十六 似てるから
「悪いな。私は先に帰るから、相棒によろしく」
マオとマナの肩を柔く叩いたリーヴェは早歩きで往来を歩いて行ってしまい、すぐに彼女の後姿は見えなくなった。何か用事があるのだろうか、などと思っていると、マオの横でマナが笑いを噛み締めている事に気付き、マオはその意味が分からず目を瞬かせた。
「どうしたの?」
「リーヴェさん、今日ご馳走がどうとか言っていたじゃない?」
「あーうん。言ってたね」
今日の昼頃。スレイとの別れ際にリーヴェは確かにご馳走よろしく、と言っていた。そこに他意があるのだろうか。
「あれね。孤児院に住んでるシャルという子の為なのよ」
「どういうこと?」
「最近、この街では行方不明者が立て続けに出ているでしょ? だから、孤児院では子供達だけでは外出禁止っていう約束を子供達としたらしいの。けれど、シャルという子は二日前に一人で詰所に遊びに来てしまった。それで、リーヴェさんがシャルを叱ったの。結構、厳しく」
「あーなるほど……仲、拗れちゃったんだ」
「で、そろそろ仲を直したいリーヴェさんは食べ物で機嫌を取ろうとしているわけ。多分、孤児院ではそろそろ夕食を食べ始める頃じゃないかしら」
「それで早歩きで帰っていったんだ。仲直りできるといいね」
「どうかしらね。二日間、一言も口利いてくれないって、クレアさんに愚痴を零していたし、そんなに簡単にいくかしらね」
「なんか、お父さんのお悩み相談みたいだね」
「そうね。実際、子供達からはお父さんの様な扱いを受けているのよね。あんなに綺麗な人なのに」
二人は『貧民区』に通ずる扉がある方角に向かって歩き出した。すっかり暗くなった路地は露店の主人達が次々に灯し出すランプの灯りによって煌々と照らされ、路地にはマオとマナの影が巨人の様に映し出されている。
「ところで、あなたこそもう大丈夫なの? 先程までは気が抜けた様な顔をしていたけれど」
「あーうん。一応は」
ナチの変化の理由。その正確な理由は結局、分からないままだ。けれど、思い当たる節をマギリから聞く事が出来た。ナチの双子の妹の話を少しだけだが聞く事が出来た。両親よりも大事で、世界を渡る旅の途中に何度も会いに出向く様な大切な存在。
けれど、二人は血縁者だ。血の繋がった兄妹で、家族。マオが抱いていた心配は杞憂なのかもしれない。
大切な家族と泡沫の夢の中で再会できた。都合よく考えれば、無理矢理に答えを出す事は出来る。例え、そうではなかったとしても既に亡くなっている相手に張り合っても仕方が無いし、マギリが言った様に、寝ている間にナチに何があったのかは、マオ達には答えを出す事は出来ない。
一先ず、ナチに関する懸念は払拭された。
だが、マオにはもう一つ、気になることがあった。出来たというべきか。
「一応聞くけど、ナチに関する事なのでしょう?」
「うん」
マオの左側を歩くマナは何やら言い辛そうに苦渋を表情にやんわりと浮かべ、右頬を掻き始めた。その様子にマオは首を傾げ、彼女が口を開くのを待った。そして、『商業区』と『貧民区』を隔てる壁が夜闇に紛れて視認できる距離にまで到達した頃、彼女は口を開いた。
「……人の恋路に口を挟むべきではないと分かってはいるのだけれど、あまり嫉妬深いと愛想を尽かされるわよ?」
「あーうん。でも、まずは一人の女性として見られるとこから始めないといけないというか。愛想以前に愛する人として想ってもらうところからというか」
「あなたは何を言っているの?」
「悩んでるの! 異性として見られてない事に!」
マナの肩を激しく揺らしながらマオが言うと、彼女は面倒くさそうにマオを引き剥がした。マナが盛大に吐いた白い溜息は冷たい夜風に流れて、闇に同化して消えていく。
「私にはそうは見えないけど」
「違うんだよー。確かにお兄さんは優しいし、守ってくれるし、大切にしてくれるけど、何というか、父親が娘に優しいのと同じ感じがするというか」
「……そう見えなくもないわね、言われてみれば」
「でしょ? お兄さんって鈍感そうだし、普段はボーっとしてるくせに察しは良いんだよね。結構、露骨にアピールしてるのに軽く逸らされるし」
「まあでも、まだ分からないでしょう? 本当に鈍感の可能性もあるのだし」
「分かるよ」
「どうして?」
マオとマナは露店で小さな木樽に入った温かいミルクを購入し、区を隔てる壁の近くに置いてあった、座るには丁度良い大きさの石の上に腰を下ろした。冷えた石の感触が尻を通じて全身に伝わり、体を震わせるのと同時に、マオはすぐさま温かなミルクを口に含んだ。濃厚な液体が口内に広がり、温かい液体が喉奥に流れて行く。
「だって、似てるから。向けられた好意を逸らそうとする時の私と」
ウォルケンを離れ、ナチと旅をして、彼が鈍感では無い事をマオは知っている。むしろ、人の機微に敏感な方である事も。
おそらく、彼はマオの気持ちに気付いている。気付いた上で、マオが好意を匂わせた時に曖昧に濁し、逸らしている。何事もなかったかのように苦笑し、その場を切り抜けようとしている様にマオには見える。
その時の彼の行動は、マオがリルから向けられる好意を逸らす時の行動とよく似ているから。気付いていながらも曖昧に空気を濁し、鈍感なフリを装って、気付いていないと相手に信じて疑わせない様にする、マオの行動と本当によく似ている。
「似た者同士という訳ね。それが仮に真実だとしても、あなたはナチがそうする理由を知らないのでしょう? あなたの好意を誤魔化す理由を」
「……うん」
「なら、後はあなたがどうするか。どうしたいのか、じゃないかしら。誤魔化され続けたままでいいのか、それともあなたの想いに一度、答えを出してほしいのか」
マオは無言で少しだけ温くなったミルクに口を付けた。
出来れば私の想いに答えを出してほしい、と思う。けれど、それは彼との関係に一度区切りがつく事を意味する。彼がマオの想いを受け入れようと拒もうと、関係性は変わる。良好か悪化か。必ずどちらかに変化し、不可逆なものになる。それは避けられない。
だが、彼は大人だ。マオの想いに応えられなくても、彼は以前のままの関係性を演じてくれるだろう。何事もなかったかのように優しく大切に、これからもマオを守ってくれるだろう。彼はそれが出来る人間だ。自身の目的の為にマオを守り続けてくれるだろうことは目に見えている。
だけど、もしそうなってしまったら、ナチとマオは本当の意味で相互利益の関係になってしまう。世界を救う者と救う可能性を持つ者、というだけの関係になってしまう。
それがマオは怖い。彼と積み重ねてきた絆が一瞬にして綻んでしまうのではないか、と思えてしまって。好意を寄せるほどに時を共にしてきたから、失った時の事を思うと、余計に怖いと思ってしまう。
「……私の父ね。心を病んで、自身の妻を、私の母を殺めたの」




