五十二 まだ彼女は生きている
「どうしてあんなゆっくりの攻撃を躱せなかったの?」
「ゆっくり……ですか?」
ミアが珍しく驚嘆を声に乗せた事には大した動揺を見せず、ナチは首を縦に振った。
「あの男は君の横まで歩いて行って、君の体を軽く押しただけだよ」
「あなたには見えていたのですか?」
「ああ、まあ視力を『強化』してたっていうのもあるけど、歩いて移動してたからね。『強化』しなくても見えてたと思う」
「そうですか……」
珍しくミアが狼狽していることにナチは首を傾げた。下から見ていたナチと上で実際に男と対峙したミアとで認識の差が出ている。地上から見ていたナチは、男の声が突然聞こえてきた瞬間に『強化』の符を発動し、視力を強化。男を常に凝視していた。
が、特に変わった動きは見せなかった。それがナチの男に対する印象だ。
あの男は一体何をしたんだ?
「あの時、何があったの?」
「……あの時、男が視界から突然消えました」
「消えた? 見失ったってこと?」
「はい。本当にあの男は歩いて私の横に移動したのですか?」
「うん。ただ歩いてた、と思うけど」
「……おそらくですが、あの男の能力は『減衰』だと私は分析します」
「『減衰』?」
「ええ、私の身体能力の低下、糸を同時に操作できなくなるほどの思考力の低下。それらは全て私のメイン動力から流れるエネルギー伝達の低下によるものです。あの男は生命力やエネルギーを減衰させることができる。それならば、あの男が突然目の前から消えたことも説明ができます。あの男は自らの気配、生命力、エネルギーを減衰させ、存在感を希薄にさせた。存在感が薄くなれば、当然強い存在に意識は引っ張られてしまう。あの男は消えたのではなく、私の視点を別の対象に移動させた」
「なるほどね。君の糸を素手で千切ったのもそれなら説明が付くか。糸の硬度と寿命を急速に減衰させることで切れ味を無効化しつつ容易く千切れるようにしたって考えれば」
「この仮説が正しければ、あの男の弱点も同時に判明する」
「あの男が自分の生命力やエネルギーを減衰させているときは、あの男自身の身体能力も大幅に落ちる。そこを狙えばいい」
「あの男は必ずここで仕留めないとなりません。協力してもらいますよ?」
先程までの疲弊が嘘のように平然と立ち上がったミアは再び全身から糸を放出。目標を冷徹に見定めながら、そんな世迷い事を言った。
「本当に協力してくれるのか定かじゃないけど、いいよ。あの男を殺すまでは協力してあげるよ」
ナチは霊力の衣を身にまとい、『強化』の符を全身に施した。発現する肉体活性。高まり続ける身体能力。全ての五感が鋭敏に研ぎ澄まされ、全身を包む熱はさらに上昇を続けていく。
吹き荒ぶ風雪がより明瞭に、塀の上で不敵に笑う男がより鮮明に移り変わっていく。視線が交錯し、男の瞳に映る自分を視認するまでに視力が高まった瞬間にナチは行動を開始、しようとした瞬間に男の姿がナチの視界から掻き消える。
それは文字通り一瞬で、最初から存在しなかったのではないか、と思わせるほどに自然に消失した。
が、眼前から突如として消える手法は先程ナチもミアも見ている。焦り、声を荒げることもない。
ミアはサーモグラフィを起動し、ナチは強化された五感を駆使し、男の居場所の特定を開始した。音で、臭いで、熱源探知で男の位置を特定しようとする二人だが、二人の包囲網に男が一向に引っかからない。無意識に眼球が忙しなく動き、周囲を闇雲に探し始めるも二人は男の気配を露ほども感知することは出来なかった。
「……見えてる?」
「捉えていたら、既に攻撃に移っています」
「だよね」
ナチは符に『大気』の属性を付加。すぐに発動し、ナチは粗雑に眼前に符を放り投げた。ミアが咎めるように「何をしているのですか」と言ったことを無視して、ナチは周囲に風を送り続ける。
「全方位に無差別攻撃ですか。芸がないですね」
「もしあの男の能力が君の言う通り『減衰』だとしたら、あの男の足音も臭いも探知することは難しいかもしれない。だけど、僕達の探知を躱し続けるには常に自分に能力をかける必要があるんだ。この仮説が正しければ、あの男の周辺だけ風の勢いが弱まるはずだよ」
さらに風の勢いを増し、範囲を拡大していくナチはある位置で自身が生み出している風の量や勢いが著しく減衰したことを明確に感じ取った。
息を呑む。
男の位置を判明することに躍起になるばかり、念頭に置くことを怠っていた。
そうだ……そうだった……。
まだ止めを刺したわけではない、と。どうしてそんなことを忘れていたのだ、と自嘲することも今は許されない。
まだ彼女は死んでいない。
まだコトは生きている。
FF7Rをようやくクリアしました。




