五十三 落下
ナチは素早く背後を振り返った。
やはり、ナチの風が示すとおりに男はそこにいた。土の義手と義足を身に着けている少女の傍らに男は立っていた。
最大限に強化された目が捉えるのは無邪気に笑う少女の姿。青白い肌は土と血で汚れ、唇は紫に変色。呼吸は荒く、喘鳴が絶えず虚空を揺らす。
今にも息絶えそうな少女は男に救いを乞うこともなく、男も少女を救うことはない。少女の命だけが刻々と終わりに近づいていく中で、ナチもミアも躊躇いもなく少女と男に刃を向けた。
「そのままだと、その子。死ぬよ?」
「問題はありません。この子に死を恐怖する概念はない」
「そんなことを聞いてるんじゃないんだけど。その子、あなたの家族じゃないの?」
「この状況でそう見えますか? 虫の息をしている娘を放置している父親に見えるとでも?」
「見えません」
ただ一言、ミアは断言した。
「優秀なお嬢さんですね。ああ、そうだ。あなたの分析は中々的を射てましたよ。少しだけ的外れでしたけどね。それと」
男は右手で地面に触れた。そして、艶めかしく地面をなぞるように触れると、ナチ達に不敵な笑みを漏らした。
「あなた方は私の計画の邪魔になる。ここで消えてもらいますよ」
「計画ってな」
ナチが全てを言うよりも先に変化は生じた。変化が起きたのは足元。ナチ達が立っていた広大な地面。それらが一瞬にして消滅し、足元は瞬刻の内に底が見えない奈落へと化した。
真っ逆さまに落下を始めたナチ達。だが、ナチは風を、ミアは糸を用いて体勢を整え、地上への帰還を試みるが上空に広がる大量の土砂がそれを阻む。
二人とも瞬時に気付く。間に合わない、と。あの大量の土砂は吹き飛ばせない、と。
また、穴に流れ込んで来る土砂はただの土ではない。コトが操っている砂だ。この砂は生半可な攻撃では吹き飛ばせないし、すぐに再形成される。
もはや、地上に戻るのは不可能。
なら……。
「下だ。下に向かって全速力で進んで」
「……それしか助かる方法はないようですね」
この危機的な状況で二人は冷静に、淡々と次の行動を決めた。冷徹なまでに生存確率が最も高いと思える手段を一瞬で選び、そして実行に移り始めた。上昇気流を生み出そうとしてた風を下降気流に変更。ミアは上空に伸ばそうとしていた糸を下方へ伸ばした。超高速で下方へ沈んでいくナチ達。背後から迫る土砂には目を向けず、ナチ達は底に向かって一切速度を緩めることなく下降していった。
符術で眼前の闇を照らしながら、ナチは符を複数枚取り出し、次々に属性を付加。『大地』『大地』『大地』『大地』『音』『音』『火』『火』。それらを四方八方に投げ飛ばし、ナチは属性を解放。
「ねえ、僕の言う通りに動く気……ある?」
「鍵を使用しろと仰るのであれば、お断りします」
「いや、あんなのは使わなくていい」
「でしたら、今回は協力しましょう。あの土砂は危険ですから」
ナチはミアに作戦を全て伝えた。微かに見え始めた底を漫然と見つめながら。
「助かる確率は……どうだろうね。君の方が計算得意でしょ? 計算してよ」
「私達はあの少女がどれだけの能力を保管しているのか、どれほどその能力を熟達しているのか知りません。ならば、計算を幾重に繰り返したところで、その数字に意味はない。神のみぞ知る……最も嫌いな言葉が最もこの状況に相応しいということでしょう」
「そうだね……僕もだよ」
怒涛の勢いで襲い掛かる土砂は、奈落の底にたどり着き悠然と構えるナチとミアを容赦なく呑み込んだ。
「コト、どうですか?」
自ら作り上げた巨大な穴に注ぎ込まれた土砂を白い歯を覗かせながら、オズは地面に手をつくコトに向かっていった。
「問題ないよ、ちゃんと死んでる」
鼓動が消え、熱が徐々に失われていく二つの生命をコトは土砂の中から感じ取っていた。
「そうですか」
「あのお兄さん、死んじゃったか。あっけなかったなあ」
「おや、コトが他人を気にするなんて珍しいですね」
「んー。なんというか、あのお兄さん……似てるから」
「何にですか?」
「師匠には教えてあげないよー。ほら、師匠。さっさと行こうよー」
コトは立ち上がると天真爛漫な笑顔を浮かべ、『貧民区』を指さした。
「そうですね。行きましょうか。最後の能力を奪いに」
二人は悠々と歩き出し、『貴族区』の塀を意図も容易く破壊。そのあとに巻き起こった悲鳴など意にも介さず、二人は『商業区』を進んでいった。次々と屍を積み上げながら。




