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四 風

 日が昇る少し前に、ナチは目を覚ました。


 朝特有の冷たい空気にナチは体を震わせながら、体を起こした。体を起こすと同時に、木製ベッドが軋み、ナチは宿に泊まっている事を思い出す。この超能力の世界に降り立ったことも、ウォルフ・サリと呼ばれる謎の集団のリーダーと話した事も。


 昨日はマオに宿まで送ってもらい、寝ていた店主を無理矢理に叩き起こし店を開けさせ、手続きをしたのだ。叩き起こしたのがマオだったから罵声を浴びせられる事も皮肉を言われる事も無く穏便に済んだが、これがナチ一人だったら間違いなく摘み出され、出入り禁止にされていただろう。


 ベッドから降りたナチは、床に無造作に置かれている上着を手に取り、それを羽織った。冷え切った上着を羽織った事によって体温が一気に下がった気がしたが、すぐに体温によって上着は温められる。


 ふらふらとした足取りで、扉へと近付いていく。扉に触れると同時に大欠伸を書いた。


 確か、宿屋を出てすぐを右に出れば井戸があったはずだ、と思いながら、ナチは扉を開け部屋を後にした。ナチが止まっていた部屋は二階。全部で三部屋ある内の一番奥の部屋にナチは泊まっていた。


 未だに覚醒の時が訪れない寝惚けた頭で、階段がある右側をぼんやりと見た。


 目を手で擦る。気のせいだろうか。昨日出会ったばかりの薄いオレンジ色の髪が見えた様な気がしたが。いや、気のせいだろう。彼女だって朝は忙しいはずだ。彼女はうら若い女の子。朝の身だしなみは入念。起床したら顔を洗って適当に髪型を整えるだけのナチよりも掛ける時間が桁違いだ。


 こんな早朝にナチの前に現れるはずがない。


 念入りに目を擦り、再び目を開く前にナチに向かって声は掛かった。


「おはよう、お兄さん」


 気のせいではない。ナチは目をしっかりと開く。そして、視界にオレンジ色の少女を捉えた。爽やかな笑顔を浮かべながら、彼女は腰に手を当ててナチを見上げている。


「おはよう、マオ。どうしたの?」


「迎えに行ってあげようと思って。迷子になったら困るでしょ?」


「ありがとう。それは助かるよ」


 実際、マオの提案は本当に助かる。当然と言えば当然だが、ナチは土地勘が無い。ウォルケンの地理は把握していないし、昨日だってマオの案内でここまでたどり着く事が出来た。もしマオの案内なしでウォルケンを回れば一瞬で迷子だ。それは断言できる。


 道すがら人に道を尋ねれば問題は無いが、どうせなら最初から案内してくれる知己の者であった方が気が楽だ。


「じゃあ、早く行こう」



 何故か、マオがナチを急かす。背中を力強く押され、その理由が分からぬままナチは階段を駆け下ろされ、急速にチェックアウトの手続きを行わされた。


 まだ早朝という事もあり、宿屋の主人も機嫌が悪い。あんたか、という目で見られたが、それをまじまじと見る前にマオがナチの腕を引っ張り、宿の外へと連れだした。


 外へと出ると既に空は白み、商店や露店の主人達が開店準備を始めている姿がちらほらと見えた。店に並ぶ青果や生鮮食品。木箱から取り出される布類や衣服。貴金属を加工し、透明な硝子細工をあしらったアクセサリー類が並んでいく。それを横目に見ながら、ナチは直進していく。


 商人達が見えなくなり、進む路地に目当たらしい物がなくなると同時にナチは視線を前方へと向けた。隣でナチの腕を引っ張り、先を急かすマオを一瞥する。何故こんなにも焦燥に駆られているのかは分からないが、確かに日の出まで時間はギリギリだ。


 それに対して焦っているのだろうか。


 ナチは何気なく今日のテストに対して思いを馳せると共に、口に出した。


「テストって何やるか知ってる?」


「さあ?」


 マオは両手を翻しながら、苦笑を浮かべた。そんな質問よりも早く歩け、と言わんばかりにナチの背中を押し始める。


「サリスと戦ったりするかもね」


「それは嫌だな」


 その光景を想像して、ナチも苦笑を浮かべる。あのサリスという男は間違いなく強い。きっと、ラミルよりも強い。そう思ってしまう程に強者としての風格が滲み出ている。


「サリスってさ、強いの?」


 自分でも抽象的な質問だと思った。子供染みた質問だな、とも。


「強いよ。多分、お兄さんよりも」


「ラミルよりも?」


「多分、サリスの方が強い」


 それだと少しおかしい。胸の内に浮かび上がった疑問をナチはそのまま言葉に変換し、口にした。


「なら、僕に頼まなくてもサリスに頼めばいいんじゃないの?」


「頼んでないと思う?」


 少し嫌味が含まれた物言いだった。当然だ。この街に滞在している期間はマオの方が長いのだから、そんな事思いついていて当たり前だ。頼れる者は全て頼った後なのだろう。頼って頼って頼って、全て頼った末に余所者のナチに頼んでいるのだ。


 愚問だった、とナチは軽くマオに謝罪した。



「どうして引き受けてくれなかったの?」


「多分だけど、サリスはラミルから街を守るつもりはないんだと思う。サリスが守りたいのは、ウォルフ・サリだけなんだよ」


 なるほど、と思いながらナチは一度、小さく欠伸を掻いた。マオには気付かれない様に、音は極力抑えて。


「そう言えば、ウォルフ・サリって何なの?」


 そんな事を呟いた時だった。前方に見える、弧を描くようにして造られている石橋が見え始め、その下を流れる河のせせらぎが聞こえ始めた時、目の前を高速で何かが通り過ぎた。その後に響く破壊音の後に聞こえた高らかな笑い声。


 左から右へと眼球が動く。ナチの意識は稲妻の如き速さで覚醒し、ナチはマオの腕を引っ張り無理矢理に後方へと下がらせた。覚醒した意識がナチに告げる。先程、高速で通り過ぎていった何かの正体を。


 性別や年齢は吹き飛ばされた速度が速すぎて詳細には分からないが、吹き飛んでいったのは人だ。


 ナチは家屋に近付き、壁に貼られていた羊皮紙(ようひし)を手に取った。人相書きがされている事から、おそらく手配書だと思われるが、ナチは容赦なく羊皮紙を縦に引き裂く。


「助けるの?」


 そして、引き裂いた羊皮紙を重ね、今度は横に引き裂いた。それを何度も繰り返し、一枚の羊皮紙から数十枚の紙を作り上げる。何枚あるかは分からないが、これだけあれば符が戦闘中に起きることは無いだろう。

 

「助ける」


 全てを符に変換すると、まるで望んだ答えをそのまま貰えたかのように穏やかな微笑を浮かべているマオを見た。


「マオは下がってて。近付いちゃダメだよ」


「はーい」


 マオの軽い応対には反応せず、ナチは数歩踏み出すと右側を見た。吹き飛ばされたのが何だったのか、確認する。


 やはり、人だ。


 茶色の髪を無造作に伸ばし、片目を細めて胸部を右手で押さえている少年は痛みによって表情を苦痛に歪めている。苦しげに繰り返す呼吸は空気を十分に吸引できていない証明。肋骨が折れたか、それとも肺が衝撃で圧迫されたか。どちらにせよ、呼吸がままならないのなら敗色は濃厚だ。


 筋力不足のか細い体に、ナチと同程度の上背の若い少年が、砕けた木箱と木樽の上で額から血を垂れ流し、呼吸がままならない事と胸部の痛みで苦悶の表情を浮かべている。それでも彼は地面に手を着き、立ち上がろうとする。


 少年の額から流れていく血液が鼻筋を通り、口へと進入していく。それを飲み下した瞬間、少年は勢いよく咳き込んだ。咳き込む度に胸部を押さえ、呻いている。それを見て、確信する。肋骨の骨折は決定的だ。


 けれども、咳き込みながら少年は立ち上がった。歯を食いしばり、呼吸は覚束ないのにそれでも眼前を見据える。


 少年は腕を一杯に振ってナチの前を通過し、ナチの左側へと全力疾走。ナチも少年を目で追っていく。



 走っていく少年の向こう側。そこに立っている人物を見た途端に、ナチは目を見開いた。持っている符を全て落としそうになる。


 金髪の髪を後ろで縛り、昨日とは違う血で汚れていない白いシャツを着用し、シンプルな黒いズボンを穿いた青年。


 狩人の様な鋭い視線を少年へと向けているその人物は、ラミルだ。


 ラミルの右腕が少年へと向けられる。その瞬間、突き出されたラミルの手の平に何かが収束していくのが見えた。


 空気だ。ラミルの手に集まっているのは間違いなく空気。景観(けいかん)が歪み、ラミルの姿が不明瞭になっていく。そして、ラミルの前に集められた膨大な量の大気は、少年が最もラミルに接近した瞬間を狙って撃ちだされた。


 大気が解放される。それは風の弾丸となって、少年にほぼ零距離で激突する。その威力を物語る様に、少年は派手に地面を転がっていき、ナチの右側へと吹き飛ばされていった。


 再び木箱と木樽(きだる)に激突して、少年は静止した。とてつもない既視感を抱きながら、ナチは吹き飛ばされた少年を見た。気絶している。気絶しているのだから、当然戦意は無い。


 だというのに。


 ラミルは更なる大気を手の平に収束させ、それを茶髪の少年へと放とうとしていた。歪む景色の向こう側で、ラミルが下卑た笑みを浮かべているのが見えた。


 ナチは一歩踏み出す。その背に、背後から声が掛かる。



「行くの?」


「うん」


「気を付けてね」



 ナチは首を縦に振り、ラミルの直線上に立った。


 これがマオの言う理不尽な暴力。弱者を一方的に屠り、弱者を徹底的に痛め付けるだけの矜持もへったくれもない戦いの道理。


 戦闘に美学は宿らない。戦闘は常に暴力的。そんな事は分かっている。どこまでいっても符術も魔術も魔法も異能も人を殺める道具に利用される事を。


 だから、ラミルの異能の使い方は間違ってはいない。人は強大な力を手にすれば自惚れ、自身の価値を見誤り、助長された自己顕示欲は他者よりも優位に立った気にさせる。


 生まれ持った力が強大で、唯一無二の稀少性を宿していればいるほど、優劣の価値観を見失い、人は優越感の悦楽に酔いしれる。


 目の前で暴風の化身となっている青年。風を操る能力はきっと、この世界で稀少性が高く強大な能力なのだろう。だから彼は正しく自惚れ、価値を見誤り、人の優位に立っていると錯覚している。


 その結果が他者を傷付けてしまっていいという歪んだ倫理に繋がっているのは、もはや救いようがない事実だ。


 もう、その感覚は死ぬまで矯正できないよ、ラミル。

 

 ナチは放たれる風の弾丸に向かって、符を投げ飛ばした。









「ちょっと、止めに行かなくていいの?」


「まあ、もう少し待て」


 路地裏に隠れる様にして、リルとラミル。そして、ナチを見つめるシャミアとサリス。


 シャミアがサリスの袖を力強く引っ張り、サリスを強引に振り向かせる。


「危なくなったら助けるんじゃなかったの?」


「まだ大丈夫だ」


 シャミアはラミルの風を直撃して吹き飛ぶリルを見て、サリスを睨む。少し離れた場所で隠れている二人の所まで聞こえてくる、木箱が砕ける音。


 早く助けに行け、とシャミアはサリスの背中を押す。


「どこが、大丈夫なのよ?」


「ほら、見てみろ?」


「はあ?」


 言われるがまま、シャミアは首を動かし、サリスの背からリル達を覗き込んだ。


 ラミルの直線上に堂々と立つ青年の姿がシャミアの瞳に映った。白と黒が複雑に混ざり合ったボサボサ頭の青年。


 今朝、マオに強引に巻き込まれ、サリスに訳の分からないテストを課せられた不遇な青年が、リルを助ける為に立ち上がっていた。


「俺の言った通りだろ?」


「そういう事じゃないでしょ!」


 シャミアはサリスの背中を思い切り殴る。鈍い音が鳴ると共に、サリスは膝を着いた。呻き声を漏らしながら、サリスはシャミアを見上げた。


「お前が助けに行けば良くないか?」


「……分かってるでしょ?」



 サリスは、それ以上何かを言ってくる事は無かった。分かっているのだ。シャミアの能力はラミルの能力に比べると非力だ。


 格闘センスや筋力がどれだけラミルよりも優れていようが、吹き荒れる暴風の前に、それらは意味を成さない。


「……とりあえず、助けには入ったな。一応、合格点をくれてやるとするか」


「本当にテストしてるの?」


「当たり前だろ」


 シャミアは半ば呆れながら、事の成り行きを見守る事にした。


「あの力は……」



 サリスが何かを呟いたが、ラミルが撃ち出した風のせいで聞き取る事は出来なかった。


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