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十一 助けを求める声

 朝食を食べ終え、片付けもすぐに済ませたナチ達。食器を洗っている時も、それを棚に戻す時も、イザナとマルコは何処か緊張した面持ちだった。


 表情は硬く口数も徐々に少なくなり、気付けば無言で片づけをしていた二人。ナチ達もそれに引っ張られて気付けば無言になっていた。


 だが、それは悪い雰囲気ではない。むしろ、良い雰囲気だとナチは思う。程よい緊張感に包まれ、全員が気を引き締めている。集中しているのだ。


 その緊張感を宿したままナチ達が先に家屋の外へと出ると、日もまだ出ていないというのに、多くの村人達は外で始業の準備をしていた。農具を持ち畑仕事に向かおうという者や、弓を肩に背負い腰には剣を引っ提げて狩りに向かう者。


 全員が眠そうな顔をして街を歩いていたが、家屋からイザナ達が姿を現すと彼等は豹変した。村人達の表情が動く。眠気は吹っ飛び、視線が一斉にこちらへ向いた。朝の穏やかな空気も一瞬にして殺伐としたピリピリとした空気に変わる。


「行きましょう」


 少し気落ちした様子のイザナ達にすかさず声を掛け、ナチ達はトリアスの外へと向かって行く。背後から伝わる視線。それが煩わしくて仕方が無い。


 せっかく、良い緊張感を持ってイサナとメリナ捜索に向かおうというのに、水を差しやがって、と村人達に心の中で思いつく限りの罵声を浴びせる。足早にトリアスから出ると陰湿で粘着質な視線も感じなくなった。誰かが追ってきている気配もない。彼等は仕事に移ったのだろう。


「まずどこから探すの?」


「小屋、かな。あそこにはフルムさんの部下が見張ってなかったから」


「でも、何であそこは見張らないんだろうね。あんな隠れるにはうってつけの場所を見張らないって、フルムさんの部下も意外と馬鹿、なのかな? いや、馬鹿かもしれない」


 真剣な表情で自己完結したマオには取り合わずにナチとイズは顔を見合わせた。


「そう言われればそうですな。どうしてあの小屋だけは見張らないのでしょうか?」


 マオの問いにマルコが首を傾げていた。イザナもマルコの横で同様の反応を示している。だが、ナチとイズは息を呑んだ。表面的には笑顔を浮かべたが、内心動揺を隠せなかった。


 イザナ曰くイサナとメリナがよく遊んでいた場所には、見張りを立てているという。それは夜通し行われ、完全に二人を寄りつかせない為の措置。それだけで二人の行動範囲は狭くなる。隠れられる様な場所に見張りを立てる事で二人を常に行動させる。


 そうして、二人の体力と精神をすり減らしていく。限界まで追い込んでいく。


 それに、二人が逃避行を始めてから六日だ。


 ナチは昨日の段階で既に限界ではないか、と予想した。そして、夜は明けた。今日の夜を経て、二人の体力と精神は底を尽きているはず。


 そんな極限状態の中で見張りが付いていない小屋を見つけたら、そこに逃げ込んでしまわないだろうか。砂漠で見るオアシスの様に、迷わずに逃げ込んでしまわないだろうか。それが蜃気楼だと分かっていたとしても。


「少し急ごう」


 ナチはマオ達を急かしながら、林道を歩く速度を上げた。


 もしも、二人が小屋に逃げているとしたらそれが現実になっていたら、フルムの狡猾さに舌を巻かねばならなくなる。もし、そんな作戦を実行しているというのならば、故意に二人を森の中に逃がしている可能性も出現する。


 心身共に疲弊させ、弱り切ったところを安全に捕まえる。優しいのか冷たいのか分からない様な作戦だが、確実に捕まえる事は出来る。また、何故だかイサナとメリナは村周辺を囲む森から抜け出さない。


「ねえ、イズ」


 夜を越えて乾いた土壌を歩きながら、ナチはマオの右肩に乗っているイズに寄った。


「何だ?」


 小さく低い声が返ってくる。


「昨日、僕達に絡んできたフルムさんの部下ってどこから来たって言ってた?」


 本当は彼等が何を言ったのか、鮮明に覚えている。これは確認だ。自分の記憶と事実が間違っていないのか。


「街道沿いで待機したと言っていたな」


「街道沿い……」


 間違ってはいない。確かにあの二人は街道沿いで待機していたと言っていた。


 やはり、塞いでいるのだ。ナチの推測通りに街道に繋がる全ての道を。


 ナチは口内に溜まった唾を飲んだ。ごくりと音が鳴った。それから、ナチは林道の先を見つめた。この林道を歩き続ければ、最終的に行き付く先は街道だ。


 そして、林道というのは人が手を加えた道。馬車や人が街間を行き来しやすくする為に、人が整備し舗装した道だ。獣道とは違い、決して自然には形作られない。


「この林道はフルムさんが手配をして、設置を?」


 ナチは背後を歩いているマルコとイザナに振り返りながら言った。


「いえ、フルムさんのお父上がトリアスの為にと設置して下さったんです。その時に私達も手伝ったので、間違いないですよ」


 快く教えてくれたマルコに、ナチは謝辞を述べながら、再び前を向いた。父親が林道設置に関わっているのなら、息子のフルムも林道がどういう経路になっているのかは知っているはず。林道が最終的にどこに繋がっているのか、フルムは知っているはずだ。


 ならば、林道の最終地点に見張りを立てて置く事で包囲は完成する。


「何か分かったの?」


 マオが小声で耳打ちしてくる。口に手を当て、イザナとマルコには口が見えない様に。


 耳に当たるマオの吐息がくすぐったいが、ナチは「いや、まだ何も」と同じく小声で言った。


 まだナチの憶測を裏付ける確証がない。だから、まだ言わない方が良いだろう、と思ったのだが、マオは唇を尖らせ、視線を落としてしまった。


 その意味が分からず、首を傾げているとマオが尖った口のまま言った。


「イズさんには色々相談するのに……。私にも相談しろ」


 幼い子供の様な言葉を紡ぐマオを見て、ナチとイズは顔を見合わせた。そして、笑うのを我慢しようとして堪えきれずナチ達は盛大にふきだした。大声ではないが、ナチとイズの笑い声が林道に響き渡る。


「何を言うかと思えば、そんな事か」


「そんな事って。何かずるい!」


 頬を膨らませながらイズに猛抗議するマオ。イズは一頻り笑った後に、呼吸を整えながら言った。


「そんな事は気にするだけ無駄だ、とだけ言っておこう」


「え? 言ってよ!」


「ならば、そこの男に聞いてみたらどうだ? 何か分かるかもしれんぞ?」


 マオの顔が勢いよくナチへと向く。「お兄さん」と秋空の様に澄明な青い双眸を向けて来る。目に力が入っているのか眉根が寄り、上目遣いで見つめられてはいるが、抱くのは恐怖のみ。


「マオに何も言わないのはマオを信用してない訳じゃなくて、ただ」


「ただ?」


 ふとイザナとマルコを見ると、穏やかな笑みを浮かべながら、ナチとマオのやり取りを見ていた。老後の円満夫婦みたいな雰囲気を出していないでマオを止めてくれないか、と視線で訴えるも、二人がそれに気付く気配は一向にない。


 二人はにこやかにナチとマオを見続けている。


「ただ……何だろうね?」


 誤魔化した訳でもなく、からかっている訳でもなく、ただ言葉が続かなかった。考えても言葉が出て来ない。その理由も当然分からない。だが、マオがそれで許してくれるはずもなく彼女はナチに詰め寄ると、真っ直ぐに見上げて来る。


「ちゃんと答えてよ!」


「あ、いや、また今度ね。ほら、今は二人の捜索に集中しないと」


「あ、誤魔化した! 誤魔化してる! 年上なのに!」


「誤魔化した訳じゃないよ。誤魔化した訳じゃなくて……とにかく誤魔化してないんだよ!」


 何とか言葉を捻り出そうとして、ナチは思考を凝らす。が、マオが問い詰める為に、顔を近付けてくるために、視線を彼女の顔から逸らした。


 それから、マオから距離を取ろうとして一歩下がろうとするが、マオがそれを許さない。ナチが一歩下がる度にマオも一歩進み、二人の距離は全く変わる気配が無く、至近距離は維持されたまま。


 適当な嘘を吐いて誤魔化すか、とも考えたが、すぐにそんな考えは捨てた。名も知らない敵や他人ならばまだしも彼女は大事な仲間。大事だからこそ、真摯に向き合わなくてはならない。


 つまり、真摯に誤魔化す必要がある。


「適当な事を言いたくないんだ。適当な嘘で誤魔化したくない。だから」


「お兄さん……」


「二人とも、惚気るのはそこまでにしろ」


 惚気てなんかない、とは口にしなかった。いや、出来なかった。イズの声色があまりにも真剣で、冷徹だったから。


 そして、イズは小声で「前から誰かが来ている。一人だ」とぼやいた後、口を閉ざした。ほぼ直角に曲線を描く林道。ナチ達が立っている場所からは林道の先は木が遮ってしまっていて、先が見えない。


 だが、イズがぼやいたすぐ後に足音は聞こえて来た。誰かが来ているのだ。ナチはイズの言葉を事実として捉えると、小さく息を吐いた。


 足音はナチ達の進行方向から響いてくる。ナチの耳ではイズの様に人数までは判然としない。だが、それが走っているという事だけは理解した。走っているという事は緊急事態なのか。走らなければならないほどに逼迫した状況だという事なのか。


 ナチは符をポケットから一枚取り出し、属性を込める準備を済ませる。一度だけ、ちらりと全員の顔を見渡した。イザナとマルコは緊張の眼差しで見えない林道の先を見つめ、マルコがイザナの手を握り、妻の心を落ち着かせようとしていた。


 マオとイズは至って冷静だ。静かに林道の先を見つめ、静かに息を吐き、体を脱力させているのが見て取れた。ナチも一度瞑目し、全身に入っている無駄な力を足裏から大地に放出する様なイメージで抜いていく。最高の反射を見せる準備を整える。


 足音がかなり近くなった。林道を曲がった先にいる。


 イサナとメリナならば、保護。それ以外ならば、無視。盗賊ならば、撃退。


 ナチは符を軽く擦りながら、林道の角を見つめた。角から飛び出してくる人影。それが視界に入った瞬間、ナチは符をポケットにしまった。その人影に符を向ける必要が無いと判断したからだ。


 ナチは瞬きを繰り返し、目の前から走ってきている少女を見た。


 栗色の長い髪を揺らし、強張った表情を浮かべながら、こちらへと向かって来ている少女は、ナチ達に気付くと目を見開いた。それと同時に走る速度を緩める。


「ナチ……」


「どうしたの? マナ」


 ナチ達の前に現れたマナは肩で息をしながら茫然とナチ達を見ていた。強張った表情と見開かれた瞳のまま、ナチ達を見ている。


「お願い……助けて」


 紡がれた声は酷く震えていた。何かに怯えている様な、何か良くない物を見てしまった時の様な感情が潜んでいる。そんな感情を想起させる声だった。


 ナチがマナに駆け寄ると、彼女はナチの腕を掴んで潤んだ瞳で見上げてきた。体を震わせ、まだ呼吸が整っていないのか息も荒い。


「何があったの?」


「小屋に……二人が」


 マナは呼吸を整える為に大きく息を吸って吐いてを繰り返した。


「二人?」


「イサナとメリナが、誰かに襲われてて」


「イサナとメリナが? 襲ってた人達がどんな人だったか分かる?」


 ナチはマナの肩を掴むと少し早口で言った。ナチの剣幕にマナは一瞬だけ驚いた様な表情を浮かべる。が、マナはすぐに首を横に振った。


「分からない。二人が誰かに剣を向けられてて、それで私、助けを呼ばないとって思って」


「分かった。マナ、二人の事は僕達に任せて、君は村に戻って。いいね?」


 マナは小さく二回、頷いた。


「それと村の人達にはまだこの事は黙っておいてほしいんだ。余計な混乱を招く恐れがある。いい?」


 マナはまたも小さく二回、頷いた。


「気を付けて帰りなよ。行きましょう」


 ナチはマナの方から手を放すと、彼女の脇をすり抜け林道を進んでいく。その後ろをマナ以外の全員が続く。角を曲がり、乾いたばかりの土壌を全力疾走。火傷している足裏が痛む。そんな痛みは我慢すればいい。ナチは歯を食いしばって、足を前に出し続ける。


 火傷は時間が経てば治る。跡が残ったとしても、必ず治る。


 けれども、イサナとメリナがここで捕まれば二人の関係性は終わる。どれだけお互いが想い合っていたとしても、権力はそれを簡単に引き裂く。二人の関係性は治せないレベルで断絶される。


 メリナが貴族に嫁げばイサナとはもう対等ではいられないのだ。身分という障害が二人を引き裂く要因になってしまう。それはもう埋められない溝になる。


 もし、二人が本当に駆け落ちしようとしているのならば、これは最初で最後の好機。これを逃せば二人は二度と会えない可能性が高い。


 婚約者を攫った少女に安易に再開させるほど現実は甘くない。きっと、イサナとは会えないように策を弄するはず。フルムがどれだけお人好しで心優しく、人情に富む人物だったとしても、おそらくはそうするはずだ。


 たとえ、フルム本人がイサナとの再会を許可したとしても周りがそれを許可しない。前科というのは分かり易い危険人物指数の様なものだからだ。


 前科があるだけで人は簡単に印象を変える。凶悪な人間だと思い込む。真実の真偽はともかく、過去に罪を犯した人物に妻を引き合わせるなんてとんでもない、と言い出す人物は必ず現れる。


 もし、二人が望む永遠を現実にしたいのであれば、この逃避行は一つの失敗も許されない。


「もし、二人がフルムさんの部下に捕まったら、イサナはどうなっちゃうの? 厳しい罰とかある……のかな?」


 林道を走りながら、マオは弱々しい声を出した。紡いだ言葉も弱々しい。


「罰はあると思うよ。この世界の法がどういう仕組みになっているのか知らないけど、体裁上はイサナに罰を与えると思うよ。お咎め無しには絶対にならないはず」


「示しがつかないから?」


「うん。かなり大事になっているみたいだしね。トリアスの人達は簡単には許さないと思う。あの人達はフルムさんを少し盲目的に見てるから。きっと、イサナを責め立てる。被害者面して毒を吐くんだと思う」


 トリアスの人々が、簡単に許すとは思えない。今でさえ無関係だというのに、イザナ達に身勝手に悪意を向けているのだから、イサナが村に戻りでもすれば、すぐに悪意の矛先はイサナに変更される。


 それを軽減させるためにフルムは形だけでも罰を与える、という形を取るはず。それは実際にイサナがトリアスに戻ってみないと何とも言えないのが現状だ。


 マオからの返答がなく、マオの方へと視線を向けるとマオが瞬きを素早く繰り返していた。大きな目が見開かれ、口を僅かに開きながら、ナチを見ている。


「どうしたの?」


「お兄さんが人を悪く言うのって珍しいなあって。怒ってるのは何回か見たことあるけど」


「それは、まあ。僕も人間だし」


「二人共、雑談は後にしろ。今は足だけを動かせ」


 ナチが頷き、マオが「ごめん」と呟いた後に二人は沈黙し、走る速度を上げた。

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