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アヴェリアム・コード ~消えゆく世界と世界を渡る符術使い~  作者: ボジョジョジョ
第六章 鋼糸が紡ぐ先には人形と少女がいる
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四十五 サイン

 シャルの手に引かれ、ミアは詰所からも孤児院からも大きく離れた場所にあるボロボロのベンチに座っていた。


 横に座っているシャルに無言で目を配れば、彼女は小さな両手で腕を擦り、小さな口から吐き出される白い吐息を、雪のように真っ白な手に吐きかけていた。よく見れば、体が小刻みに震えている。それも当然と言えるだろう。


 この発展が遅れている国にしては厚着をしているシャルだが、ミアが居た世界の裁縫技術に比べれば、かなり拙く、精度が悪い。吸湿発熱繊維が盛り込まれているわけでもなく、保温機能も著しく低いのは一目瞭然。


 間違いなくこの寒冷の気候に適していない格好をシャルはしている。


 このままでは体調を崩す可能性がある。この少女は風邪や病とは無縁のミア達人形とは違うのだから。だが、問題は貸せる衣服がないということだ。ミアは上着を羽織っていないし、着ている衣服をそのまま渡せばいいのだが、それは大した意味を成さない。どこか建物に入ればいいのだが、なぜかシャルはそれを拒んでいた。


 どうしましょうか……。


 ミアは過去の記憶を再生しながら、該当する解決法を検出。それはミアがルキにせがまれて行動に移した方法。


 これで行きましょう。


「シャル。こちらへ」


 ミアは両手を広げ、真っ直ぐにシャルを見るがミアの意図が分からずにただただ呆けているばかり。これでは埒が明かないとミアは「失礼します」とシャルの脇に手を入れ、自身の膝の上にシャルを乗せた。そして、両腕でシャルを包み込むように抱きしめた。


「ど、どうしたの?」


 顔を真っ赤にして、ミアを見上げるシャルを見下ろしながら、ミアは全身から稼働熱を放出。熱量をコントロールし、人間が火傷することなく、快適だと思える温度に調整しつつシャルに熱波を向けていく。


「私はこの寒冷の気候に晒されても命を落とすことはないですが、あなた方は違います。あなた達はこの環境にまだ完璧に適応できてはいない。それゆえに取った行動とも言えます」


 先ほどまで寒気に震えていたシャルの体がミアの熱によって徐々に収まっていく。そして、ミアに熱を送られ続けているせいか顔を真っ赤にしたシャルが恥ずかしそうに笑みを浮かべながら、ミアの両腕に自身の手を添えた。


「私を助けようと、してくれたの?」


 ミアは自身に向けられる純粋な眼差しから逃げるように目をそらした。


「……どうして、孤児院に戻らないのですか?」


「私の質問……」


 ミアは二種類の殺人糸を放出し、折り重ね、頭上に傘のように展開。降り続く雪からシャルを守っていく。


「あなたは孤児院が嫌いなのですか?」


「嫌いじゃないよ。皆のこと好きだし」


「では、どうして」


「信じてくれる?」


「あなたが何を口にするか次第です」


 シャルはミアの腕に添えていた両手で弱弱しく腕を掴んだ。掴まれた瞬間に小さく震えているのが分かった。この震えは寒さから発しているものではないと理解しながらも、原因の特定はできず、ミアはシャルが口にする言葉を待ち続けた。それから数十秒後にシャルは掴んでいる手の力を強めながら、口を開いた。


「孤児院にいるとなんていうか、胸が痛くなるの」


「胸痛……ですか」


 孤児院に毒が散布された形跡も大気の組成が恣意的に変更された形跡もない。それらの変更が行われれば、ミアに搭載されている『Caspa』アラートを示すはず。それが表示されていないということは空気に問題はないはず。


「それはいつからですか?」


「最近だよ。ミアお姉ちゃんたちが来るちょっと前から」


 ミアやナチ達がこの町に滞在するようになってから発生した不調、とは考えにくいだろう。ナチ達の旅路はミアも世界樹を通して見てきた。ナチ達が訪れた街で謎の流行病や疾患が発見されたことはない。だが、病気という線は捨てきれない。何かの大病、その前兆である可能性もある。


「胸が痛くなるのは孤児院だけですか?」


「うん。胸が痛くなるのは孤児院にいるときだけ」


「そうですか……」


 胸痛が起きるのが孤児院だけということになれば、何かの病に侵されている可能性は低い。シャルが孤児院に負の感情を持っていないのであれば、精神的苦痛による胸痛とはあまり言えない。


「このことは他の誰かに伝えましたか?」


「ううん。ミアお姉ちゃんが初めてだよ」


 何が原因なのでしょうか……。


 医療の専門家ではないミアではやはり分析に不備が生じてしまう。原因の特定までは出来ないのが現実だ。心臓に疾患があるのか、精神的なものか、それとも別の何かなのか。


 ミアは殺人糸で作った傘から滴り落ちる水を見て、この世界の特性をふと思い出した。この世界の人間には固有の能力が存在する。シャサのように炎を操る者や、リーヴェのように天災を操る者。彼女達と同じようにこの世界で生まれたシャルにも能力は備わっているはず。


 もしかしたら、その能力が彼女に胸痛という症状をもたらしている可能性がある。ミアは彼女の手をやんわりと握りながら、口を開いた。


「……聞いていませんでしたが、あなたの能力は何ですか?」


「分かんない」


「分からないのですか? 自身の能力が」


 シャルは小さくうなずいた。


「リーヴェ姉ちゃんみたいに分かりやすい力だったらいいのにね」


「そうですね。能力の発現に気付くには自らが持つ能力を視認し、自覚しなくてはなりません。リーヴェやシャサはその点においては最も分かりやすい部類に入るのでしょうね」


 つまり、シャル自身自らが持つ能力の正体に気付いていないということになる。


 となれば、胸痛の原因が彼女の能力によるものという可能性は否定できない。むしろ能力が原因なのだろう、とミアは謎の確信を得ていた。


 ミア達が来る少し前から発生した胸痛。その発生原因は不明ではあるものの、発生場所は孤児院だけ。そんな限定的な病魔に侵される可能性はほぼ零に近い。自らの心を蝕むほどに精神的に病んでいる様子もない。


 間違いない。彼女の能力が彼女に何かのサインを送っている。


 ですが、何のサインでしょうか……。


 孤児院に何かが起きるのか、それとも孤児院に住む誰かに何かが起きるのか。もしくは孤児院に関わる者全てが関係してくるのか。


「あの、胸の痛みのほかに何かありませんか?」


「何かって例えば?」


 ミアはシャルにも伝わるように言葉を選定し、伝えた。


「そうですね……例えば孤児院にいると何かよく分からない景色が見えるとか、知らない誰かの声が聞こえてくる、とか。もっと簡素に言えば嫌な予感がする、とかでしょうか」


「んーよく分かんないけど、胸が痛くなる時にはいつも、お母さんが好きだった花の匂いがする」


「その花は孤児院に置いてあったり、近くに咲いていたりしますか? 花の香りは強くなったり弱くなったりしますか?」


「ううん。咲いてないよ。香りは……強い時もあるし、弱い時もあるかなあ」


 これだけでは能力の特定はできない。香りの濃度に強弱があるというのが気掛かりだが、それが何を示すのかは今の情報量では判然としない。


 だが、一つ言えることは孤児院もしくはシャルを含めた孤児院に住む誰かに何かが迫っている可能性が高い。それがいつかは分からないし、そんな日が訪れない可能性もあるが用心しておくに越したことはない。シャルの能力が何かを察しているのは間違いないのだから。


「シャル。今日の夜、私はあなたの傍にいられません。ですので、あなたは今私に話した内容を私達が出発した後にリーヴェ達に伝えなさい。出来ますか?」


「できる……けど、どうして?」


「少し気掛かりなことがあるのです。ですが、あなたが心配するほどのことではないですよ」


 もし危険が迫っているのがシャル本人だとしたら、『貴族区』に向かってしまう私では守れないから。


「そっか……。ちゃんと伝える」


 ミアはシャルの頭を撫でながら、「良い子です」と口にした。


 また分からなくなっていく。彼女に、ユグドラシルに協力した理由が。私自身の気持ちが、また不明瞭になっていく。


 私は一体どうしたいのか……揺らいでばかりだ。

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