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二十七 殺さない理由

 群衆を掻き分けて消えていこうとするピエロ。緑色の短い髪が柔らかく風に揺れ、右手に持った黒い剣からは黒い渦が放出され始めている。あれが本物の鍵だというのならば、その意味は明白。世界の移動。もしくは世界からの離脱。マオは両の拳を握りしめる。


「サリス……なの……?」


 マオはピエロの背中に語り掛ける。少しばかりの緊張と膨れ上がる怒気。殺されかけた怒りと、家族を騙して世界滅亡に加担している怒り。それらが濃密に混合し、マオの精神内で強い怒気として生成され続けていく。


 ピエロが立ち止まる。緩やかに、そよ風に揺らぐ雲の様に安穏と立ち止まった。


 マオはやや膝を曲げ、体勢を落とす。すぐにピエロの挙動に対応できるように神経を研ぎ澄ます。が、ピエロは振り向く事はしなかった。前を向き続け、黒い渦を体に纏わせていく。


「お前はまだ弱い。今のお前と話す事は何もない」


 黒い渦が色濃く、光すらも拒絶するほどに濃い闇へと変貌していく。それに包まれていくサリスの姿が視界から消失していく。マオは息を呑み、声帯を震わせる。聞かなければならない事はたくさんある。何を最優先に聞けばいいのかは分からない。


 けれど、質問をしなければならない。会話をしなければならない。何でもいい。言葉を紡げ。


「どうして……私を殺さないの?」


「……」


「ウォルケンでも、今も。私を殺そうと思えば殺せた。その鍵を使えば私も、お兄さんも殺せた。どうして? どうして、殺さないの?」


「……」


「サリスは本当に、世界の滅亡を望んでるの? 本当はサリスだって」


「自惚れるな。俺は雑魚の発言を聞き入れるつもりは無い。俺に意見したいんなら強くなれ。俺を本当に止める気があるんなら誰よりも強くなれ。自分の足だけで立ち上がって見せろ、半人前」


 黒い渦がピエロを完全に包み込み、全身を覆うと盛大に破裂。周囲に黒い光の粒子を飛散し、突風を巻き起こすと同時にピエロは消失した。


 マオは目の前で落下している小さな黒光の残滓を両の手の平で受け止めると、それに息をそっと吹き掛けた。光は吐息によって押し上げられ、好風に乗って空に押し上がっていく。


 マオは消滅しつつある光の行方を追う為に頤を上げる。瞳に澄清な蒼天を映す。あの声は間違いなく、サリスだった。背格好といい、シキの過去を知っている事といい、あのピエロはサリスと類似している点が多い。


 最後に紡いだ言葉もマオを知らなければ言えない言葉だ。マオの過去を知っていないと言えない言葉。


『あのピエロの右腕、生身の腕じゃないわね。関節の動きや、指の開きが生身の腕にしてはぎこちないし。パッと見、人工皮膚を被せてあったから分かり難いけど、あれは機械工学が発達した世界で一般普及していた義手よ』


 サリスの右腕はナチの符によって肩から先が吹っ飛んでいる。もう彼の右腕は世界中のどこを探しても存在しない。そして、あのピエロの右腕は生身の腕じゃないとマギリは言う。異世界で普及していた機械の腕だと。


 ならば、あのピエロはサリスだと断定していいだろう。


 だが、疑問も残った。彼はなぜマオを殺さなかったのか。


 彼の目的はマオの殺害のはず。ウォルケンでも彼はそう明言していた。なのに、サリスはマオには見向きもせずに姿を消した。質問にも答えることなく、挑発している様な言葉だけを残して消えた。


 間違いなく言えることはレヴァルにピエロの修行をする為に来た訳ではない、ということ。だとすると、彼は何をする為にこの街に降り立ったのだろうか。今の今まで大した動きを見せず、ユライトスとの激戦が終息して、ようやく動きを見せた。


 しかも、人助けの為に。彼の目的は何だったのか。これだけでは全く判然としない。シキを助けたかったのであれば、バジリフィリスクがウェルディに齎した猛毒の解毒薬作りに何故協力しなかった。レヴァルを襲ったユライトスとナチの戦闘に何故介入しなかった。


 ユライトスとの接触もしくは戦闘を避けたかったのか。それは何故? 


『そんな考えまくっても答えが出ない男の事なんて、さっさと忘れなさい。それよりも、考えなきゃいけない問題は別にあるでしょ?』


 マギリの言葉でマオはハッとなり、頤を下げた。地面に座り込み、金色の羽根を大事そうに手に持ち、呆然としているウェルディに視線を向ける。彼女は金色の羽根を目を大きく開目して見つめ、目尻には大粒の涙を溜めていた。小刻みに震えた両手が彼女の悲痛を表しているかのようで、マオは堪らず心に憂愁を落とした。


『あれって本当にシキなのかな?』


『あの状況でシキにそっくりな他人が偶然現れる確率はほぼ無いでしょうね。どう考えてもシキだし、どう考えてなくてもシキよ』


『シキにはあんな翼生えてなかったよ? とか一応聞いてみたり』


『まあ、ここまで異世界の技術やら異能やら生物やらがホイホイ現れてくる様な状況じゃあね。いきなり翼を生やす事も不可能じゃないわよ。現にユライトスは遺伝子に強制進化を促す稀少細胞を使用して別の生物を作り上げてる。シキを触媒にして別の生物を誕生させる事も訳ないわよ』


『それってシキはもうシキじゃないって事になるの?』


『遺伝子と肉体だけを見ればね。あの肉体は既に別の生物に変化してる。変化した遺伝子に相応しい肉体形状があの翼と肉体なのよ。それにシキは魔力を使用して、ピエロの機械の腕を振り払った。完全にシキとは別の生物って考えていいでしょうね。けど、心や記憶は分からない』


『まだシキの記憶が生きてるかもって事?』


『私も稀少細胞に関して詳しくないから断定は出来ないけどあの男はウェルディを見て、ピエロと対話して、一瞬だけシキの人格が戻ってた。肉体や遺伝子はもう元には戻らないかもしれないけど、記憶や思考は元に戻せる可能性が無くはない。まあでも、あくまで可能性よ。出来るかもってだけの話』


 マギリの声からは若干の呆れが感じられた。深く溜息を吐いているのも聞こえてくる。マオも内心で溜息を吐きながら、膝を曲げた。


「マオ……シキが……」


 ウェルディの潤んだ瞳にマオの顔が映る。戦闘によって黒く薄汚れた顔。乱れた髪。淑女とは程遠い姿をした自身の姿が。


「私がシキを連れ戻すよ。家族として、仲間として。ぶん殴ってでも連れて帰って来る。だから、安心して」


『下手な約束はしない方がいいわよ。遺伝子が丸ごと塗り替わるなんて普通なら肉体が拒絶反応を示して命を落とす。今のシキが生きていられる理由は人間じゃなくなったからなんだから。連れ帰ったとしても人として一緒には居られないわよ』


 マギリの忠告には特に反応は示さずに、マオはウェルディに微笑みかける。


 マオだって分かっている。必ず守れない約束などするべきではない事など。約束すれば期待させてしまう。希望をちらつかせれば期待してしまう。けれど、それが不可能じゃないのならば、それは希望として捉えても良いとマオは思う。少しでもシキを助けられる可能性があるというのならば、期待させてもいいと、マオは思う。


 無限の異世界を滅亡の危機から救い出す事が出来れば、まだ可能性はある。無限の異世界が持つ無限の可能性の中にシキを元に戻す可能性は必ず存在するはず。希望はまだ潰えていない。まだ諦めるには早い。


「お願い……彼を。シキを連れ戻して」


「まかせて。助けるよ、必ず」


 マオは胸を右手でドン、と叩くと白い歯を覗かせた。それを見て、ウェルディが深々と頭を下げる。


『ナチも大概だと思ってたけど、あんたも大概ね』


「え? なにが?」


「え?」


 ウェルディが顔をゆっくりと上げながら、マオを見る。何のことを言っているのか分からないと言った様子で首を傾げている。なんでもない、と顔の前で手を振るとマオは苦笑。そのまま咳払いをして誤魔化した。内心で、マギリがくすくす笑っている。


『マギリが急に話しかけるから、私がおかしい目で見られちゃったじゃん』


『あんたは元々おかしい子でしょうが。それに私のせいじゃないわよ』


『おかしくないし。普通だし』


『はいはい。ほら、美少女が泣いてるんだから涙でも拭ってやんなさいよ』


『私が? 私、女なのに?』


『涙を拭うのに、男も女も無いわよ。それにほら、あんたはよくナチの涙を拭ってあげてるじゃない』


「拭ってないわ! 数えるくらいしか」


「え?」


 今度はその場にいた全員がマオを見る。全員が優しい眼をマオに向け、兵士の一人がマオの肩を叩き、「簡易的な避難所を作ってあるから、そこで休もう」と気を遣われる始末。


 完全に疲労が原因で精神に異常が発生していると思われている様だった。マオはその対応に曖昧な笑顔を浮かべて対応し、心の中で爆笑しているマギリに声を荒げる。


『マギリ! とうとうヤバい人を見る目で見られたんだけど。マギリのせいで』


『なんで私のせいなのよ。あんたが声に出すからでしょうが。ほら、ご厚意に甘えてさっさと避難所とやらに行きなさい』


『納得いかないなあ……』


 盛大に鼻から息を漏らしながら、マオは避難所とやらに流れて行く兵士達の後を追った。眠るイズを抱え、兵士が作った簡易的な担架に乗せられたナチの横を並行して歩く。


 穏やかな寝息、寝顔をしている二人。その顔を見て、マオも笑顔を浮かべる。


 きっと、これから戦闘は激化していく。このレヴァルを襲った戦火など比べ物にならないほどの戦闘がこの先には待っている。


 けれど、この二人とならどんな困難も乗り越えられる気がする。互いの為に命を懸けられる、この二人とならば。


『私を忘れるんじゃないわよ』


『はいはい。マギリもマギリも』


 この三人となら、私はきっと絶望しない。光を見失わない。


 私はこの時、そう思った。

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