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十五 教会を染める赤

 商人や通行人に道を聞きながら、何とか教会へとたどり着いたナチの手には合計二十枚の符が握られていた。来る途中で地面に落ちていた葉を拾ったのだ。当然、ポケットの中にも符は入っている。それはもう大量に。だが、その全てには属性が既に付加されてしまっている。


 そして、今ナチが手にしている符には、まだ属性が付加されていない。



 それには意味が当然ある。ここは超能力の世界だ。魔法や魔術の様に複数の能力を持ち合わせている訳では無く、たった一つの能力をその身に宿している。その能力は固定で、変質する事も変容する事も無い。


 という事は、ナチは超能力に合わせて有利な属性を選ぶことが出来る。


 つまり、ナチは彼等に対して基本的に優位に立てるという事だ。


 これが、ナチが様々な世界を渡り歩き身に着けた戦闘スタイル。


 符術と神秘の術を組み合わせた本来の符術とは一線を画す、ナチだけの符術。






 ナチは目の前に立つ白い建物に目を向けた。マスターの言う通り屋根には白く重厚な十字架が設置されている。手入れされていないのか、十字架は錆びついていた。教会の象徴たる十字架が錆びついていていいのか、とも思うが、ナチは一度瞑目し深呼吸。


 ウォルケンの中でも少しだけ標高が高い位置に設置された教会は、百人は余裕で入れそうな敷地面積を有しており、ウォルケンの中で一番大きな建物と言えた。ラミルが何故この場所をしたのかは分からないが、建物内で戦闘をするにはやり易いと言える。


 ナチもラミルもどちらかと言えば、戦闘スタイルは中遠距離戦闘を得意としており、ナチは接近戦の経験も無い訳ではないが、どちらかと言えば不得手。ラミルは能力一辺倒というイメージがナチの中で定着している。


 もし狭い屋内での戦闘となると、自身の能力で自称しかねないという危険性のなか戦闘する事になる。それはあまり利口では無いし、正直に言って無謀だ。それをラミルも分かっているのだろう。だから、この広い敷地面積を持つ教会を選んだ。全ては憶測の域を出ないが、確信には迫れているだろう。


 緩やかな勾配の坂道を上り切ると、ナチは教会に設置された巨大な木造の扉の前に立った。教会に相応しい荘厳な扉。もしナチが神に仕える敬虔たる信者ならば、跪いて祈りをささげてしまっていたかもしれないと思う程にこの扉には不思議な異相を感じた。



 ナチはゆっくりと手を伸ばした。この扉を開く事によって始まるのは開戦か。それとも待機か。


 ナチは大きく深呼吸した。鼓動が早くなり、体内を流れる血潮が早くなるのを感じながら、何度も深呼吸を繰り返した。


 手が扉に触れると、冷たく無機質な感触が指先から伝わってくる。ナチは扉を前に緩やかな速度で、けれど力強く押すと、教会の扉を開いた。教会内に人が居る気配はしない。が、それはナチの不安を解消してくれる材料にはならない。自身の目で確かめるまでは。


 ナチは右足を強く踏み込み、素早く内部へと進入すると後ろ手に扉を閉めた。符に属性を込める準備をし、ナチは拳を構える。神経は針ほどに研ぎ澄まし、すぐに左右を確認する。待ち伏せするのならば、扉の一番近くが利口。


 だが、左右に敵は居ない。あるのは寂寞とした石畳と、壁に埋め込まれる様に設置された燭台に灯された蝋燭の灯りだけ。


 ナチはすぐさま教会全域を見渡した。敵の数を確認しようと眼球に痛みを感じる程に頻りに眼球を動かす。眼窩から眼球が零れ落ちるのではないかと一抹の心配を抱きつつ、ナチは一歩ずつ前方に滲み寄っていく。


 けれども、素早く動かしていた眼球は徐々にゆっくりになった。構えていた拳も静かに下ろす。


 誰も居ない。教会内には人っ子一人いなかった。静寂が広がる無音の室内に、ナチの荒い呼吸音だけが無情にも響き渡る。ナチの熱を伴う高揚した内面と、哀感とした眼前の景色の対比があまりにも正反対すぎてナチは拍子抜けしてしまう。


 ラミルはまだ来ていないのか。それとも、剃髪の男が言っていた情報が偽情報だったのか。どちらにしても、しばらくここで待つしかない。今は闇雲に動くべきではない。そんな事は分かっているのだが、そうもいかないのが人間の心というもの。


 ナチは規則的な配列で並べられた長椅子の下に出来た僅かな隙間や、天井を見上げる。やはり、誰も居ない。


 無骨な感じが漂う石畳の上を歩きつつ、ナチは長椅子と長椅子の間に出来た通路を進んでいく。


 広い教会内の丁度真ん中辺りまで歩いて行くと、ナチは前方に何かが転がっているのが見えて、咄嗟に体勢を落とした。一気に距離を詰めたくなる気持ちを抑えて、じりじりと歩み寄っていく。


 それは教会の最奥に設置された白い祭壇の前に居た。簡素な作りの祭壇に無数に置かれた蝋燭の火が、転がっている何かを頼りなく照らす。


 上手い具合に長椅子に隠れて見えないそれは、人だ。細く、呼吸によって僅かに膨らみを見せる腹部と形の良い足だけが、今のナチに分かる唯一の情報であり、人が祭壇の前に倒れているという子供でも分かる様な陳腐な感想を脳裏に浮かべながら、ナチは祭壇に向かって一歩踏み出した。


 それから数歩ほど進んでいくと、長椅子に隠れていた頭部がようやく姿を現す。支子色の髪がさらりと冷たい石の床に垂れ、血に濡れた口元から穏やかな呼吸が漏れ聞こえる。


 仰向けに眠っている少女の姿を視界に捉えた瞬間にナチは安堵の息を漏らした。相好を崩しそうになるのを必死に堪える。まだ油断はできない。罠かもしれない。そう心に警告を促すが、ナチの表情は言う事を聞かない。口角が上がり、目が微かに開いた。


 祭壇の前で倒れているのはマオだ。


 警戒を怠る事無くマオへ駆け寄ると、ナチはマオの口に耳を近付けた。マオから聞こえてくる静かな吐息。間違いない、生きている。心音と脈も測り、命に別状が無い事を確認する。ジャケットが所々破れているが、それ以外に傷は見られない。


 暴行された様な跡も無く、シャミアやリルに比べるとマオはかなり軽傷だった。


 深く安堵の息を吐き、長い瞑目の後にナチは床に白い葉が落ちている事に気付き、それを拾い上げた。


 

 これは、ナチがマオにお守りと称して渡した符。属性も込め、冗談半分で渡した自称お守りであったそれは効力を失い、今はただの葉っぱと変わらない。


 この符に込めてあった属性は「反射」。あらゆる物理攻撃を相手にそのまま跳ね返す単発の鉄壁の盾。


 鍵が有していた、あらゆる物理現象を無効化する能力を模倣して作り上げた属性。霊力を大量に消費する為、大量には作れないが一対一の対人戦ならば、絶大な効果を発揮する属性だ。

 

 ナチがマスターと会話をしている時にこの符を発動し、既に効力を失っているという事は誰かがマオを攻撃した事になる。しかしながら、最もマオに攻撃した可能性が高いラミルが見られない。


 それにマオが教会内に居るという事は、ここに運んで来た人物が必ずいるはずだ。なのに、この教会内には誰も居ない。ラミルどころか、その部下も居ない。不自然すぎる。マオだけがこの場に居るこの状況は明らかに不自然だ。


 ナチは穏やかな表情で眠るマオから視線を外し、音を立てない様に立ち上がった。教会に内包された静寂が、余計にナチの心に芽生えた恐怖心を煽る。急速に心を埋め尽くしていく不安がナチを冷静から遠ざけようとする。


 ナチは手に持っている符を構えながら、目の前にある祭壇を見た。最奥に存在する祭壇の更に奥。物置きになっているのか、黒い布で覆われているその場所へと視線を向けた。


 そこに向けてナチが歩き出そうとした時だ。



 ポタッ……。



 どこからか水滴が落ちる音が聞こえた。地面に落下し水滴が跳ねるその音に、ナチは体を震わせた。無意識に肩が上がり、持っていた符を落としそうになる。双眸に力が入り、乾いた瞳が瞬きを要求するが、ナチはそれを無視。


 瞬きをする事すら恐怖に感じる程に、ナチの心は恐怖に駆られていく。雨漏りなどする訳がないのだ。外は雲一つない快晴。教会内に井戸や水道などの水にまつわる設備や器具は無い。もし、この場所で水滴が落ちる事になる状況があるとすれば、汗か粗相をしたか、落涙か。もしくは……。


 どちらにせよ、咄嗟の事で音がする方向を判別する事は出来ず、ナチは壊れた機械人形の様に首をゆっくりと動かしていく。



 上を向く。何もない。



 右? 何もない。



 左? 何もない。



 では、後ろ?



 ナチは固唾を飲みながら、ゆっくりと背後へと体を向けた。



 あった。



 教会内の静寂を破る音の正体は、背後にあった。今も、ポタポタと鼠色の石畳に水滴を落としているのが見える。その色を塗り潰そうと躍起になっているのが見えた。


 二つの列を作る最前列の長椅子。ナチから見て左側の長椅子にその正体は存在した。蝋燭の火に照らされ、液体は色を宿しながら落下していき、椅子の影に呑まれて再び色を失う。


 その色は濃い赤。鮮やかな赤色を宿す、その液体は血だ。


 人の歴史の中で幾度となく流れて来たその液体は、今もナチの目の前で滴り落ちている。


 ナチは長椅子でこちらを見上げてくる人物に、目を合わせた。本当に視線が合っている訳ではない。


 合う訳が無いのだ。彼の瞳からは、既に命の灯が失われているのだから。


 長椅子の上に寝転がり光無くナチに目を向けるのは、ラミル。ウォルフ・サリに危害を加えた張本人であり、ナチがこの街に来ることになった理由にもなった人物。理不尽な暴力とマオも含めたウォルケンの人々に畏怖されていた、人の理を外れた屑。

 

 白かったシャツは真っ赤に染まり、白い部分を見つける方が難しい状態になっている。口元は血で真っ赤に染まり、割れた額からは血が垂れ流しになり顔全体に血を運んでいるせいか、相好の判別がつきにくい。


 それから、ナチは胸元へと視線を向けた。胸元が大きく開いた着崩しをしているせいか、ハッキリと見えた。胸に大きく空いた空洞を。黒く大きな空洞に、本来ならばそこに無ければならないものが消失してしまっているのを。


 失われた心臓。形の判別すらつかない程に潰れてしまったか、何者かに抜き取られたか。どちらにせよ、彼の胸から溢れる出血量はとっくに致死量を超えている。木製の机は血液をふんだんに吸った影響で黒く変色し、石造りの床には小さな池の様な水溜りを作り上げていた。


 ナチはラミルの死体へと近付くと、彼の胸元に開いた空洞を凝視した。その傷が生まれた原因を推測する為に、ナチは顎に手を添えた。


 空洞が空いている以上は鎚や棍棒などの鈍器という事は無いだろう。それを踏まえれば、拳や蹴りもあり得ない。考えられるのは剣か槍。刃渡りが長く、剣幅が広い大剣。もしくは刃が大きな槍が無難なところだ。


 刺した後に捻った形跡も無く、何度も刺された様子もない。一撃で仕留められている。となると、細剣や短剣もあり得なくなる。


 つまり、巨大な刃物で心臓を一突き。それがラミルの死因。


「刃物で心臓を一突き……」


 ナチはラミルの服から刃物を探した。ラミルの服からは刃物を見つける事はできず、一応周囲も探したが刃物は一つも見当たらなかった。どこにも彼を殺したと思われる凶器が無い。


 首を傾げながら、ナチがラミルの死体を再度確認していると、不意に背後から声が掛かった。


「遅かったな、ナチ」



 掛かった声はマオではなく、男性の物。聞き覚えのある声だ。交友関係が限りなく狭いということもあり、聞き覚えのある声も限りなく少ない。


 ナチは既に声の主が誰なのか分かった上で、背後を振り返った。


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