六十 真実➀
全ての人形を倒したミアとルキは荒廃した世界を彷徨い続け、気付けば五十年ほどが経過していた。
食料も水も自然もなく、生命が皆無の世界。人形と建築物の残骸、人が文明を築いた軌跡だけが何時までも残っている。
人形であるミア達だからこそ生き続けられる世界。食料も水も補給も必要としないミア達人形だからこそ、生きていける世界。
だが、五十年という月日が過ぎ去り、さらに四十年ほどが経った頃に急激にミア達の日常に変化は起きた。
それはルキの体調不良。
歩行すら困難になるほどに脚力が弱り、一人では起き上がれなくなるほどには膂力が著しく低下していた。同じ人形であるはずのミアにはそのような症状は出ていない。
そもそも人形には自己修復ユニットが搭載されている。このような症状ですら技師に頼ることなく自己修復することが可能なはず。だから、このような事態は絶対にありえない。
それでも現実としてルキは体調を崩している。目で見て分かるほどの損傷が現実として出ている。
そこでミアが出した結論は、人形を作った人間。ミア達の生みの親であるカザキ・シラハシの研究所に向かい、ルキを救う術を見つけること。ミア自身が解決の術を持たない以上は自然な選択とも言えた。
ミアは日に日に衰弱していくルキを背負い、一分一秒休むことなく、研究所を目指した。
首に当たる吐息が徐々に弱くなっている。ミアの首に回す両手の力も徐々に弱くなっている。
遂には自分の力だけではミアの背に乗っていることすらもできなくなった。ミアが両手で抱えて研究所を目指す毎日の中で、ルキは一日のほとんどを眠って過ごすようになっていた。起きていられる時間は体調がすぐれているときで三十分ほど。
数分だけ目覚めてまた眠る。そんな生活をルキは繰り返していた。
「大丈夫です、大丈夫ですよ、ルキ。あなたは私が助けますから。大丈夫です」
眠るルキにミアは念仏のように同じ言葉を投げ続けていた。
そうしないと膨れ上がる不安と焦燥に押しつぶされて、弱っているルキに弱音を吐いてしまいそうになるから。
苦しいのは彼女なのだから、弱音を吐きたいのは彼女なのだから、弱音を吐くことなど許されない。
気丈に振舞わなければ……彼女の不安が少しでも和らぐように。
不眠不休で向かい続けたおかげで、ミア達は一月ほどで研究所にたどり着くことができた。電気は当然供給されておらず、施設の設備はほとんどが使用不可能という状況ではあったが、ミアはカザキ・シラハシの研究室に進入するとメインコンピューターの前に立った。自身の動力機関から電力を送電し、メインコンピューターを立ち上げると起動。
表示された画面は今にも壊れそうなほどに不安定だが、ミアは気にせずにパソコン内の情報を探り始めた。
パソコン内を調べること一時間。ミアはある情報に目を通した。それは百八体の人形の情報でも、カザキ・シラハシの情報でもない。
ミアが開いたフォルダ名は『ルキ・シラハシ』のレポート。
ルキと同じ名の少女の成長が事細かに綴られていた。生年月日、名前の由来、名付け親がカザキであることや、生まれた病院名が書かれている冒頭は至って普通の成長記録だった。
だが、その普通は一瞬で崩れ去っていく。
『ルキが三歳になった時だ。突然高熱を出し、全身の痛みを母であるセリに訴え、救急車で病院へと向かったそうだ。セリから電話を受け、俺も病院へ大急ぎで向かった。
そこには病院のベッドで苦しそうに呼吸をして、大量の汗を流している愛娘の姿があった。すぐに担当医を呼び、症状を聞いた。が、医者も病気が特定できず対処ができない。今は解熱剤と痛み止めを処方して経過を見ている、とそれだけを俺に伝えて再び病室を後にした。
それから二日が経ち、ルキの病状は先日の病状が嘘のように良くなった。熱もない、全身の痛みも消え、これでまた日常に戻れると俺とセリは安堵していた。
だが、俺達の安堵はすぐに消えた。
ルキの四肢が動かない。
俺達は何度も「大丈夫、絶対に良くなる」と娘に言い聞かせた。本当は自分達がそう信じたかったのかもしれない。だが、二度と自分の足で歩くことは出来ないかもしれない、と医者に言われた。もう物を持つことすらもできないかもしれないとも。
俺達はこのことをルキに伝えるべきかどうか迷っていた。
退院を楽しみにしている娘に、またいつもの日常が戻ると心待ちにしている娘にこの非情な現実を突きつけるべきかどうか、迷っていた。
結局俺達は、ありのままの事実をまだ三歳の娘に伝えた。
大泣きする娘に何も言ってやれない自分が悔しい。研究者のくせに俺が助けてやる、と言ってやれない自分の未熟さが悔しい。
そんな時だ。俺は国から戦争で活用予定の人型殺戮兵器の開発を依頼された。憔悴している娘のために何かできるかもしれない、と俺はこの依頼を引き受けた。
そして、俺は最初に完成した人型殺戮兵器にミアという名を与えた。ミアという名はルキが大事にしている人形の名前から取ったものだ。
退院した娘が捨ててしまった人形の名。それを俺はこの兵器に与えた。
俺は希望を抱いていたのかもしれない。もし、このミアがまた娘に笑顔を取り戻してくれたら、などと淡い期待をしていたのかもしれない。そんな日が訪れることはないと分かっていても、俺は笑わず、心を閉ざしてしまった娘のために何かをしたかった。
そして戦争が始まり、ミアは戦場で目覚ましい戦果を挙げた。数多の敵勢力を殺害し、殺戮し、破壊したミアは敵味方から畏怖される存在へと変わりつつあった。
俺が作った兵器が使えると判断したのか、国の上層部は俺に兵器の量産を急がせた。俺は最初断ろうとした。この兵器を造るには膨大な時間が必要になる。娘と妻が俺を待っているのだ。
これ以上の時間は割けないと、素直にそう言った。そう言った俺に国の連中は、従わなければ妻と娘の命はないと古典的な脅しで従わせようとしてきた。俺はそれでも家族との時間を大切にしたくて、依頼を断った。
俺は家族とともに街を出る決意を固めたが、その日の夜に買い物に行ったはずの妻の死体が家に送られてきたことで状況は一変した。従わなければ、今度は娘も殺されてしまう。
俺はミアに、あるプログラムを入力し、娘とともに研究所に住み始めた。それからは殺人兵器を造り続ける毎日。俺が作り出した兵器が百八体になる頃には娘は十歳の誕生日を迎えるほどの年月が経っていた。
そして、娘が十歳の誕生日を迎えた時、俺は娘から七年ぶりに誕生日プレゼントを求められた。
もう一度だけ、自分の足で歩いてみたいと。パパとママの三人でまた手を繋いで、外を歩きたいと。三人で世界中を旅してみたかった、とそう言われた。だから、その足を、手を私にプレゼントしてくれ、とルキは泣きながらそう言った。
だが、機械の手足を取り付けただけでは正常に稼働しないことは分かっていた。だから、俺は娘に嘘をついた。分かった、と。また三人で手を繋いで歩けるように、旅ができるようにしてやると、そう言った。
それから俺はミアを除く百七体の兵器に細工をし、百八体の兵器を用いて、全ての人類を滅ぼした、はずだ。多分、そうなっている頃には俺はミアに殺されているはず。そして、ミアは百七体の人形達に命を狙われることになっているはずだ。全ての人類が滅び、俺が死んだ瞬間にミア以外の人形達はミアを殺すようにとプログラミングしているから。
ミアに施したプログラムは正直どうなるのか俺にも分からない。上手くいけば、ミアの記憶領域に仕込んだセリの記憶と思考が、ミア自身の保存している記憶と思考と混ざりあって、自我が生まれるはず。こればっかりはセリを信じるしかない。
さあ、最期の仕事だ。俺は娘の最後のお願いを叶える為に娘を人の形をした兵器に変える。人を人形に変えるには生身のパーツがどうしても必要になる。そうしなければ、ルキ自身の記憶を完全に継承できない。
だから、ルキの命は長くても百年。
早くても五十年は五体満足に生きられるはず。もし、再び人の部分がお前の命を蝕もうともミアがお前を守ってくれる。母であり、お前の大事な友であるミアが必ずお前を守り抜いてくれる。
すまない、ルキ。また三人で手を繋いで歩くお願いを叶えてやることは俺には出来そうにない。
俺の娘というだけでこの国の連中はお前を利用とするだろう。ましてや、人が機械の体を手に入れたなどと知れば、必ず軍事転用しようと考えるはず。
お前を救えなかった俺をどうか許してくれ。お前を残して先に死ぬ情けない父を許してくれ。ちゃんと愛してあげられなかった俺を許してくれ。
それでも俺はお前を愛している。世界中の誰よりもお前達を俺は愛している。これだけは信じてくれ。
ミア。もし、お前がこの記録を見ることがあれば、ルキに人としての生を全うさせてやってほしい。お前にばかり辛い役目を押し付けてしまってすまない。
それからルキを看取った後に、私達が暮らした家にあの子を眠らせてやってくれ。頼む』
カザキのレポートに目を通すとミアは機械への電力供給を停止した。




