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八 追想 一

「船長! ディックが帝国の奴等に捕まっちまったって!」


 クライスを呼ぶ、一人の乗組員。バンダナを頭に巻き、顔中にピアスを付けた男ビリィ。クライスは船長室に吊るしてある年季が入ったハンモックから飛び降りると、ビリィの胸倉を掴んだ。


「全員に召集を掛けろ! 寝てる奴も叩き起こせ! いいな!」


「分かりやした! すぐ甲板に集めさせます」


 船長室の扉を勢いよく開き、飛び出していくビリィ。クライスは開いたままの扉を見つめ、舌打ちした。頭に被った海賊帽を魔導機鋼と呼ばれる希少金属で造られた床に叩き付ける。


 帽子が地面に直撃した瞬間に、甲高い音が船長室に鳴り響いた。


「用済みになったら消す……。腐った考え方だぜ」


 クライスは自嘲気味に笑いながら、床と同じ魔導機鋼で造られた壁を思い切り殴った。手が痛む。それでも、もう一度殴った。


 グランコリア帝国。進んだ魔導工業技術。卓越した魔術師を多く輩出する魔術学院「グランコリア魔術学校」を領土に持つ、帝政国家であり、一年中雪が降り続く積雪寒冷地帯としても知られている。


 領土は広大で、十三の都市を有すると共に、魔導機鋼と呼ばれる造船や武器、防具など、幅広い使用用途が期待されている万能金属を採掘する事が出来る世界唯一の採掘技術を有する、世界屈指の鉱業国家としても名を馳せていた。


 また、未開拓の魔鋼鉱山を領土内で多く有している事で他国との諍いが絶えず、領土拡大の為に他国からのテロ行為が頻発していた。


 だが、魔導工業、魔術、鉱業、その三つの分野において、他の国家の追随を許さない業績を上げると瞬く間に世界に向けて、宣戦布告。どの国も造船技術に重きを置く中、「魔導飛行船」と呼ばれる空飛ぶ船をいち早く開発すると、すぐさま量産体制に入り、グランコリア帝国は世界の覇権に王手をかけた。


 爆薬の代わりに火の属性を込めた爆弾「魔導爆弾」を開発した事も、他国を圧倒する要因に一役買っていた。


 そんな圧倒的な物量と、他国の追随を許さない確固たる技術を持ったグランコリア国家に、クライス達は雇われていた。


 クライス達の仕事は主に他国の密偵、要人の殺害、帝国に指示された敵船の襲撃など、帝国の裏にまつわる仕事ばかり。


 海賊が国の為に働く。それが何を意味するのかは海賊ならばすぐに分かる。海賊としての誇り、夢、在り方、それらの消滅を意味する。従えば、海賊ではなくなることを、国の犬に成り下がる事を意味していたのだ。


 だが、断る事は出来なかった。世界の覇権に王手をかけた帝国の依頼を断れば、その結末は知れている。しかも、クライス達は海賊。国が海賊を断罪する理由は、いくらでも捏造する事が出来る。簡単だ。クライスですら十通りの理由が瞬時に浮かぶのだから、国家規模になれば千通りの案が浮かんでいる事だろう。


 無かったことを有ったことにするのは容易だ。それが国という大きな力を持つ存在ならばなおさら。だから、クライス達に断るという選択肢は最初から存在しなかったのだ。選択肢は最初から一つ。選択の余地も猶予もない。


 つまり、クライス達に声が掛かった時点でクライスは犬に成り下がるしかなかったのだ。


「船長! 集まりました!」


 ビリィが船長室へと駆け込んでくる。顔全体に脂汗を掻き、息を切らしながら。


 クライスはビリィと共に船長室を飛び出し廊下を走り、階段を上り、上甲板に向かうとそこには船員が全員そろっていた。自分が集めたのだから当然なのだが、総員四十三名の船員を一か所に集めると皆一様に海賊然とした格好をしているのだな、としみじみ思う。


 クライスは甲板の中央にビリィと共に歩いて行く。突き刺さる鋭い視線。張り詰めた空気。空から降る雪ですら冷ませない怒りが、ひしひしとクライスにぶつけられる。


「船長! どうするんすか? このままじゃディックがやられちまいますよ!」


「早く助けに行きましょうよ! 帝国が何だってんですか」


「だが、これは明らかに罠だよ。帝国はあたし達を誘い込もうとしてやがるんだ」


「じゃあ、仲間を見捨てんのかよ!」


「あたしだって、見捨てたくはないさ! けど、一人の為に乗組員全員を危険に晒すつもりかい、あんたは!」


「けど! ここでディックを見捨てたら」


「黙れテメエら!」


 矢継ぎ早に紡がれた言葉の押収に、終止符を打つ為にクライスは声を荒げた。雷鳴の様に甲板に響いた怒号に船員は口を閉じ、瞬く間に静寂が下りる。潮風が猛々しく吹き荒れる音と、波が船体に激しく打ち付ける音のみが甲板に残響し、クライスは船員全員を見回した。


「ディック救出に反対の奴は名乗り出ろ」


 口を噤む船員たち。先程まで、視線だけで人を射殺せそうな視線を送っていた船員たちは恣意的に視線を伏せ、言及を避けている。


 無音。けれど、聞こえてくる。不可視の言葉が。本当は反対なんだ、と声にならない叫びが聞こえてくる。分かっている。名乗り出れば、もう取返しが付かなくなることは。口にすれば、もう戻れない。クライスと発言者の関係性は不可逆のものになる。


 だが、クライスは本人が自らの口で言い出すのを待った。


 これは自分が決めるべき選択。決断。どうしようもないほどに、理不尽で暴力的な選択を押し付けているという自覚はある。それでも、この選択で人生が変わる。自らが下した決断で未来は対極の結末を辿る。だから、この決断は慎重に、けれど、迅速に決めなくてはいけない。


 クライスは何度も船員たちを見回した。もう覚悟を決め、クライスを真っ直ぐに見つめている者。視線が合うと首を頷かせる者。


 視線を逡巡させ、眉を寄せている者。唇を引き絞っている者。視線を下げ、クライスを見ては視線を外す者。


 船員たちの反応はハッキリと二分化していた。覚悟を決めた者か、迷っている者。狭間の考えの者は居ない。


「……船長はどうするんすか?」


 聞いてきたのは、まだ新入りの若い男だ。二か月ほど前に入ったばかりの新人。彼は縋る様な瞳でクライスを見ていた。迷っている。自分では決められず、どうしていいのか分からない、と言った様子だった。仲間を見捨てるのか、危険に飛び込むのか。どちらにすればいいのか、迷っている。


「今更、そんなこと聞いてんじゃねえ。俺は助けに行く。俺はこの船の船長だ。仲間を見捨てるくらいなら海賊なんざ、辞めた方がましだ」


 乱暴な口調。粗雑な言葉。でも、こんな言い方しかクライスには出来ない。こんな言い方しかクライスは知らない。だから、こんな言い方をするしかない。


「だが、お前達も仲間だ。無理についてこいとは言わねえよ。お前らも分かっている通り、これは帝国の罠だ。用済みになったのか、俺達に何かの罪を擦り付けようとしているのかは知らねえし、興味もねえ」


 だがなあ、とクライスは船員全員に聞こえる様に大声を上げる。大量に漏れる白い吐息。全身を濡らす雪を煩わしく思いつつ、一歩前に出た。


「俺達は帝国の犬じゃねえ。海賊だ。海賊の誇りを見失う事は、あっちゃならねえ。俺達は俺達の流儀を貫かなくちゃならねえんだ! それを俺は帝国に見せつけなくちゃならねえ。全身全霊でな!」


 その声に歓声を上げる多くの乗組員。甲板に降り積もる雪を融かさんばかりの熱量の中、クライスに質問をした新人が手を挙げた。


 それに追随する様に若い男女が手を挙げた。二人もまだ船に乗り込んで日が浅い新人。確か二人は恋仲だったな、とクライスは白い吐息を大気に解き放つ。


「すんません! 俺は降ります。俺はまだ死にたくねえ。俺はまだ死にたくねえんす!」


 新人が全身を震わせながら、言った。他の二人も同じような言葉を並べる。


「分かった。誰か、緊急用の子船を出してやれ。悪いが、お前達を街に送り届けてやる様な時間は無いからな。自分達でどっかの街に逃げろ」


「……はい!」


 深々と頭を下げた三人。クライスは三人の頭をガシガシと撫でた。柔らかい髪、硬い髪、坊主。三人の肩を力強く叩いていくとクライスは声を飛ばす。小舟を用意している船員に、数日分の食糧と街に着いた時に必要な生活資金。地図。最低限の武器を用意させるように指示。


「いいか。逃げるからには、必ず生き延びろ。俺達との航海はこれで終わる。だが、お前達の航海はここから始まるんだ。前を見ろ。決して振り向くな。いいな?」


「……はい! 元気で!」


 三人は小さな魔導機鋼製の小舟に乗り込むと、一度だけ、クライスや船員を見上げた。頬を濡らしているのは振り続ける雪か、それとも……。


 クライスは目の端でその姿を捉えると、すぐに船員に指示を出す。


「俺達はこれからディックの救出に向かう! 敵はグランコリア帝国! 覚悟はいいな?」


 一斉に上がる大歓声。甲板を揺らす程の大音量は海賊船とは反対方向に進んでいく小舟を後押しする様に、海面に響き渡る。


 逃げろ。俺達がこれからやる事はただの自殺。馬鹿が見せる、最後の意地。


 船に搭載されている船舶用高機動魔導エンジンの音が海上に鳴り始め、船が振動を始める。進み始める船体。海を裂き、舞い散る灰雪を跳ね除け、船は進み続ける。


 クライスは無言で、嵐の様な歓声を上げている船員たちを一周見回した。彼等の表情を一周見回す。その表情に灯された感情を悟ると同時にクライスは空を見上げた。白霧の様に真っ白な息をたっぷりと吐き出すと、肩に積もった灰雪を手で払った。


 誰もが覚悟を決めた訳じゃない。誰だって、差し迫った死は怖い。確定された死は怖い。生に対して、すぐに諦観できる者などいやしない。


 クライスも同じ。人である以上は死に対しての恐怖は消えない。死の恐怖を一時的に克服する事は可能だとしても、完全な消失は不可能。それはどれだけの年齢を重ねても、どれだけの力量を重ねても同じ。だから、覚える必要があった。死に対して恐怖を覚える前に敵を殺す技術を。自分の心を誤魔化す心象操作を。


 死をぼかしてぼかして、そこには存在しないと思える程にぼかす必要が確かにあったのだ。船長である為には、誰もが慕う強い船長であり続ける為には。


 けれども、もうぼかす事は出来ない。鮮明に明瞭に映る死の輪郭が、もう目の前まで来ている。


 鈍色の港が。白煙を上げ続けている煙突が無数に見える。


 ああ、着いてしまった。俺に死を与える国に。


「船長、すんません……」


 波打つ海水が船に当たる音のせいで、俺は誰かが呟いた、その謝罪を聞き逃していた。

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