三十三 インビンジブル・ゼロ
気付けば体は動いていた。
超高速の戦闘はナチの敗北によって幕を閉じ、歩行すらままならないナチは浅い呼吸を繰り返し、全身の苦痛を表す様に相好を歪めている。そんな満身創痍の彼に向けて主砲が撃ち込まれそうになっているのを見て、精神が動くよりも先に、肉体は彼に向かって走り出し、無意識に氷の生成を開始していた。
マギリが瞬時に雪の結晶を模した氷壁を展開し、砲撃からナチを庇った事で彼の命は守られているが、それでも彼はまた迫りくる死を易々と受け入れようとした。
ユライトスでの戦闘の時もそうだが、彼は死をあまりに簡単に受け止めるきらいがある。死を目前にしながら、諦観染みた視線を向け、無抵抗に無努力で死を受け入れようとする姿勢をこの戦闘でも既に一度見ている。
彼は確固たる目標を持ち合わせているくせに、自分の命を容易に切り捨てる事が出来る。出来てしまう人間なのだ。叶えたい目標があるくせに、命を落とす事には無頓着で寛容。これが歪だとマオの幼稚な頭でも理解できる。
マオは彼の死に対する認識の歪さを実際に目撃し、体験し、経験する事でようやく彼の本質の一端に触れた気がする。優しく強いだけじゃない、ナチという一人の男性の壊れている部分にようやくマオは焦点を合わせられた気がする。
彼は生に対して価値を見出せないのかもしれない。生きている事に執着できないのかもしれない。だから、心理の深層が死を容易に受け止めてしまうのかもしれない。だって、生きたいと望んでいる人間は死を簡単に受け止めたりしない。死に対して抗わずにはいられない。
もしかしたら、ナチは世界を救うという題材にはあまり興味がないのかもしれない。彼が求めているのはあくまで目的だけなのかもしれない。彼が他者の命を容易く奪える理由も、他者に弱さを見せない理由もこれらの思考から漏れ出た副産物だとしたら。
いや、それはマオには分からないし、断言してはならない。これはただの憶測と推測を混合させた所詮、マオの妄言だ。マオはナチではないのだから、彼の意見を断定してはならない。
だけど、やっぱり私は知りたい。彼の過去を、思考を、全てを。おこがましいと理解していても、やっぱり私は彼を知り尽くして、全てを受け止めてみたい。過去の彼がどれほど穢れていたとしても、壊れていたとしても、私は彼を受け入れてみたい。
骨の髄まで知り尽くして、彼が拒むほどに愛撫して、私色に染め上げてみたい。その欲求が止められない。その結果、私が傷付く事になったとしても、この要求を通してみたい。
だから、彼に降り掛かる死を誰かが払う必要がある。あまりに簡単に死を受け入れてしまう彼から死を取り除く必要がある。
『中々過激な妄想してるところ悪いけど、やばいかもしれないわ』
マオは静謐な心で眼前に広がる光景を視認。状況をすぐに把握する。壊れていく氷の花。欠けていく六枚の花弁。氷には大きな亀裂が入り、瞬時にマギリが修復している様だが破砕の速度に修復が間に合っていない様だった。
『私が直すよ』
『私がって、あんた』
穏やかな声で紡がれたマオの言葉にマギリの心が微かに動揺する。この危機的な状況で明鏡止水の様な清廉な声色に彼女の心は揺れ動いたのだろう。気にはならない。今は何も気にならない。
今、マオの脳内で駆け巡るのはナチの言葉。そして、マギリの言葉。
どうしたら硬い氷を作り出せるのか。マオはこの問題をどんな攻撃も通さない金属の様に硬い氷を想像して生成する事で解決しようとしていた。この解決策もきっと間違いではないのだろう。けれど、これだけでは《絶硬》の上達には不十分だ。
思い出す。十三曲葬を発動するに至った理由を話してくれた時のナチの言葉を。本気の守護と破壊。誰かを本気で守りたくて、どうしても倒したい敵が存在して初めて前に進むことが出来た、と彼は言っていた。
きっと、マオの《絶硬》も、マギリの《絶対零度》もナチの符術も本質は変わらない。マオに足りなかったのは想いだ。誰かを守りたいと願う強い心。あらゆる攻撃を防ぎたいと思う明確な理由。漠然とした理由では、不明瞭な気持ちでは《絶硬》はマオの想いには応えない。
私は世界なんて大層なものを守りたいとは思わない。世界に住む人々を守りたいなどとは露にも思わない。私が守りたいのはもっとちっぽけで、でも私にとってはかけがえのないものだ。
私は家族を守りたい。ウォルフ・サリの皆を。イズさんとマギリを。お兄さんを。そして何よりも私は、この旅を守りたい。四人で続けるこの旅を私は守りたい。辛くても泣きたくなっても、この幸せは私にとってはかけがえのないものだから。
誰かを守りたいと願う鞏固な意思はどんな修行よりも効果がある。
私もそう思う。これが真理だと私も思う。誰かを守りたいと願う心はこんなにも強い想いを生む。こんなにも力強い意思を抱かせる。
マオは壊れかけた氷花を修復すると同時に、硬度を高めていく。硬度が高まり続ける氷花は砲撃を真正面から受け止めても破砕することはなく、融解することもない。六枚の花弁は従容と青い光を拒み、光が内包する熱を急速に冷ましていく。
『……私達がどうして二人で《世界を救う四つの可能性》なのか。ちゃんと教えてなかったわね』
『うん。教えて。どうして私達は二人じゃないとダメなのか』
『私はね。どれだけ頑張っても《絶硬》を八割程度しか引き出せないのよ。理由は簡単明瞭。私の能力特性じゃないから。私は《絶対零度》しか完全に特性を引き出せないの。それはあんたも同じ』
透明な氷から覗く青い光の奔流にマオとマギリは目を細めながら、お互いに特性を引き出し続けていく。
『私だけじゃ世界は救えない。マオだけでも救えない。私達がお互いに特性を完全に引き出せるようになったその時、私達は本当の意味で《世界を救う四つの可能性》として数えられ、与えられた名を名乗る事が出来る』
同調した精神から流れてくるマオとマギリに与えられた役割の名称。二人は両手を氷花に手を伸ばし、指先で柔く触れる。指先から伝わる《絶対零度》。砲撃の直撃を受けても破損しない《絶硬》を感じながら、二人は紫色の双眸でナチへと視線を向ける。
「信じてるからね、お兄さん」
呆けた表情をしている彼を見て、マギリが内心で舌打ちを打つ。
「私達がこの馬鹿げた主砲を防いでやるって言ってんのよ。あんたはさっさと十三曲葬の準備をしろ!」
指先に霊力の光を灯したナチを見て、マオは微笑み、マギリは鼻を鳴らす。そして、二人は視線を氷花へと戻した。絶対に守り抜いてみせる。ナチもイズもマギリも、自分自身も。誰一人、殺させやしない。
私は私の為に『最強の盾』になる。
『私達に与えられた名は』
『《絶硬零度》』




