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十六 ナチ 対 サリス

「帰って来てたの? サリス」


 祭壇の横に立っていたのはナチの想像通り、サリスだ。彼は祭壇の横に立ち、何故か黒い布で全身を包んでいた。見えるのは顔と、かろうじて靴だけ。他は黒い布に覆われて見えない。


 それを怪訝そうに見つめていると、サリスがナチの下へと歩み寄ってくる。額にじんわりと浮かぶ汗を一瞥しつつ、ナチはマオの下へ歩いて行った。


「ああ、少し前にな」


「そうなんだ。それで、どうして隠れてたの?」


 いたずら小僧の様な表情を浮かべ、内心では明確な懐疑を宿しながら、言った。サリスはマオを心配そうな面持ちで見下ろしつつ、鼻を鳴らした。


「この街に着いて、いきなり襲われたからな。警戒もするさ」


「サリスも襲われたんだ?」


「ああ。俺を教会に連れて来ようとしていたみたいだ。だから、教会に来てみたんだが」


「ラミルがマオを襲おうとしていた?」


 サリスは首を縦に頷かせた。サリスが言っている事がもし真実ならば、ラミルを殺した人間は自ずと特定される。この街でラミルを倒せる人間など、そうは居やしない。それにマオからも聞かされているのだから。サリスはナチよりも、ラミルよりも強いと。


「じゃあ、ラミルを殺したのはサリスなの?」


「ああ、俺だ。間一髪だったけどな」


「そう……なんだ」


 ナチは一度、サリスから視線を外し、長椅子の上で死んでいるラミルを見た。何度見ても、ラミルは心臓を鋭利な刃物で貫かれて死亡、という死因は覆らない。


 胸に宿る違和感。それを考えながら、ナチはサリスへと再び向き直った。


「シャミアとリルには、もう会った?」


「いや、まだだ。何かあったのか?」


「大怪我を負ったんだ。最悪、命も危ない」


 サリスの表情が翳る。唇を引き絞り、眉を寄せた。すると、彼はナチから視線を外し、扉へ向かって踵を返す。


「俺は先に二人の所に行く。マオはお前に任せるぞ?」


「分かった」


 サリスは長椅子の間に出来た通路を悠然と進んでいく。ナチはその背中を首を傾げながら見つめた。


 サリスが街に帰って来たのは本当に偶然だったのか。教会に現れたタイミングも、サリスが隠れていた理由も、不自然な気がしてならない。


 マオが襲われる直前に教会に訪れた奇跡的な偶然に関してはまだ納得が出来る。だが、どうして隠れる必要があった。教会に現れたのが憲兵だと思ったのか、それとも見られたくない何かがあったのか。ラミルを殺害してしまったのは確かだが、マオを守ったのも疑いようがない事実だ。隠れる必要は無い様に思う。


 だが、胸に抱いた違和感を解くには、今持っている情報が不明瞭すぎる。


 ナチが指で頬を掻こうとした時だ。一枚の符をナチは手から零し、それは地面に落下していき滑る様に床へと落ちた。


 それは、「反射」の属性が込められていた符。既に効力を失い今は何の力も込められていない、ただの符。


 そこでナチは改めて気付く。忘れていた真実が稲妻の様にナチの脳裏を走っていく。


 効力を失っているという事は、誰かがマオに攻撃したという事。それは一体誰だ。


 ラミルか。いや、それはおそらく違う。ラミルにあったのは刺し傷のみ。全身を注意深く見ても、他に外傷は見られなかった


 それに、ラミルは刃物を所持していなかったのだ。刺し傷が付いているという事は、マオに攻撃した人間は刃物を持っているという事になる。空洞を作る程の大きな刃物を。


 刃物を持っていなかった時点で、ラミルはマオに攻撃していないという事になる。


 もしも、ラミルがマオに攻撃したとしてもその攻撃手段はおそらく、風。ラミルは自身の能力を過信しているのか、能力に心酔している傾向が強い。自身の能力に自信を持っている彼が能力以外の方法、つまり、武器を頼る戦法でマオを傷付ける可能性は低いように思えた。


 また暴風が巻き起こった形跡は無く、長椅子が暴風によって動いた形跡も無い。彼の攻撃は無駄に派手で、計画性の無い大技ばかり。彼が能力を行使すれば、床に固定されている訳ではない椅子が多少なり動いていたとしてもおかしくはない。

 

 それが見当たらないという事はラミルは教会内で能力を使用していない証拠になり得る。


 となれば、マオを攻撃したのはラミル以外の人間という事になる。それを踏まえて考えれば、この場に居たのは、ナチ、ラミル、マオ。そして、サリス。


 マオ本人は除外するとして、考えられるのはサリスだけ。だが、彼がマオを殺そうとする動機が思い当たらない。


 家族の様に仲睦まじい二人が殺し合わなければならない理由が、ナチには思い当たらなかった。



 ナチが落ちた符を拾おうとした時だ。出口に向かって歩いて行くサリスから、何かが滴り落ちた。



 身を包む黒い布の内側。そこから、液体が床に零れ落ちた。一粒。そして、また一粒。よく見れば、床に浮かぶ液体は列を成して落下している。ナチは符を拾いながら、その染みを指先で触れた。それは指先を濡らし、肌色を塗り替えた。肌色を塗りつぶす紅い液体は、ナチの指紋をハッキリと浮かび上がらせる。


 床に染みを作っているのは血だ。


「サリス。ちょっと待って」


 サリスの歩みが止まる。ゆっくりと振り向いたサリスが苛立ち混じりにナチを見る。額に浮かび上がっている汗がサリスの獰猛さを感じさせる高い鼻を伝い、頬へと流れていった。


「その布、少し貸してくれないかな? マオが風邪を引くかもしれない」


「マオなら大丈夫だ。布なんか無くてもな」


 どこか焦りを滲ませるサリスの声に、ナチの疑念が徐々に高まっていく。


「今回は大丈夫じゃないかもしれない」


「俺はお前よりもマオに詳しい。大丈夫だ」


「何だか、必死だね。たかが布一枚に。その布が無いと困る理由でもあるの?」


 ナチは霊力を放出し、一枚の符に属性を込めた。


 何も答えないサリスを見て、ナチは引き攣った笑顔を浮かべた。高まり続けた疑念が確信に迫ろうとしている。


「そろそろ白状したら?」


「何をだ?」


「マオを殺そうとしたって」


 ナチは符を投げ飛ばすと同時に属性を解放。「大気」の属性を具象化させ、ラミルが得意としていた風の弾丸をサリスに向かって撃ち出した。


 吹き荒れる暴風はサリスの体を傷付ける事なく、彼を包んでいた黒い布だけを後方へと吹き飛ばした。出入り口の扉に布が風と共に流れていき、激突した所でナチは符を解除した。効力を失った符は地面へと落下していく。


「その右腕どうしたの?」


 ナチは消えたサリスの右腕に凝視しつつ、硬い口調で言った。右肩から先が綺麗に消失しており、右肩から零れる血液が次々に垂直に落下しては、弾けていく。


 無表情で見つめて来るサリスに、ナチは視線を合わせた。


 長い沈黙が降りる。再び静寂に包まれた教会内には不穏が立ち込め、息が詰まる程の緊張感が空間を支配する。嫌な緊張感だ。もう確信してしまっている。誰がマオを傷付けようとしたのか。誰が、ナチが用意した「反射」の符を起動させたのか。


 手に汗が滲む。握っている符が汗を吸い、湿っていく。ナチは視線が交錯し続けるサリスに内心で懇願する様に言葉を重ねた。



 頼む。言ってくれ……。


 マオを殺していないと……。



 そして、最悪の形で沈黙が破られる時が来た。


「そうだ、俺だよ。俺がマオを殺そうとしたんだ」


 ナチは持っている符を強く握った。奥歯を噛み締めながら、恨めしそうにサリスを見る。


「どうして?」


 震えていると自分でも分かる声でナチは紡いだ。酷い声だ。もしこれが商談や交渉だったら失敗に直結しかねない様な、動揺と悲愁に満ちた声だった。


「殺す必要があったからだ。まさか、お前が小細工しているとは思わなかったがな。やるじゃないか」


「サリスの手からマオを守る為に作ったんじゃない。あれはただのお守りとして渡したんだ」


「無意味に終わったな」


 嘲る様な笑みを浮かべるサリスにナチは憤りを感じ、気付けば声が上擦っていた。


「マオは大事な仲間じゃなかったの? サリスにとってマオは、大切な家族じゃないの?」


「前にも言ったが、俺とマオはただの他人だ。家族でも何でもない。守れと言われたから、守っていただけだ」


「相互利益の関係だとでも言いたいのか」


「ああ。その通りだ」


「なら、どうして僕にマオの両親の事を言った。マオが傷付く姿を見たくなかったからじゃないのか?」


 ナチの荒ぶる声が教会内に響き渡る。だがそれは静寂を打ち破っただけで、サリスの表情に少しも変化をもたらしてはくれない。


「お前に言ったのは、気まぐれだ。特に意味は無い」


 淡々とサリスは言った。感情が乗っていないせいで、言葉の裏に潜む感情が読めない。


 ナチは奥歯を噛み締める事で、怒りに呑まれかけている精神を必死に諫める。まとまらない思考を何とか振り絞り、紡ぎ出す為の言葉を用意する。


「マオを殺す必要があるのなら、どうして出会ってすぐに殺さなかった? サリスは昔からマオを知っているんだろ? 殺すチャンスは幾らでもあったはずだ」


 サリスは黙った。何も告げない。動かない表情からは何も読み取る事は出来ないが、黙ったという事は殺さなくてよかった理由が存在したのだ。マオを殺さなくてもよかった理由が確かにあったのだ。ナチは間髪を入れずに、サリスに追い打ちを掛ける。


「殺せなかったんじゃないの? マオが大切だったから殺せなかったんでしょ?」


「お優しいな、お前は。冷静で冷徹な様で、人を見捨てる事が出来ない。その優しさは必ずお前を苦しめるぞ」


 それはサリスがナチに対して抱いている印象であって、ナチの質問に対する問いではない。ナチは鼻の穴を盛大に膨らませると、声を張り上げた。


「そんな事どうでもいい! 僕の質問に答えろ!」


「そう猛るな。殺せなかった訳じゃないさ。今までは殺す必要が無かっただけだ」



 サリスは腰に提げた剣を、左手で引き抜いた。重厚な刃が、蝋燭の火を反射して銀色に煌く。剣の腹にナチの顔が映る。怒り、悲しみ、恨み。それらをぐちゃぐちゃに掻き混ぜた感情を浮かべているナチの顔が、剣には映っていた。



「殺す理由が出来た。だから、殺す。それが、誰であろうとな。もし、お前がマオを守るというのなら、容赦はしない。椅子の上で転がってる屑と同じ結末をたどらせてやる」


「守るさ。僕は理不尽な暴力からマオを守る為にこの街に来てるんだ。サリスが屑に成り下がるのなら、僕はそれを薙ぎ払う」



 サリスは剣をナチへと向けると、笑顔を浮かべた。その笑みはナチを敵として認めた証。



「なら、止めてみせろ新入り」



 二人は同時に動いた。



 ナチは符に属性を付加しながら、右に跳躍。サリスはナチが立っていた場所に剣を力任せに振り下ろした。ナチは振り下ろされたサリスの剣を難なく躱し、椅子の背もたれの上に着地。その瞬間、大きな刃風が巻き起こると共に鈍い破砕音が教会内に響き渡る。


 ナチは先程まで自分が立っていた石床が砕けたのを見て、表情を強張らせながら符を投げ飛ばした。「硬化」と「加速」の属性を付加した符は真っ直ぐにサリスへと向かって飛行していく。


 霊力を流し込み、属性を具象化。


 しかし加速していく符の弾丸をサリスはいとも簡単に切り落とした。その現象に特に驚きはない。石床を砕く膂力だ。ナチの符を切ったとしても何ら不思議ではない。


 ナチは背もたれを次々と飛び跳ねながら符を二枚取り出した。


 符を放り投げようとした所で左側から剣が迫っている事に気付き、ナチは右に大きく跳躍。顔面擦れ擦れを通過していく剣に肝を冷やしつつ、回避に成功。


 だが、勢い余って背中から壁に激突。衝撃が体に伝わる。背骨が軋み、空気と共に呻き声が漏れた。細めた視線の先でサリスが剣を構えている事に気付き、ナチは体を回転させて、壁を伝う様に左へ移動。


 先程までナチが居た場所に剣が勢い良く突き刺さり、石壁に巨大な亀裂が入った。あと数秒遅ければ、串刺しになっていたという事実に背中の毛が逆立ち、逆立った毛を汗が濡らしていく。


 ナチは先程投げ損ねた符を投げ飛ばす。投げた先はナチとサリスの間。それを足下に落とす。


 ナチは大きく後退し、符とサリスからかなりの距離を取った。壁に突き刺さった剣を抜き終えたサリスがナチに向かって猛進し、サリスの体が符と重なった瞬間にナチは霊力を指先から放出。属性を具象化。


 ナチは、咄嗟に耳を塞ぐ。


 符に込めた属性「音」が具象化され、サリスの足下から脳を破壊しかねない程の超高音が大音量で発せられる。サリスは咄嗟に剣を地面に突き刺し耳を塞いだが、サリスには左腕しかない。両耳を塞ぐことは不可能だ。


 人体を破壊する音の奔流によってサリスは片膝を着き、苦渋の表情を浮かべた。右耳から垂れる血液。鼓膜、耳小骨は破壊され、三半規管や蝸牛へと流れていく爆音は音量が調節される事なく、脳へと信号が伝わっていく。


 この好機をナチは見逃す事無く、指で挟んでいた符に属性を込めた。「硬化」と「加速」の属性を付加し符を指から離すと地面に落下させる。


 ナチはひらひらと舞い落ちる符を、右足で蹴り飛ばした。その瞬間、ナチは指先から霊力を放出し属性を具象化。


 加速していく符弾は、サリスの左腕目掛けて飛んでいく。左腕が機能を失えば、ナチが生み出す超高音の奔流を防ぐ術は完全に無くなる。


 だが、サリスは右に倒れる事で符を避けた。そして、足下で爆音を奏でている符をサリスは背中で踏み潰し、体を回転させる。それによって生まれた摩擦力によって符を破壊した。鳴り止んでいく爆音に苦悶の表情を浮かべつつ、サリスは刺さったままの剣へと手を伸ばした。


 サリスは剣の柄を杖の様にして立ち上がると、床から剣を勢いよく引き抜いた。


「さすがは、異世界の力だ。俺がここまで苦戦する事になるとはな」


「今、なんて……?」


「俺も本気を出さねばならないな」


 茫然としているナチを他所に、サリスは剣を無造作に床に放り投げると、瞳を閉じた。


 体を覆っていく灰色の毛皮と共に肥大化していく手と足には長く巨大な鉤爪の様な黒い爪が伸びていく。顔は犬の様に前方に伸長し、伸びきった顔から覗き見えるのは鋭利な牙。強靭な下顎が上下する度に飢えた獣の様に涎を床に撒き散らしていく。


 最後に尻尾と耳を生やすと、サリスは金色の瞳を見開いた。

第一章も終盤です。もう少しで終わります。

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