?」
「中々に生意気な少女だな。おい、お前。嘘を吐くのも大概にしろ。さっさと薬師を連れて来ぬか」
「だから、わたしが薬師だと言っているだろ。こどもだからと馬鹿にして」
その場で地団駄を踏んでいる灰色の少女。それを取り繕う様にマオが足を折り彼女と視線を平行にさせ、すぐに本題へと移った。
「私達はウェルディを助けるためにここに来たんだけど」
灰色の少女は大きな目をぱちくりとさせ、マオを見つめる。お前は何を言っているんだと訴える様な目でマオからイズ。そして、最後にナチを見た。
「おまえたち、ウェルディの知り合いなのか?」
「うん」
マオが首を頷かせながらそう言うと、灰色の少女は顔を俯かせた。その後に悲しみを帯びた表情を浮かべ、小屋の中へと入る様にナチ達へ指示を出した。
白衣の様に全身真っ白な服装に身を包む小さな女の子の後を追い、ナチ達は小屋の中へ入った。一歩中へ入ると薬草の強烈な臭いが鼻腔を刺激し、思わず顔を顰めた。人が暮らす環境としては不合格。正直な感想を言えば、とてつもなく臭い。
部屋を見回すと良く分からない草や液体。緑や紫の葉や木の根の様な物が至る所に散乱していた。それらをすり潰す為に必要なすり鉢も無造作に床に転がっている。
それからナチは一枚板の机の上に視線を移した。泥団子の様な茶色い球体がいくつも並べられており、その全てから刺激臭に似た香りを空気に乗せて鼻まで運んでくれる。
「人数分の椅子などないからな。立っているか、床にでも座れ」
座れと言われても床には物が散乱しており、座る事が出来る様な余白は存在しない。迷わずにナチ達は立っている事を選択した。
「とりあえずは自己紹介だな。わたしはエリルゴート。エリルさまとでも呼んでくれ。十歳だ」
エリル以外の全員が苦笑を漏らしながら、次々に簡単な自己紹介をエリルに告げていく。ふむふむ、と小さな顔を頷かせながら、三人の名前を小さく口ずさむエリル。
指を折り曲げながら「もうおぼえたぞ! すごいだろ?」とナチ達に堂々と言い放つ。マオが頭を撫でると嬉しそうにエリルは顔を緩ませた。
「単刀直入に聞くけど、エリルさま。ウェルディを助ける事は本当にできないの?」
顔を顰めながら、エリルはナチを見た。
「むりだな。あとやっぱり、さまを付けるな。おまえに言われるとなんだか腹が立つ」
「解毒薬とかは? 薬師なんでしょ? 実は隠し持ってるんじゃないの?」
身を乗り出すマオに、エリルは少し驚いた様な顔をした後すぐに瞳に怒気を含ませる。
「かんたんにいうな。解毒薬というのは長い年月を掛けて作られるものなんだ。たかが数日で作れるほど、かんたんなものではない」
「本当に? エリルさまほどの薬師なら実は作れたりするんじゃないの?」
「だから、さまを付けるな!」
エリルが大きな声を出しながらナチを睨むが容姿や声が幼過ぎるせいか、全く怖くはない。
エリルは机に置かれた泥団子の様な茶色の丸薬を全て床に落とすと、その下に敷かれていた羊皮紙を一枚手に取った。
「じつは、解毒薬をつくれないこともない」




