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四 盗賊

「お兄さん、止まって」


 緊張していると思われる硬い声質。冷たい声音。それは普段の明朗快活な声質のマオとは大きく掛け離れている。その冷たい声がナチの心を急速に冷まし、目の前に置かれた状況を急速に認識し始める。


 目の前には二人の男。


 目元を布で隠し、動物の皮を剥いでそのまま着ている様な野性的な生命力を感じさせる恰好。無精髭が伸びた不潔な男と痩身の男。二人の手には刃渡り二十センチ程のナイフ。それが二人の足下に出来た水溜りに驚喜的に映り込む。


 不覚だ。何という不覚。深い考え事をしていたせいで敵の接近に気付きもしなかった。ナチはポケットから符を取り出し、それを強く握った。


 そして、ナチは視線を背後へと移動させる。無感情の瞳を背後へと向ける。もう一人。二人の男と同じ様な恰好。痩身の男よりも僅かに肉付きの良い体。だが、それでも十分に痩せていると言える体。


 全員がナチよりも上背が高く、口元が良く見える。歪に上がっている口角がハッキリと視界に映り、歯並びの悪い黄ばんだ歯の羅列にナチはほくそ笑んだ。


「邪魔なんですが。どいてもらえますか?」


「女と金。どっちも置いて行け。そうすれば、あんたは助けてやるよ」


 マオを指差しながら、不潔な男は言った。


 盗賊か……。


 人の金品を盗み、それらを売却する事で生計を立てる無法者。時には人すらも拉致し人身売買を行う事もある。この盗賊達が狙っているのは女。つまり、マオだ。金など二の次だろう。容姿が整った少女は高く売れる。それが整っていれば整っているほど。それはどの世界でも同じ。どの世界でも容姿が整っている若い女性は高く売れる。劣悪で醜悪で実に下らない価値観だ。


「お断りします。非売品なんで」


 笑顔で返答すると、ナチに向けられていた指が下ろされ、代わりに向けられたのはナイフ。切っ先が向けられた瞬間に、高鳴る鼓動。吐き出される熱い吐息。憶測に囚われていた思考が、現実を取り戻していく。研ぎ澄まされていく思考は一瞬で氷の様に寒冷を帯びる。


「マオ。後ろ、頼んだよ」


「りょーかい」


 先手必勝。ナチは前方に、マオは後方へと同時に駆けた。属性を付加した符をすぐさま投げ飛ばす。符に込めた属性は「硬化」と「加速」。


 鉄の様な硬度を手にした符は投げ飛ばされた瞬間に加速。目で追えない程の速度を手にした符は反応が出来ていない痩身の男に直撃。符の弾丸が鳩尾に直撃した痩身の男は唾液を盛大に噴き出し、大きく後退。


 呼吸困難に陥ったかの様に息を乱す痩身の男の前に躍り出るのは不潔な男。顔面に向かって突き出されたナイフをナチは顔を捻り、僅かに腰を落とす事で躱す。不潔な男はナイフを自身の胸辺りまで引き戻すと、もう一度ナチに向けて突き出した。


 小回りが利くナイフの利点を生かした素早い攻撃。顔面に向けて放たれたナイフを、ナチは左斜め前に進み、ナイフを持っている右手を右腋で挟む。そして、左手で男の顔面を前に押しながら右足で不潔な男の足を蹴り飛ばす。


 宙を舞いながら、背中から地面に落ちていく不潔な男。ナチは地面に男が落下した瞬間に右腋で挟んだ男の右腕を解放し、右手で男の右手首を掴んだ。左手で男の右肘を持ち、右手でそれを勢いよく曲げる。不潔な男が右手で持っているナイフを男の首元に突き刺そうとする。


 だが、その瞬間男はナイフを手放し、ナイフは男の喉に刺さる事無く地面に落下。ナチは素早く落ちたナイフを手に取り、不潔な男に馬乗りになった。それから、ナイフを男の首筋に当てそれを少しだけ押す。切れる皮膚。そこから垂れる血液をナイフが吸い、地面へと滴り落ちていく。


 不潔な男がナチを振るい落とそうと、腕を動かそうとするが、ナチはそれを膝で踏み潰した。全体重を男の両腕に乗せ、骨を折る勢いで力を加えていく。音を立て始める骨。膝から伝わってくるのは肉が、神経が、骨が徐々に壊れていく予兆。体重を強く乗せる度に大きくなる悲鳴をナチは左手で男の口を塞ぎ、黙らせる。


 そして、最初にナチの符が当たった男がナチへ迫ろうとするが、ナチは殺意を込めた視線を向け男を立ち止まらせる。


「動けば殺す」


 その言葉だけで、男は金縛りにあったかの様に動きを止めた。言葉の鎖が痩身の男の手足を縛り上げていく。ナチはナイフをまた少し不潔の男に強く押し当てる。首から漏れ出る血液量が増え始め、血に濡れるナイフの刀身は徐々に赤で埋め尽くされていく。


 それを見た痩身の男はピクピクと右手の人差し指を動かしていたが、一向に近付いてこようとはしなかった。それでも苛立っているのは何となく分かる。目元は布で隠れて見えないが顎に力が入り、鼻息が荒い。それに右手の人差し指はアルコール中毒者の様に連続して右の太股を叩いている。


「小屋を監視していたのは君達かな?」


「そんな事はどうでもいいんだよ。早く親分から手を放しやがれ!」


 返って来たのは怒気が混じった声。会話をする気は無い様だ。ナチは視線を痩身の男から、親分に移す。「質問に答えてもらっていいですか?」と淡々と聞くと親分は首を横に振った。


 親分が言っている事はおそらく本当だろう。雨が止んでから、まだそれほど時間は経っていない。だというのに二人の着ている衣服は全く濡れていない。湿ってすらもいない。乾燥機が存在しないこの世界で、衣服を速乾させる事は不可能だ。


 そうなると、この三人組は雨を凌げる場所に居た。つまり、この二人は小屋の周りにいた奴等ではないという事になる。


「君達じゃないみたいだね。でも、僕達に危害を加えようとしたのは事実だ。覚悟は出来てるね?」


 ナチは声に冷ややかな感情を込める。半歩ほど後退する痩身の男。親分は体を硬直させ命を凍り付かせた様に動きを止めた。ナチが符を取り出し、属性を込めると背後から物音。ベチャっとぬかるんだ地面に何かが倒れ込む音。その音に不安は抱かなかった。


 ナチは背後を振り返る事無く、痩身の男を見た。完全な脱力。痩身の男は目の前の光景を見て、両腕を力無く垂らし完全にナチを意識から外していた。


「お兄さん、片付いたよ。手助けは?」


 背中に響く声。その声質は明るい。ゴミ捨てて来たよ、と子供が無邪気に母親に告げたかの様に紡がれたマオの言葉にナチは笑みを浮かべた。マオがこの程度の敵に負けるはずもない。そう断定する理由はマオを過大評価しているからではない。共に旅をして、特訓もして、マオの実力は大体把握している。


 彼女は盗賊を倒すだけの実力を持ち合わせている。だから、背後を確認せずとも背後に広がっている光景を容易に想像できる。


「必要ない。今からこっちも片付ける」


 ナチは痩身の男に向けてゆっくりと符を投げ飛ばした。


「そんな攻撃が当たるかよ!」


 痩身の男は目の前をゆらゆらと浮遊する符を右手で掴み取った。男の手に収まる符。その瞬間にナチは霊力を指先から放出し、属性を具象化。「雷」。痩身の男の右手から放出される青雷。逆立つ髪の毛。ピンと伸びる背筋。電流は男の全身を駆け巡り、周囲に肉が焦げた様な臭いを撒き散らしていく。


 ナチは親分の口から手を放し、ポケットから二枚の符を取り出した。属性を付加。「音」。


「テメエ! よくもガリシュを!」


 唾を飛ばす親分を無視して、ナチは符を丸めるとそれを親分の両耳にねじ込んだ。そしてヘッドフォンの様に両手を親分の耳に重ね、塞ぐ。


「何をしようとして」


「すぐに分かるよ。ハイレゾだ」


 外耳道に突っ込んだ符。ナチは霊力を流し、符に込めた属性を具象化する。


 耳の奥で鳴り響く爆音。鼓膜は一撃で損傷。生み出された破砕音は瞬く間に中耳に侵入し、耳小骨を破壊。その瞬間、親分の耳は蝸牛に伝える振動量を調節できなくなる。つまり、ナチが生み出した爆音はそのまま内耳へと伝わっていく。中耳を破壊し尽した爆音は内耳へと到達。


 三半規管、蝸牛を損傷させ、そのまま爆音は親分の脳内に侵入しようとする。だが、ナチはそこで音の属性を停止させた。


 親分の耳を塞ぐ両手に伝わる振動が消えていく。何も感じなくなる。それを確かに肌で感じ取ると、ナチは親分の両耳から両手を離した。

 

 手の平に付着した赤い液体。血。それからナチは手の平から、親分の右耳へと視線を移した。耳の穴から零れる大量の血液。


 符を解除したにも関わらず、絶えず流れ続ける赤い液体から視線を外しナチは霊力を放出。「雷」の属性を込めた符も停止する。収まっていく青雷と共に逆立った髪は元に戻って行く。けれども、ピンと伸びた背筋はそのままでガリシュは背中から地面に倒れた。


 背後にあった水溜りに勢いよく倒れ込むガリシュ。水飛沫を辺りに飛ばしながら黒い煙を上空に放出し続けるガリシュには目も暮れず、ナチはようやく背後へと振り返った。


 イズを胸に抱くマオと倒れ込む男。白目を剥いている男の服には霜がほぼ全身に付着し、どう倒したのかは分からないがあまり想像しないように心掛ける。


 戦闘はいつだって残酷で暴力的だ。戦闘というのはそうあるべきだとナチは思う。美しい戦闘など存在しない。


 戦闘を美学と捉える輩が一定数存在するがナチはそうは思わない。美しい剣技も魔王を打ち倒した勇者も、全ては暴力で成し得た蛮行だ。暴力は醜悪で在り続けるべきだ。剣は人を殺す為に作られた武器であり、勇者も魔王も醜くあるべきだ。


 世界を救う大義名分があろうとなかろうと、勇者だけが称賛される理由をナチは理解出来ない。勇者も魔王も掲げている正義が違うだけでやっている事は同じだ。民を守る為に人間を殺す。世界を救う為に悪魔を殺す。同じだ。皆、自らの正義を持ち合わせている。


 この世には正義しか存在しない。そして、誰かの正義が誰かの悪になる。


「遅いよ、お兄さん。どんだけ時間かけてるの?」


「待ちくたびれたぞ」


「情報収集もしてたんだよ」


「「情報収集?」」


 マオとイズが同時に首を傾げる。


「小屋の周りに居た奴等がこいつらかもしれないでしょ?」


「あーなるほど」


 マオが頻りに首を縦に振った。


「それでどうだったのだ?」


「こいつらではないと思う。少し脅してみたけど本当に知らない様子だったし、断言しても問題ないと思う」


「少し? あれで少しってお兄さんやば……」


 引き気味で顔を引き攣らせているマオに「別にあれくらいは普通だよ」と切り返す。すると、呆れた様に息を吐いた後に「はいはい、分かりました。普通です普通」とこぼした。


「とにかく、この男達は小屋の周りに居た奴等とは無関係なのだろう?」


「そう。無関係」


「ならば、早くトリアスとやらに向かおう。こんな場所でうだうだと悩むよりも余程有意義に情報は得られる。そうだろう?」


 ナチが頷くと、マオも頷いた。


「行くぞ」

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