六 合格
ナチとマオが酒場の裏庭に出ると、サリスは裏庭の中心に立っていた。傍らには、昨日厨房で働いていた赤い髪の女性と、先程までラミルに一方的に暴力を振るわれていた茶髪の少年が立っていた。
「あなた達は? それに」
「私はシャミアよ」
赤髪をポニーテールにしている美しい女性が、朗らかな笑みを浮かべながら言った。
長い前髪から覗く濃い緑の瞳は、凛々しさを感じさせ、思わず背筋を伸ばした。豊満な胸からなだらかに流れる細い腰回りは美しい曲線美を描き、ほどよく締まった長い足は思わず視線を引き付ける妖艶さを感じさせる。
彼女は総じてスタイルが良く、それを強調させるかの様に体に密着した服は、溢れんばかりの色気という属性を彼女に付加させていた。
「僕はナチよろしく」
シャミアと握手を交わすと、ナチは茶髪の少年へと体を向ける。止血は既にしている様だが、頬に巻かれた包帯が痛々しい。他にも、腕や足にも包帯が巻かれ、戦闘の影響か所々解れた服の下からも包帯が見え隠れしている。
やはり、この少年は先程までラミルに一方的な展開を強いられていた少年だ。見間違いではない。少しばかり回復が早すぎる気もするが、ナチは少年へと視線を送る。視線が重なると何故か少年はいずまいを直した。
「君はさっきラミルと戦ってた子だよね?」
「はい。リルって言います。よろしくお願いします」
「う、うん、よろしく」
少し戸惑いながらも、リルと握手を交わす。可憐な少女のように細い腕。自分の腕も細い方だと思うが、リルはそれ以上に細かった。例えるならば白ネギと牛蒡といった所だろうか。それに中性的な顔をしているせいか、一見少女の様に見えない事も無かった。
「体はもう大丈夫なの? 結構、手酷くやられてたみたいだけど」
リルは首を縦に頷かせた。とはいっても、首を縦に振った瞬間に呻き声を漏らしていたが。やはり、まだ治っていないのだ。あれだけ手酷くやられ数分で感知するなど、それこそ神秘の所業だ。それも治癒能力者がいれば不可能ではないが。
「そっか。でも、あんまり無理はしない方がいいよ」
ナチが笑顔を浮かべると、リルも安心したように笑顔を浮かべた。笑うと本当に女の子の様だと思う。ナチはリルから視線を逸らすと、サリスへと視線を移す。体の向きも変えつつ、一度深呼吸。
「サリス。遅刻したけど実は」
「ナチ、合格だ」
「は?」
今、合格と言わなかっただろうか。聞き間違いか、とナチは一度マオに視線を向ける。すると、マオは笑いを噛み締めながらナチの肩を力強く叩いた。
「合格だって。良かったね」
「ま、入団テストなんて今までした事なかったんだけどねえ……」
シャミアが呆れを含ませた笑いを浮かべながら、サリスを見た。当の本人はシャミアの視線など全く気にせず、というよりは瞑目している。外の情報を断ち切る様に目を閉じ、瞑想しているかの様に腕を組んで仁王立ちしている。
「どういう事?」
分からない事が多すぎる。合格の理由も、今シャミアが口にした理由も。ナチはサリス以外の全員に視線を送る。
「ほら、説明しなさい」
シャミアが肘でサリスの左腕を小突く。すると、サリスは片目だけを開き、ナチを一度だけ見ると逃げる様に視線を逸らした。
「お前が生意気な事を言うから、少し試練を与えただけだ」
「え? 僕のせいなの?」
「お前のせいだ」
「サリスのせい、でしょ?」
シャミアが笑顔でサリスを下から覗き込んだ。笑顔だが、目が全くと言っていいほどに笑っていない。
サリスは冷や汗を浮かべながら、すぐにシャミアから視線を外した。よく見れば、マオもリルも苦笑いでシャミアから視線を逸らしている。ぼんやりとウォルフ・サリでの力関係を理解しつつ、ナチも苦笑を浮かべた。
「だが、お前は俺の試練を乗り越えた。よくやったと褒めてやろう」
シャミアが溜息を盛大に吐く。「また適当な事を……」と心底呆れたように、こめかみが千切れるのではないだろうか、という力で押さえている。
試練を乗り越えたという事はテスト自体は行われていたという事になる。が、テストに該当する様な出来事に心当たりがない。今日起きた事と言えば、マオが宿に現れ、そこからリルがラミルと戦闘しているのを発見し、ラミルに勝利した。
それが今朝の一連の流れ。というより、それしか出来事らしい出来事は無い。とは言っても気になる出来事はある。今朝のマオは何故か、ナチを急かし続けていた。終始ナチの腕を引っ張り、背を押していた気がする。
そして彼女に急かされて行き付いた場所はリルとラミルが戦闘していたあの路地。しかも、丁度戦闘が始まったかのようなタイミングでナチはあの場所に付いた。
よく考えてみれば少し不自然すぎる気がしない事も無い。ナチは首を傾げながら、サリスを見ること十秒。
「まさか試練って」
「そう、そのまさかだ。お前は俺の期待通り、リルを助けた。まさか、ラミルに喧嘩を吹っ掛けるとは思っていなかったが、結果オーライだ。入団おめでとう」
やはり、リルがあの場で行っていた戦闘行為は仕組まれた事だったのだ。目の前で高笑いしながら握手を求めて来るサリスの手を、手の甲で弾き飛ばした。
「入団取り消してもいい?」
「駄目だ」
「何で?」
「合格した以上は、働いてもらう。簡単に辞める事は出来ない」
「そんな無茶苦茶な」
「どうせ、行く宛ても無いんだろ? ウォルフ・サリに居る間は宿を提供してやるぞ? 飯も食わしてやる。どうだ?」
悪くは無い提案だ。サリルが悪代官みたいな笑顔を浮かべてなければ。だが、ここで話を断ればナチは野宿確定。この世界の通貨も持っていない以上は、満足に食事もできない。
それに元々、この世界での協力者を求めていたのだ。マオの願いを聞く事にしたのも半分は拠点確保や信頼獲得などの下心が少なからずあったから。そうなると、この提案は異世界人のナチにとって最高の提案になる。拠点があれば、世界を救う方法も調べやすい。それが、無料かつ食事も提供してくれるのならばなおさらだ。
普通なら断る理由は無い。
だが、サリスの悪徳商法に上手く乗せられている気がしてならない。
「こんな美人な女が二人も居る空間で働いてみたくないというのか? お前はそれでも男なのか? どうなんだ、言ってみろ?」
ナチは奥歯を噛み締めながら、拳を握りしめた。何という究極な選択だ。無料で宿と食事が付き、更に美人と働けるこの環境。控えめに言って最高だ。どうする、ナチ。この選択を違えれば、ナチはきっと後悔するだろう。それは深く考えなくても分かる。
ナチは気が付けば首を縦に振っていた。
「仕方が無い。入団するよ」
「最低」
「見損なったわ」
軽蔑の眼差しをナチへと向ける女性陣。ナチを見る目が明らかに鋭くなり、舌打ちが漏れる始末。救いを求めてリルを見ると、彼は終始黙っていた。そのうえ視線が重なると気まずそうに視線を外す為、余計に気まずくなった。
「……ウォルフ・サリってそもそも何なの?」
苦し紛れに呟いた質問を拾ってくれたのはサリスだけだった。
「基本的には街の便利屋みたいなものだな。基本的には雑用、清掃、介護、森の悪性生物の駆除とかだな。街を掃除したり、屋根直したり」
「まあ仕事って基本地味な作業の繰り返しだしね」
「まあな。派手な仕事をしてんのは金持ちとか王都で騎士やってる奴とかそんなんだろ。こんなド田舎の街に派手な仕事なんかほとんど来ねえよ」
マオとシャミアがナチ達の会話を聞いて「何か打ち解けてきてるのが腹立つわよね」とシャミアが一言感想を漏らすと、マオが相槌を打ち同意を示した。
「これで全員なの?」
「後、八人いるわ。今は八人とも違う街に行っているから、ウォルケンには私達しかいないけど」
「それは……寂しいね」
「そうでもないさ」
「たまに手紙も送られてくるしね」
全員が朗らかな笑みを浮かべている。
「なら、良かったよ」
ナチも四人につられて笑顔を浮かべる。本人達が寂しくないと言っているのだから、きっとそうなのだろう。そこはマオ達の過去をよく知らないナチが口を挟む事ではない。
サリスとシャミア、リルが木造の家屋に向かって歩いて行く中、マオがナチの背中を勢い良く叩いた。祝杯を挙げる様に乾いた音が響き、背中で腕を組んでいるマオがナチの前で白妙の歯を覗かせる。
「よろしくね、お兄さん」
「よろしく、マオ」




