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アヴェリアム・コード ~消えゆく世界と世界を渡る符術使い~  作者: ボジョジョジョ
第六章 鋼糸が紡ぐ先には人形と少女がいる
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二十八 きれいごと

 淡々と真実を述べるナチとは反対にイズが息を呑んだのを瞬刻にナチは理解した。動きが明確にぎこちなくなったのも見て取れた。そして、彼女はナチの予想通りに震えた声で問いをナチにぶつけた。


「今なんと言った? 夫婦の契りだと? 誰と誰が?」


「僕と妹のナナが」


「お前達は血縁者ではないのか? それならば別に」


 お前たちは兄妹なのだから、恋仲になることなんてあり得ないだろう? 腐るほど言われ、曖昧に濁し続け、そして最終的に認めざるを得なかった問い。そんな記憶が脳裏を掠め、苦笑しながらナチは答えた。


「いや、血の繋がった実の兄妹だよ。同じ両親の血を受け継いだ正真正銘の兄妹で間違いない」


 ナチを見上げるイズの視線が心なしか険しくなっていく。それは嫌悪感からなのか、それとも思考を張り巡らせているのか、ナチには判然としない。それでもナチは視線を逸らす事無く、イズを見下ろした。


 血縁者でないのならば問題ない、イズはそう言い掛けた。つまり、この世界でも近親者同士の交配を問題視する意見が強いという事だ。それはタブーであり、許容できない事実としてこの世界にも伝わっているという事に他ならない。


 分かっていた事だ。世界全体に近親相姦を嫌う風潮がありイズの様に正常な倫理を持つ者ならば、間違いなくこの話題に嫌悪感を示す。気味が悪いと、気持ち悪いとそう感じるはずだ。


 ナチとナナが生まれ、育った世界『カナンフェロウ』でも同じだった。誰もが、ナチ達を異端の目で見て、嘲り、理性の欠片もない暴言を並べ続けた。友人も両親も親族も誰もがナチとナナに祝福の言葉を投げ掛ける事など無かった。


 それを悲しいとは思わない。彼等がおかしいとも思わない。おかしいのはナチ達だという事をナチ達が一番理解している。だが、二人にとって最も幸福な形が、彼等が最もおかしいと感じる近親者同士の結婚だっただけだ。


 イズは真っ直ぐに見上げていた視線を下げた。赤い瞳が白いシーツを映し出し、白いシーツが真っ赤に染まっているのが見える。その瞳の中心を漫然と見つめながら、ナチは彼女が再び動きを見せるのを待った。


 イズがどれほどの時間を静黙していたのか分からなくなった頃、彼女はシーツを小さな両足で握り締めると緩やかに顔を上げた。


「……人が……近親者同士で子を成す事を嫌っているというのは、長い年月を生きれば風の噂で一度は耳にする」


「うん」


 小さく頷きながら、ナチは一言だけ返答する。


「だが、それは……人の常識だ。我等は言葉を発せるが故に人と交流を持ち、理性を獲得しているが、自然界を自由に生きる動物達は違う。奴等は種を残す為、躊躇うことなく近親同士で性交する事がある」


 イズはそこまで言って小さく深呼吸を一度だけした。


「人間も、本能のままに生きる動物達とそう変わらないのではないか? 性犯罪も性欲に任せた本能的な行動として考えられるし、永久的な好意という感情は存在しえないのかもしれないが、多くの生き物が誰かに恋をする。一度は誰かに好意を抱く者がほとんどだ。それは他人なのかもしれぬし、家族かもしれぬ。人ではないのかもしれぬ。同性なのかもしれぬ。その無数の巡り合わせの中でお前が体験した一度の恋が妹だった。お前は本能的にナナとやらに恋をし、理性的に今も愛している。そういうことであろう?」


「うん……」


 ナチは思わず息を呑んだ。この持論は人には言えない。既に確立された倫理を無意識に、潜在的に刷り込まれている人間には言えない。人と獣の中間に位置する彼女だからこそ言える。いや、イズが人と獣の恋を見てきたからこそ言えるのだろう。


 正しく獣の息子と人の少女の関わりを間近で見てきた彼女だからこそ言えるのだ。


「夫婦の契りというのは本来ならば……人生で一度切りだ。一生を添い遂げられると思えた人物を永遠のパートナーとしてお互いが選択しあう。お互いの合意が存在して初めて契りは交わされるのだ。お前達は互いが一生を添い遂げられるパートナーであると確信し、選び、互いの手を掴み合った。我はその選択を取る事が出来たお前達を称賛する。人の世がお前達の在り方を認めなくとも、我はお前達を祝福しよう」


 イズが言ったことはただの綺麗事だ。それをナチもイズも理解している。そんな綺麗な現実だけが存在する世界ではないことを。永遠を誓った夫婦も些細な歪で簡単に切れてしまうような現実だって存在することを。けれど、イズはあえて口にしてくれたのだろう。察してくれたのだろう。ナチに今必要なのは世知辛い現実論ではなく、綺麗で美しい理想論、綺麗事なのだと。


「うん…………」


 ナチは深く頷いた後に、すぐには頭を上げられなかった。


 ナキ以外に始めて言われたから。優しい言葉を。祝福の言葉を。


 自分達が掴み取った選択が罵詈雑言に蔓延る茨の道だという事は分かっていた。異端である自分達は徹底的に叩き潰されるであろうことは容易に想像が出来たし、現実に徹底的に叩き潰されそうになった。ナチとナナが抱いていた想像以上の辛い現実が待っていたのは確かだった。


 ナキが居なければ、きっと九十九番目の世界で旅は終わりを告げていた。


 ナチが深く頷いたままでいると、イズが両足をナチの右足に優しく乗せた。


「だから、そんな顔をするな。お前達が掴んだ答えをお前達だけは否定してやるな。お前達の関係性を人の世が認める事は一生ないのかもしれないが、それでも我は認めてやる。人が人に恋をし、ずっと側に居るという誓いを立てた。それだけだ。お前がどうしても気になるというのならば、血縁などという考えは早々に忘れてしまえ」


 最初は慰める様に、最後はからかう様に言ったイズは俯いたままのナチを覗く様に見た。ナチの表情を見て、彼女は小さく口角を上げる。それから、優しく微笑んだ彼女は長い耳で埃を叩く様にナチの頬を叩いた。


 ナチは長い耳を手で払い除けながら、顔を上げた。目尻に溜まった涙をひっそりと指で拭う。


「……まさかイズからそんな事を言われるとは思わなかったよ。イズはマオと僕を引き合わせようとしてたから」


「まあ最初は慰めるつもりなど毛頭なかったが、お前ばかりを責めるのもお門違いかと思ってな。それに人の夫を他の女に引き合わせるのは、もはや悪行だ。善行などとは到底言えぬ。だが」


「だが?」


 ナチは首を傾げ、イズを穏健に見下げた。


「お前が嫁を貰っていたという事実を聞くと、マオを無駄に焚きつけたのは申し訳ない事をしたなと思ってな」


「それは」


 それは僕のせいだ、という前にイズは長い耳で勢いよくナチの右頬を叩き、口を噤ませた。


「そうだ。全て、お前のせいだ。事情があるとはいえ、嫁を貰っているという事実を隠し、曖昧な対応をし続け、無駄に期待を膨らませ続けたお前のせいだ。少女の純粋な好意を弄んだ事を猛省しろ」


「まあ僕が悪いんだけど、ナナが生きてるって分かったのは昨日だし、それまでは独身だと思ってたし」


「開き直るな、馬鹿者」


 今度は長い耳で左頬を殴られ、ナチは強制的に口を閉口。イズの鋭い頭突きも顎に食らい、ナチはベッドの上に無様に倒れ込んだ。


「一つ聞きたいのだが、よいか?」


「なに?」


 ナチは身動き一つせずに声だけを返す。


「お前、どうして妹が生きておると確信できたのだ。我はお前が眠っておる間、ずっとお前の側にいたが、何も変わった様子は見られなかった。それに《神威》とはなんだ?」

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