この時代を舐めていました
今日も、徒然つれづれなるままに、思い浮かぶたわいもない話を綴りました。
お楽しみください。
時代小説風の話になりますので、表現など十分に注意しておりますが、誤字・脱字・言い回しのおかしな箇所があれば、ご指摘お願いします。
また、面白いとお感じになれば感想や評価をいただけましたら励みにもなりますのでよろしくお願いします
玄奘さんが去ってから、この場に残された俺と張さんと珊さんの3人は、早速珊さんの獲ってきた魚を囲炉裏で焼いて食べることにした。
珊さんの獲ってきた魚は全部で3匹だった。
何でもいつも珊さんは2匹を食べていたようで、今回は珊さんの分の1匹を分けてもらえることになった。
珊さんって良い人だわ。
しかし、生魚は焼くとなると時間がかかる。
美味しく焼こうとすると遠赤外線とやらで、直接火にかけることはせずにじっくり焼くのがいいのだが、そこはみんな腹を空かせているので直接火にかけるようだった。
もっとも秋刀魚のように油のすごい魚じゃないようで真っ黒になることはなかった。
この魚をよく見ると、多分鯉だわ。
鯉って料理が難しくなかったっけ。基本的に川魚って泥臭くなりやすく料理が難しいと聞いていたし、特に鯉に関してはあまりいい思いがなかった。
あの魚は泥臭くて苦手だったんだよな。
でも、せっかくの好意でもあるし、そもそも俺に選択肢などあるはずもなく、ここには食べるものがないのだ。
飢えたくなければ泥臭くとも食べるしかない。
とても空腹だったので、食べられた。
不味くは感じなかったが、多分、普通の状態だったら不味くて食べれるものじゃなかったように感じる。
第一、ここには調味料と呼ばれるものが全くなかったのだ。
塩すらないのだ。
海まで徒歩で行ける距離なので、塩分補給に関しては問題なさそうだが、それ以外の調味料がない。
俺も覚悟を決めたし、戦国時代だということも理解しているので、大好きなマヨネーズがないことは理解している。
しかし、しかしだよ、醤油も味噌もないのだ。
塩すらない。
この状態での食事が単なる餌だということを早々と理解できた。
生きるために食べる。
人肉を食べないだけましということなのか。
中国の飢餓の時など人肉も食べたということを聞いたことがある。
吉川英治の三国志で出てくる「自分の奥さんを殺して客に振舞う」話の解説記事が、うろおぼえながら記憶に有った。
その解説本では、自分の大切なものをなくしてももてなす精神とされており、日本の鎌倉時代に鉢植えを壊して火にくべてもてなすシーンと対比して解説してあったのを覚えている。
どちらも考えられないのが現代人だが、奥さんを殺してまで…ん~~~…。
別に張さんや珊さんにどうこう言うつもりもあてつけでもないが、ちょっと思い出した。
極貧の時には贅沢を言うなということだ。
俺の当面の目標に新たにひとつ加わった。
毎日、美味しい食事を仲間と食べ合うことだ。
今日の魚をとってきてくれた珊さんと魚を焼いてくれた張さんに俺の中で最大限の感謝をして、焼き魚を頂いた。
ごちそうさまです。
食事のあと、まだ日もあることから、付近を散策し囲炉裏で使えそうな折れた枝などを探して見た。
いざ探すとなると、ないものだった。
日も暮れ始めようとしていたので小屋に戻り、今日の活動を終え、寝ることになった。
まだまだ夜は冷えるようで、全員で囲炉裏を囲んで横になった。
ふぞろいの板の間?といった感じに直に横になり、枕もない。
はっきり言って非常に寝心地が悪い。最悪といってもいい。
俺は更に目標を加えた。……もう~いいって言ってるんだ。……
横になりながら、今までのことについて振り返っていた。
どうやら、夢では無いようだ。
どうやら、本当に戦国時代に来てしまったようだ。
玄奘さんから聞いたところでは永禄7年だということだ。
それに俺は10歳くらいの少年として転生させられたようだった。
………
転生させられたことに多大な不満を感じている。
ラノベの展開では転生前に真っ白な部屋に通され、綺麗な女神様に優しく色々と指導してもらい、多くの場合にチートな能力をもらって送り出されるはずじゃなかったのか。
全てなかったよ。
それに、俺の読んでいたラノベの多くが転生先に貴族の家族として優しいお母さんに抱き抱えながらのファーストコンタクトがあり、チュートリアル的な展開後に物語が始まるはずなんだよ。
戦災孤児同様、なんの持ち物もお金もなく、いきなり物騒な長島のあたりに転生させられるって、こんな理不尽ってありなの。
おまけに10歳に転生って何。
こんなの有り?、俺は名探偵●ナンじゃないんだよ。
転生前も後も変な薬は飲んでいないし、長島sランドで美少女ともデートしていないし、おまけにやばい人たちの取引現場なんかには絶対に近づかないはずなのに少年としての転生ってありか~~~。
ずるいじゃないか。非常に理不尽を感じている。
確かに転生してから、今まで体験してきたいじめのような非常に不愉快な目には会ってないし、むしろ人情がこれほどまでにありがたいと感じられることばかりだ。
それに張さんって非常に美人だ。
これは嬉しい誤算だ。
せめてこれくらいのことがなかったら、発狂していたかも…大げさでした。
なんだか俺を転生させた誰かに対しての不満ばかりが頭の中をぐるぐる回ってきたので、少し落ち着いて、とりあえず当面の行動を考えることにした。
まず売れる物を一つでも多く見つけ、生活を安定させることに決めた。
将来については、この時代があまりにも殺伐とした歴史があることを俺は知っている。
俺の知りうる人たちに累が及ばないよう精一杯あがいていこうと心に決めた。
それで明日は何をしようかなと考えているうちに、いつの間にか寝ついていた。
翌朝日が登る少し前に全員が起きだして、活動を始めていた。
当然食べ物もないので、珊さんは魚を獲りに出ていった。
張さんは何をしているのかはわからないが、俺も活動を始めた。
昨日決めたように、まず炭、木炭を作ってみようと使える道具を探し始めた。
俺は、今猛烈に反省している。
簡単に木炭は作れると考えていたのだが、現実は非常に厳しいということに初めて気づかされた。
木炭なんか量産さえしなければそこらに落ちている一斗缶に木を適当に詰め、そのまま火にくべればできるとさっきまで考えていたのだった。
一斗缶なんか、それこそ廃墟を探せばゴロゴロ出てくるものだと思っていた。
今が戦国時代だったということを失念していた。
そもそも、俺が想定していた廃墟がないのだ。
前にも言ったことだが、非常に当たり前のことだった。
そもそも一斗缶なんぞ、あるはずもなかったのだ。
代用品を探そうにも、この時代に金属は非常に高価である。
とにかく、この時代には物がない。
非常にエコな時代である。
ぼ~っとしてもしょうがないので、ない頭を絞り、記憶の奥底にある、以前にどこかで見た炭焼き窯を作ってみることにした。
大きいものは作れないので、とにかく小ぶりのものを作るために川原までやってきた。
川原で手頃な石を拾い集め、賽の河原よろしく石を積んで壁を作りその周りに川原付近にある土を塗り固めていった。
近くで魚を獲っていた珊さんが、
「へ~~、器用なもんだな。
空といったか、で、何を作っているんだ(←中国語「台湾語」)」
「ん、ん、ん??」
俺が困っていると、そこに張さんが通りかかり、
「珊さん、この地の言葉で話さないと空さんには通じませんよ」
今度は、今言った事と同じ内容と思われることを珊さんにもわかるように話した。
「珊さん、この地の言葉で話さないと空さんには通じませんよ。(←中国語「広東語」)」
珊さんが、わかったといった顔をした。
張さんは、先ほど珊さんが話した事を通訳してくれた。
「でも、空さんって器用ですね。
で、今何を作っているんですか」
と聞いてきた。
俺は良くしてくれているお二人に、包み隠さずこれからやりたいことを話した。
「はい。うまくいくかどうかは分かりませんが、この中に木を入れて火を焚くことで木炭ができるはずです。
すぐには試せませんが、周りの土が乾いたら試してみたいと思っています」
「うまくいくといいですね。
それより珊さんがまた魚を獲ってくれましたので、また焼いて食べましょう」
「はい、いつもありがとうございます」
三人はそろって小屋まで戻っていった。
食事をしながらポツポツと、訳ありの一部始終を問題にならない範囲で話していった。
相互理解がコミュニケーションの基本だ。
俺は転生前までこの件に関しては落第だったので、今度は勇気を持って積極的にコミュニケーションを取っていった。
そこで、張さんと珊さんから聞いた話では(といっても、主に張さんからだけれど)、張さんたちもほんの数日前に嵐に遭い、流れ着いたところを玄奘さんに救われたそうだった。
張さん達一行といっても二人だけだけれど、その一行が向かっていたのは今川氏の居城である今川館であった。
彼女たちは、さんざん苦労して堺までたどり着き、永住の地を求め有力者の保護を求めていた。
色々と有力者を訪ねていたが、最後にすがったのが今川氏だった。
彼女たちが得ていた情報では、この日の本の有力者のうち最大級の勢力を誇り、その治めている地はとても広く裕福だという話であったので、堺で今川氏に昵懇な商人の協力を仰ぎ、今川氏が居城を構える駿府に向けて船で移動中の出来事だった。
優秀な水夫の珊さんが沈没していく船から張さんをやっとのことで救い出したが、そこまでが精一杯で、弱って浜に打ち上げられているところを玄奘さんに発見され、ここに匿ってもらっている。
彼女たちはあまり詳しくは話してはくれなかったが、母国の明には戻れず、かと言って今までいた琉球にもある理由から戻ることができなかったそうだ。
今後の予定として、しばらくここで落ち着いて情報を集めてから、今川館に向かって保護を求めたいとのことだ。
でも、協力をお願いしていた商人が先の嵐で行方が分からず、今川氏に保護を求める伝がなく困っているとのことだった。
その話を聞き、俺は考えたというより思い出していた。
今が永禄7年である。
今から4年前の永禄3年に桶狭間で信長が今川氏の棟梁である義元を討ち取って以降、今川氏勢力が著しく衰えていき、確かこの年には三河からも撤退してるはずであった。
この場では言えないが折を見て今川氏への保護を求めることをやめさせようと思う。
直に今川氏も家としては滅ぶのだ。
兎にも角にも、今はここで生活の基盤を確立させ、情報を広く集める環境を整えることが先決だった。
そのためにも、まずは木炭の作製を成功させなければならない。
前途多難である。
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