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二十四 気まぐれ

「あーあ。お兄さん達のせいでキリの能力を手に入れられなかったよー。責任取ってよねー」


 若干の苛立ちを覚える間延びした物言いをする『黒』はナチ、マギリの順に視線を配らせると、屈託のない笑顔を見せる。外見年齢よりも遥かに幼い笑顔。彼女は口を開かなければ、成熟した男性の様にも女性の様にも見える。だからか、その差異に内心で戸惑いを隠せない。


 彼女がまだ十三歳であり、実の家族を躊躇いなく傷付けた事実に。子供が肉親を躊躇いなく殺害する。そんな光景は幾度となく見て来ているのに。何度見ても慣れはしない。


「手に入れてどうするの? 君は誰の心を見たいの? キリの心?」


 『黒』は広漠に広がる青を見つめたまま、颯爽と流れゆく白雲に目を寄せる。雲の流れに合わせて、眼球が右から左に動く。彼女の瞳に映り込む白い雲、青い鳥は放縦不羈に、どこまでも自由に空を巡っていく。


 それらを憧憬しているかの様に眺める『黒』はゆっくりと三十秒ほどはナチの質問を無視してから、答えた。


「違うよ。僕は、空の色を知りたいんだ」


 青じゃね? などという無粋な質問はナチもマギリもしない。『黒』が言っている空の色というのは視覚で認識できる色彩の事ではない、と二人は気付いているから。


「空には死者の魂がたくさんいて、魂って色を失ってるだけで空を泳ぎ続けてるんだってー。お母さんが言ってた。だから、僕がたくさん人を殺せば空はたくさんの魂で溢れて、キリが見てる世界はたくさんの色で溢れてる事になるでしょ?

 僕もそれを見たい。その為に《心色に触れる瞳》を手に入れる。簡単な話だよ」


 緩慢に安穏に彼女は言った。視線は相も変わらず雲を追い掛けたままで。


「あんた……寂しいの?」


 『黒』の瞳が動きを止める。じっと一点を見つめ、その視線は一天に向いているのか、葉が付いていない梢に向いているのかは分からない。が、彼女の眼球は中央で静止し、空目遣いで何かを見つめている。


「僕は……寂しいの?」


「知らないわよ。でも、たくさん色を……感情を求めてるんでしょ、あんた」


「……うん」


 『黒』は小さな声で呟いた後に、小さく頷いた。その後、彼女は黙考しているのか一切口を開かなかった。静黙し、眼球だけが白雲を追い掛けている。


 『黒』が色を求めている理由は自身の周りを膨大な感情で埋め尽くしたい、とも取れるし、純粋な興味本位、強い探求心にも取れる。もし、『黒』が前者の理由でキリの能力を求めているのならば、それは現状に対する反発と取る事も出来る。


 自身の周りが酷く虚無的で空虚に映る現状に対する反発として、寂しいと遠回しに言っている様に捉える事が出来る。


 とは言っても、彼女の心理の深層は彼女にしか分からないし、彼女の私生活を知らない以上はこれらの憶測は所詮、ナチの身勝手な妄想でしかない。それこそキリが持つ《心色に触れる瞳》の様な人の心に直接触れる様な瞳が無い限り、彼女の内心は分からないし、分かってはいけない。


 人の心は個人の宝物であるべきで、それを表面化するかどうかは持ち主に委ねられるべきだ。だから、勝手に人の思考を決めつけてはならないし、強引に踏み越える事は許されない。


 けれど、ナチも然り、理屈では分かっていても実行する事は難しい。人の思考を理屈や経験則で無遠慮に決めつけてしまうし、半ば強引に人のプライバシーを侵害してしまう。


 自分と同じ考えを持つ者など存在しないと頭では理解しているのに、何度も錯覚してしまう。同じ思考を持ち、同じ理想を持ち、同じ目線で物を見ているのだ、と愚かしい錯覚を繰り返してしまう。


 それは結局、どれだけの歳月を重ねても改善される事はないのだろう。人が人である限り、人は愚かしい錯覚をし続け、盛大に勘違いをして自爆して、成功と失敗を繰り返して大人になっていく。


「……どっちにしても、キリの能力を手に入れれば一つの答えは出るよー。《心色に触れる瞳》が空に何を映してるのか。僕の求めてる答えに触れてくれるのか。――の最期の言葉の――」


 『黒』は今までの無邪気で子供染みた笑みを潜めると、キリの様な一切の感情を閉ざした無表情で風に揺れる木々を見つめた。突如として鳴り響いた葉擦れが『黒』の言葉を遮り、全ての言葉を聞き取る事は敵わず、ナチとマギリは彼女が見つめる空を肉眼で映した。


 戦闘の名残を微塵も感じさせない澄清な青。どこまでも続く青は無関心を貫き、世界に干渉する事は永遠にない。村に死が蔓延しても、血の繋がった者同士が刃を向けあっても、異世界人が無法に異郷の地を荒らしても、干渉はしてこない。


 どこまでも安穏で、どこまでも冷酷。


 ナチはぼんやりと御空を見つめ、安閑に太息する。


「何を知りたいのか知らないけど、その答えを聞いてみれば? あのキリって子に。わざわざ自分の目で見なくても、あの子が『黒』の知りたい答えを教えてくれるよ、きっと」


 『黒』は笑う。嘲笑にも取れる様な笑い方で、ナチを侮蔑する様な視線を向けながら。ナチは泰然と『黒』を見下ろし、体内で霊力を練り上げる。


 わざわざ挑発する様な物言いをしたのだ。この結果はナチの予想通り。


「知りたい事は自分の目で確かめないとねー。他人の言葉は嘘と欺瞞に満ちてて、信用できないしさ。お兄さんなら分かるでしょ? 僕のお腹にこんな異物を仕込んだんだから」


 左腕で腹部を擦る『黒』は瞑目し、嘆息する。


「当たり前だよ。初対面の人間は基本的に信用しないし、信用に値する証明がない限り、何も信じたりしない。特に君みたいな子は本当に油断ならない。人を躊躇なく傷付けて、死んでもおかしくない傷を受けても平然としてるような子は特に」


 戦闘中に見せた、異常なまでの冷静な状況判断と複数の作業を同時にこなす機械の様に高い演算処理。そして、同情すら躊躇われるほどの倫理観の欠如を示した『黒』という少女は間違いなく、次の一手を考えている。この状況でも冷静沈着に反撃の一手に思考を張り巡らしているはずだ。


 だから、符を体内に仕込む必要があった。ナチ達ですら畏怖したクライスの右目を悠揚と視認し、魔力の余波を、その力の片鱗をその身に受けたにも拘わらず平然と沈着している、この倫理が破綻している怪物を制御する必然性は確かにあった。


「そんな事言われると傷付くなー。これでも怪我して傷付いてるうら若き乙女なんだけど」


「ごめんね。僕は男女平等主義なんだ」


 ナチの白々しい告白を『黒』は一笑に付した後に、静かに開目した。ナチには目を向けず、長息する『黒』は腹に乗せていた左手を地面に無気力に下ろした。


「そっかー。やけにお兄さんが優しいのは僕を殺す為、か」


 『黒』は微笑を浮かべつつ、ナチを流し目で見る。ナチの表情を見て、視線を合わせると無言のまま、『黒』は瞬きを二回。目尻を下げ、慈しむ様にナチと視線を交錯させた。


 全てを見透かされている様な、全てを掌握されている様な慧眼染みた視線にナチは言い知れぬ恐怖を抱くと、息を呑んだ。頭皮にじんわりと脂汗が滲み、背中の毛が総毛立っていくのを感じる。


「お兄さんは優しそうなのに、この中で一番壊れてるよねー。傷付いた乙女にまず異物を体に仕込むって、ぶっ壊れてるにも程があるよー。頭やばいねー。いや……違うか。壊れてるんじゃないね。壊されたんだ」


 心臓がドクン、と跳ねた。思考が一瞬止まり、心の内側でせき止めている動揺が漏れ出そうになる。


「なんで、そんな事あんたに分かるのよ?」


 マギリがやや苛立ち混じりに言った。


「お兄さんは僕と似てるから」


「何がよ?」


「お兄さんも僕と同じ、心を壊された側ってことだよー。壊れたんじゃない。誰かに壊されて、壊れたことを自覚してて、心を全て奪われて。心が空っぽなのを自覚してる。空っぽの器には何でも入るからさー。狂気も殺意も、歪んだ倫理だろうが、優しいお兄さんだろうが、何でも入る。立派な人殺しを作るには自前の心なんていらないんだよー。ね? お兄さん?」


 ナチは静黙し、『黒』を静観した。否定も肯定もしない。ナチには分からないから。心を壊して、再形容して、心が壊れて、また再形成して。何度も絶望と希望を行き来したという自覚はナチにもある。


 壊されたという経験も無い訳じゃない。魔術、魔法、催眠術、薬物などによって精神に一過性の異常を患った事はある。が、それは所詮、一過性の欠損でしかない。短期間で欠損は修復され、恒久的な欠損は期待できない。


 人が人を殺める事に対しても抵抗は特にない。皆無と言っていい。他人が私怨で人を殺めたとしても、快楽で人を殺めたとしても、自身にその禍罪が降り掛からなければ別段気にはならない。


 自身が殺める側の立場に立っていたとしてもその考えは変わらない。殺さなければならない敵は男女平等に殺すし、生かすべき存在は他者を殺めてでも生かす。


「どう? 僕の名推理?」


 交錯する視線。向けられる視線は愛撫する様にねっとりと熱く、向ける視線は心が伴っていないかの様に冷たい。


 何時から、こんな壊れた思考にたどり着いてしまったのだろうか。思い出せない。こんな考え方をするに至った経緯や理由。その何もかもを思い出すことが出来ない。


 いや、本当は分かっている。殺戮に対するナチの常識を捻じ曲げ、倫理の恒久的な欠如を施した存在を本当は覚えている。ナチが思い出したくないだけだ。


「さあ、どうだろ?」


「つまんない反応だなー。ま、どっちでもいいや。早く殺しなよ」


「いいの? 空の色、まだ見てないけど」


「助ける気も無いくせにー。どうして、そんな期待持たせるような事言うかなー。さっさと殺さないとお兄さんもお姉さんも殺すよ?」


 ナチと『黒』は温情も非情も灯さない笑みを両者ともに同時に浮かべると、ナチは開目したまま、『黒』は瞑目した。


「名前は?」


「聞いてどうするのさ? 今から殺す奴の名前なんてー」


「一応、覚えておいてあげるよ。気まぐれに」


「コト。教えてあげるよ、気まぐれに!」


 コトは左手でコートのポケットからナイフを取り出すと同時に目を開き、ナイフを自身の腹に突き刺した。刃は左胸の下。丁度、胃が存在する辺りに刺さり、コートの下に着ている白いシャツは赤く染色されていき、その範囲は急速に拡大していく。


 その瞬間にナチが体内に仕込んだ符は破壊され、体内に侵入していた異物が消滅したのが分かったのか、コトは満面の笑みを浮かべる。

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