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十六 地下牢

 足下は泥濘(ぬかるみ)、一歩を踏み出す度にべちゃべちゃと足音を立てる。天井から落ちる雫は土色に濁っており、地面に落下する度に音を鳴らした。灯りも無い坑道はどこまで行っても分岐点は無く、ずっと直進だった。


 ナチが光をどこに向けても、存在するのは一方通行の坑道のみ。坑道なのだから、その景色は当然と言えば当然なのだが、それでもあまり長居したい環境では無かった。


 鼻を通る湿気と土の香りが混じった臭いはあまり心地が良い香りではなく、吸う度に咽返りそうになる。肌に纏わりつく湿気は服の下で不快感となって姿を現していた。


 それに地下に存在する今にも天井が崩れ落ちそうな、この閉鎖空間は無意識に恐怖を募らせる。擦れ違うのすら労力が必要になりそうな土壁が迫っているこの坑道で、もし落盤が起きればあっという間にナチ達は押し潰される。


 どれだけの神秘も符術も大地の重圧を支える事など出来はしない。


 背後を見てみると皆一様に表情を強張らせながら、足を進めていた。けれども、決して不安を煽る様な言葉は言うまいと口を噤んでいる様にも見えた。


 誰も口を開くことなく一行は歩を進めた。ナチも何かを言うつもりは無かった。緊張しているのだ。符の光が捉えた最奥の壁。それを捉えた瞬間、ナチの脳内から言葉が消える。


 神経が最奥に潜んでいるフルムの秘密へと集中していく。研ぎ澄まされていく。イサナとメリナを追い回す程の秘密だ。警備が厳重の可能性もある。ナチはポケットから符を一枚取り出しながら、下唇を噛んだ。こんな場所で戦闘をすれば天井が崩落する可能性がある。


 付加する属性次第では崩落の危険性は格段に跳ね上がる。慎重に選ばなくてはならない。


「壁までたどり着いたら、左右に道が分かれるの。そこまで行ったら右に曲がって」


 小声で紡がれたメリナの声は坑道内の静寂さが反映され、とても大きな声に聞こえた。


「左は?」


 ナチも小声で言ってはいるが、やはり声は通ってしまう。


「左にはフルムの屋敷に繋がる梯子があるだけ。向かっても意味が無いわ」


 ナチは首を縦に振りながら、近くなった最奥へと足早に進もうとする。


「………………だ」


 ナチは手の平をメリナに向け、彼女を立ち止まらせた。それは後方へと伝播していく。


 完全に立ち止まったナチ達。ナチは背後を振り返りイズを見る。そして、口を開こうとしたイサナに首を横に振って、黙らせる。それから、イサナからメリナの肩を跳び越えて、ナチの肩に乗ったイズはナチの耳元にそっと口を寄せた。


「男の声が一つと女の声が一つ。男の声は間違いない」


 極小の声をイズは更に引き絞る。


「フルムだ」


 ナチは符の光を消した。白光が消えた瞬間に訪れる暗黒。自分の手の平すら見えないほどの濃い闇に誰かが悲鳴染みた声を一瞬だけ漏らすが、それもすぐに収まった。おそらくは手を口に押し当てたのだろう。そんな声の途切れ方だった。悲鳴を上げなかっただけでも感謝を述べるべきだが、それは後で伝えればいい。


 今すべきなのは耳を研ぎ澄ます事。微かに聞こえる音を微塵も聞き逃さない事だ。


 ナチは暗闇の中で目を閉じた。闇から闇の世界へと移行する。


「気分はどうだ?」


 フルムの声だ。ナチ達が聞いた他人行儀な口調ではなく低く冷たい口調。どこか人を嘲笑っている様な気さえする口調だった。


 坑道の中はやはり良く声が通る。しかも、元々遠方まで通る声質をしていたフルムだ。鮮明に声が響いてくる。


「お前の浄化はもうすぐ完了する。体に溜まった醜悪な不浄、悪、罰。それら全てを清め、吐き出した時、お前には真の救済が訪れる。浄化の焔によって、お前は善なる存在に生まれ変わる」


「……勝手にすればいいじゃないか」


「まだ不浄は祓われていないようだ。だが、それも当然だね」


 低く冷たい響きを持っていたフルムの声が、急に明るい声音に変わる。人懐っこい少年の様に無邪気な声に変わる。


「罪というのは一生を費やして、払う代償だ。数日で祓い切れてしまう様な不浄は罪の紛い物であって、罪ではない。君達が真に祓わなければならない不浄はこんな短い時間で禊切れるものではないのだから」


 フルムの下品な笑い声が響いてくる。その声に隠れる様にナチは「みんな引き返して」と一瞬だけ光を符に灯し、進行方向を指し示す。


「早くどっか行け! あんたの声なんて聞きたくもない!」


 フルムの笑い声に負けない程の声量で響いた女の叫び声。その金切り声に後押しされるかの様にナチ達は坑道を引き返す為に歩を進めていく。


 こんな隠れる場所がない場所に長居は無用だ。ナチ達が歩く度に歩行音が響き渡るが、それに負けない程のフルムと女の声量がナチ達の存在を隠してくれる。


 ナチは符の光を弱めながら、背後に視線と神経を注ぐ。まだ、フルムは奥に居る。足音は聞こえてこない。だが、不安から何度もナチは背後を振り向いた。見ているのではないか。フルムがこちらを見ているのではないか、と何度も視線を暗闇に注ぐ。見えるはずもないのに、視線を奥へと送り続ける。


 そして、行動の奥に動きが見えた。暗闇だった坑道の奥。そこに橙色の光がほんのりと照らし出される。その後に壁に映し出された黒い影。斜め左に大きく伸びるそれはゆっくりと右から左側へと動いていく。


 ナチは光を消した。それはほとんど無意識の行動だった。光が消えた事により、その場に立ち止まるイサナ達。だが、言葉は一言も発しない。


 ナチは立ち止まったイサナ達には目を向けず、背後で動きを見せ続けている橙色の光と黒い影に視線を向け続けた。左に動き続ける影は一瞬だけ、本当に短い時間、動きを止めた。影が動く。顔と思われる黒い投影が僅かに傾いた様な気がした。


 それはこちらを見ているような気がした。静かにこちらを見て微笑んでいる様な気がした。


 肌が粟立つ。全身を駆け巡る怖気がナチの手から符を落とさせた。手が震えている事にすら気付かない。呼吸音を必死に消そうとした結果ナチの呼吸は止まった。


 そして、符が地面に落ち、ぺちゃと静かな音が響いた瞬間に影は再び左側へと歩を進めていく。


 ランプの光が微かにナチ達を照らしたが、そんな事を気にする余裕も無かった。距離も離れているのだから大丈夫だろう、とナチは無理矢理に精神を宥めだす。


 ナチが呆然と再び暗闇に支配された最奥へと視線を向けていると、音が響いた。梯子を昇る音。カンカンと一定のリズムで奏でられたその音は、フルムが坑道から退場した事を意味している。


 なのに、ナチは符を拾う事も、新たな符を作り坑道を照らさなくてはならないという事にすら、気が回らなくなっていた。考える余裕が消え失せている。


「ナチ。しっかりしろ」


 耳元で静かに囁いたのは凛とした黒い獣の声だ。その声が急速にナチを現実に引き戻し、冷静さを取り戻させる。ナチは土と湿気が入り混じった空気を大きく吸って、吐いた。そして、霊力を流し地面に落ちている符を再発光させる。


 開かれる視界。晴れていく暗闇。ナチは地面に落ちた符を拾うと、それを再び奥に向けた。


「……気付かれたかもしれないね」


「まだ、分からぬがな。だが、気付かれたと思って動いた方がよいかもしれん」


「そう……だね」


 気付かれたのか判明しない以上は絶望的観測で動くしかない。それに気付かれたと思っていた方が身動きが取り易い。仮にフルムがナチ達に気付いていないとしても、それはナチ達にメリットをもたらすだけでデメリットには成り得ない。


「どうするの? ナチ」


 ナチが背後を振り返ると全員がナチに指示を求めて、体を前のめりにしていた。


「奥に向かおう。フルムさんは屋敷に戻って行ったみたいだし」


 全員が首を縦に振った。ナチも一度だけ頷くと踵を返し、奥へと向かって行く。


「さっき、フルムさんが言ってた言葉ってどういう意味なの? 意味不明なんだけど」


 マオの問いに答えたのはイサナだった。


「私も意味までは分からない。だが、あの意味不明な言葉が何を表しているのかは、あの奥に行けば分かるよ」


「何もかもが、あの奥を見れば分かるという事なのね」


 イザナが言った事が全てだろう。坑道の奥を見れば、全てが分かる。イサナ達が逃避行に至った理由も、イサナ達がフルムを敵対視している理由も全て。


 坑道の奥に隠されているのだ。



 最奥にたどり着くとメリナの言う通り、道は左右に分かれていた。左には梯子が設置されており、天井に開いた空洞に向かって伸びている。この梯子の先にフルムの屋敷があるのだろう。つまり、ナチ達が立っている場所はナチ達が目にした洋館の真下という事になる。


 やはり、非常用の避難経路として造られたというのが無難な答えなのかもしれない。


 そして、ナチはゆっくりと符の光を右へと向けた。少し壁の幅が広くなった道。二人並んで歩く事すらも可能なほどの広さだ。


 右側の道には、十メートルほど先に壁があり、そこにも左右に分かれる道が存在していた。こんなにも入り組んだ坑道を作る事がこの世界の技術で可能なのだろうか。超能力を駆使すれば可能なのだろうか。


 この坑道の存在を懐疑的に見ながら、ナチ達は右側へと進んでいく。壁に差し掛かるとナチは右に左に光を送った。右と左の最奥。そこに格子状の棒が並んでいるのが見えた。それはまるで檻のように厳かな風貌で、坑道の最奥に鎮座している。


 ナチは迷った挙句に左に進んでいく。壁伝いに歩いて行くとナチ達はすぐに最奥へとたどり着いた。


 格子状に見えた何かは紛れもなく格子だった。石造りの太く丸い棒が周期的に地面から天井に八本、突き刺さっている。そして、その石格子の先には、まだ空洞があった。三メートル程の奥行きがある、正方形の空洞。地面も壁も雑に固められた空洞はまるで牢屋だ。


 罪人を捉えておく為の独房。ナチにはそう見えた。そしてそれは間違ってはいないのだろう。空洞の右側。家具や物などは何もない空洞の右側に人影が見えた。


 その人影をナチが照らした瞬間にそれは闇から解放され、鮮明にその姿を取り戻していく。色が戻って行く。イザナとマルコが驚愕に目を見開き、マオは口を半開きにして固まっている。イサナとメリナは特に動じた様子もなく人影を見つめ、イズも特に動揺した様子は見られなかった。


 裸の女性だ。若い。ナチと歳はそう変わらない見た目をしていた。


 裸の女性が壁にもたれ掛かり、寂寞とした眼差しを対面の土壁に向けながら、座っていた。

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