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二十 村に貼られた紙

 日が昇り、道場に暖かな朝日が差し込んだ頃にナチは叩き起こされた。本当に叩かれて起こされた訳ではない。隣で眠っているマオは穏やかな寝息を立てているし、イズもマオの胸の中で体を小さく丸めている。


 ならば、ナチが何に叩き起こされたのかと言えば、それは扉を叩く音だ。


 道場と外を繋ぐ扉を誰かが連続して叩いている。しかも、かなり力強く。そして、それは一人ではないとすぐに分かった。扉の向こう側から聞こえてくる複数の声。かなり気が荒立っている声が外から道場に向けて放たれていた。


 しかも、その声のどれもがこの家の住人を名指しで口にしている。


「イザナ、マルコ! 出て来い!」「さっさと起きて出て来い!」と次々に乱暴な口調と声質の言葉がひっきりなしに聞こえてくる。ナチは寝惚け眼で扉を見つめた。それからマオの肩を揺すり、イズの背中を軽く揺する。


「……何やら騒々しいな。何の騒ぎだ?」


 先に起きたのはイズだ。寝惚けた声を発しながらマオの腕からすり抜け、ナチの横に座った。それから寒さに震える様にイズは体を震わせ大きく欠伸を掻いた。


 マオは全く起きる気配が無いので無視。


「……近所迷惑も甚だしいよね。悪い予感しかしないし」


 踏み出した時に居間へと繋がる扉が勢いよく開いた。その開いた扉の向こう側から飛び出してきたのはイザナとマルコの二人。


 寝癖が付いたままの二人はまだ眠気を残した表情でナチ達と視線を合わせた。すぐに朝の挨拶を済ませ、外から聞こえてくる喧騒へと目を向ける。


「何の騒ぎでしょうか?」


 首を傾げるイザナ。ナチとイズは揃って首を横に振って答える。


「分かりません。どうしますか?」


 言った後に「無視しますか?」と付け足した。冗談半分で言ったのだが、二人は真面目な顔で俯いた後に首を横に振る。


「いえ一応話は聞いてみようと思います。もしかしたら、村で何か問題が起きているのかもしれないですから」


 そう言ってイザナとマルコは扉へと近付いていく。ナチはしゃがみ込み、イズに顔を近付けると小声で言った。


「イサナとメリナに僕が渡した符を肌身離さず持つように念を押して。それと出来れば部屋の奥に居る様に伝えて。あと何が起きても声を上げないようにって」


「分かった」


 ナチは居間へイズを送ると扉を閉めた。閉まった事を確認すると、ナチはマオを起床させる為に肩を揺する。


「マオ、起きて。敵だ」


 すると、マオの瞳は素早く見開かれた。青い瞳がナチを鋭く射抜く。そして、ナチが脱帽する程の動きで立ち上がり、素早く身構えた。首を左右に頻りに振り、存在しない敵を探している。


「……敵は?」


 ナチは苦笑しながら「そんなのはいない」と言った。


「おはよう、マオ。マオに少しお願いしたい事があるからちゃんと聞いて」


 マオは眠気眼でナチを見つめたまま、首を傾げた。ナチはすぐに要件を伝え、マオに状況を手短に説明する。彼女は理解したのかしていないのか判然としない表情のまま頷くと、ナチに背を向けた。


「……分かった」


 フラフラとした足取りで居間へと消えていくマオを見送ると、ナチは扉の前で深呼吸しているイザナとマルコの下へと駆け寄った。


「開けます」


 緊張した面持ちのマルコが言いながら扉を開いた。


 開くと同時に入り込む朝の冷たい空気と耳を覆いたくなる程の喧騒。扉の前には十人弱の村人達が群れを作っており、扉が開くと同時にマルコとイザナに詰め寄った。先頭にいる男は一枚の紙を手に持ち、それを頻りにイザナとマルコの眼前に押し付けようとする。


 強引に道場に押入ろうとする村人達を三人で必死に食い止める。


「まず状況を説明してくださいよ。それともあなた達はそんな良識も持ち合わせていないんですかね?」


 ナチがイザナとマルコをすり抜け、道場に一歩踏み出そうとした男の襟を掴み、外へと投げ飛ばしながら言うと先頭に立っていた男がイザナとマルコに手に持っている紙を手渡した。


「こんな物が村のあちこちに貼られていたんだ。事実なら見逃すわけにはいかない」


 紙には黒い文字が三行、記されていた。それを読み解く事はナチには出来ない為、目を向ける事はしない。目を向けず、眉間に皺を寄せ憤然としている村人達を見つめた。


「イザナとマルコ、及びトリアスに滞在中の旅人がイサナとメリナを匿っている可能性あり。すぐに家の中を確認するべし」


 マルコが声を震わせながら手紙の内容を口にした。最後の言葉を言う頃にはマルコもイザナも目を見開いてしまっている。それを見て、村人達は何かを確信した様に目を細めた。訝しみ、薄目をナチ達に向ける姿はどこか驚喜的にも見える。


「家の中を見せてもらうぞ? 構わないな?」


「それは……」


 マルコがハッキリと言い淀む。ナチは息を呑みながら、マルコを横目に見る。


 駄目だ。


 動揺が顔に出過ぎてしまっている。村人達に疑念を持たせる余地を与えすぎてしまっている。もうほとんど確信してしまっただろう。


 この家にイサナとメリナが戻って来ていることを。


「いないのなら、別に構わないだろう? それとも本当に匿っているのか?」


 匿っているとは妙な言い方だ、と思う。娘を家に迎えているだけなのだから匿うも何もないだろうにと思いながら、ナチは勝ち誇った様な笑みを浮かべている男を見た。


「見てもらうのは構わないですけど、あんまり大勢で押し入られるのは少し困りますよ」


「どうしてだ?」


「どうしてって、当たり前でしょう? 自分達の非常識さを自覚してないのですか? わざわざ口にして差し上げないと分からないほど幼稚なのでしょうか、あなた達は」


 村人達は憤慨したようにナチを睨んだが、反論してくることは無かった。そして、先頭の男は村人達を集めて小声で密談を始め出す。


 イザナ達の迷惑も顧みずに扉を叩き騒ぎ立て、扉を開けた瞬間に押入ろうとする。これが迷惑行為に他ならない事は大人ならば、すぐに気付く。気付かなくてはならない。


 ナチは呆れた様に溜息を吐きながら、村人達の行動を見守った。


 そして、部屋の中を物色する大義名分を託された、選ばれし三人が道場へと足を一歩踏み出した。三人ともどこか誇らしげに口端を歪めている。それが無性に腹が立つが、イザナとマルコは腰を低くしながら居間へと通ずる扉へと三人を案内する。


 二人とも顔が青褪め、言葉数が極端に少ないのはすぐに分かった。それを視界に捉えた三人は顔を見合わせ、更に口端を歪めている。


「こちらです」


 扉を開け、居間へと三人を通すと三人は部屋の中をくまなく物色し始める。眼球を頻りに動かし、棚を、机を、炉の中を隅々まで目を通していく。だが、イサナとメリナの姿が見えないと分かるや三人は舌打ちをし、上げていた口角を落とした。


 そんな場所に居る訳ないだろと嘲笑めいた笑みを浮かべそうになり、ナチは慌てて口元を手で隠す。


 それから、三人の内の一人が居間の奥にある二つの扉を指差した。


「あそこは何だ?」


「私と妻の私室と、イサナとメリナの私室です」


 右側がイサナとメリナの私室だ、とマルコが説明した瞬間に男達は顔を見合わせ、頷いた。それを見て、ナチは指先から霊力を流す。男達が部屋に近付き扉に手を掛けた時、マルコとイザナは唇を噛み締めていた。瞼がゆっくりと下りる。そして、二人は肩を震わせると小さく息を吐いた。


 それは祈りの様にも覚悟を決めた様にも思えて、ナチは口端を歪めた。


 扉が開くと同時に男達は目を見開いた。口を半開きにし、彫刻の様に固まってしまった彼等は部屋の中を凝視し続けている。それから男達は少しだけ鼻の下を伸ばし、顔を緩ませた。良い物を見せてもらった、と言わんばかりに男三人の表情は緩い。


 その表情の変化にはナチも首を傾げた。男達は何を見ているのか。


 この状況で表情を緩めてしまう程の状況というのは何なのだろうかと不思議に思いながら、ナチは男達の脇をすり抜け、部屋を覗き込んだ。


 すると、そこにはジャケットとショートパンツ、下着類も全て床に脱ぎ捨てて、白い毛布で顔から下を隠しているマオの姿があった。顔を紅潮させ、唇を周知で震わせている彼女はナチの出現で更に顔を赤くさせる。


 マオ以外には人はおらず、イサナとメリナの姿はどこにも見えなかった。イズが物置の様にベッドの上で座っていたが、ナチと目が合うと右耳を小さく動かし不敵に笑う。


「早く外に出ろ!」


 近くにあった枕を投げ飛ばしたマオはナチ達を睨むと大きく口を開いた。大きな声が部屋から響き渡り、ナチと男達は退出を余儀なくされる。ナチは男達には見えないように口端を歪ませると、扉を急いで閉めた。


 それから、ナチは男達へと振り返り「間が悪かったですね」とぼやいた。男達もそれには罪悪感を抱いたのか「後で謝っといてくれ」と小声で言った。


「じゃあ、もう一つの部屋だ」


 男達がそう言うと今度はイザナとマルコが自室へと男達を案内した。扉を開け、中を確認する。ナチも男達と共に部屋の中を確認する。が、やはりここにもイサナとメリナの姿はどこにも見当たらなかった。


 イザナ達の私室から出た三人とナチは居間へと移動すると、向かい合う様に立ち尽くす。


「どこにも居ないじゃねえか。どういう事だ?」


 男達は顔を見合わせ首を傾げ合っている。


「どうしますか? まだ探します?」


 ナチは淡々と言った。面倒くさそうに、気怠そうに。


 すると、男達は居間を見渡した後に首を横に振った。


「いや、何度探しても結果は同じだろ。隠れられる様な場所も無かったしな」


「そうですか。なら、僕達は二人を探しに行かなくてはならないのでそろそろ」


 イザナとマルコは浮かんだ疑問に答えを見い出せず呆然としていたが、慌てて軽く会釈する。


「……ああ、悪かったな」


 男達は一様に謝辞を述べると居間から退出していく。ナチ達もそれに続いていき道場の外で待機していた村人達と合流する。男達が道場から外へ出て、イサナとメリナが家にいない事を伝えると村人達は一様に顔を歪め、つまらなさそうな顔でナチを見た。


 中にはまだ片眉を下げ、腕を組みながら首を傾げている懐疑的な表情を浮かべている村人もいたが、それもすぐに驚きに変わった。


 背後から見える人物。


 金属が擦れる音を伴って姿を現した金髪の青年に気付くと村人達は一様に動揺し、その後に目を輝かせた。先程までの喧騒が嘘の様に静まり返る。喧騒が青年によって地に伏せられたかの様な光景にナチは思わず苦笑する。


「フルムヴェルグ……」


 トリアスに現れたのは紛れもないフルム本人だ。四人の部下を引き連れ、村の奥へと視線を定め、その視線通りの進行方向へと体を向けている。


 けれども、フルムは道場の前に人だかりが出来ている事に気付くと迷わずに道場へと歩みを進めた。人柄の良さそうな笑みを浮かべ、綺麗な歩き方で真っ直ぐに近付いて来る。目を一瞬だけ見開き、眉根を上げ、少し小走りになったフルムにナチもイザナもマルコも肩を震わせた。


 こんな偶然が存在するのか。


 こんな狙ったかのようなタイミングで、さも村では何が起きていて、その結末を最初から知っている様な、そんな都合の良いタイミングで村に現れる偶然が存在するというのか。吐いた息が震える。その動揺を消す為にナチは大きく息を吸う。肺すらも震えている様な気さえする深呼吸。


 そして、もう一度だけ息を大きく吐くとナチは眼前に立つ諸悪の根源を視界の中央に据えた。


「どうしましたか?」


 心地の良い声、口調。それらはもう以前と同じように聞こえる事は無い。人の裏側を、内面を知ってしまったのだから。今では全てが歪んで見える。見えてしまう。


「いえね。村中にこんな紙が貼られていたもんですから。てっきり、そうなのかと俺達も興奮しちまいまして」


 村人の一人がフルムに手紙を渡す。すぐさま手渡された紙に目を通すフルムは小さく頷きながら、右手を口元に添えた。読み終わったのだろう。紙を村人へ笑顔で返すと、視線と体がナチ達へと向けられる。


 向けられる視線は真っ直ぐにナチを捉えている。イザナとマルコは眼中にないのか視線が真っ直ぐにナチと重なる。


 視線が重なった瞬間にナチの中で感情が死んでいく。急激に寒冷が下りていく精神内部。氷河の様に冷たく、熱を一切持たない冷漠な視線をナチはフルムへ向ける。


「この紙の内容は事実なのでしょうか?」


 笑顔でフルムは言った。先程と変わらない屈託のない笑顔。そのはずなのに酷く歪んで見えるのは気のせいなのか。表情に乗せているこの善意が酷く歪に見えるのは気のせいなのだろうか。


「いえ、全くの事実無根です。先程もトリアスの方々が家の中を隅々まで拝見いたしましたので、僕達が嘘を言っていないことは疑いようがないと思いますよ」


 ナチは目を見開いた。呼吸をするのを忘れる。その代わりに心臓が早鐘を打ち始め、体内酸素を急激に消費していく。


 一瞬だ。本当に一瞬。刹那の瞬間に鉄壁だったフルムの表情に亀裂が入った。


 亀裂が入った表情の隙間から何が見えたのかは分からない。それが怒りなのか悲しみなのか憎しみなのかはナチには判断が付かない。だが、それが酷く恐ろしい感情だというのは分かった。理屈じゃない。直感だ。動物的本能だ。ナチに備わる野生的な本能が目の前の男が漏らした感情に警鐘を鳴らしている。


 毛穴が開き、そこから動揺という名の汗がじわりと滲み出す。


 無表情を装ってはいるが明らかにナチは内心で狼狽していた。誰も見ていなければ、狂人の様に叫び出し、地面をのた打ち回っていたかもしれない。


 ナチの表情を見てフルムがどう思ったのかは分からないが、ヒビが入った鉄壁の仮面を彼はすぐに修正した。


「そうですか。悪質な悪戯(いたずら)だったのかもしれないですね」


「……ええ。困ったものです」


 少し遅れて返事をしたナチをフルムは笑顔で見つめ続けていた。変わらない笑顔にこんなにも恐怖を感じるのは久し振りだ。それを感じたのは何時の頃だったかと思っていると、フルムはナチ達に踵を返した。


「では、我々はこれで」


「はい、お気を付けて」


 フルムの背にそう投げかけると、ナチは彼の背中が去っていくのを見つめた。しっかりと消えるまで彼を目で追い続けた。フルムが道場の角を右に曲がり、奥へと消えていくのをしっかりと確認するとナチはようやく全身に張り詰めていた緊張を解いた。息を大きく吐く。


「すまなかったな。イザナ、マルコ」


 ナチが息を吐き、虚空を見つめていると道場の前に群れを成している村人の一人が言った。それが誰の声だったのか、見落としたナチに解明する術は無い。


「お前らだって、娘が消えて落ち着かねえだろうに俺達ばかりが勝手に盛り上がっちまって」


「いえ、そんな事は……」


 イザナとマルコの二人は目に見えて狼狽していた。ナチは一歩下がり、その行く末を見守る事にする。


「いや、謝らせてくれ。すまなかった」


 外にいた村人達が次々に頭を下げる。イザナとマルコに誠意を伝える為に深く深く頭を下げている。ナチは何が起きたのか分からずに呆然とその光景を見続けた。先程までは怒気を孕んだ視線を二人に向けていたというのに、非常識極まりない行動を繰り返していたというのにどういう心変わりなのか。


「俺達はこの手紙が事実だって信じて疑わなかったんだ。だが、結果は見ての通り。目も当てられねえよ」


 本当に目も当てられないですね、と心の中で呟くだけに留めながら、ナチは左耳の裏を掻いた。


「ったく、誰だよ、こんな手紙を貼りやがった奴は。人騒がせな奴だ」


 紙を何度も千切っている男はそれを地面に捨てながら、顔を真っ赤にさせていた。他の村人達も首を傾げながら「誰なのかしら、一体」などと口を揃えて言っている。少なくともこの中には犯人はいない様に見えるが、それでも紙は貼ってあったのだ。


 火のない所に煙は立たぬ、とはこのことだとナチは思う。誰かが紙を貼ったから現に人はこうして集まっている。疑わしきはフルム本人、部下、関係者、が妥当な所だ。あんな自然を装った不自然なタイミングで現れた以上はフルムに関わる全てを疑うのが自然とも言える。


 だが、それを言えば目の前に並び立つ村人達もフルムの関係者と言っても過言ではない。つい先程まで、彼等は揺るぎない疑念をイザナとマルコにぶつけていたのだ。この人の群れの誰かが嘘を吐いていないなんて、ナチには断定できないし信用に値するだけの誠意すらも示されてはいない。


 ナチは疑念を含ませた瞳で村人達を静かに観察し続ける。


「俺達も仕事があるし、そろそろ戻らせてもらうよ。悪かったな」


「いえ……」


 ぞろぞろと消えていく村人達。全員が消えたことを確認するとイザナとマルコが扉を閉め、大きく息を吐いた。がっくりと肩を落としながら居間へと歩いて行く。


 ナチもその後に続くと居間へと向かった。


ブックマーク、評価してくれた方ありがとうございます!

これからも頑張っていきたいと思います!

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