松阪の占領
俺はとりあえず取手山砦に残り問題の北畠の領地の様子を伺った。
もちろん直ぐに北畠具教とすぐ隣の松阪を領している大川内と日置の両氏に対して早急に領内の治安維持と領民の保護をするようにかなり強い口調の手紙を送りつけ揺さぶりをかけてはいた。
正直今何か起こるのは勘弁して欲しいのだが、俺の希望は望み薄だ。
こっちが準備も整わないうちに出張る必要が出てきそうだ。
俺の出した手紙の反応はいずれも受け取りを拒否されて、当然領地や領民に対しての対応も何もされてはいなかった。
直後にこれまでの経緯を朝廷や幕府に申し出て北畠の対応を批難するとともに秘密裏に同盟を結んでいる松永弾正にも俺の計画を添えて知らせておいた。
このまま保ってくれればよかったのだが、直ぐに問題は起こった。
お伊勢参りの中継地として比較的栄えていた松阪の街で地元の有力商人が荷物をまとめて逃げようとしているのを街の人が見つけそのまま襲ってしまい、案の定松阪の街で勢いがつき打ち壊しにまで事態が悪化していった。
早い話が松阪で一揆が始まったのだ。
松阪を領しているはずの大川内、日置の両勢力は事態の収拾にかかる……はずなのに何もされていない。
一揆が起こっているのにそのまま何もしていないのだ。
さすがにこれはおかしい。
俺は危険を承知で藤林様に大川内城と松ケ島城の両城を調べてもらった。
俺も薄々そんな気はしたが、これには呆れた。
両城とも殆どの人が逃げ出しており、城には留守番しかいなかった。
平和な時代でもそこまでの無用心はないだろうというくらいの無用心ぶりで、武士と言われる人たちは全員がおらず、いるのは付近の村から城に手伝いに上がっている数人しかいなかったと報告を受けた。
この状態をそのまま放置するわけには行かず、俺は決断を下すしかなかった。
この取手山砦にある兵糧をすべて持ち出し、松阪一帯の治安の回復に向かわせた。
幸い一揆勢は松阪の街から出ておらず、俺らが兵を連ねて町に入ると直ぐに落ち着きを見せていた。
俺は、街の中心で急いで炊き出しを始め、触れを松阪周辺の全ての村に出した。
自衛隊ならぬ九鬼勢力の治安出動及び災害救助活動もどきを始めた。
三蔵村にも連絡を出して字の書ける子供たち全員を呼び出して、領民に対して兵糧米の配給の準備にかかった。
とにかく大事な田植え時期にきちんと農作業ができるように当面生活ができるくらいの兵糧米を各村々に配給を始めた。
配給にあたっては村長に村の人数を申告させて、人数に対して一定の量を配るようにした。
この時大活躍を見せたのが早くから寺で文字や計算を学ばせていた年長の子供たちで、配給米を取りに来る村の人たちの記録を取り、また、配給米の量などの計算を一手に行ってもらった。
こういった作業になると、今いる大人たちでは全く戦力になっていない。
子供たちが一生懸命に配給を手伝っているのを見た村の人たちも、さすがにみっともない姿を見せたくないのか素直に子供たちの指示に従ってくれ、配給は滞りなく済ませることができた。
また、配給米を取りに来ていた村人たちに対しては、援助はこれ一回でなく、みんなが収穫するまで続けること伝えることで安心させた。
今回の配給は取手山砦に蓄えていた兵糧米だけでどうにかなったのだが、これだけでは今後必要とされる分の全てはさすがに足りそうになく、直ぐに持ち船全てを使って各地に食料を求めて出航させた。
かなり綱渡りの状況だが、とにかく今は食料を集めることに全力を尽くした。
松阪周辺は俺らの救助活動が幸いしてか速やかに落ち着きを取り戻し、これ以降この周辺では餓死者は出なかった。
このあたりの治安も回復したので、藤林様に拠点を松阪の街に近い松ケ島城に移してもらい、このあたりの領有を始めた。
とにかく緊急事態といった状況は脱し、俺がこの地を離れても大丈夫な環境が整ったので、俺は直ぐに長島の願証寺に向かった。
願証寺に着くと俺は早速上人様を訪ねて、伊勢周辺の一向宗の寺の住職を紹介してもらった。
伊勢の特に松阪周辺の一向宗の寺の住職に対して、上人様から食料の供出をお願いしてもらった。
上人様は直ぐに俺の意図を察し、願証寺の住職との連名でかなり強い口調の要請の手紙を出してもらえた。
人の不幸に幸いとは表現できないが、今回に限り我々に有利に働いたのが、願正寺の住職が昨年の永禄7年2月に49歳で死亡しており、今は彼の息子の証意が28歳の若さで継いでいた。
なので、願証寺は上人様を始めご重役数人が住職の後見人としてかなりの力を持っていたので、俺の要求に対して、願証寺として支配下の寺に対してほぼ命令に近い形での要請の文書を出してもらえたのだ。
俺は出してもらった文書を持って、一度三蔵村に戻り三蔵寺の玄奘様を連れて松阪に取って返した。
松阪では玄奘様を連れて件の寺に赴き、兵糧米を供出させ、この事実を以って、松阪周辺の寺を今度は藤林様も軍団と一緒に連れて周り、宗派を問わずに全ての寺から兵糧米を借りに周り、無事兵糧米の借り受けに成功した。
この時代だからかどの寺もかなりの量の兵糧米を蓄えていたので、集めた兵糧米はかなりの量になり、緊急に兵糧米を集める必要性はなくなった。
ここに来て初めて俺らは落ち着くことができた。
本当に薄氷を踏む思いの数日間だったが、当面の危険は去ったといっていい。
この後は、北畠の出方を待つばかりなのだが、厄介なのが、ほかの地域もここと大差がなく、いつ暴発するか時間の問題で、北畠との対応と両面の対応を迫られる危険性は残る。
本当に悩ましい限りだ。
「で、この後どうしますかね。」
と九鬼様が集まった一同に声をかけてきた。
「当然北畠あたりから文句の一つも来るだろうな。
その対応については決めておかねばならないな。」
「最悪、戦もありそうですしね。」
「あいつらに戦なんかできるのか。
戦ができるくらいならば、夜逃げ同然で逃げ出さなかっただろう。」
「でも、我々が占領していたら面白くはあるまいて。」
「意地でも攻めて来るやもしれないな。」
「攻めて来る前に朝廷あたりから何か言ってきそうですしね。
あいつらあれでも名門の出だ。
簡単に幕府や朝廷を動かすだろう。」
「空殿、どうしますかね。」
「決まっていますよ。
返せと言ってきたら素直に返しましょう。」
「「「「え~~~~」」」」
「でも、その前に我々が出した兵糧や費用は請求しますよ。
占領している領地を返すのは彼らがきちんと払ってからですね。
それまでは借金のカタに占領は続けますよ。
あいつらが払う保証がどこにもないからね。」
「幕府や朝廷が何か言ってきたらどうしますか、何か考えがお有りですか。」
「同じですよ。
幕府でも、朝廷でも代わりに立て替えて払っていただけたら返せばいいんですよ。
どちらもきちんと支払いを済ませてもらってから返却するとお答えすればいいんですから。」
「そんなんで大丈夫ですかね~」
「わかりません。
わかりませんが、踏み倒そうとすればその時点で幕府も朝廷も権威を著しく落としますから、早々無理は言ってこないかと思いますよ。
今の幕府も朝廷も持っているのは権威くらいしかありませんし、その権威も失くしたらどうにもならないことくらい分かりそうなものですしね。
大体、こうなる以前に幕府や朝廷にどうにかしてくれときちんと文書を出していますから彼らだって動きたくとも動けませんよ。
それよりも問題なのがほかの地域の状況がここと全く同じだということなのです。
いつ他でも一揆が起こるかわかりませんよ。
そっちのほうが心配です。
早くここいらを完全に落ち着かせ他にも対応できるようにしておきましょう。
藤林様は引き続きほかの地域の監視を続けてください。
今回の反省もありますし、ほかの地域の観察では領主の動向もきちんと把握しておいてください。」
「確かに今回は驚きましたね。
まさか逃げ出していたとは思いませんでしたよ。」
「今ではここを占領したので隣になってしまいましたが、安濃津周辺でもあまりここと変わりはありませんよ。
それよりもここの救済が伝われば自分たちも助けてくれと言ってくるやもしれませんね。」
「むしろ言ってこないと考える方がおかしいでしょう。
彼らは既に瀬戸際に立たされておりますから。
誰が領主でも彼らにとって問題ではないでしょう。
誰でもいいはずですよ、助けてくれる人ならばね。」
「幸いここには寺からの借り受け米がかなりありますから、ここと同じくらいの救済ならばすぐにでも可能ですね」
「それだけが救いですね。
直ぐに動けるようにしておいてください。
どうせ夏までは保たないでしょうからね。」
今の俺は、恐ろしいくらいの人材の不足に恐怖している。
一時的な占領としているが、ここを完全に自分たちの領地とすることには変わらない。
やはり武将クラスの補強が課題だ。
北畠領内での調略はありえない。
今までの彼らとのやり取りで欲しい人材は一人もいなかった。
むしろいらない人ばかりだ。
やはり竹中様を落として彼の一族全部を取り込まないとこの危機は乗り切れそうにない。
ここを落ち着かせたら、今度は藤林様か九鬼様を連れて根性を決めて調略に当たらないと、俺らに明日はない。
既に賽は投げられているのだからやるしかない。
気をつけるのはやる順番だけだ。
優先順位だけを気をつけて自分の役割を演じるそれしかないな…は~~~~~~。