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十二 焔を映す雫

 日中も、帳が下りてからもナチ達は捜索を続けたが海賊の男を見つけることは叶わず、凄惨な死に覆われた村を少し下った辺りで、ナチ達は休息を取っていた。

 

 夜になると地上には耐え難い寒冷が下り、何かしらの防寒対策をしなくては凍死するといっても過言ではない程に寒い。吐く息は白く、手はあっという間に悴んでしまい、体力は急速に奪われる。


 ナチ達は安易に取れる防寒として枯草と枯枝を符術で燃やした簡易的な焚火を起こす事で暖を取っていた。ナチのコートを毛布代わりに被っているマオは横になるとさっさと眠ってしまい、今も穏やかとは言い難い気難しい表情で眠りに着いている。相変わらずマギリと修行中らしいが、今回は呻き声の様な声は溢していない。


 どうしたのだろうか、とは思わない。順調に行っているのだろう、とも思わない。気難しい表情を浮かべている以上は何やら苦戦しているか、壁にぶち当たったのだろう。


 修行というのはそういう壁に何度もぶち当たる。自分ではベストを尽くしているはずなのに、結果として現れてこないというのはままある。ナチも符術を習得する事になってすぐはそうだった。


 最も難度が低い符術ですら満足に発動する事が出来ず、十三曲葬など夢のまた夢、という時間がしばらくは継続していた。


 誰だって修行開始時点では素人同然だ。どれだけ類稀な才能を秘めていようと、膨大な霊力を宿していようと最初は失敗の繰り返し。失敗し挫折し、時には遠回りして、数え切れないほどの無力感を味わってようやく到達したのが今のナチ。二種類の符術こそが、ナチが壁を乗り越えた結果。


 それもまだ終わりじゃない。これからもナチの符術は変化を続けていく。様々な経験と失敗と挫折を繰り返し、また変化を遂げる。


 今よりも強力になるのか脆弱に変貌していくのかはナチには分からない。誰にも分かりはしない。けれど、努力はし続ける。それだけは判然としている。努力をしない者に魂は宿らない。困難を乗り越える為の強靭な意思が身に付く事もない。努力無き者に真の力が宿らない事をナチは知っている。


 マオも今が一番辛い時期なのだと思う。現実と理想の齟齬に最も苦しめられる時期。それに彼女には《世界を救う四つの可能性》という十六の少女に課すには重すぎるプレッシャーもある。


 その重圧がマオの心に加える攻撃力はナチには計り知れない。


 彼女が感じている焦燥と無力感はナチが思っているよりも遥かに巨大で、その攻撃力は理不尽な程に強烈で、彼女の心を一片の欠片すらも残さない程に喰い破り続けているのかもしれない。それはきっと、ナチの推測の域を超えている。世界を救う役割を保持してしまった重圧に、マギリというマオよりも遥かに優秀な氷使いの出現。


 マオはマギリという存在に少なからず焦っているはずだ。ナチに敗北するのとは訳が違う。ナチは氷を主に使っている訳ではないのだから、敗北したとしても言い訳が立つ。


 けれど、マギリは違う。彼女は本質的にはマオと同系統、いや寸分違わない能力を有している。聞いた限りでしかないが、マオとマギリに共通するのは氷を生み出し、操るという能力。


 そして、二人が持つ異能特性。《絶硬》と《絶対零度》。この特性を二人は共有しているという。お互いにこの特性を行使する事が可能で、この二つの特性こそが《世界を救う四つの可能性》たる所以だという。


 マオもマギリの《絶対零度》を行使できるというのならば、出発地点は同じように見える。が、それは全然違った。今日マギリと共闘してみて理解した。彼女がいかに優秀な氷使いで、いかに勇猛果敢な戦士なのか。奈落の底を覗いているかの様な底が見えない戦闘力にナチも素直に驚嘆の色を隠せなかった。


 また、マギリが《夢想銃》の初撃を完璧に防いで見せた時にすぐに気付いた。彼女は二つの特性を使いこなしている。マオの《絶硬》をマオ以上に操っていると。


 あんな姿を見せつけられて、何も思わないはずがない。あれではマオの存在が否定された様なもの。必要なのは《絶硬》という能力だけでマオ個人ではないと、告げられたようなものだ。


 ナチは枯枝を火に追加しながら、今も眠っているマオの表情を一瞥する。先程見た時と同じ、気難しい表情を浮かべている彼女の表情を。


 霊力を放出し、ナチは焚火が起こす熱をマオとイズに「大気」で運ぶ。マオの表情に変化は見られないが、イズの口角が僅かに上がり長い耳が微細に動いた。


 それを見て微笑を浮かべると共に、ナチは目の前で力強い息吹を夜の美空に向かって吐き続ける焚火を見つめた。その息吹と共に上がる火の粉は、初夏に夜闇を仄かに彩る蛍火の様に美しく、ナチはそれを後押しする様に白い息を吐きかけた。


「……ん……んん……」


 ナチは緩やかに視線を火の粉からマオへと映した。閉じていた瞼が更に強く閉ざされ、それに付随する様に唇も引き絞られた。


 マギリとの修行が始まってから初めて見た反応。普段はもっと荒々しく好戦的な言葉を連ねているのに今回は戦々兢々しているかの様な消極性を見せている。


 ナチはマオに掛けられているコートを彼女に掛け直すと、また枯枝を焚火に投入した。


「ごめんね……」


 枯枝がパキッとなったのと同時に紡がれた謝罪の言葉にナチは首を傾げた。彼女は未だに眠ったまま。《雪の流刑地》という夢の舞台で修行しているはずなのに、どうして謝罪の言葉が口から飛び出してくるのだろうか。


 さすがに起こすべきか……。


 という懸念は徒労に終わる。苦し気に閉じられた瞼が火の粉が空に舞い上がる様なゆっくりとした速度で上がっていく。上がると同時に焚火の火に反射して煌めく、睫毛を濡らす雫。


 その雫は気温差によって生じた霜なのか、それとも別の要因か。彼女の頬を伝う焔を映した涙には気付かないふりをして、ナチは焚火に視線を移動。必要ないと分かっていながら、枯枝を追加する。


 木が爆ぜる音と体を震え上がらせる冷気を多分に含んだ風音が二人の間に下りた沈黙をやんわりと誤魔化し、ナチは長めの木の枝で焚火を意味もなく突き刺す。


 視界の端で、マオが体を動かすのが見える。右か左かは分からないが腕が顔の高さまで上がるのが見えた。その挙動で彼女は泣いていたかもしれない、という憶測は確信に変わる。


「おはよう、マオ。寒くて起きちゃ……た?」


 ナチはなるべく不自然が無い様にマオへと視線を傾けた。その先に居るのはいつものマオ。草原を駆け回る健康的な少年の様に堂々と胡坐をかき、ナチのコートをひざ掛け代わりにしているマオは普段と変わらない様に見える。


 けれど、何故だか普段のマオと若干の齟齬が見られた。それはとても不明瞭でちっとも判然としない齟齬。言葉に表す事は不可能であり、ナチの直感でしかない。何となくいつものマオと違うなあ、とそんな曖昧な変化でしかないのに、その変化が無性に気になった。心臓がドクン、と飛び跳ね血流が急速に上がった気さえする。


 ナチと目が合うと穏やかな微笑を浮かべる彼女は普段と変わらない。なのに、その微かな笑みから感じる不穏な影にナチの心は不安の種子で埋め尽くされていく。


 不安の花が満開になるのを防ぐべく、ナチは拳一つ分ほどマオに寄った。


「何かあった?」


 柔らかい響きになる様に努めて言った言葉に対して、マオはかぶりを振った。表情に変化はない。自身に課せられた理不尽な重圧など全く感じさせない穏やかな微笑。


「……ううん。何でもないよ」


 マオは微笑を浮かべたまま焚火を見つめた。青い瞳が焔の赤に染まり、マギリの様に鮮やかな紅を生み出そうとしている。それはマギリがマオの全てを侵食しようとしている様にも見え、ナチは瞼を限界まで引き上げた。


 それも彼女の瞳が今まで通りの青い輝きを放っている事を確認できるとすぐに元に戻った。表情にも内心にも冷静が帰還する。


「……僕はまだ起きてるから、何かあったら言ってね」


 何かってなんだよ、と思いつつ、ナチは焚火に両手を近付けた。手の平から伝わる少し熱いくらいの熱。赤く悴んでいた指の先に感覚が戻って行く。少ししびれた様な痒い様な感覚。


 それからしばらく二人は沈黙の夜の中でただ焚火を見つめていた。眠る事すらせずに体を横にする事も無く、どちらかが口火を切る気配すらなく、二人は寒空の下、揺れる焚火の日をぼんやりと見つめていた。


 ナチは時折、枝や葉を補充し、霊力を放出し酸素を注入。火の調節を無駄に繰り返す事で退屈を凌ごうとしていたが、それも長くは続かない。火の調節など一度してしまえば、余程の事が無い限り何度も必要になる行為ではない。


 そうなってしまうと一気に暇になってしまう訳で、ナチは火を物憂げな瞳で見つめ続けているマオへと一度だけ視線を送ると、また焚火に視線を戻す。


 聞くべきか……。


 明らかに様子がおかしいマオの態度。寂然とした雰囲気を全身から醸し、表情にも翳りが見えるのに、ナチと視線が重なるとまた微笑を浮かべる。なんでもないよ、と言わんばかりに穏やかに微笑む。


 何でも無い訳ないのに。それは分かり切っているのに何と声を掛けたらいいのか。適切な言葉は浮かばないし、気の利いた寝物語も思いつかない。


 女子受けのいい話……。


 鼻の頭を掻きながら記憶を引っ張り出すが、そんな気の利いた話は当然持ち合わせていない。それに彼女が落ち込んでいる理由は明らかにマギリとの蟠り。


 ならば、マオが求めている話題や言葉は異能関連のはず。異能関連か、と鼻の頭を摘み人差し指で擦る。それから、適切かは分からないが一つの案を脳裏で構築していく。


 それからナチは焚火用に取って置いた太く長い木枝を手に取ると、霊力を流し符に変えた。白く変色していく符。それを見て、ナチは左手の指先に高濃度の霊力を灯す。


 白縹の光が指先に灯り、焚火が浮かべる赤の光を押し返そうと躍起になる。その光の煌めきに釣られてマオの瞳がナチの指先に誘導される。


 夜空を彩る星の中心で鎮座する月の丸みをなぞる様に、符に文字を刻んでいく。その呪文はレヴァルで発動した十三曲葬《極白の夜》の発動に必要な呪文。


 その呪文を書き終えると縦一文字を最後に符に刻み、《極白の夜》の符を完成させる。白縹色に煌めく符を右手に持ち、立ち上がるとナチは見上げてくるマオに左手を伸ばす。


「マオに見せたい符術があるんだ」

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