六 気になる死体
「一度下に降りよう。少し気になることがあるんだ」
「ええ……」
土砂が流れ込んだせいで、地面が近くなった土壌の上にナチとマギリは飛び降りた。均された地面ではなく、まだ柔い土の上に着地すると、ナチは体勢を崩した。足が土に沈んでいき、尻餅をつく。マギリも同様だ。彼女は前のめりに倒れている。
二人は手を地面に着くと土に沈んだ足を引き抜いた。
「気になることって何なのよ?」
先に土壌の上に立ち上がったマギリが、リュックからイズを取り出すと彼女を右肩に乗せた。
「あの積まれてた死体だよ」
ナチも土壌の上に立ち上がると周囲を見渡した。一面、茶色の風景。所々に雑草や木が視界に映るがナチの求めている物は無い。ポケットから一枚符を取り出すと属性を付加し、ナチはそれを地面へ放り投げた。
「少し違和感があったんだ」
「違和感? どんな?」
マギリの瞳に力が入った。首を傾げている。その仕草にナチはやんわりと口角を上げた。マオと同じ顔、声。なのに、マオとは違うとすぐに分かる。瞳に込められた力強い光も、首を傾げた時に見せた懐疑的な表情も、全てマオよりも力強く、威圧的。
マオとマギリの雰囲気や仕草の差異。その僅かな差にナチは微笑んだ。
「なに人の顔見て笑ってんのよ?」
「あーごめんごめん。今、目の前にいるのはマオなんだけど、マオじゃないんだなって思って。意外と分かるものなんだね」
マギリが呆れたように息を吐く。腕を組み、首を傾けると彼女は額を小突いた。彼女の肩でイズも鼻を鳴らすとそっぽを向く。
「代わりましょうか? 愛しの相棒に」
「いや、マギリにも少し聞きたい事があるから出来ればそのままで」
「あんたの相棒がやかましいから、お早めに頼むわよ」
「善処します」
ナチは投げ飛ばした符の属性を具象化させた。「大地」。符が土砂に溶け込んでいき、ナチは土を自らの手の様に巧みに操作すると、土砂に埋まった死体を手探りで探し始めた。
死体なら何でもいい。おそらくはどの死体も同じだから。
ナチは土で死体の一つを掴むと、それを地上に向けて押し上げていく。土砂が小さく鳴動し、ナチとマギリの前方の土が噴水の様に盛り上がっていく。
そして、中年と思われる男性の死体が土の中から姿を現したところで、ナチは符術を解除し死体に寄った。マギリとイズは冷淡に死体を見下ろし、ナチは冷漠な眼差しを向けつつ膝を折った。
「これのどこに違和感があるってのよ? まさか死体いじりが好きとか言い出さないでしょうね?」
「確かに惨い殺され方をしておるが、違和感を覚えるほどの外傷は見当たらないのではないか?」
眼窩には土が詰め込まれ、口内や耳、鼻の穴の中にも土が詰まっている。土に塗れた服は所々引き裂かれ、土色の肌が露わになっている。
ナチは無言で背負っているリュックからナイフを取り出した。ケースから取り出し、刃を露わにさせる。ナチがナイフを引き抜いた理由が分からず、マギリとイズが顔を見合わせた後に首を傾げているのが見えた。ナチは二人の懐疑心に答えを落とす事無く、ナイフで男の服を切り裂き、腹部を露わにさせる。
視界に入ったのは膨れ上がった腹部。胸部や下腹部も、風船が体内に押し込められているかの様に膨れている。異常な膨らみ方だ。たとえ暴飲暴食を繰り返したとしてもこんな膨らみ方にはならない、と一発で判明する様な膨らみの仕方だった。ナチは首を傾げる。
何が入っているんだ?
ナチは迷う事無く、腹を裂いた。皮膚を裂き、筋肉を断ち切っていく。すると、ナチのナイフは明らかに肉ではない物に触れた。硬くはないが柔らかくもない。臓器でも筋肉でも骨でもない何かにナイフの切っ先が触れている。
ナチはナイフを引き抜き、腹を広げた。腕力で強引に押し広げていく。邪魔な皮膚や肉はナイフで切り落とし、土砂の上に捨てていく。そして、中途半端に開けた腹の中に入っていた物を見た瞬間に誰もが言葉を失った。息が詰まるほどの沈黙が三人の間を急速に埋め尽くしていく。
死体の体内に詰め込まれていたのは大量の土砂だ。血を吸い込み、赤黒く変色した大量の土砂。臓器は押し潰され原形を失い、背骨や肋骨は砕けて土砂に混じっている。人の体内に存在するはずの無い物が、死体の中には確かに存在していた。
ナチは腹を裂いたナイフを見ながら、眉を寄せた。血が全く付着していないナイフに映る自身の顔は酷く険しい。
腹を裂いたにも関わらず、出血が見られない事に関しては特に驚きはなかった。心臓が止まっている以上は血液が凝固を始め、血圧は無くなる。出血しない理由はそれで説明が付けられる。
だが、体内にはまだ血液が残っているはず。固まろうが、血圧が無くなろうが、血液はこの男の体内に存在していなければならない。
だというのに血はナイフには付着せず、体内には大量の土砂。全ての死体を解剖しないと分からないが、おそらくは他の死体も同様だろう。腹には大量の土砂が詰められ、臓器は原形を留めていない。どの死体からもそんな光景が拝めるに違いない。
何が起きていたんだ、この村では……。
「あんた、戦闘中に死体に砂が入ってるかも、なんて思いながら戦ってたの?」
左の首筋を擦っているマギリは死体から目を逸らしながら言った。
「砂が入ってるかも、とは思わなかったけどね。死体が地面に落下した時に変な音がしたから、ずっと気にはしてたよ」
「確かに重厚な落下音が鳴りはしたが……」
イズの言う通り、死体の山から死体の一つが地面に落下した時に重厚な音が鳴った。重厚な鎧を身に纏った状態で数メートル下に飛び降りたかのような、重々しい音が。
「それに村の地面には血痕一つなかったから。あれだけの死体が転がってて、あれだけの銃声が鳴ったのに血が一滴も流れないなんてことはあり得ないでしょ」
ナチは再び符に「大地」の属性を込め、男性の死体を土砂の下に沈めていく。一瞬、海賊と子供の死体を探そうとかと思案したが、すぐに止める。
ナチの符術では土砂全てを動かすには時間が掛かりすぎるし、探し当てたとしてもナチ達に何のメリットもない。ただ、惨めな気持ちになるだけだ。
「体内に土砂が入ってて、村には血痕の一つも無かったってことは分かったわよ。それで? それを調べて、あんたは何が知りたかったの?」
「……村人を殺したのって、本当にあの男だったのかな?」
あの海賊は子供を助けた。迷いもなく、彼は救いの手を伸べた。それが村人全員を死に追いやり、わざわざ死体を山の様に積み上げる男のする事なのか。
銃声や家屋に火が点く要因になったのは間違いなく彼だろう。だが、彼が体内に土砂を詰め込む様な悪趣味な殺害方法をするのだろうか。
魔導銃や魔術を使えば殺害は当然不可能ではないが、可能だから必ず実行する訳ではない。実行するのか、何を選択し掴み取るのかは結局人に委ねられる。彼が極悪非道な殺害方法を取るとはナチには思えなかった。
美化しすぎているのか? あの男を……。
「あの男しか考えられないでしょ。あの場にいたのは、あの男だけなんだし。銃を持って乱射してたのも事実あいつだった。他に誰が考えられるっていうのよ」
「それは……分からないけど」
「分かんないなら、あの男で確定じゃない。それに、あの男は死んだんだから、そんなこと考えても無駄よ」
マギリはどうでもいい事のように言ってから、そっぽを向いた。ナチも「まあ、そうなんだけど」と不貞腐れた様に呟く。その二人のやり取りを見て、不可解なものを感じたのかイズが首を傾げた。両耳がピクピクと前後に動き、マギリの頬を弱い力で叩く。
「あの男は死んでおらぬぞ?」
「は?」
マギリが右肩に乗っていたイズの胴を掴むと自身の前に引き寄せた。血の様に紅い双眸同士が交差する。鋭い目付きでイズを見るマギリに対し、イズの瞳は穏やかそのもの。
ナチはそれを黙って見つめながら、イズの言葉を待った。
「お前達は目を閉じておったからな。あの男が鍵とやらを使用して、地面の揺れを打ち消し、子供に向かって走っていく瞬間を見ておらんでも仕方が無いな」
ナチとマギリはバツが悪そうに視線を落とした。けれど、少しだけホッとしていた。鍵を使用したというなら土砂の波に飲まれたとしても無事だ。断定してもいい。そして、あの男が子供に向かって走っていたというのなら、子供も無事だろう。鍵の力を使用すれば、土砂程度なら完全に打ち消すことが出来る。
ナチは不思議と海賊が鍵を使用したという事に対して、特に驚きはしなかった。ナチの名を知っていた事。マギリとの会話。魔導術式が組み込まれた魔導銃《夢想銃》。鍵を持っていても不思議ではない条件が出揃っている。
それに鍵は全部で七本存在するというのだから、サリスやユライトス以外に鍵を持っていても別段おかしくはない。
「そう。なら、今度こそ殺さないといけないわね。あのクソガキ」
マギリが好戦的な冷笑を漏らすと、紅の双眸を土砂が流れて行った方向へと向けた。その先に居るであろう海賊を射殺す様に。
「じゃあ、話を変えましょうか。ナチ、あんたが聞きたいのは《世界を救う四つの可能性》、でいいわね?」
「うん。説明、お願いします」
「けれど、こんな場所ではゆっくり話せぬだろう。どこか木陰にでも移動したらどうだ?」
「そうね。そうしましょ」
ナチとマギリは土砂の上を歩いて行き、地割れが起き、倒れた木が行く手を阻む山道へと躍り出た。麓へ向かう道には倒木が重なる様に地面に横たわり、流れた土砂が山道に流れ込んでしまっている。
「ありゃりゃ、これじゃ進めないわね。ちょっと待ってなさい」
「何するつもり」
ナチが全てを言い切る前にマギリは前方に積み重なっている倒木に向かって、尋常ならざる冷気を放出。その冷気は、吸い込めば一瞬で口内も、気管も、肺も凍り付いてしまいそうな程の冷気。
その冷気は一瞬で倒木を氷結し、無色透明な氷に包んでいく。幹も葉も枝も全て。標本の様に透明に覆われていく。倒木が氷に包まれた瞬間にマギリは空中に木よりも巨大で太い、氷のハンマーを一瞬で出現させる。
何という製氷速度。作り上がっていく工程すら分からなかった。
そして、振り下ろされた氷鎚は凍り付いた倒木を粉々に粉砕した。すぐに気付く。マギリの氷が凍らしたのは木の表面だけじゃないと。彼女の氷は木の内側すらも完全に凍らせていたのだと。
吹き飛んだのは全てが氷。散らばる木片は全てが透明な氷に覆われ、地面に転がっていく。それからマギリは氷のハンマーも散らばった氷片も全て、粒子の様に細かい氷片へと破裂させた。
「吸わない方がいいわよ。吸ったら最期、気管が凍り付いて肺が凍結。血液は一瞬で氷結して、心臓も脳も機能を失うから」
「そんな能力、仲間の前で使わないでくれる?」
「嘘よ。あんたも馬鹿正直ね。バーカ」
「この、ババ」
「それ以上は分かってるわね、ナチ?」
ナチは頷いて「はい、お姉さま」と先を行くマギリの後を追った。イズがマギリの肩からナチを見て、落胆する様にうな垂れているのは見なかったことにして、マギリの横に並んだ。




