十九 安全な捕縛
「あなたは納得がいかないのですか? 彼女が一人で全てを成し遂げてしまった事実が。認められないのですか? 彼女があなたには到達しえない未来を歩んでいる事実が」
僻んでいるのですか? 彼女の圧倒的な力に。彼女に集まる信頼に。偉業に。
それを口にする事はしなかった。もし、それを口にすれば彼は傷付くかもしれない。そう思ったら、ミアは言葉を飲み込んでいた。彼女と出会う前ならば、間違いなく口にしていただろう。相手の感情を察する事無く、事情を忖度する事もなく、淡々と事実を述べていたと断言できた。
けれど、今は言葉を選ぶことが出来た、とミアは思う。相手の気持ちを推し量れただろう、と。その証拠にスレイは笑顔を浮かべている。笑う直前に目を見開きはしたが、笑声を上げている。相手を傷付けてはいないだろう。
「僕も人のこと言えないけど、言いにくいこと結構簡単に言ったね。リーヴェだったら傷付いて、三日三晩泣いてたかもしれないよ?」
ミアは首を傾げた。彼の言葉の意味を理解するまでに少々の時間を必要とした。
「今あなたは傷付いたのですか? 笑っていたのに」
「まあ傷付いたというよりは驚いたかな。あっさり本心を見破ってきたから」
「人間の仕草、言動、行動、心理パターンは情報化され、私の頭部に組み込まれている記憶領域に保存されています。ですので、あなたが会話で使用した言葉、目の動き、仕草などで心理パターンを分析し、そのような結果が導き出されただけの話です。ですが、これは傾向の話。そういう傾向がある、というだけで確証がある訳ではありませんので、あなたの本心を見破ったと道破することは出来ません」
「あーうん。別にどっちでもいいよ、それは。じゃあ、緑葉の肉詰めが完成するまでの間に、三人で一緒にコンポートでも作ろうか。リーヴェが帰って来るまでまだ少し時間があるし。シャルが作ったって知ったらリーヴェも喜ぶと思うし」
シャルの手を握る力が少しだけ強くなる。唇を尖らせ、あからさまに視線をスレイから逸らしたところを見ると、拗ねているのは間違いない。
「別にリーヴェ姉ちゃんが喜んでも、嬉しくないし」
「そうだねえ。今は喧嘩中だもんね。仲直り、今日こそは出来るといいね」
シャルの頭を優しく撫でたスレイは布袋から林檎によく似た赤い果実を取り出し、丁寧にナイフで皮を剥いていく。唇を尖らせたままのシャルは渋々ながらもナイフを受け取り、スレイの指示の下、赤い果実の皮を剥く事に着手し始めた。
「ここに三人で作業に従事するのは少々手狭ですね。私は子供達の監視を再開しますのでコンポートとやらは二人にお任せします」
「ありがとう。よろしくお願いします」
「ミアお姉ちゃん、これが終わったら、また遊ぼうね」
捨てられそうになっている子犬の様な眼差しを向けてくるシャルに同意を示す為に小さく頷くと、ミアはダイニングへと移動し、暴れ狂う黒馬の様に縦横無尽に駆ける子供達を眺望した。
『捕縛』が腰に巻き付けられている事などお構いなしに遊び続けている無限の体力を有する少年達の中で最初にミアに気付いたのはマッド。そして、次にシャサだった。二人がミアに駆け寄ると一斉に子供達がミアの下へ駆け寄った。
「あれ、シャルは?」
そう言ったのはマッドだ。やや挙動不審にシャルの姿を探している。それをニヤニヤして見ていた他の子供達はマッドに睨まれるとすぐに笑顔を引っ込めた。
「スレイと共に料理をこなしています。ですので、私は邪魔にならない様にあなた達の監視を再開しようかと」
「えー。いらねえよ、監視なんて。ミア姉ちゃんおっかねえし」
「別段おっかなくなどありません。この部屋さえ出なければ特に拘束するつもりも、指示を出すつもりもありませんので、好きに遊びなさい。さあ」
「真顔で突っ立てるのがおっかねえんだよ」
「そうですか。では」
と言って、ミアは古びた椅子に座り込む。
「座りました。これで問題ないですね?」
「そういうことじゃねえよ。真顔なのが怖いの。ミア姉ちゃんは……そのなんつーか」
言い淀んでいるマッドの肩を柔く叩くシャサ。その表情はどこか大人びていて、同意を示す様に首を小刻みに上下させている。
「ミアお姉ちゃん。お人形さんみたいに綺麗だもんね。私は怖いと思わないけど」
「怖がってるの、マッドだけ」
そう言ったのは常に呆けた様な顔をしている常に安穏としている黒髪の少年だ。
「怖がってねえよ。怖がってねえし……」
言葉尻が徐々に弱くなっていくマッドを無表情で見つめながら、ミアは淡々と改善案を提示する。
「私のことは存在しないものと思ってもらって構いません。さあ、子供らしく自由を謳歌しなさい」
「逆に遊びにくいっつーの……」
キッチンに通ずる扉へと視線をチラチラと移動させている、やや不機嫌な様子のマッドは、ミアと視線がぶつかると不自然に体ごとミアから視線を逸らした。
「スレイとシャルと遊びたいのですか?」
「正確にはシャルだけ」
「トク黙ってろ! 違うからな! いいか? 別にあいつと一緒に遊びたい訳じゃないからな!」
ミアが首を傾げていると、マッドは子供達を引き連れて、ミアから距離を取る様に部屋の端へと移動する。が、そこまで広い部屋では無い為にミアとの距離はそこまで開いていない。まあ気にする必要はないか、とミアは両手から放出している八本の『捕縛』を漫然と見つめた。
対人間用拘束糸『捕縛』。人間を拘束する為に開発され、搭載された拘束特化の鋼糸。目的は文字通り、人間を捕縛する。
けれど、『捕縛』をこんなにも安全に使用した事がミアには無かった。尋問、拷問、絞殺、斬殺など、死にまつわる使用方法にのみ用いていた。『捕縛』などという名称で呼称されているが、使い方によっては物質を切断する事も十分に可能であるし、刃物よりも鋭い切れ味を有する時もある。
私がこんな使い方をする時が、こんな使用方法を選択する時が来るなんて。
あなたの言う通り、不思議な事象の連続ですね。
感情を得た人生というのは……。




