忍者と再会
今日も、徒然つれづれなるままに、思い浮かぶたわいもない話を綴りました。
お楽しみください。
時代小説風の話になりますので、表現など十分に注意しておりますが、誤字・脱字・言い回しのおかしな箇所があれば、ご指摘お願いします。
また、面白いとお感じになれば感想や評価をいただけましたら励みにもなりますのでよろしくお願いします
以前に玄奘様と通った道で、今度は自分たちだけで大和の本田様のところを目指していった。
寺は、与作さんに後を任せ子供たちの面倒を同じ近江出身の女性で最年長のお菊さんにお願いした。
与作さんとお菊さんは幼馴染で、よく知った間柄のためにそのまま任せても心配ない位の安心感があった。
俺としては村の最初の結婚は、もしかしたらこの二人になるのではと期待しての出発となった。
まず以前と同じ亀山宿に向かい、そこから大和に通じる街道を通っていった。
甲賀の里で、以前に玄奘様と軒を借りた寺に、またお世話になった。
寺の住職は俺のことを覚えていてくれ、快く軒を貸してくれた。
一緒に夕餉までもご馳走になったので、今回持ち込んでいる商品の中から、塩と炭を少し喜捨させてもらった。
大層ご住職は喜んで、ここ甲賀の里のことなど夕餉の際には話が弾んだ。
夕餉での会話で、甲賀の村の話があった。
ここ甲賀は俺が目指す理想の一つの形をとっていた。
甲賀は六角氏の傘下に属しながらも「惣」を形成し、村の政を多数決によって決定、つまり合議制をとっていた極めて珍しい村であった。
俺としては、別にどこかの大名の傘下であっても構わないが、村の住人を戦に駆り出させたくはない。
なので、甲賀のように村の独自性を認めてもらえる関係が理想だと思っている。
日の本が平和に統一されたのならば、戦のない世の中になったのならば、民が笑顔で幸せに暮らせる世の中になったのならば、統一政権に取り込まれても構わないが、今のような戦国時代では、出来うる限りの独自性を保てるようにしていきたい。
そういう意味では、ここ甲賀の政は一つの理想だと思えた。
なので、もう少し詳しくここの政を知りたくなってきた。
合議制については今の混沌とした時代にはそぐわないが、六角氏と甲賀の関係性については大いに参考となるだろう。
ご住職にもう少し詳しくお聞きしたら、それならば明日わしと一緒にここの村長にあたる望月のところに行こうとなった。
ここ甲賀は合議制をとってはいるが、それでも村をまとめるための長がいる。
今はここ甲賀の有力者の望月氏がそれを努めており、ご住職とかなり懇意にしているとかで、明日に俺を望月氏に紹介してもらえることになった。
早朝から、俺はご住職と一緒に村の中程にある立派な邸宅の望月氏を訪ねた。
そこで、ご当主から、よそ者に明かせる範囲で六角氏との関係を聞かせて貰えた。
あまり情報は貰えなかったが、それでも貴重な情報を得ることができた。
ここでもお礼に塩の入った小壺を渡した。
ここを去ろうとしていた時に俺は懐かしい人と再会を果たした。
以前林の中で助けたあの御仁だった。
なんと彼は、ここ甲賀の出身ではなくお隣の伊賀の出身で、伊賀の村長も務めたこともあるあの藤林だというのだ。
それに、横で泣いていた坊主は~ガキの俺が坊主というのも変だが~かの有名な百地丹波だと言うんだから驚きだ。
なんでも、相次ぐ戦乱の煽りで、一時的に以前より交際のあったここ甲賀の望月氏を頼って難を避けているのだとか。
相手の本当の素性がわかったので、俺は思い切って、藤林正保に情報収集を手伝って欲しいとお願いをしてみた。
今なら、彼の連れていた百地丹波も合わせて受け入れることができる。
それどころかかなりの家族もそのまま受け入れられることを話し協力をお願いしてみた。
彼は「少し考えさせてくれ」と返事をよこしたので、以前彼らと別れた林の中のあばら家で返事を待つことになった。
こっちとしてもダメもとでのお願いなので、気長に待つことにして、本来の目的である大和の多聞山城に向かった。
甲賀で商品の一部が無くなったが、それを越えるだけの収穫があったので、今回の旅はそれだけでも満足であった。
そのためか、本田様に多聞山城で会った際に行った商いの結果が予想通り、あまり良いものではなかったが、不満はなかった。
ここでの商いは継続的にできないが、年に数回くらいならばできそうだと言ってくれた。
多聞山城側としても炭も塩も俺らから仕入れる必要性は感じていなかったのだ。
ここは、伊勢よりも河内の方が近く、そこからいくらでも仕入れることができる。
彼らの欲していたのは情報だけであった。
商品は情報の代金のつもりで仕入れただけであり、そんな訳で俺らとの付き合いも切るつもりはないが、頻繁に続ける必要もないのだ。
俺は、早々に三角貿易を諦め、観音寺での商いに集中することを決めた。
本田様から、商品の代金を貰い、早々に多聞山城の城下でここの特産品である墨のうち低価格である二級品の墨を買えるだけ買い取った。
それを持って、すぐにここを立ち、観音寺城下まで行った。
観音寺城下でも、玄奘様の兄弟子のお寺に軒を借りて、俺は、早速以前話を聞いた番所まで木札を買いに来た。
番所に詰めていたお武家様は俺のことを覚えてくれたようで、
「どうした、坊主。
まだここにいたのか。」
と聞いてきた。
「いえ、一旦伊勢まで帰ったのですが、やはりここは我々行商にとって天国のようなところであるので、行商仲間と親が一緒にまた来ました。
なので、木札を買いたいのですが、価格は以前聞いた銀2匁でよろしかったでしょうか。」
「そうか、早速行商に来たか。
そうか、そうか。
ここは天国か。
うん、木札は、いつ買っても銀2匁で変わりがない。
しかし、期限は同じ来年の春までだがそれで良いか。
春に買わないと1年間は使えないので、遅くなればなるほどもったいないことになるが、それでも構わんか。」
「はい、構わないと親も言っておりました。
銀2匁をお受け取り下さい。」
と言って、城下町を褒められたことが嬉しかったのか、何やら嬉しそうにしているお武家様に銀を渡した。
すぐに、お武家様は奥に入り、木札を持ってこられた。
「これが、その木札だ。
無くすと、また、銀で買わないとならなくなるから大切にしろよ。」
「はい、ありがとうございます。」
と言って、木札を持って寺に帰っていった。
商いは明日から始めるつもりで、市を散策した後、寺に戻り、ここの特産品などをご住職に聴いたりをしてその日は終わった。
次の日は朝早くから市に立ち、多聞山城城下で買った墨を販売した。
通りの端に筵を敷いて、丁寧に墨を並べ、筵の端にあの木札を置いておいた。
張さんには、多聞山城城下で買った値段の4~5倍の値段から始めてもらい、値切りに応じてもらって商いをして貰った。
もともと2級品のために購入した価格が安く、4~5倍でも充分に価格的にここでは売れそうだが、当然値切られるので、最終的には購入価格の3倍強の値段でだいたい売れた。
ここで、十分に稼いだので、少しばかりお世話になったお寺に喜捨をして、食料でも買い込んで帰ろうかと思ったが、なにも遠い距離を重たい米などを運ぶ必要がない。それこそ、桑名でも買えるのだから、ここでは、米などの相場のみを調べ、名産品を探して買うことにした。
ここでの名産品と呼べるのは焼き物がそれに当たるのだそうだ。
しかし、焼き物は価格が高価な上、扱いが悪いと簡単に壊れるので、また、高価のため、転売するにも売れるかどうかわからないために、少しばかり購入して、大切に持って帰った。
ここは、交通の要所であり、各方面に繋がる道があった。
ここから帰るのに、東山道を通って稲葉山城の城下町である井ノ口を回って帰る選択肢もあったが、かなり遠回りにもなり、また、帰りにいくつもの関所を超えなければならないために、今回は諦め、以前に通った裏街道のような八峰峠(八風峠)を通るルートを使って帰っていった。
途中は軒を借りるような寺のある村落はなかったので、野宿となったが、帰りは観音寺で買った焼き物くらいしか運ぶものもなく、比較的楽に峠を越えて帰ることができた。
今後については、ここと、観音寺との間での商いをしていくことになる。
なので、珊さんにはここのルートを覚えてもらった。
張さんがリーダーのキャラバンを組んでこれから頻繁にここを通って観音寺で商いをすることになる。
寺に帰ったら、本格的に干物の研究だ。
林の中で獣を捕らえることのできる猟師がいれば、ここでも膠が出来、それがあれば、墨も作れるようになる。
人材の確保と同時に一つ一つ商品を増やしていって、このあたりに甲賀のような「惣」が作れればいいなと考えていた。
まず、みんなが集まったら、今後について説明をしていこう。
当面は俺のリーダーシップで、この集団を引っ張っていくが、将来的に、世の中が落ち着いてきたら、合議制に変えていきたい。
そのための意識改革じゃないが、できるだけ多くの情報をみんなで共有していくようにしていきたい。
明日からは、干物にかかるぞ~~~。
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