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二十八 紅に染まる銀光

 ナチとマオ、イズが盗賊に向かって歩いて行くのを横目にイサナは目を見開いたままのメリナをぼんやりと眺めた。


 剣を地面に置く。彼女の金色の髪を束ね、彼女の胸元に添えた。美しい琥珀色の瞳は今もイサナを見つめている。呼吸も、鼓動も、全てが止まっているのに今もイサナを見つめている。


 右手を伸ばし、メリナの頬に触れる。まだ温かい。こんなにも温かい。乱れた前髪を直し、再び頬に触れる。


「メリナ……」


 無意味だとは分かっていた。その問いかけに意味は無いと。返事が帰って来ることは無いと分かっていながら、イサナはつい口に出していた。


 出さずにはいられなかった。


 もしかしたら返事をしてくれるのではないか、という甘い願望を捨てられなかった。


 だが、彼女の唇は動く気配を一向に見せない。


 目尻に熱い雫が溜まっていくのを感じる。それはやがて視界を歪ませ、次々にメリナの頬に落ちていく。


 イサナの頬を伝い、彼女の頬が拾い上げていく。それは彼女が涙を拭いてくれているかのようで、イサナの視界は更に歪んでいく。


「生きたかったな……。メリナと二人で。どんな不幸に見舞われても」


 イサナの涙がメリナの瞳に落ち、それが雫となって彼女の頬を伝った。彼女が泣いているのかと錯覚し、それをイサナは否定しなかった。したくなかった。


 彼女は生きている。まだ生きている。そう思いたかった。


 まだ死んでいないと、そう思いたかった。今すぐにでも起き上がって、イサナの涙を拭ってくれるはずだ、と思いたかった。


 だって、こんなにも頬は温かい。唇は赤い。手だってまだこんなにも温かい。彼女はまだ温もりに満ちている。


 なのに、もう二度と手を握り返してくれることは無い。


 もう二度と、手を繋いで歩く事も無い。笑顔を浮かべながら、森を駆け抜ける事も無い。


 もう二度と、私の騎士だ、と言ってくれる事も無い。


「メリナ……メリナ……」


 首を小さく振りながら、メリナの手を祈る様に両手で握った。


 こんなのは嫌だ。


 こんな結末は嫌だ。


 まだ旅は始まってすらいないのに。メリナがいないこの世界をたった一人で生きていくなんて私には出来ない。


 私はメリナが居てくれないと、私で居られない。真っ直ぐに歩けない。


 メリナが隣で笑ってくれないと、ちゃんと笑えない。


 怖いんだ。メリナが居ないこの世界を生きていく事が。私はその恐怖には耐えられない。


 メリナが隣に居ない世界に。メリナの声が聞こえない世界に。メリナの笑顔が失われたこの世界に。


 未練などない。


 メリナが死ぬ時が、私の死ぬ時だ。


「ごめんね。メリナを守れなかった私は、騎士失格だ。だから、もう一度だけ私にチャンスをくれないか」


 イサナは腰に携えた片刃の剣をゆっくりと、音を立てることなく引き抜いた。


「言ってただろ? 好きな人の為なら何だって出来るって。私もそうだよ。メリナの為なら何だってできる。どんな恐怖も乗り越えられる」


 剣を持っていない右手でメリナの開いたままの双眸を閉じた。血に汚れた彼女の口元を袖で拭う。


 そして、彼女の唇に自身の唇を重ねた。柔らかい感触が唇を包む。


 どれだけの時間を重ねていたのかはもはやどうでもいい。


 これから二人で永遠の旅路へ向かうのだから。果ての無い、終わりなき旅。永久不変の物語に。


「今から逝くよ、メリナ」


 剣を逆手で掴む。そして、その切っ先を胸へと当てた。


 不思議と怖くはない。死の先に待っているのが最愛の人だと分かっているから。


 一度だけ、ナチ達の後ろ姿を見た。


 ごめんね、ナチ、マオ、イズ。


 ごめんね、お母さん、お父さん。


 私は、メリナと一緒に生きたい。肉体を失っても。それでもメリナの隣に在り続けたい。


 さようなら、皆。


 メリナ。どうか、あの言葉の続きを聞かせてくれ。


 聞けなかった、告白の返事を。






「イサナ……?」


 揺れる。視界が揺れる。肩が震えだし、それが伝播して両手も震えだす。


 血塗られた少女が二人。盗賊はナチが取り押さえ地面に伏している。周りには誰も居ない。目の前に居るフルムと謎の女以外は。


「お前がやったのか?」


 ナチはフルムを睨みながら言った。マオとイズがその声の迫力に体を震わせる。それはフルムの横に立っている黄緑色の髪をした女性も同様。肩をビクンと震わせた。この場で平然としていたのはフルムだけだ。


「違うよ。彼女は自ら命を絶ったのさ。全く、僕が浄化する予定だったのに。とんだ無駄足だったよ」


 大きな溜息を吐いたフルムは額を右手で押させ、頭を震わせた。


「お前なあ……」


「ああ、でも。君の作戦は見事だったよ。イサナに扮したイザナを使って、捜索の攪乱。僕の屋敷に火をつける事によって、包囲の穴を作る。地下牢に居たウルサラを脱出させて、応援に駆け付ける事になっていた貴族を味方につけた。見事だ、ナチ」


 フルムは大袈裟な拍手をしながら、ナチを馬上から見下ろした。それすらも腹立たしい。


 引き摺り下ろしてやろうか……。


 ポケットに手を突っ込もうとした時にフルムが盗賊達を指差した。


「そこに転がっている盗賊達をさっさと殺さなかったのが君の失敗だよ、ナチ。その男さえ殺しておけば、僕達はイサナとメリナを殺せなかったのに」


 残念だ、と肩を竦めるフルム。


 何故盗賊を殺さなかった、とナチは自問自答を始める。記憶を引っ張り出す。マナが盗賊に襲われていた所を助け、マナの手前殺さずにフルムの部下に突き出そうという結論に至ったのではなかっただろうか。彼女に妙な不信感を持たれたくなくて、穏便に事を済ませる事を選んだのだ。


「なあ、マナ?」


 フルムがここには存在しない女性の名を口にする。栗色の髪を持つ女性など、ここには存在しない。


 何を言っているのだ、と思っていると黄緑色の髪をした女性がフルムの言葉に反応した。無表情でフルムへと視線を向ける。


「……はい」


 ナチは女性の顔を凝視する。肩程まで伸びた黄緑色の髪。その奥。同じだ。ナチ達が知っている女性と全く同じ顔。髪型が違う事で印象が違って見えるが顔は全く同じ。声も同じ。


 彼女は髪型と色が違うだけで、マナ本人だ。


「どういうこと? 本物の……マナなの?」


 マオが事態を呑み込めずにナチの袖を掴んだ。イズも声には出さないが、顔を顰めている。ナチが無言を貫いていると、それを見たフルムが種明かしとばかりに口を開いた。


「マナはね。トリアスに余所者が来た時に私に報告する役目を担っているんだ。トリアスに手紙を貼ったのも、君達が透明化できることを教えてくれたのも、マナだよ。私に内緒でイサナとメリナの手助けもしていたみたいだけどね」


 マナは顔を俯かせたまま、口を開かない。呆然と、地面を覗いている。


「どうして、マナを盗賊達に襲わせる必要があった。仲間だったんじゃないのか?」


 仲間、という言葉を聞いた瞬間にフルムは笑った。声を上げて笑う。


「君達がそこの輩を殺す可能性もあったからね。マナが適任だと思っただけだよ。無垢な村娘の前で君は殺人を犯さないと思っただけだ。別に信頼しているとか仲間だからだとか、そんな薄ら寒い理由ではないよ」


 そういう事か、とナチはポケットに手を突っ込みながら、符を握り潰した。何枚の符が潰れたのかは分からない。それでも力強く握る。


 マナを襲わせたのはナチ達と顔見知りだったから。そして、盗賊達を殺させないための救済措置。また、マナすらもナチ達の意識から完全に外す為の布石。


 現にナチ達は盗賊とマナがフルムの味方をしている可能性を外した。というよりも、最初から疑ってすらいなかった。疑う余地も気もなかったのだ。完璧なまでにフルムの作戦勝ち。ナチの完敗。


「二人が死んだのは君のせいだよ、ナチ。君が弱いから死んだ。君が優秀な策士なら、イサナとメリナは助かった。全ては君のせいだ、違うかい?」


 ナチは何も答えなかった。答えられなかった。


 全てが正論。全てが正解。


 ナチが優秀な軍師なら、頭の切れる策士なら二人は助かった。フルムを上回る程の戦術家なら、イサナとメリナは今も生きて二人でレヴァルを目指していたはずだ。


 マオとイズが心配そうにナチを見つめているのが分かる。何故だか、マナすらもナチにマオ達と同様の視線をぶつけている。けれども、それに反応する余裕はナチには無かった。真っ直ぐにフルムを見つめ、みっともなく睨み付ける事しかナチには出来なかった。


「正解だよ、フルムヴェルグ。全部、僕のせいだ。僕の力が足りなかったから二人は死んだ」


 フルムが唇に手を当てながら、艶めかしく微笑む。


「でも、今はどうだろうね? あなた一人に僕を止められるかな? あらゆる策は圧倒的な暴力一つで無に変わる。知ってるだろ?」


 ナチも口角を歪ませる。ポケットで握り締めている符を荒々しく取り出しながら、その全てに属性を込める「硬化」と「加速」。


 何枚あるのか、それはもう数えてはいない。数えるつもりもない。


「生きて帰れると思うな」


 符を投げ飛ばした瞬間に属性を具象化。高速で直進していく符弾は硬化を始め、さらに加速を上げていく。ナチは霊力を流しながら、右手をポケットに掴む。そして追加の符を右手で握り込む。


 だが、符の補充が行われる事は無かった。


 ナチの手がポケットから離れて行く。地面に叩き伏せられた無数の符を見て、ナチの手は無力に垂れ下がった。


「マナ……」


 黄緑色の髪が揺れる。マナの姿が掻き消え、風切り音が耳に届き、再び彼女の姿が現れた時には全ての符が叩き落とされていた。地面にひらひらと舞い落ちる白い符は夜風に運ばれて草原を散っていく。


「お逃げ下さい。フルム様」


「助かるよ、マナ。必ず息の根を止めろ。いいね?」


「……はい」


 マナの瞳に冷気が帯びる。刃の様な、氷の様な冷たさが宿る。


「マオ、二人を頼むね」


「う、うん」


 一歩前に進みながら、ナチは符を掴む。五枚。すぐに属性を付加「強化」。


 馬が(いなな)き、フルムがトリアスに引き返していくのを恨みがましく見つめながら、それを遮る様に立つマナへと視線を移す。


「悪いけど、邪魔するなら手加減はしないよ」


「必要ないわ」


 ナチは両手両足、それから首筋に符を貼り付け属性を具象化。全身に宿る肉体活性。血流が急激に加速し、膂力、五感、全てが強化される。


「あなたに恨みはないけれど!」


 マナが動き出し、姿が掻き消える。それに伴って、彼女が動いた瞬間に暴風が巻き起こる。暴風が起きるほどの速度を初速から叩きだす。そしてそれは巻き上がった葉を粉々に破砕するほどの衝撃波を伴っている。


 間違いない。彼女の速度は亜音速に達している。だが、それも強化されたナチの肉体、視覚の前では意味を成さない。


「遅いよ」


 ナチの右手を掴もうとしているマナの右手を左手で掴む。そして、折れない程度の力で捻じ曲げる。呻き声を漏らしつつも、あっさりと動きを止めたマナ。その姿をハッキリと捉えるとナチは彼女の両足を左足で蹴り飛ばした。


 宙を浮くマナの体。ナチは浮いた体を地面に叩き伏せ、彼女の体に馬乗りになる。馬乗りになった瞬間に「強化」の符を解除。


「……戦う気が無いんだったら、しゃしゃり出て来ないでほしいんだけど」


 マナを見下ろしながら、淡々と口にした。彼女は無表情でナチを見続ける。感情を表に出すこと無く、ナチを見続ける。それが何を意味するのかは今はどうでもいい。彼女がイサナとメリナが死亡する要因になったのは、もはや疑いようのない事実。


 けれども、フルムは興味深いことを口走っていた。


「マナはイサナとメリナを個人的に助けてたって本当?」


 マナは表情を変えない。瞬きを数回、繰り返した後に小さく頷いた。


「私は、二人が理不尽に追い詰められるだけの状況は嫌だったの。だから一度、力関係を平等にしたかった」


「その為に僕を利用したの?」


 メリナは、逃げ切る為にはナチの力が必要だ、と言っていた。それをナチと交流を取っていなかった、二人が自発的に思いつくとは思えない。誰かが言ったのだ。ナチの力を借りろ、と言った人物が。


「ええ。あなたはフルムヴェルグを信用してはいたけれど、あの地下牢を見れば間違いなく敵対すると思った。だから、あの子達の味方としてはこれ以上ないってくらいの強力な助っ人になると思ったの」


「けど、最後にはイサナ達と敵対する道を選んでる。二人の運命を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、結局は切り捨ててる。助ける気なんて本当は無かったんじゃないの?」


 マナが眉根を寄せる。唇を引き絞り、肩を震わせている。そして、右腕で自身の右胸を曝け出すと豊満な乳房をナチへと見せつけた。だが、彼女が見せたかったのは乳房ではない。それを見せつける事でナチを油断させようとしている訳でもない。


 ナチは目を逸らすことなく、彼女の右胸を凝視した。彼女の右の鎖骨の少し下にある黒い禍々しい紋章を。何かの花の様でもあり動物の様でもある、黒い禍々しい何か。刺青にも似ているがそれとも違う。


「これは?」


「フルムヴェルグの能力は他者の肉体に刻印を刻んで、従わせる能力」


「あの盗賊達も?」


「ええ。体のどこかに刻印があるはず。私が受けた命令は、フルムの守護」


「守護? 途方もない命令だね」


 ナチは嘲笑を浮かべながら、マナを見た。それを見たマナの返事も嘲笑。


「途方もない命令だから効力も広くなるのよ」


「どういうこと?」


 マナは真剣な眼差しで説明を始めた。


「イサナとメリナを一度匿った事があったでしょ? あれも、結果的にフルムを傷付ける事に繋がる。その瞬間この刻印は起動するわ。刻印が起動してしまえば、私達に拒否権はない。従うしかないの」


 曖昧で抽象的な命令でも、命令は効力を発揮しその効力は強力。絶対服従の命令刻印。刻まれれば、文字通り奴隷として働かされる。


 本人の倫理は否定され、フルムの倫理に全てが塗り替えられる。そうなってしまえば、どんな極悪非道な行いも、凄惨で淫靡な行いもフルムの命令一つで実行される。


 しかも、命令を曖昧にして、広く応用の利く指示にすればほぼ万人を従わせることが出来る。


「私だって、あの二人を逃がしてやりたいと思ったわ。けど、私が直接二人を助けようとすれば、刻印が私を殺そうとする。だから、私がしてあげられる事はナチに二人を託すことだけだったの」


「刻印を解除する方法は?」


 マナは瞳を潤ませながら、首を横に振った。


「……フルムが屋敷に必ず居る日は?」


「三日後……。三日後なら、必ず」


 ナチはマナの耳にそっと口を近付けると、小さな声で耳打ちをした。淡々と要件を伝えるとナチは彼女の耳から顔を離す。全てを聞き終えたマナは呆然とナチを見上げている。瞬きもせずにナチが立ち上がろうとするのを見つめている。


「ただの独り言だよ。僕の言葉をどう判断するかはマナに任せる」


 ナチはマナの体から下りると、心配そうな面持ちでナチ達を見つめているマオとイズの下へと歩み寄っていく。


「お兄さん……」


 目尻に涙を溜め、ナチとイサナ達を順に見ているマオはどうしていいのか分からないといった様子で、その場に立ち尽くしていた。


「帰ろう。二人の故郷に」


「うん……うん……」


 ナチがイサナとメリナに突き刺さっている剣とナイフをゆっくりと引き抜くと、ナイフをその場に捨てた。剣は鞘に納め、右手に持つとイサナを肩に担ぐ。マオがメリナを両手に抱えるとナチ達はトリアスへと体を向ける。


 そして、いつの間にか姿を消しているマナには意識を向けず、ナチは指先から霊力を流す。その瞬間に盗賊達を囲んでいた無数の木の枝を男達に突き刺した。


 眼球から、耳から、鼻から、口から、次々に枝を突き刺していく。枝が折れる音が聞こえる。汚物と血液が濃密に混ざり合った悪臭が立ち込め出す。


 それでもナチは振り返る事はしなかった。死体を確認する事はしなかった。


 殺すべきはあと一人。



 トリアスに二人の遺体を届けた後、ナチは姿を消した。

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