二 超能力の世界
緑と木々に囲まれた目にも優しい林道が続き、立ち並ぶ常緑樹から伸びる梢が林道を海の様に覆っているせいか、日が昇っている日中でもほんのりと薄暗い。それでも僅かに差し込む木漏れ日が梢と無数に散らばる新緑を掻い潜って、林道に光明の一筋と言わんばかりに、心地良い温かさを降り注いでいる。
そのせいかは分からないが気温は適温。林道を駆ける風も程よく涼しく、差し込む木漏れ日に触れれば仄かに温かいと思える。
欲を言えばもう少し寒い方がナチは好きなのだが、隣を歩く少女は違うらしく、この適温とも言える気温に「もう寒いよね、嫌になっちゃうよ」と文句を垂れていたので、この少女は寒がりなのだろうと安直に結論付ける。
「私、マオリア。マオって呼んでよ、お兄さん」
隣を歩くマオは、少しばかり寒そうに鼻を啜りながら、陽光のように明るい調子で淡々と自己紹介を済ませてくる。笑うと余計に幼さが増すな、と思いつつ、ナチも簡単な自己紹介を済ませる。
「僕はナチ。よろしくね」
枝葉に止まった小鳥が首をカクカクと折り、ナチ達を見下ろしては可愛らしい泣き声を上げる中で、ナチは袖に付いていた霜を払い落としていた。全身で氷を受け止めたせいか、全身至る所に霜が付着し、湿っている部分が肌に纏わりついて気持ち悪い感触が続いていた。
その霜を適度に払いつつマオを見ると、彼女は理由は分からないがにこやかに笑いつつ、林道の先を見据えていた。少しスキップ気味なのは気のせいではないだろう。
「マオは氷を作ってたけど、他の人も氷を作れたりするの?」
世界に降り立った以上は情報収集は必須。この世界の貨幣。硬貨。医療技術や情報伝達手段。食文化やライフラインの有無。それからこの世界の神秘的な能力や異能の存在の有無。魔法や魔術、ナチが扱う符術など、この世界で主に使用されている神秘の総称などは知っておいた方が良い。
過去に魔法の国で符術を使用し、いきなり異端の烙印を押され、いきなり処刑されそうになったなんていう実体験も存在する。
「作れないよ。氷を作れるのは私だけ。使える力は人それぞれ違うから」
「へえ、他にはどんな能力があるの?」
「他には、風を操ったり、自分の体と物を繋げたりとか、かな」
「マオは氷以外作れたりしないの? 例えば、水とか」
「私は氷しか作れないよー」
「そういう力が使えない人っていたりするの?」
魔法や魔術が発達した世界で魔力を扱う事が出来ずに異端者もしくは落ちこぼれなどと揶揄され、そのせいで自殺にまで追い込まれる人間をナチは見た事がある。
この世界にもそういった逼迫した状況が生まれたりしているのではないか、と少しばかり懸念するもマオが頭を振った事ですぐにナチの懸念は払拭された。
「それは見た事ないかも。皆、何かしらの力は使えると思う」
そうなんだ、と呟きながらナチは他にも質問を重ねていく。電気やガスの存在。製紙技術や情報伝達手段。文明の発達具合を噛み砕いて質問し続け、ナチはこの世界がどういう世界なのか何となく理解した。
この世界は超能力の世界だ。固有の能力を先天的に身に着け、付与される異能は一人につき一つ。この世に生まれ落ちた瞬間に子供は能力を授かり、能力次第では生まれた瞬間に言葉を話す赤子などもいるという。
また能力を使用するにあたり魔力や霊力などの要素は必要なく、詠唱などの手段も必要もない。精霊や眷属などの力を間借りしている訳でもない。能力を酷使すると頭が酷い疲労感が残るという事からこの世界の人間は普段は眠っている脳の機能が覚醒している、もしくは脳の機能が一部異常発達している、といった所だろう。
発達具合によって能力の系統、強弱が決められ、使用限界なども決まっている。そう考えればマオが言った情報とナチの憶測との整合性が取れ、この能力の仕組みにもある程度納得できる。
マオの氷を生成する能力も脳が異常発達、もしくは覚醒していると考えていいだろう。どちらにしても、ナチにはそれを明確にする技術や知識は無い。その憶測を核心として捉えるしかない。
そしてこの世界に電気やガスの存在は無く、水道も存在しない。井戸水を主に使用し、火は火打石と火打金を使用した原始的な発火方法を取っているとのこと。製紙技術は動物の皮を加工した羊皮紙に近い物はあるようだが、技術はそれ止まり。
電気が無い以上、携帯電話や固定電話も存在せず、主に飛脚や伝書鳩などの手段を用いて遠方の友人と文通をするとか。能力はともかく、この世界は先進世界に比べると恐ろしく文明が遅れており、原始世界に比べるとそれ程遅れてもいないという中途半端な文明を有する世界だった。
そうなると、マオが言う弱肉強食の社会が生まれる事は必然なのかもしれない。生まれるべくして生まれた、と断言できる可能性が高まっている。固有の能力が一つだけという事は能力が判明した瞬間、この世界での立ち位置が決まる様な物だ。
強力な能力は、時に体格差や培った経験を簡単に凌駕する。剣の腕前がどれだけ優れていようと、圧倒的な暴風の前には意味を成さない。それと同じで圧倒的な暴力の前に、弱者は屈する以外の選択肢を取る事は許されない。
残酷ではあるが、これが人の智を超えた超常の力。人が作り出した力は、天災には勝てない。これが、真理であり、真実。それに街に一人でも最強クラスの能力者がいれば、街の力関係は大きく変わる。国から派遣された守衛や憲兵も理不尽な暴力の前には屈するか、だんまりを決め込むしかない。
またここまで情報伝達手段が原始的だと強力な能力を持つ者に募集を掛けることも出来ないし、法を制定したとしても守る者がそもそも存在しない、強力過ぎる能力を前に罰する事すら敵わない、などという事が現実として起こり得てしまう。
酷い歪みは際限なく悪化していくのに、能力の強弱という問題が世界全体で抱える歪みを矯正させてくれない。この世界が抱えている問題はそんな所か。
「お兄さんが使ってた力は? あの白いの投げるやつ。あれって何なの?」
ナチはポケットから符を取り出すと、そこに「火」の属性を込め、それを上空へと飛ばした。舞い散る白い符はこの世界から切り離された歪さをそのまま表したかのように、この世界の景観に恐ろしく馴染まない。
人差し指と中指を立て、ナチは霊力を流した。
符は温かな熱を宿しながら赤い炎を纏うと、一瞬で塵に変わる。風に流れていく塵はすぐに視界から消失した。
「これが僕の力。符術だよ」
符術ならば固有の能力として誤魔化す事は十分に可能。ナチが異世界人と疑われる様な事もないだろう。
「ふじゅつ?」
ナチは地面に落ちていた虫が食い荒らした形跡が残る新緑の葉を拾うと、それを符に変換した。指先でくるくると回していると、白く変色していく符にマオが「おー」と感嘆の声を溢す。
「うん。簡単に言えば、これを燃やしたり、凍らしたり、風を起こしたりすることが出来る」
簡単に言い過ぎたか、と思いマオを一瞥すると彼女は両手を後ろで組みながら、前方に視線を送っている。ナチの説明など全く聞いておらず、耳を傾ける素振りも見せない。清々しいほどに右から左にナチの説明を受け流していた。
「ふーん、そうなんだ」
「うん、そうなんだ」
口を閉じ鼻歌の様にハミングしている彼女を尻目に、ナチは符をポケットにしまうと彼女が向いている方角へと視線を向けた。林道の終わりを告げるかのように陽光が燦然と降り注ぐ切れ間が見える。
そこに見えるのは緑が溢れる広大な草原。天然芝に彩られた緑の大地に紛れて、色取り取りの花や放置された雑草が天に向かって伸びるそれらが風に煽られて揺れる姿は、ナチの歓迎を表している様にも見えた。
ナチとマオがウォルケン、と呼ばれる街にたどり着いたのは、夕暮れ時。茜色が世界を包み込み、空から寂寥感を降り注ぐ時間帯。その茜色に照らされた石造りの質素な門を潜り、ナチは街へと入った。門に立っている憲兵が検問する事も無く、当然身体検査される様な事も無く、すんなりと。
石畳の路地を歩き、次々に街の景観へと目を向けた。地面と同じく石造りの家屋や商店。屋根には瓦がぎっしりと敷き詰められ、風雨によって色合いがくすんだ煉瓦色が軒並み連ねていた。
視線を下げれば夜間営業へ移ろうと、店の天蓋に硝子の様に透明な楕円形の筒に蝋燭を入れたランプを紐で吊るしている露店の主人が欠伸を掻き、馬と荷車を預けた行商人が露店を覗いては主人に値切り交渉をしている。
すれ違う人々は常に緊張感を持った表情で路地を歩き、寂寞とした雰囲気を漂わせながら、路地を流れて行く。街には寂れた雰囲気は感じられないのに、そこに住んでいる人間からは酷い寂寥感が伝わってくる。
肌にひしひしと伝わってくる街の空気だけを言うならば、明らかに異質な街だ。異常と言ってもいい。誰もが目立たない様に視線を下げ、挙動を消極的にしている。声を高らかに上げているのは商売的に声を上げる必要がある商人と他所から来た行商人だけ。
街に入ってから、マオの表情も変わった。それは限りなく微細な変化だったが、ナチは見逃さなかった。常に周囲に気を配り、神経を尖らせ、すぐに動ける様に体を脱力させている様に見える。
そこまで警戒しなくてはならない暴力というのは一体何なのか。こんな若い少女が気を張り詰め、常に天敵を警戒している草食動物のように研ぎ澄まされた警戒心を持たなければならない暴力。
そんな理不尽な暴力を振るう人物とは一体どういう人物なのだろうか。擦れ違う人々が晴れない空をそのまま模したかの様な憂愁の色が濃い表情を浮かべている理由も、その人物が理由なのか。それともただ仕事が忙しく、疲労感が溜まっているだけなのか。
ナチがマオの背後で人間観察と状況把握に努めていると、すれ違っていく人々がマオの姿を見るや否や、気さくな笑みを浮かべ、一言二言挨拶を交わす。マオも軽い社交辞令の様な言葉を交え、すぐにその場を離れる。手慣れた対応。覗き見える高い社交性。
そんなマオに憧憬と羨望の眼差しを向けると、マオの背後から声を掛ける。
「思っていたよりも平和な街な気がするけど」
「全員が悪い人な訳じゃないよ」
それはそうだ、と思いながら、ナチは再び街を見やった。
全員が悪人で暴力的で理不尽だったのならば、この石造りの景観がここまできれいに保たれているという事はあり得ないだろう。剣と剣が激突する様な諍いならまだしも、異能と異能が交わればそれは正しく天変地異の領域に到達し得る。
マオが口にした理不尽の暴力というのはウォルケンに在住する一部分の人間を指しているのだろう。その一部分の人間が街全体を恐怖の渦に貶めている。
「どこへ向かうの?」
「もうすぐ着くよ」
マオを先頭に路地を進んでいくと、前方から歩いてくる人物に目を引いた。吸い込まれるように視線を送る。
男性だ。長い絹糸の様な金髪の髪を肩甲骨辺りで縛り、胸元を大きく広げた白いシャツには赤い斑点の様な染みが浮かんでいる。そういうデザインなのだろうか、などと訝しんでいると前方で人が一斉に割れた。
左右に散りゆく人々を満足げに見つめ、金髪の男は出来上がっていく道を大股歩きで進んでいく。
その男性が一歩進む度に、群衆が視線を下げる。表情から生命力が失せ、心なしか纏う空気が淀んで見える。その空気を吸って金髪の男の表情は恍惚に歪む。肌の潤いを増していっている様な気さえする。
「あいつだよ。あいつが理不尽な暴力を振るう奴だよ」
小さな声で紡がれたマオの言葉はハッキリとナチの耳に届いた。その意味も明確に理解する。
「あれが……」
マオに腕を引っ張られ、ナチとマオも道の端へ寄った。群衆に紛れ、金髪の男性を上から下までなめる様に凝視する。シンプルな股下が浅い黒のズボンは所々解れており、茶色のブーツには乾いて赤黒くなっている染みが一種のアートの様に広がっている。
そしてシャツに出来た赤い染み。あれは塗料などではない。デザインでもない。全てはあの男が全身から放っている咽返りそうな程の血の臭いが物語っている。
あれは血だ。血で汚れたシャツを着て恍惚な表情を浮かべる男。その姿に感慨はない。何も思うことは無い。憤慨する事も無ければ、悲嘆に明け暮れることも無い。心に宿った感情は何時までたっても無感情だった。
ナチが醒めた目で金髪の男性を見つめていると、不意に視線が重なった。男性が立ち止まる。狩人の様な鋭い視線をナチへと向ける。気のせいか、とも思ったが、おそらく間違いない。
金髪の男性はナチに視線を向けている。ナチは笑顔を作る事も目を逸らす事も無く、金髪の男性と数秒間、視線を交錯させる。無感情の瞳と苛立ちに歪む瞳が交わり、二人の間に不可視の火花を生む。
端に避けた群衆が金髪の男性とナチを交互に見ては冷や汗を浮かべている。驚愕、困惑といった表情を浮かべ、事の成り行きを見守っている。群衆が声を上げて驚きや動揺を表現しないのは、保身の為だろう。出来れば余計な事はしないでくれ、と思っている者もいるだろう。
金髪の男性は、一度舌打ちを鳴らすと、ナチから視線を外しそのまま路地を進んでいった。その背中を見続ける様な真似はしない。
「行こうか。そろそろ日も暮れる」
「お兄さん、ラミルと目が合ってた、よね?」
驚き混じりに紡がれたマオの言葉に、群衆が耳を傾けている様に見えた。何故か解散しない群衆に苦笑しつつ、ナチとマオはラミルと反対方向に歩を進める。
「何か見られてたね。理由は分からないけど」
「やばいよ。お兄さん」
「やばいって何が?」
「ラミルに目を付けられたかもしれない」
「それならそれで好都合じゃない?」
マオが首を傾げる。どういうこと、と疑問を視線でぶつけてくる。その疑問に解を記す為にナチは口を開く。
「だって、ラミルってやつを何とかしてほしいんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、問題ないよ」
ナチは笑顔を浮かべながら、マオを見る。向かってくるのならば迎え撃つ。言葉には出さず、それを訴えかける様に口角を上げる。あれを倒せばナチは信用を勝ち取れる。そんな下心が込められた笑みでもあった。
「変な人だね、お兄さんは」
唐突に失礼な事を言うマオは笑顔だった。それでもその口調には悪意が無く、からかう様な口調だったせいか、怒る気には当然ならなかった。