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二十二 追われる少女と、追う盗賊

 夕暮れに染まりつつある空。眼前には燃える様な夕日に照らされたフルムの屋敷が異彩を放ち、この木々と緑に囲まれた大自然に人の威厳を保とうと躍起になっている様にも見える。


 足下には地下牢に繋がる穴を固く閉ざしている石板が相も変わらず下草で覆われていた。それらを払う事なくナチは無数の符を下草の下に散りばめていく。


 そこだけではない。フルムの屋敷の周囲には数百枚の符を至る所に散らしてある。周辺の木々や土中。地下牢の壁や天井にも符を数百枚は設置。もう何枚の符を設置したのか分からない。


 設置した符は千を超えたかもしれないとナチは息を大きく吐き、夜の訪れを知らせる冷たい風を肌に感じながら、空を仰いだ。雲の流れが速く、赤と紺に彩られた雲がすぐに視界の端へと追いやられていく。


「お兄さん、大丈夫?」


 空から地上へと視線を落とし、ナチは愁容を向けてくるマオに焦点を合わせた。心配そうに眉を、目尻を落としているマオにナチは笑顔を向ける。


「大丈夫だよ。まだ大丈夫」


 確かに霊力枯渇による眠りの兆候は表れている。けれど、まだ視界はハッキリとしている。焦点も定まっているし、思考も回る。まだ、問題は無い。


「それにもう準備はほとんど終わったから問題ないよ」


 イサナとメリナを逃がす為に立てた作戦。その作戦に必要な準備はほとんど終了した。作戦に必要な符は全て設置し終わり、その為に必要な属性も付加してある。後はフルムの包囲を確認しに街道に向かえば、ナチが行わなくてはならない準備は全て終わる。


 街道付近の警備を偵察する程度の体力は十分に残っているのだが、目の前でナチを見つめる少女はどこか肩を落としていた。


「なら、いいけどさ……。お兄さんはいつも無理するから」


 拗ねた様な物言いをするマオの表情はどこか憂心が滲んでいる。おそらく彼女はブラスブルックでの出来事を引き合いに出しているのだろう。書庫で符術を酷使し、意識を失いかけた時の事を。


 頬を掻きながら、ナチは苦笑を漏らした。


「……ここを離れたら、少し休憩してもいい?」


 マオの顔が上がる。見るからに目が輝き出し、口角が上がる。白い歯を見せると彼女は元気に「うん」と言葉を返す。早速ナチ達はその場を離れ、杣道の様に細く舗装されていない薄暗い森を歩いて行く。歩く度に枝木や枯葉が潰れ、頭上では小鳥が夕日を浴びて幻想的に煌めいている。


 ナチの後ろを歩くマオはすっかりと上機嫌になり、イズを両腕で抱え、何やら鼻歌を歌っている。


 綺麗なメロディだなと思う。ピアノやバイオリンで主旋律を弾けば寂寥感が感じられ、情緒的で壮大なメロディに早変わりしそうな、透明感のある泡沫的なメロディだった。それがマオの綺麗な声と相まって、より一層の煌びやかさを生み出している。


 この世界にも音楽という概念が存在するのだな、と今更ながらにも思う。この世界に渡ってから調べた事と言えば、サリスの手掛かりやこの世界の伝説や伝承。世界を救う手掛かりに関連しそうな情報ばかりだ。思い返してみれば、調べる情報に遊びがない。


 ナチは首を左右に捻り、首をポキポキと鳴らしながら漠然と未来の情景を思い浮かべる。全てが終わったら、この世界についてゆっくりと調べてもいいかもしれない。音楽や食文化、地域ごとの服飾の違いなど、ゆっくりと長い時間を掛けて一つの世界を旅するのも悪くない。


 憧憬にも似たその光景を微笑ましく思いながら、ナチは口角を僅かに上げた。


「ねえ、お兄さん」


 鼻歌を中断したマオが何やら冷静を帯びた声を発しながら、ナチのコートを掴んだ。その声色の急速な変化にナチも気持ちを切り替える。脳内から憧憬に満ちた情景を打ち消し、心に冷静を纏わせる。


「どうしたの?」


 立ち止まりながら、ナチはマオを振り返る。彼女とイズはナチから見て、左側へと顔を向けている。鋭い視線が木々の奥を射抜いている。ナチも彼女達に合わせて、左側へと視線を向ける。


「何もないけど?」


 左側を見る。が、そこには木々と下草、雑草が生え並んだ大自然の光景しか存在しない。どこを見ても警戒しなくてはならない程の不審な存在は見当たらなかった。


「耳を澄ませ」


 イズが鋭い刃の様に研ぎ澄まされた冷たい声音で紡いだ。その声の迫力に息を呑みながら、ナチは言葉通りに耳を澄ます。聞こえてくる葉擦れと自身の呼吸音。次第に心音すらも耳に甲高く響き出す。


 その音の狭間に一つの足音を聞いた。ナチにはイズ程の優秀な聴覚を持ち合わせていない為にそこまで鮮明には聞こえない。が、それでもその足音が酷く焦っているのは分かる。両足を忙しなく動かしているのが分かる。息を激しく切らしている姿が想像できた。


 その後に聞こえてきたのは二つの声。「…………れ」と微かに聞こえてくる声。声質からして男性だとは思うが、それも蚊の鳴く様な小さな音すぎて断定は出来ない。


 ナチは、真面目な顔で視線を左側へ向けているイズに視線を移した。マオは先程までの真面目な顔を解き、無感動な表情でイズと同じ方向を向いている。彼女はナチと目が合うと「実は何も聞こえてないんだよね、私。驚いた?」と誇らしげに笑う。


「だと思ったよ」


 特に驚きも感動も無く、ナチはイズへと視線を再び向ける。すると、イズの両耳が二回ほど振り子の様に左右に揺れた。


「そういうお兄さんは何かわかったの?」


 冷ややかな視線を向けてくるマオにナチは勝ち誇った様に口角を上げながら、首を横に振った。ナチが聞いた音は小さすぎて具体性が無い。そんな情報を伝えたとしても意味は無いだろうし、ナチに聞こえたのだからイズがそれらの音を拾っているはずだ。


 ナチが言葉にするよりも、イズが口にした方が説得力は増す。


「お兄さんも、私と同じじゃん」


「マオと一緒にされるのはちょっと」


「またまたー。本当は嬉しいくせにー」


「いや、別に」


 マオが唇を尖らせながら「このやろう……」とぼやいていたが、ナチは無視。するとマオが「無視するな、このやろう」とチンピラの様に話しかけてくるが、それも無視した。


「イズ、何か分かった?」


「三人だ。我の耳が届くギリギリの距離におるせいで鮮明には聞こえないが、その内の一人が追われているようだな」


「それってやばいんじゃないの?」


 ナチは首を縦に振った。


「追われてるんなら、危険かもしれないね。イズ、場所は?」


「林道に出て、小屋へ向かえ。それからブラスブルック方面に繋がる街道に三人は進んでおる」


「分かった」


「オッケー」


 ナチが走り出すと同時にマオが肩にイズを乗せた。舗装されていない事もあり、足場はすこぶる悪いがナチ達は転ぶことなく林道へと飛び込むように進入。


 そのまま小屋がある方角へと疾走し、平らに整えられた土壌を進んでいく。緩やかな坂を駆けのぼり、小屋へとたどり着くとナチ達はほとんど直角に右へと曲がった。


 そこから真っ直ぐに進んでいくと《天日牢》による衝撃で傾いたり折れ曲がったりしている木々が立ち並ぶ林道を突き進んだ。


 このまま突き進めば、ブラスブルック方面へと向かう街道が見えてくるはずだ。そして、全力で林道を駆け抜けると左右に展開する木々の切れ目が目の前に見え始める。街道に躍り出る直前でイズが叫んだ。


「左だ!」


 反射的にナチ達は左へと急速に方向転換。足にかかる負担を歯を食いしばって堪え、木々の隙間から森内部へと進入する。


「前方にいるはずだ!」


 雑草と下草を踏み潰し、湿った土壌の感触を確かめながら、ナチ達は前方へと視線を集める。


 居た。


 獣の皮をそのまま剥いだかの様な服を着ている男が二人。その前方にもう一人。白色のワンピースの上に茶色いベストを羽織っている栗色の長い髪を揺らしている女性。


 全力で足場の悪い森の中を走っている三人の背中を追い掛けるが徐々に女性と男達の距離は縮まっていく。肩で息をしている様子の男二人は「大人しく……止まりやがれ」「もう……諦めな」と息も絶え絶えに前方を行く女性に制止を求めている。


 女性は男達の声には耳を傾けずに一心不乱に前へと足を動かしているが、足場が悪いせいで時折転びそうになっては距離を縮める要因を作ってしまっていた。


「マオ。左の男」


「りょーかい」


 ナチはポケットから符を取り出し属性「硬化」と「加速」を付加。マオは上空に氷の礫を生み出し、それを左側を走る男に向けて射出した。


 ナチも少し遅れて符を投げ飛ばし、霊力を放出。属性を具象化させ、右側を走る男に向けて高速で飛行していく。先を飛んでいく氷の礫を追い抜き、右側の男の後頭部に符は直撃。男は盛大に剥き出しの土の上を転がっていく。


 そして、男が急に転がった事を不審に思った左側の男が背後を振り向いた瞬間に氷の礫が鼻頭に直撃し、男は背中から地面に倒れ、後転しながら木に激突した。


 ナチとマオは二人の男にすぐさま急接近。ナチは自身が符を当てた男の下へ向かい、マオは木に激突した男の下へ向かう。木に激突している男を追い抜き、ナチは土壌に転がっている男の顔を覗いた。


 白目を剥き、転んだ拍子に土壌に石でも転がっていたのか前歯が折れている。口を大きく開け、前歯が折れたせいか血液混じりの唾液を口から垂らしている。


「あれ、こいつ……」


 見間違いでなければ、この男はガリシュと呼ばれていた盗賊の一人だ。顔をハッキリと覚えている訳ではないが着ている服や背格好はあまりにも似すぎている。


「お兄さん、この人気絶しちゃってるー」


 背後からマオの元気な声が聞こえてくる。ナチは「どうするかな……」とぼやきながら、気絶している男を見下ろした。


「あの、助けていただいてありがとうございます」


「いえ、気にしないでくださ……い」


 追われていた女性がナチに話しかけてきたのだと思い、声がする方へと振り向くとそこにいたのは見知った顔だった。


 そこにいたのはマナだ。


 汗を拭いながら、呼吸を整えている彼女はナチを見ると驚いたように目を見開いた。


「大丈夫ですかー? ってあれ?」


 マオがナチ達の下へと歩み寄ると声を上擦らせた。


「マナさん?」


 ナチの横に立ったマオは慮外(りょがい)な再会に幾度も瞬いた。イズも同様に瞬いている。


「はい。マナです。マオさんもありがとうございました」


 マナは動揺を滲ませる震えた声を紡ぐと頭を下げた。


「いえ、それは別にいいんですけど」


「間一髪だったな」


「はい。もう駄目かと思いました」


 マナは肩を震わせ、目尻に溜まった涙を揺れる指で拭った。マオがマナの背中を揺すり「もう大丈夫ですから」と声を掛け続けている。


 男二人に追われるというのは年頃の少女にとってどれほどの苦痛になるのか。ナチには想像する事しか出来ない。けれども、もしナチ達が間に合っていなかったらと思うとゾッとする。知らない土地に売られ、手酷い扱いを受け、心身共にボロボロになって捨てられる。その陰鬱な光景は容易に想起できる。


「マナはどうしてこの人達に追われていたの?」


「分かりません。イサナとメリナを探しに外を歩いていたら、いきなりこの二人に追われて」


 マナは涙に濡れた瞳でナチを見ると首を横に振った。今にも大泣きしてしまいそうな彼女の手をマオが握り締める。


「この二人どっかで見たことある気がする、気のせいかな?」


「この二人は盗賊だよ。僕達も一度、襲われたでしょ?」


「あ、ほんとだ。印象無さ過ぎて忘れてた」


 マオが呑気にもそう言った。今気づいたのかとナチは呆れながら、息を吐く。それを見て、マオがナチを恨めしそうに見るのでナチは視線をマナへと移動した。


「盗賊は人を売買する事もある。マナが狙われた理由はそれかもしれないね」


「もし捕まっていたら、私はどこかに売られていたって事ですか?」


 マナの瞳が揺れ、マオの手を強く握り返している。その狼狽ぶりにマオとイズが、ナチを嗜めるような瞳で見た。


「かもしれないというだけだ。今はあまり深刻に考えるな」


「大丈夫だよ。今は私もお兄さんもいるから」


 マナが無言で何度も頷いた。鼻を啜りながら、目尻の涙をワンピースの袖で拭う。


 ナチは特に謝罪も訂正もしなかった。女性が一人で出歩くという事は盗賊に限らず、見知らぬ誰かに襲われる危険性がある。その危険を回避する為に力を持たない人々は傭兵や護衛を雇い、身を守る。それが生きていく為の術であり、知恵。それを怠った結果がこれだ。


 力無き正義感では何も守れないし、守ってもくれない。


 それが分からない人間が多いから被害者は減らない。また、それを理解している悪意ある人間も同様に多い。だから、加害者も減らない。けれども、今言うべきでは無かったなと反省しながらナチはマナに「今は大丈夫だから」と一言だけ添えた。


「お兄さん、この二人どうするの?」


「どこかに縛り付けておくか、憲兵に引き取ってもらうのが一番いいんだけど」


 本音を言えば、息の根を止めたいところだがマナの手前それは避けたい。妙な不信感を持たれ、その悪い印象が村全体に広まる危険性がある以上は軽率な行動は慎むべきだ。


「あ、それならもう少し進んだ所にフルムさんの部下が居るはずですよ」


 マナが林道の先を指差しながら言った。指差している方向は街道だ。


「そうなんだ。それなら、そこまで運んで引き取ってもらおうか」


 フルムは仮にもトリアス一帯を管理している貴族。その土地を荒らしている盗賊を捕縛したと知れば彼や彼の部下が動くのが普通。彼等がどれほどの仕事意欲を持っているのかは分からないが、治安を守るのも管理業務に含まれるはずだ。


「引き取ってくれるのか?」


「どうだろうね」


「引き取ってくれるよ、きっと」


 ナチが地面に転がっているガリシュを担ぎ、マオとマナがもう一人の盗賊を担いだ。マオが両手を持ち、マナが両足を持っている。


 ナチはその光景に苦笑しながら、マナの指示で林道へと向かって歩き出した。林道に進入し街道に向かって歩いて行く。木々の切れ目。そこに鎧を着た兵士が隠れる様にして立っていた。


 ナチ達は木の影に隠れる様にして立っている兵へと近付いていく。そして、接近する際にその背後に鎧を着た兵が一人、鬱蒼とした叢の中に隠れているのが見えた。


 ナチはそれには気付かないフリをして、困り果てた気弱な旅人の様に腰を低くする。


「あの、すみません」


「どうされましたか?」


 兜を被っているせいで性別不明だったが声質から男性だと判明。男性の慇懃な対応に更に腰を低くし、ナチは鎧を着た男性の前にガリシュを寝かした。


 そして、彼がフルムの部下である事を確認するとナチは事情を説明した。すると、彼は二つ返事で盗賊を引き取る事を承諾。盗賊達は置いていってくれて構わないと、やはり丁寧な対応で告げられた。


「かなり怖い思いをしましたね。帰り道、気を付けて下さい」


 男性はマナの方へと体を向けると、優しい響きを含ませながら言った。深々と頭を下げるマナを見て、ナチ達も一応頭を下げる。それからナチ達は男性に踵を返すとトリアスへの帰路へ着いた。


「意外とあっさりした感じだったね。もっと根掘り葉掘り聞かれると思ってたんだけど」


「そうですね。少し拍子抜けでした」


 ナチは紺の割合が多くなった空を見上げた。夕景は追いやられ、その代わりに現れた空は世界を紺で覆っていく。


 夜が訪れる。その訪れを告げる様に吹いた風は肌を突き刺す様な冷たさを宿していた。風に揺れる前髪が額を擦って痒くなり、ナチは額を掻きながら前方から現れた橙色の光に目を向けた。


「マナ! マナ!」


 男性と思われる声。深く考えなくても、その声には焦りが含まれている事が分かった。泣き叫んでいる様な、迷子の子供を必死に探す親の様に悲痛を帯びた叫び。それは橙色の力が近付いて来ると共に鮮明に聞こえだす。


「お父さん?」


 マナが胸に手を当て、迫る光に向けて声を上げた。


 光を持っている人物の顔がハッキリと視認できる程の距離まで近付いていくとマナの表情がくしゃりと歪んでいく。保っていた緊張の糸が途切れたかのように、マナの口から熱い息が漏れ出す。


「お父さん!」


 父に向かって駆け出すマナをナチ達は黙って見送った。お互いに走り出し、抱き合った二人を見て、ナチ達は自然と笑顔を浮かべた。


「心配したんだぞ。お前もどこかに消えてしまったんじゃないかって」


「ごめんね、お父さん。ごめんね」


 娘と同じ栗色の髪を短く切り揃えた痩身の男性は、マナを抱き締めると持っていたランプを震わせた。揺れる度に光も一緒になって揺れる。


 マナとはあまり似てないな、と思いながらナチはまた額を掻いた。それから父親と思われる男性がナチ達に気付くとマナから体を離し、ナチ達の下へと歩み寄った。マナが父親に状況を説明すると父親はナチ達に深々と頭を下げ始める。それを慌てて、ナチ達は上げさせる。


 それからナチ達は改めてマナの父親、オットーに自己紹介を始めた。


「皆さんには何とお礼を言っていいか」


「お礼なら僕達じゃなくて、イズに言ってあげてください。イズが気付かなかったら、僕達は娘さんを助ける事は出来なかったですから」


 オットーはマオの肩に乗っているイズに深々と頭を下げ、謝辞を述べた。「我は見つけただけだ」とイズは素っ気なく対応。右手で猫の様に顔を掻いている。


「そうだ。皆に食事でも振る舞ったらどうかな、お父さん?」


「それはいい。どうですかな?」


 ナチは首を横に振り、イサナとメリナの捜索継続を理由に丁重にお断りした。すると、オットーが分かり易く肩を落としたがナチは苦笑して誤魔化した。


「では、また今度お礼をさせてください」


「はい、必ず」


「じゃあ、私達はこれで」


 二人は再び頭を下げると、ナチ達に踵を返した。


 マナとオットーがトリアスへと戻って行くのを見届けてから、ナチは符を取り出し、それに属性を付加「光」。すぐに属性を具象化させると符から放出される白光を前方に向ける。


「あんまりマナと似てなかったね」


「母親似なのかもしれないよ。まああんまり興味ないけど」


「どうして二人の申し出を断ったのだ?」


 ナチは瞬いた。まさかイズからそんな発言が飛び出すとは思っていなかったから。それに今優先すべき目的は明確だ。彼女は真っ先にオットーの申し出を拒否すると無意識に思っていた。


「イズは行きたかった? 何なら今からイズだけでも」


「いや、そういう訳ではないのだがな。ただ、お前は困り顔を見せられると意見を曲げる気がしておったから」


「僕のこと、そういう風に思ってたの? さすがに傷付くよ?」


 ナチは自嘲気味に笑うと、トリアスに向かって歩き出した。右にも左にも複数の橙光が森の中を悠然と移動しているのが見える。その全てが松明もしくはランプを手に持ったフルムの部下なのだろう。一瞥しただけでも、かなりの大人数だという事が分かる。


 この包囲の中を六日間もよく逃げ切れたな、と改めて感心と尊敬の感情をイサナとメリナに送るとナチは前方へと視線を戻した。


「まあ、今は悠長に食事してる場合でもないからね」


 ナチは今朝の事を思い出しながら愁いを滲ませる声で言った。差出人不明の手紙が村中に貼られ、住民が道場に押し寄せ、家の中を物色するまでに至った今朝の一連の出来事。


 あれは間違いなくフルムの仕業だとナチはほとんど確信していた。


 彼が村に現れたタイミング。二人が見つからなかったと知った時のフルムの表情。


 フルムは間違いなくイサナとメリナが家の中に隠れている事を知っていた。


 見られていたのだろう。尾行されていたのか、行動を読まれていたのかは分からないが、それでもナチ達が二人を家に保護した事実は知られていた。あの家はもう安全地帯ではないのだ。むしろ、二人を閉じ込める牢と化してしまっている感じすらある。


 それに二人の居場所をフルムが知っている以上は彼が主導権を握っていると言っても過言ではない。彼の動き次第でこの儚い逃走劇は一瞬で終わりを告げる。


 もうあまり時間は残されていないのだ、と今朝の騒動から痛感させられてしまった。


 いや、フルムは今朝の段階で終わりにするつもりだったのだ。それをナチが阻止し、終焉を引き延ばした。どうしてそんな事に気付かなかったのか、とナチは内心ほくそ笑む。


 後、どれだけの時間が残されているのだろうか。ナチはどれだけの時間を引き延ばせたのだろうか。


 今日までか。明日までか。もうタイムリミットは訪れてしまっているのか。


「一度、トリアスに戻ろうか」


 ナチは自分でも気付かない内に歩く速度が速くなっていた。

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