二 花に囲まれた少女
結局、小一時間ほどピエロの手品や劇を見てから、ナチ達は人探しに移った。マオが背負うリュックから手紙を取り出し、それを開封。封蝋をナイフで砕き、二つに折りたたまれた手紙を開く。字を読めないナチだが、その手紙に書かれている文字がかなり短いのだけは分かる。
それを呼んだマオが顔を顰めたのにも、すぐに気付く。
「『よお、元気か。俺は元気だ』終わり」
「はあ?」
自然とそんな声が漏れた。イズも鼻息を荒くしながら、手紙を睨みつけている。マオも口端をプルプルとひくつかせながら、手紙を持っている手を震わせていた。
「これは手紙なのか? 手紙というよりは呟きだな」
「元気な事しか分からないんだけど」
「私に言われても困るし」
マオに言ってもしょうがないという事はナチとイズも分かっているが、それでも抗議せずにはいられなかった。破り捨ててやりたい衝動を必死に我慢しながら、もう一度だけ手紙を見る。手紙の文末に書かれた人名と思われる言葉の羅列を。
「そいつは何という名前なのだ?」
「シキだけど」
「男?」
「男」
「探すか、この呟き男を」
イズがマオの肩から降り、地面に降り立った。
「行こう」
「う、うん」
困惑したままのマオを他所にナチとイズはずんずん奥へと進んでいった。とは言っても、ナチ達はシキという人物の顔を知らないので、どれだけ奥へ進もうがマオ頼りになる。何せ、シキという人物の顔を知っているのはマオだけなのだから。
すぐにその事に気付いたナチとイズは往来で突然立ち止まると、背後のマオに振り返る。
「まずは情報収集だね」
「そうだな。聞き込みは大事だ」
「……似た者同士め」
顔を引き攣らせながらマオが言う。
結局、ゆっくりと情報を集める事になりイズはマオに再び抱えられた。定位置の右肩の上にイズは体を乗せ、三人は露店を開いている主人や開店前の酒場に足を運んだ。シキという人物の居場所を聞くと最初は懐疑的な目を向けられたが、同郷の仲間という事を伝え、彼から送られてきた手紙を見せると快く教えてくれた。
こんな一行しか書いていない、紙の無駄遣いの様な手紙でも信用に値するのだから持っておいて損は無い。むしろ、これで信用すら勝ち取れない様な無様な手紙ならば今すぐにでも符に変換している所だ。
シキという人物が就労している場所が判明した所で、ナチ達は露店で買った何かの果汁を飲みながら、往来の端の日陰で休んでいた。疲れた体に果汁の酸っぱさと甘さが染み渡る。素直に美味しいと思える飲み物だった。程よく冷たい事も、美味しいと思える要因になっているのは間違いない。
「人間というのは面白い事を考えるな。果汁に蜜を入れて飲むなど」
冷えた敷石の上に座り、果汁が入った小さな樽を傾けながら、イズが言った。
「蜜入ってるんだ、これ……」
イズに言われて初めて気付き、蜜が入っている事を確認する様に一口飲んだ。言われてみれば確かに果物の甘さとは別種の甘さを感じる。
「イズさんは果物丸呑みするの? 喉詰まらない?」
口周りに付いた果汁を赤く血色の良い舌で舐め終わると、イズはマオを見上げ首を横に振った。
「丸呑み前提で話を進めるな。さすがに噛み砕きはするが、果汁だけを抽出して飲むという事はしないな。というよりはできない」
「勿体ないね、こんなに美味しいのに」
「まあ今は体が縮んでしまっているからな。果物を丸ごと齧るよりも果汁を出された方が有り難い」
前足を器用に使って果汁が入った樽を傾けながら、イズは果汁を全て飲み干した。
「体が縮んだおかげだ。こうして果汁を飲むことが出来たのも、人と密接に関われるようになったのも。そう思えば、体が小さくなった事も悪い事ではないと思える」
イズがナチを踏み台にして、マオの肩に乗ると彼女の頬を前足で優しく叩く。ぺち、と心地良い音が響き、少し翳りを見せていたマオの表情に笑顔が浮かぶ。それを見たイズは満足そうに瞑目した。
イズはよく周りを見ている。今の行動もマオが表情を曇らせた事に即座に気付き、すぐに行動に移した結果だ。ナチもマオの表情の変化に気付いてはいたが、すぐに行動に移せなかった。敵わないなあ、と胸の中で呟きながらナチも果汁を一気に飲み干した。
休憩を終えた三人はすぐにシキという人物が働いているという場所へ向かった。港に向かうにつれて下っていく様な造りになっている路地を通り、ある店の前でナチ達は立ち止まった。
店先に並ぶ色取り取りの花々。店先に立っただけで立ち込める花の香りは身も心も洗われる様だ。ウォルケンで倒した悪臭フレグランス坊主ズにもぜひ嗅いでほしい匂いだ、と思わずにはいられなかった。
扉を潜るとナチ達は店内へ入った。当然だが店内にも様々な花が置いてあり、その量は店先に置いてあった花よりも多い。その分、匂いも強く香るが不思議と不快感は感じなかった。
店内に入った途端に「我はここまで匂いが強くなると駄目だ」とマオの肩でうなだれているイズを肩から下ろし、マオが腕で抱き抱える。「マオの匂いは落ち着くな」と母親に抱き抱えられる子供の様な事を漏らしながら、イズはマオの胸に顔を埋めた。
それを横目に見ながら、ナチは窓際で椅子に座りながら眠っている好々爺然とした老齢の男性に向かって行く。
「すみません、少しよろしいでしょうか?」
ぼんやりと開いた瞳がナチへと向く。明らかに寝惚けているが大丈夫だろうか。念のためにもう一度同じ問いをぶつける。寝惚けているのか、耳が遠いのか分からないが、男性は瞼が半分降りた状態のまま、ナチを見続けるだけで返答を返す様子は無い。
ナチはもう一度だけ同じ問いを繰り返す。すると突然目が見開き、ナチの胸倉を掴む。
「お前は誰じゃ!」
お前が誰だよ、と思いながらもナチは自身の名前とマオとイズの事を紹介する。シキからの手紙を見せると「なんじゃこの汚い字は。ワシは知らん」と言い放ち、ナチ達は唖然としながらも、口頭で説明を加える。
ナチとイズはシキとは面識がないため、マオとシキが同郷の士である事を伝えると老人はナチの胸倉を離し、再び椅子へと腰を落ち着けた。
「お前達、シキの仲間か」
「はい」
「あいつなら、今二階にいる。もう少しすれば降りて来るはずじゃ」
そう言うと再び、男性は椅子の上で眠りに着いた。すぐにいびきをかき始める。ずっと眠っているが、店の経営は大丈夫なのだろうか。ナチ達が店内に置かれた花を物色していると、騒々しい足音が店内に響き渡った。階段を駆け下りる音。しかも、かなりの速さだ。
ナチは店内の右奥。花に囲まれた階段の入口へと視線を送りながら、体を向けた。現れたのは綺麗な顔をした青年。年齢はナチと変わらない見た目。切れ長の橙色の瞳は正面を射抜き、腰辺りまで伸びた長い茶髪を黒い髪紐で縛りながら、床板に着地した男性は椅子に座ったままの老齢の男性に視線を送る。
「おい、エジ! 客、来てんじゃねえか!」
髪を縛り終えた青年は老齢の男性を見た後に、ゆっくりとナチ達へと視線を移していく。腰を低くしながら、後頭部に手を添える。
「すんませんね。この店長兼じじいは接客業してるくせに接客嫌いで。それで、今日は何をお求めで……」
一見、美しい女性にも見える青年はナチを見て愛想笑いを浮かべ、マオを見て目を見開き愛想笑いを固まらせた。後頭部に添えられた手もそのままに青年は頻りに瞬く。
「マオ……か?」
「久し振りだね、シキ」
甘酸っぱい恋でも始まりそうな空気を醸しながら、二人はお互いに笑顔を見せた。青年の後ろで眠っていたはずの老人が僅かに目を開き、動向を観察している。ナチとイズも、シキと後ろの老人にも聞こえる様に声を大にして自己紹介を済ませる。軽い挨拶と握手も同時に交わすとシキは腰に手を当てながら、マオを見た。
「どうしてレヴァルに? ウォルケンからはかなり遠いだろ?」
「私達、サリスを探す為に旅してるんだよ。すごいでしょ?」
胸を張りながら言うマオにシキが驚愕に顔を歪ませる。
「旅? あの我が儘放題だったマオが? 出来るのか?」
「どういう意味それ? どいつもこいつも」
顔を顰めながらナチとシキを交互に見ているマオの肩をシキは叩き、盛大に笑った。
「そのままの意味だよ。それで? どうしてサリスを探してるんだ?」
ナチの横に並んだマオが意気揚々に説明を始めた。サリスを追い掛けている理由。失踪したサリスをウォルフ・サリに連れ戻す。その為に旅をしていると。世界を救う関連の話は省き、ブラスブルックやトリアスでの出来事も楽しそうにマオは終始笑顔で話していた。
シキは適度に相槌を打ちながらマオの話を聞いていた。分からない所があれば、その都度質問をし、再び聞き手に回る。聞き上手な青年だった。
その聞き上手さに、ナチは羨望の眼差しをシキに向ける。窓から差し込む光がナチを責め立てる様に突き刺さる。お前もこれくらいは出来るようになれ、と太陽から責められている様な気分だ。
「悪いが、サリスに関しての情報は何も言ってやれないな」
「そうなんだ……」
見るからに落胆し、目を俯かせるマオを見て、シキが取り繕う様に声を出す。
「暇な時に俺も調べといてやるよ」
「助かるよ、ありがとう」
「可愛い家族の為だからな、気にするな」
何だろうか、この置いてけぼり感と少し寂しくなりながらも、ナチは二人の会話のやり取りを見続けていた。イズも退屈そうに欠伸を掻く。
「おっと、思い出話も良いが用事があるんだった」
わざとらしく言うシキ。ナチ達が退屈そうにしているのを見て、気を遣わせてしまったかもしれない、と少し罪悪感を抱きつつ、ナチは表情を引き締めた。イズは相変わらず退屈そうにマオの腕の中で気怠そうにしている。
「お前らもついてくるか?」
「いいんですか?」
「ああ、構わないぞ。あいつは人と話すのが好きだから。きっと喜ぶ。それと敬語は使わなくていい」
「ついて行こうよ、お兄さん。サリスの事はその後に調べればいいし」
「そうだね。急いで探せば見つかる訳でもないし」
「まだレヴァルに来たばかりなんだろ? ついでに街の中も案内してやるよ」
シキは壺に無数に差し込まれた鮮やかな赤い花を一輪抜き取ると扉へと近付いていく。
「おい、エジ。少し外に出るけど、ちゃんと客が来たら対応しろよ」
「……ウェルディによろしくな」
寝惚けた風で言ったエジには視線を向ける事なく、シキは扉を開け、外へと出る。それにナチ達も続く。
外に出ると、少しだけ太陽が下がった青空がナチ達を迎えた。左側に広がる大海原から流れてくる冷えた潮風がナチ達の体を震わせる。
「悪いな。あのじいさん、いつもあんな感じなんだ」
「別に気にしてないし。それで? 花なんか持ってどこ行くの?」
ニヤニヤしながら言ったマオ。シキが花を持つ理由も、どこに向かおうとしているのかも、確信しているかの様な笑み。男性が花を片手に、向かう場所。深く考えなくとも、その行先は容易に想像できる。それを確信付けるかの様にシキは頬を掻き、照れ笑いを浮かべているせいで疑う余地も無い。
「まあ、少しな。お見舞いみたいなもんだ」
「お見舞いねえ。ほんとかね?」
マオがからかう様な視線をシキへと向ける。花を持っていない方の手でシキはマオの頭を軽く叩いた。
「お見舞いだっての。ほら、行くぞ」
照れている事を隠す様にシキは港とは反対方向に進んでいく。傾斜が緩やかな路地を早足で進んでいってしまうシキをナチ達も慌てて追いかけた。
「ここだ」
シキが視線で指し示す場所を、ナチ達も見上げた。
「ここは……」
宿屋だ。
何の変哲も無、宿屋。家屋の景観も、人目を引く装飾も無い。至って普通の石造りの家屋だった。ここの看板娘に恋でもしているのだろうか。それとも、女将か。主人の可能性もある。ナチ達がぼんやりと見つめているとシキが肩を軽く叩いた。親指で宿屋の扉を指差し、近付いていく。
扉を潜ると、店内へ入ってすぐに木造の店頭があり、そこに鎮座しているのは髭を蓄えた中年の男性。眠気を堪えている様な翡翠色の瞳で帳簿を眺めている姿がエジと若干重なって見える。容姿もやや似ていない事も無い。
「眠そうですね、アナイフさん」
シキが笑顔でカウンターに座っている男性に声を掛ける。突然、声を掛けられたアナイフはビクッと体を震わせ、帳簿を捲ろうとした右手は空中で不自然に止まっていた。目をぱちくりとさせながら、アナイフはシキを見る。その次にナチ達を順に見て空中で制止したままの手を店頭に下ろす。
「何だ、シキか。驚かすなよ。タリアだと思っただろ」
「驚かしてはないですよ。アナイフさんが仕事サボってたのが見えたのでつい口に」
アナイフは豪快に笑いながら、帳簿を右手で優しく擦った。
「ウェルディなら、奥の部屋に居るよ」
「ありがとうございます」
「いつも悪いな」
少し悲痛が滲む響きで紡がれた言葉にナチは何とも言えない違和感を覚えた。どう見ても恋慕が絡む様なやり取りではない。どうしてそんなに悲痛を帯びた表情をお互いに浮かべているのか。そんなに声の調子を落とす必要がある程に悲恋なのか、とナチは首を傾げる。
「行くぞ」
アナイフに一度頭を下げ、店頭を右にすり抜けるとナチ達は奥へ進んでいく。通路にある部屋は全部で四つ。鉢に植えられた観葉植物が部屋と部屋の間に置かれており、その全てにシキは手で触れていく。「職業病かもしれないな」と自嘲気味に笑い声を上げた。
「ここだ」
一番奥の部屋にたどり着くとシキは扉を数回ノックした。居ずまいを正し、瞑目している。
「どうぞ」
若い女性の声だ。まだ垢抜けていない幼さを残す声質。だが、口調に幼さは見られない。シキは扉を開く前に一度深呼吸をした。中に聞こえない様に呼吸音は聞こえない様に配慮しながら。深呼吸が終わると、シキはゆっくりと扉を開いた。
扉を開いた瞬間、景観が変わった。無感動な木色に包まれた通路とは真逆。部屋から漏れるのは多種類の花の香り。部屋の中には色取り取りの花が花瓶や鉢に活けられていた。
花に包まれた部屋を進んでいき、視線だけを動かし部屋の景観を眺めた。大量に置かれた花以外は、最低限の家具があるだけの簡素な部屋だ。むしろ、花のせいで家具などを置くスペースが無くなっているのではないかとも思える。
部屋の景観を見終えたナチは最後に部屋の南側へと視線を向けた。ナチが視線を向けた先には簡素な木造のベッドしかない。
だが、一瞬でそこに視線は吸い込まれる。
朝日に照らされた早朝の海の様に美しい少女に、ナチは目を奪われた。薄い水色の長髪を腰辺りで紐で結び、少し垂れ気味の細い眉と大きな翡翠色の瞳が悲壮と温和な雰囲気を醸している。肉薄の唇は微かに上がり、小さく高い鼻は上品さを演出し、庇護欲を強く抱かせる。また顔が小ぶりだというのに全てのパーツの均一が取れている事がナチには不思議でならなかった。
完璧と言っても過言ではない程に幻想的な雰囲気を持つ美少女がベッドの上に存在していた。




