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二十 水蒸気爆発

 可燃性ガスに引火した瞬間、大爆発を引き起こす結界内。結界を張っていた符は衝撃で吹き飛び、炎と砂塵が全方位に向かって弾き出される。赤一色に染まる街道に遅れて黒煙が混じり、赤と黒の対比で視界は埋め尽くされていく。


 爆発によって生じた爆風が少し離れた場所に居たナチ達にまで伝わってくるのだから、爆発の中心地に居た喰蝦蟇は一溜りもないだろう。それだけの威力、勢い、衝撃だった。例え強靭な肉体を有するイズやクィルでも、直撃していれば間違いなく命を奪えていた。その自信がナチにはある。


 ナチは静かに勝利を確信し、砂塵と黒煙が晴れるのを待った。


「何だ、今のは……」


「やりすぎだよ、お兄さん……」


 二人の驚嘆混じりの声を聞きながら、ナチは爆発の中心へと視線を向け続ける。黒煙と砂塵が渦巻き、状況把握が未だに出来ない。この戦闘を終了に導いてくれる喰蝦蟇の死体を確認するまでは集中を切らす訳にはいかない。爆発により肉体が爆散した可能性もあるが、肉片は地面に拡散され残っているはずだ。


 ナチは緊張と勝利への確信によって震える手を強く握り締めた。正にその時だ。

 

「ナチ! 上だ!」


 ナチが視線を前方に向け続けていると、突如として響き渡るイズの大声。ナチの視線が迅速に上を向く。空一面を覆っていたはずの澄明な青は失われ、ナチの上空を黄土色に染め上げる陽光を遮る程の巨大な影。頭上から落下してくるそれは喰蝦蟇だ。


 ポケットに符は無い。地面の雑草を取っている暇もない。避けられない。ナチは歯を食いしばり、喰蝦蟇の腹を凝視する他なかった。徐々に視界を埋め尽くす黄土色の腹。隣に立つマオの様子を確認する余裕もない。ナチは無感動に落下してくる喰蝦蟇を見つめ、諦めと共に短く息を吐いた。


「諦めるでない、この馬鹿者!」


 イズの腕が伸びる。急速に引き寄せられるナチとマオは巨大なイズの手の中に収まると、視界が後方へと下がっていく。遠ざかっていく黒煙と炎。その景色を遮る様に、喰蝦蟇が地面に落下する。


 ギリギリだ。あと数秒遅れていたら、ナチとマオは喰蝦蟇に押し潰され命を落としていた。冷や汗が頬を伝い、一瞬でも生への執着を見失った事にナチは嘆息しつつ、汗を拭う。ナチが静黙していると眼前に落下した喰蝦蟇と視線が重なった。火を吐瀉し続ける喰蝦蟇は忌々しそうにナチを射抜いている。


 薄気味悪い色をした、濁った紫色。ナチはその視線から目を逸らすと、喰蝦蟇の全身に視線を移動させる。焼け爛れた皮膚。破裂した水泡。そこから出血している赤い液体。それは間違いなく血だ。致命傷ではないが、それでもダメージは与えられている。


 でも、駄目だ。バックドラフトを応用したガス爆発では火力が足りない。威力も足りない。もっと強力な力でないとブラスブルックの悪魔は倒せない。


 だが、あの大爆発は必勝の策だった。絶対に倒せると確信して実行した策だった。もう一度、同じ策を行うか。芸がないと言われればそれまでだが、直撃すれば倒せる自信はある。


 けれど、同じ爆発現象をもう一度引き起こすには問題がいくつも存在する。


 先程までは喰蝦蟇が胃の中で燃え続ける炎に動揺して、あまりその場から動かなかった。その結果、風の結界に押し留める事が可能になり、酸素濃度の調整、可燃性ガスの移動、火種の調整、追加、再燃という時間と手間が掛かる入念な準備を行う事が出来た。


 けれども、そんな時間と手間が掛かる策はもう用意する事が出来ない。喰蝦蟇は胃で燃え続ける火を意にも介さず、ナチ達に向かって次々と追撃してくる。炎を纏う舌を伸ばし、跳躍してはナチ達を圧殺しようと躍起になり、ナチの炎を利用して竜が火を吐く様に喰蝦蟇も口から漏れる火をナチ達に吐き出そうとする。


 ナチとマオはイズの背に乗り、喰蝦蟇の周囲をグルグルと回り続けていた。ナチが生み出している火によって迂闊に接近する事は出来ず、かといって距離を取りすぎれば、喰蝦蟇の意識がブラスブルックに向いてしまう。結果、付かず離れずの距離を保ち、策を急遽練り直す必要があった。


「あれでも死なぬとはな。化け物め」


 苛立ちが多分に含まれたイズの嫌味にナチは苦笑し、イズの毛を掴む力を強めた。早く答えを出し策を実行しなければならないのは分かっているが、焦燥に駆られれば駆られる程に思考は狭まっていく。短絡的な発想しか生まれてこなくなる。だが、この状況で焦りをせき止める事も敵わず、ナチは狭量の悪循環に陥ろうとしていた。


「でも、ダメージは受けてるよ。お兄さん、次は?」


「待って。後もう少しだけ」


「だったら、私達が時間を稼ぐよ! お兄さんが考える時間を」


「時間は我等がいくらでも稼いできてやる。お前がいなければ、この戦闘はとっくに我等の敗北で幕を閉じておる。自信を持て」


「お兄さんなら、思いつくよ」


 マオがナチの肩を小突き、イズが言葉だけでナチを激励する。二人に感謝の意を示しつつ、ナチは再び必勝の策を打ち立てていく。二人が時間を稼いでくれれば、もう一度同じ策を講じることは可能だ。胃の中には燃え盛る炎が猛々しく燃え上がり続け、草原を燃やす火種は常に可燃性ガスと一酸化炭素を生み出し続けている。


 そして燃え続ける胃内では可燃性ガスと一酸化炭素の他に、気体が温め続けられた事により気体の分子が電離し、電離によって生じた荷電粒子を含む第四の気体プラズマが発生している。プラズマが持つ高い熱、エネルギーを利用すれば、爆発の威力を底上げし先程の爆発を上回る大爆発を起こせるはず。


 策は思い付いた。後は策を実行に移す為に必要な量の符を調達するだけだ。策を実行する為に必要な符の量、属性を脳内で計算し想到すると、イズが喰蝦蟇の正面に回り込んだ瞬間に戦闘中とは思えない様な緩やかな挙動で立ち止まった。


「イズ?」


 イズの名を呼ぶが、彼女は無反応。彼女は口を半分ほど開き、視線を一点に集中させている。ナチは首を傾げつつ、彼女が見ている方角へと自身も目を向けるとすぐに彼女が茫然としている理由を察知した。


 喰蝦蟇の前方に吐き出されたピンク色の著大な袋。二階建ての家屋の上背を超える上背を有するイズを丸呑みしても収容できそうな巨大な袋の中で、煌々と輝いているのは赤と橙。あれは高温を宿す火だ。三十メートルは離れているはずのナチ達にもその熱波が押し寄せてくるのだから、火で間違いない。それはナチが符術で今も生み出し続けている炎だ。


 そして、喰蝦蟇が吐き出したピンク色の袋が何なのかナチは知っていた。ナチもその習性を行うという知識だけは蓄えてはいたが、実際に見るのは初めてだった。


「あれは……胃だ」


「胃だと?」


「胃? あれ胃なの? きっも……」


 似た様な反応を示す二人。マオなんかは細い腹を擦りながら顔を顰めている。それを見て、ナチは苦笑しつつ淡々と首を縦に振った。


「蛙は胃の中に異物が入ると、胃袋ごと吐いて異物を取り出すんだ。あれは僕の符を取り出そうとしているんだと思う。まさか本当に胃袋を吐き出すなんてね……気持ち悪」


「それってやばいんじゃないの? だって、あの炎って符術で生み出してるんでしょ?」


「うん。状況はすこぶる良くないね。控えめに言ってピンチじゃない?」


「何で笑顔なの? 馬鹿なの?」


「どうするのだ?」


「まあ策が無い訳じゃないんだけど……」


 策はある。先程思い付いたプラズマを効果的に利用した高火力、高威力のガス爆発。とは言ってもそれを実行する為には入念な準備が必要になる。そして準備が整う前に符が喰蝦蟇に破壊される可能性は高い。策を実行するのならば、すぐにでも始めなければ間に合わない。


 ナチがイズの背から飛び降りようと体を起こした時、唐突にマオがナチの袖を引っ張った。あまりの強さに袖が引き千切れ、ナチのコートは無残にも可燃ゴミに一歩近づいた。


「お兄さん、あれ見て」


 マオが少し困惑した様な表情をしながら、指で喰蝦蟇の胃袋を指し示す。先程と、何も変わらない炎を内包した胃袋。赤色がピンク色の向こう側からうっすらと見えるだけで、マオが何を伝えたいのか、ナチには理解できなかった。


「どれ?」


「あれ。胃袋の中に何かある」


 マオが指し示しているのは、胃に開いた大きな穴だ。その穴から漏れ出ている炎。マオが指差しているのはその炎の先だ。


 ナチは猛る炎の先に目を凝らす。踊り狂っているかの様にゆらゆらと揺れる炎の先に見える赤色の塊。それはかなり大きな塊だ。おそらく全長はナチよりも大きく、少なく見積もってもナチの倍ほどはある。


 喰蝦蟇が胃袋を動かすも、それは喰蝦蟇の膂力では持ち上げられない程に過重で微動だにしない。そのせいか、胃袋を吐き続けている喰蝦蟇の前足が慌ただしく胃袋を揺らしている。

 簡単に言えば、焦っている様に見えた。


「あの赤黒いのは……」


 ナチは首を傾げながら、それを凝視する。炎の熱量と勢いに目が猛烈な勢いで乾き、瞬きを繰り返しては胃袋の中で赤黒い光を放っている何かを凝視する。


「あれは……」


 ナチはイズの背から降りると、焦げた雑草を引き千切った。五枚の符に「火」の属性を付加し、それを胃袋に開いた穴に向かって投げた。胃袋に開いた穴からそれを通し、属性を具象化する。猛る炎に一瞬で飲み込まれた符は勢いを助長させ、温度をさらに上昇させる。


 そこに膨大な量の酸素を追加供給。さらに火の勢いを強める。


 すると、暗赤色の塊に変化が現れた。黒が抜け、より鮮やかな赤に近付いていく。温度上昇に伴い、色が変わる物体。それは高火力に耐え得るだけの強度を持ち合わせ、喰蝦蟇の両腕では持ち上がらない程の重量を有している。


「あれは多分、鉄? 」


 鉄だと断定する事は出来ないが、それでもナチの知識と現状を照合すると鉄だと推測するのが最も無難。ナチはあの赤色に変色した塊を鉄と断定し、無理矢理に腑に落とす。


「鉄? 何故、鉄が胃袋の中にある?」


「分からない。食べたって考えるのが自然なんじゃない?」


 そう考えれば、胃袋を吐き出した理由にも納得がいく。喰蝦蟇が異物と感じた物体は符ではなく、高火力の炎によって急激に温められた鉄の塊だ。


 そして、体内に留めておくには苦痛を感じる程に温められた鉄を胃袋ごと吐き出したまでは良かったが、その後に自分が重大な過ちを犯した事に喰蝦蟇は気付いてしまった。


 四肢を駆使する事でようやく持ち上がった鉄の塊を二本の腕だけで持ち上げる事は難しい。その証拠に喰蝦蟇は腕で胃袋を持ち上げようとしては断念。それを今も繰り返している。


 それに鉄は現在、鮮やかな赤色をしている。細かい温度は分からないが、現状の鉄の温度は約七百度から、八百度。それもナチの炎によって温度は上昇し続けている。そんな超高温の物体に触れれば、喰蝦蟇だろうが熱傷は免れない。


 迂闊に触る事は許されず、胃袋から異物を取り出す事も出来ず、胃袋を体内に戻す事も出来ない。詰んだ。目の前の化け蛙は、文字通り詰んだのだ。喰蝦蟇が状況を打開する策があるとしたら、胃を引き千切るか、胃に大穴を開け、鉄塊だけを取り出すか。


 だが、そんな時間をナチは与えない。与えるつもりもない。


 ナチは地面に広がる雑草を、大量に引き千切る。細かく千切り、数を増やす。すぐに雑草は百枚を超え、ナチの手の平には大量の緑が積み重なっていく。それら全てを符に変えると同時に、濃い緑は白く変色。属性も付加。全てに「氷結」。


 高温に温められた鉄と吐き出された胃袋。氷を作る能力を持ったマオ。ナチは思い付いた策を変更し、すぐに代替案を脳内で編集。すぐに編集を終わらせ、ナチはマオの肩を叩く。


「マオ。お願いがあるんだ」


「さっきもそんなこと言ってなかったっけ?」


 マオが若干の拒否を表情に込めつつ、イズの背から降りてくる。


「言った。大丈夫。今回はもっと簡単だから」


「えーなんか嫌なんだけど……。一応、聞くけど何をすればいいの?」


「胃袋に氷を大量に詰めて」


 マオが首を傾げる。馬鹿なの? と思いきり揶揄する様な視線がナチに送られてくる。


「大丈夫。僕を信じて?」


 ナチが笑顔で言うと、マオは一瞬の内に真顔に戻り、イズに抱き着いた。


「怖いよ、イズさん。お兄さん絶対、何か怖いこと考えてる」


「大丈夫だ、マオ。さっさと氷を詰めろ」


「私の味方は居ないのか……?」


 イズから離れたマオは、怨敵に向ける様な鋭い目付きをしながら、喰蝦蟇の胃袋を睨んだ。マオの頭上に生み出される氷塊。歪な形をしたそれは、今のマオの精神状態を表している様でもある。


「もう何でもやってあげるよ! 後で後悔しても知らないからね!」


 目尻に涙を溜めるマオは氷塊を胃袋に向けて射出すると、次々に氷を精製。胃袋に向かって飛んでいくマオの氷は胃袋に侵入すると、一瞬で蒸発し気化していく。ナチも手の平に積み重ねられた符に、息を吹き掛け、全ての符を胃袋内へと侵入させる。


 その瞬間に属性を具象化し、氷結した符は一瞬で、気化。それを繰り返す。それから胃袋内に侵入させてあった「大気」の属性を使用し、胃袋内を密閉(みっぺい)空間に変える。最後にマオが巨大な氷塊を胃袋内に侵入させると同時にナチは声を張り上げた。


「イズ! 離れるよ!」


「あ、ああ」


 戸惑い気味のイズはナチとマオを手で掴み背中に乗せると、喰蝦蟇から全速力で距離を取り始める。半ば焼け野原と化している街道をナチ達は駆け抜け、ブラスブルックとは反対方向へと進んでいく。


 そしてイズが喰蝦蟇と五十メートル程の距離を取り、街道に生える一本の常緑樹を通り過ぎた瞬間、先程までナチ達が立っていた場所で大爆発が起きる。


 耳を覆いたくなる程の爆音の後に、天高く舞い上がる砂塵と、黒煙。爆発と同時に発生した爆風と衝撃波により、鈍器で思い切り殴られたかの様な強い負荷がナチ達の背中に掛かる。それをイズの毛を必死に掴む事で耐え忍ぶ。殴られてもいないのに軋み出す背骨の音を耳にしながら、ナチは必死に歯を食いしばる。


 ナチが起こしたのは、水蒸気爆発と呼ばれる爆発現象。


 ナチとマオが大量に胃袋内に入れた氷。それらは一瞬で気化し、胃袋内に水蒸気として溜まり続けた。そして最後に放り込んだ巨大なマオの塊。不純物を一切含まない純粋な水の塊。


 おそらくあれが、水蒸気爆発が起きる引き金になった。


 熱せられた水が水蒸気に変換された場合、体積が千七百倍となり急激に密閉空間内を埋め尽くしていく。そして密閉空間と化した胃袋内は既に溜まりすぎた水蒸気で飽和しようとしていた。そこに巨大な氷の塊が一瞬で気化。胃袋内で急激に気化、膨張し続けた水蒸気は密閉していた物質、すなわち胃を破砕しながら、ナチが張っていた空気の膜を打ち破ると共に、水蒸気爆発を引き起こした。


 衝撃波に押されたのか、走る速度を上げたイズは膝を大きく曲げ跳躍すると、背後に体を向けながら地面に着地した。


 イズが体の向きを変えた事によって水蒸気爆発の爆心地がナチ達の視界に映り込む。


「お前は……。あれ程の規模の爆発を起こすのなら、先に言っておかぬか! 馬鹿者!」


「本当だよ! お兄さんのアホ! 死ぬかと思ったわ!」


 次々に言い放たれる罵声にナチは思わずたじろぎ、頬を掻きながら苦笑を浮かべた。


「ごめん。でも、緊張感あってよかったでしょ?」


「良くないわ! 馬鹿者!」


「良くないわ! アホ!」


 ほぼ同時に詰られ、ナチは「あはは……」と笑って誤魔化し、爆発の影響で空高くまで昇った砂塵と黒煙を見つめた。今度の爆発は逃れようがなかった。爆心地が胃袋で、それは肉体と繋がっている。爆発を回避する事は出来なかったはず。だが、それも胃を切り離せば可能になる。


 喰蝦蟇が生存本能に従って胃を切り捨てた可能性は零じゃない。死に瀕した生物が見せる生への執着は異常だ。あり得る。喰蝦蟇が生きている可能性は十二分にある。


 死んでいてくれ、と祈りながら、ナチは風に乗って晴れていく爆心地を見続けた。


 砂塵が晴れていく。右から左に。緩やかに流れて行く。


 先ず見えたのは、後ろ足だ。力無く伸びた黄土色の後ろ足が二本見えた。


 それから次に見えたのは、腹と背中。ナチが生み出した炎とバックドラフトによって焼け(ただ)れた皮膚と筋肉。黄土色を塗り潰さんとする赤色が顔に向かって広がっている。潰れた水泡は数えきれない程あり、そこから絶えず流れる血液は地面を赤く染めていた。


 ナチは、ゆっくりとそこから左に視線を送った。砂塵の流れに合わせて、視線を動かしていく。砂塵が晴れる。完全に喰蝦蟇から離れていく。


 砂塵が消え去り、喰蝦蟇の姿が晴天の下に晒される。


 背中と腹。そこから先は、存在しなかった。消失した顔と胃袋。前足の肘から先が、力づくで引き千切られたかの様に無くなっていた。顔が失われた箇所には、臓器なのか血管なのか分からないが、赤く太い管の様な物が無数に伸びていた。


「勝ったのか……?」


 マオがナチの肩を強く叩き、揺する。肩が揺れる度に全身が揺れ、目の前の景色も揺れる。喰蝦蟇の体が揺れ、動いているかの様にも見えた。


「勝ったんだよお兄さん! 私達、勝ったんだよ!」


「まさか、本当に倒すとはな……」


 全身で喜びを表現しているマオと、驚愕に包まれた震えた声を上げるイズは感嘆の吐息を漏らすと同時にナチ達から視線を逸らし感涙していた。彼女達の反応を見て、ナチはようやく目の前の光景が現実なのだと理解する。


 勝利したのだ。喰蝦蟇を倒す事が出来た。だというのに、まだ勝利を疑っている自分がいる。また空中から飛来してくるのではないか、と何度も上を見てしまう。左から右から、地面から突然現れるのではないか、と懐疑的になってしまう。


「どうした? もっと、喜んだらどうだ?」


 背から下りたナチにイズがくぐもった声で言った。


「……なんか、倒した実感が無くて」


「お前達が倒したのだ。もっと堂々と勝利の余韻に浸っておれ」


「そうだよ! 倒したのに、どうしてそんなに暗い顔してるの。もっと喜びなよ」


「……そう、だね。倒したんだから、喜ばないとね」


 笑顔でそうは言いつつも胸に膿の様に溜まり続ける疑念は消える事は無かった。こればっかりは性格的な問題かもしれない。死亡した事実が確認できるまでは不安が拭い切れることは無い。


 人から恐れられている災厄と並び称されている様な生物は特に油断ならない。


 前代未聞の特殊で異質な能力を有している場合もあれば、ナチの常識を覆す程の身体能力を有していたりもする。心臓や脳が体内を動き回り、体の一部分が残っていさえすれば自己再生、蘇生する、などという化け物染みた能力を持っている存在もいるくらいだ。


 死亡した事実確認が取れるまでは安心は出来ない。

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