6.ヒューバート・ギルバート
外を出歩くにはコートが必須な季節になった。建物の中にいても寒さが身にしみた。
今年も残すところあと一ヶ月を切ろうかというこの時期に、とある話が舞い込んできた。
「私が王立交響楽団に、ですか?」
広い客間の真ん中で、しっかり身なりを整えたエルシーと、客人の初老の男性が紅茶を飲みながら会話をしている。
ジーンはドアの横に立ちながらその様子を眺めていた。
「はい。ヒューバート殿下から直々にお話を頂きまして。ニューイヤーコンサートに本来ゲストで出演されるはずだった方が怪我をされてしまいましてね。その穴を埋めるために新しい曲をやらねばならなくなってしまったんです。それならぜひ、アリソン王女殿下に、と」
男性はそう言いながらエルシーに何かの書類と楽譜を見せていた。
「でも、私なんかでいいんですか」
「ご謙遜を。首都軍の音楽隊に合格されるほどのレベルの演奏家であらせられるじゃありませんか」
首都軍の音楽隊がすごい、というのはよく聞く話であったが、あまりに身近にその元団員がいるためか、ジーンにはその実感がなかった。
「とても嬉しいお話です。幸い、今の私には時間もあります。……ですが、今は国の情勢が情勢で、私のような王家の人間がそのような場に加わるというだけで、多大なるご迷惑をおかけする可能性があります」
「その心配はございません。元より、我が王立交響楽団の演奏家の中には貴族や王族の血筋の者も多く在籍しています。かくいう支配人の私も、子爵家の者ですし。演奏家たちは皆、厳正なるオーデションで選ばれたエキスパートです。細心の注意を払った警備を整えております。こんなことを言うのはよろしくないかもしれませんが、楽器も非常に高価な物が多いのでね」
それこそ、家一軒くらい軽く買えてしまうようなものも、と男性は冗談めかしに笑った。
「わかりました。そこまで言っていただけるなら、ぜひお引き受けしたいと思います」
「おお、それは有難い」
「ですが、一つお願いがあります」
「私共にできることなら、なんなりと」
エルシーは紅茶のカップをソーサーの上に置いて、男性の目を見据えた。
「私の演奏を聴いて頂いてから、そちらに判断を仰ぎたいのです」
エルシーの口から出た言葉は、予想だにしないものであった。
王立交響楽団の支配人が直々に訪ねてくるのであるから、エルシーの演奏技術が素晴らしいものであることくらいはもちろん承知しているはずだ。首都軍音楽隊に在籍していたという実績もある。
「そんな、殿下の腕が素晴らしいことは皆知っております。その、テスト、をするなど失礼なことは、私共にはとてもとても……」
「ですが、私の演奏を直接お聞きになったことはありませんよね?こんな言い方はしたくないのですが、王立交響楽団は首都軍音楽隊のことを目の敵にしているという噂も聞きます。それに、私は音楽隊での演奏経験はありますが、この楽譜のようなソリストとしての経験はありません。前に立って吹くのであれば、やはりそれなりの実力がなければならないと思うのです」
この国には実用的な録音技術は存在していない。ラジオでの中継はあるものの、それを残す技術はまだ確立されていなかった。そのラジオの中継も、音質はお察しである。
つまり、音楽を聴く場合は生でその演奏会を見る他に選択肢はない。
「少しお待ちください。すぐ用意をしますので」
エルシーは支配人の男性の返答を聞かずに立ち上がって扉へ向かった。
「俺が持ってきてもいいが」
「いえ、大丈夫です。音出しもしたいので自分で用意します」
客人を一人にするのはよくないかと気を利かせたつもりだったが、エルシーは首を横に振った。彼女なりのポリシーがあるのであろう。
そう言ってエルシーは足早に自分の部屋へと向かった。程なくして、遠くからコルネットのチューニングや音出しの音が聞こえてきた。
ジーンはその間ただじっとその部屋で立ち尽くしていた。支配人の男性はそわそわと落ち着きがない。ヒューバート、エルシーの父親から直々に頼まれたとのことだったので、緊張しているのかもしれない。
「お待たせしました」
しばらくして、コルネットを抱えたエルシーが部屋に戻ってきた。
彼女は先ほど支配人が見せてきた楽譜を手に取り少しの間眺め、再び机の上にそれを戻した。
そして、コルネットを構えてマウスピースに唇を当てた。
柔らかいが、華やかな音色だった。
コルネット特有の優しい音色が、ハイトーンの音の粒も決して乱れることなく正確に奏でている。ロングトーンの音のブレもなく、速いパッセージにも決して動じない。何よりも、エルシーの奏でる音には自信が満ち溢れていた。
素人目にも、彼女が優れた演奏家であることがわかった。ジーンは彼女のその姿に思わず目と耳を奪われてしまった。
思えば、彼女はジーンの前でコルネットを演奏したことがなかった。練習中はいつも部屋を追い出されていた。その理由が、今ようやくわかった気がする。
演奏が終わると、エルシーはゆっくりとマウスピースから唇を離した。彼女のコルネットを構える姿は、普段のだらしない姿からは想像もできないくらい美しかった。
「初見なので、こんな感じですが。どうでしょうか?」
エルシーは今さっき初めて見た楽譜のワンフレーズを吹いて見せたようだった。初めての演奏でここまで完璧に吹けるというのが、素人のジーンには俄かには信じられない出来事である。
「……いや、文句無しです。本当に素晴らしい。毎日しっかりと練習なさっていることがわかります」
支配人の言葉は、決してお世辞ではなかった。その証拠に、彼の声には先ほどまでの余所余所しさは一切ない。ただただ、エルシーの演奏に感嘆の声を漏らしていた。
「そう言って頂けて、嬉しいです。未熟者ですが、しばらくお世話になります。よろしくお願いします」
エルシーは笑顔を浮かべながら、コルネットを胸に抱いて頭を下げた。
こんな嬉しそうな彼女の表情を見たのは、初めてのことだった。
***
「本当は、大尉にはもっといい演奏を聴いてもらいたかったんですよ。当初の計画では、初めて聴いた私のコルネットに感動の涙を流してもらって、そしてそのまま二人は幸せなキスをして、」
「趣味の悪い冗談はやめろ」
ベッドの上でコルネットを片付けながら、エルシーはにこにこと笑っていた。
「でも、夢みたいです。王立交響楽団のソリストを任せられるなんて。首都軍音楽隊に次ぐ音楽の名門ですよ。音楽隊は吹奏楽なので、管弦楽団としては実質国内トップですね」
「それは名誉なことだな。引きこもり生活にも歯止めをかけられるしな」
「べ、別に好きで引きこもってたわけじゃないですし」
エルシーはジーンの揶揄いの言葉に唇を尖らせる。実際に誰の目から見ても引きこもりな生活を送っているため、反論はできなかった。
「しばらくは練習の送迎とか、お願いすることになると思います。仕事を増やしてしまって、すみません」
「それは別に気にしなくていい。むしろ今までが楽過ぎた。車出すくらい、なんてことはない」
近衛師団所属の軍人として、ジーンは充分すぎる報酬をもらっていた。ほとんどこの公爵家から出ないのに、である。その給料が国民の税金から払われていると考えると、申し訳なくなってくるレベルだ。
「初日はいつだ?」
「明後日です。練習中待っててもらわなきゃいけないんで、退屈かもしれませんが……よろしくお願いします」
そう言ってエルシーはジーンに向かって深々と頭を下げた。
***
エルシーが王立交響楽団の練習に顔を出し始めてから一週間ほど経った日のことであった。
練習を終えた疲労から、後部座席ですっかり寝こけているエルシーを車に乗せて、ジーンはラルフ公爵邸の敷地内に入る。その際の守衛のチェックも手馴れたものであったが、決して手抜きはされていない。
すると、駐車場として使われているスペースに見覚えのない車が停まっていることに気がついた。他の車よりも些か高級そうなそれは、ジーンがここで住み込み同然で過ごすようになってから一度も見たことがないものだ。
眠っていたエルシーを起こして建物の中に入り、夕食のために二人で食堂へ向かうと、そこには先客がいた。
「お父様……!お帰りになっていたのですね」
軍服は着ていないが、そこにいるのは紛れもなく近衛師団団長、ヒューバート・ギルバート大将であった。その横にはこの間から家に帰ってくることが増えたルヴィアも着席しており、親子三人が一同に会していた。
「元気そうで何よりだよ、エルシー」
ヒューバートはエルシーとそっくりな目元を細めて微笑んだ。エルシーの瞳の色は母親譲りの蒼色であったが、それ以外の顔の造形は父親譲りである。
「どうして、また?」
「家主の帰宅がそんなに可笑しいかな。久々に連休を貰った、それだけの話だ」
何か良からぬ話でもあるのでは、と身構えるエルシーの頭に、ヒューバートが自身の手を置いた。エルシーの髪の毛を優しく撫でるその姿は、普段は冷たい目をしているヒューバートと同一人物には思えなかった。
「しばらく見ないうちに、随分と女性らしくなったね。何か心境の変化でもあったのかい?」
「えっと……それは……」
ヒューバートはエルシーの顎に手を添えて、薄く化粧が施された彼女の顔を眺める。動揺しているのか、エルシーはしどろもどろになっていた。
「あまり無粋なことをお聞きにならないでください。エルシーも年頃の娘ですから」
ヒューバートの横に控えていたルヴィアが、娘に対してフォローを入れた。その顔はひどく優しい表情を浮かべ、こちらもまた『氷柱姫』という二つ名に不釣合いな姿であった。
「それもそうだな。さて、全員揃ったことだし、夕食を頂こうか。……ああ、スズキ大尉、食後に少し仕事の話をしたい。コーヒーでも飲みながらね」
先ほどまで蚊帳の外であったジーンの名が呼ばれた。近衛師団に異動となったジーンは、そのトップであるヒューバートの直属の部下という立ち位置であったが、面と向かって直接話をしたことはなかった。
「なに、そんなに身構えなくてもいい。今の私はただの初老の男だよ」
そう冗談めかしに話すヒューバートの目は、やはりどこか冷たさを隠しきれていなかった。
***
「それではお兄様、先に部屋に戻っていますね」
食堂の扉を開けて部屋の外に出たルヴィアは、確かにそう口にした。
「おに……?」
夫婦としては不釣合いなその呼び名にジーンは思わず疑問符を浮かべた。
「癖が抜けないんだ。人前では気をつけているはずだが、油断するとああやって口をついて出てしまうみたいでね。従妹のルヴィアは私にとって実の妹のような存在であったし、彼女も私のことを兄の様に慕ってくれていた。流石にそろそろお兄様、と呼ぶのはやめにして貰いたいのだが」
ヒューバートが苦笑いを浮かべる。エルシーの両親であるヒューバートとルヴィアは従兄妹同士であった。
「さて、早速本題に入ろう」
ヒューバートはそう言ってコーヒーのカップに口をつける。ジーンもそれに続いて目の前に用意されたカップを手に取った。
「妹からの手紙が途絶えた」
その台詞は、ジーンが予想していたような仕事の話とはまるで違うものであった。
「妹、と言うと……隣国の、」
「そうだ。隣国であるアルマニング帝国に嫁いで皇后となった、アミエルのことだ」
ヒューバートの妹であるアミエルという人物は、もちろん現国王の妹でもある。ユリーレ王国の元王女だ。ジーンが生まれる随分前に隣国のアルマニング帝国に嫁いでいるため、直接姿を見たことはない。
「アミエルは気の強い女だったが、筆まめでね。定期的に近況報告を綴っては、兄妹の中でも特に仲の良かった私に、手紙をくれていた。それが夏を過ぎた頃から、どうも間が空くようになって、ついにはパッタリと途絶えてしまったんだ。病に臥せているのならその報せが届くだろうし、こちらから何通も手紙を出しているのに音沙汰なしとは、少々気味が悪い」
ここまで聞いた限りでは、ヒューバートの話はジーンの仕事に直接繋がりそうにはなかった。かと言って、余計な横槍を入れるのも気が引けたため、ジーンは黙ってその話を聞いた。
「君は、アルマニング帝国のことをどれくらい知っている?」
「約五十年前に我が国と同盟を結んだ、比較的豊かな国ということくらいです。大陸南部の温暖な気候に恵まれ、近隣諸国へ作物の輸出をすることで財をなしていると」
「その通りだ。しかしその反面、古くからある身分制度が未だに生きていてね。ある説では我が国よりも貧富の差が激しいとも聞く。豊富な食糧があるにも関わらず、国の末端には行き届いていない、とアミエルが嘆いていたよ」
「古くからある身分制度?」
「ああ。アルマニング帝国は帝政をとっているが、その反面宗教の影響力が非常に強くてね。大元は我が国の国教である十二精霊神教と同じなんだが、宗派が違う。『ルナ派』と言うんだが聞いたことがあるかな?」
ヒューバートの問い掛けにジーンは首を横に振った。
「まあ、大学の宗教学部にでも行かない限り、学ぶ機会はないだろうね。ルナ派は所謂、過激派というやつでね。聖典を曲解し、都合のいいように解釈している。そのルナ派の教典の中で、細かい身分制度が定められているんだ。簡単に言えば、人種差別と性差別だ。もちろん家柄的なものもあるが」
「人種差別も性差別も、豊かな国であるアルマニング帝国には時代錯誤もいいところではないのですか。宗教と言うものは、得てして貧しい地域や厳しい環境下において力を発揮するものであると認識しています」
ヒューバートの説明は的確で分かりやすかったが、ジーンは違和感を覚えずにはいられなかった。アルマニングは豊かさで言えばユリーレよりも遥かに上を行く。ユリーレにおいても、宗教というのは既に慣習の域に落ち着いており、熱心な信仰者はほとんどいない。
「察しがいい。まさにその通りだ。そしてそれが、アルマニングの歪みでもある」
「歪み……?」
「アルマニングの民衆の間では、もう宗教は望まれていないんだよ。しかし、法律で厳しく定められているためそこから抜け出すことはできない。宗教で得をする人間が上に立っている以上、その仕組みは変わらない。民衆の不満は年月をかけて積もり積もって爆発寸前だと、アミエルからの手紙にあった」
そこでようやく、冒頭のアミエル皇后からの手紙が途絶えた話へと繋がった。
「革命、ですか」
ジーンの言葉に、ヒューバートが頷いた。
「まだ憶測に過ぎないがね。それに、そこまで派手な動きをしていれば流石に周辺諸国に勘付かれるし、貿易も上手くは行かなくなる。まだ致命的なところには到達していないと考えるのが妥当だろう。妹のことは心配だが、まだ焦る必要はない」
皇帝夫妻に危険が及んでいるのなら、もっと何らかのアクションがあるはずだと、ヒューバートは言っている。ジーンもその考えには概ね同意である。
「一つ誤解を招かないように補足を入れると、現皇帝とその皇后であるアミエルは決して宗教に傾倒しているわけではない。近年は教会が強く力を持ち始めていてね。皇帝はその目をかいくぐって国全体が豊かになるように奔走していた。それがどこまで国民に伝わっているかは、わからないがね」
「大方は理解しました。閣下は、アルマニングに革命が起こることによって、我が国に影響があることを案じていらっしゃるのですか?」
「それもある。が、それをわざわざ君に伝えたりはしないよ」
「はぁ……」
確かに国としては予断を許さない状況が迫ってきているかもしれないが、それは下っ端のジーンには関係のないことであった。
「ここからは、上層部でも一部しか知らない事実だ。まだルヴィアにも知らせていない」
先ほどまで穏やかな顔で話していたヒューバートが、途端に鋭い目になった。
「アルマニング帝国からのスパイの入国を確認した。これは可能性の一つでしかないが、どうやらこのことが今巷を賑わせているテロ騒動に関連しているみたいなんだ」
「どういうことです……?」
ヒューバートの口から出た言葉は、ジーンにとって決して他人事ではないものであった。ヒューバートは空になったカップを持て余しながら、目を伏せて話し始める。
「アルマニングの政変にかこつけて、ユリーレの国家転覆を狙う輩がいるってことだ」
それはあまりにも非現実的で、俄かには信じ難い言葉であった。
「今までのあれこれは、恐らく前座に過ぎないのだろう。先日の軍隊記念日の件も、本気でエルシーを狙うにしてはあまりに稚拙すぎだ。エルシーが殺したブラッドベリーとかいう軍人も、恐らくただの捨て駒だな。不安を煽る材料だ」
「本番は、アルマニングが引っくり返った時、というわけですか。それは随分と、スケールが大きい話になってきましたね」
確かにブラッドベリーという軍人がテロに関わっていたことは大きな衝撃であったものの、あくまで民衆の暴動の延長線上程度にしか考えていなかったジーンは、頭を抱えた。とんでもないことに巻込まれてしまったようだ。
「自分は、何をすればよいのですか」
「今のままでいい。ただし、守るのはエルシー個人ではない。この国だ。それを肝に銘じておいて欲しいんだ」
優しい口調ではあったが、ヒューバートのその言葉は決して生半可な気持ちで受け止めることができないものであった。
「兎にも角にも、まだわからないことが多すぎる。君にもできるだけ情報を伝えたいところだが、私も上との兼ね合いがあるのでね。今話している内容も正直なところグレーゾーンなんだ」
「……わかりました」
上司を前にして、拒否をするという選択肢はなかった。
「エルシーは君に随分信頼を置いているようだ。あの子は君に好意を寄せているのだろう?」
「……まあ、そういう話は聞いています」
そうです、と断言するのは気が引けた。以前のルヴィアの言葉を思い出す。旦那には言うな、と言われていたが、ヒューバートにはすっかりお見通しであったようだ。
「父親として喜ぶべきかはわからないが、少し安心したんだ。娘も私と同じく、人との関わりについて執着のようなものがあまりなかったからね」
ジーンはそれに相槌を打つのを躊躇った。ヒューバートにかねてから感じていた、冷たい目。それを彼は自覚していたのだ。
「閣下のことは、あまり存じ上げていませんが……少なくとも、殿下は人並みに豊かな感情を持っていると思います」
ジーンにとってエルシーは、不器用ながらもしっかりとした人間であった。あまり感情を表に出さないが、時折見せる表情は実に人間らしいものである。
「そうか」
受け取り方によっては失礼なことを言ったはずであったが、ヒューバートはそれを咎めることはしなかった。
「私はね、頭がいいんだ。おまけに才能もある。そのせいで、私より出来の悪かった実の兄に命を狙われたこともあった。私は国王になんてなりたいと思ったことは、一度もないんだが」
ヒューバートは不意にそう語り出した。
「幼い頃から、自分にとって何が利益になるのかだけを考えて生きてきた。無用な人間関係は一切築かなかったし、私以外の人間は皆どうでもよかった。こんなことを言ったら軽蔑されるかもしれないが、ルヴィアと結婚したのも全て、私の人生設計のうちの一つでしかない」
そう淡々と告げるヒューバートの表情は、相変わらず何を考えているのかさっぱりわからなかった。
「お二方は、割と歳が離れていますが、それも?」
「ああ、そうだね。エルシーにでも何か吹き込まれたのか?」
「まあ……」
ロリコン、などと言う発言があったことは口が裂けても言えない。
「どこの馬の骨ともわからない貴族の娘を当てがわれるのは、本意じゃなかったのでね。それなら、信頼の置ける身内の方が勝手が良い。軍人としてのルヴィアは厳しい人間だが、実際はそうじゃない。彼女はとても素直で、歳の離れた私のことを盲信的なまでに慕ってくれてね。そんな彼女の気持ちをこちらに向けるのは簡単だったよ。ある種洗脳のようなものだったね」
「あの、これ、俺が聞いてもいい話なんですか……?」
「構わないよ」
「はぁ……」
下っ端の軍人に話す内容としては、あまりに生々しい。
「ああ、勘違いしないでくれ。ルヴィアのことは本当に大切にしてるつもりだよ。私は美しいものが好きだからね。彼女は外見もさる事ながら、その信念に一点の曇りもない美しい心も持っている。もちろん、彼女との娘であるエルシーのことも大切に育ててきたつもりだ」
先ほどまで洗脳だとか言っていた人間の台詞とは思えない。
「まあ、私の話はいいんだ。こんな風に生きてるとね、君みたいな存在が羨ましくなる事があるんだよ」
「どういう意味ですか?」
突然振られた話に、思い当たる節はない。
「愛する女性のために、自分の立場を顧みず上官に手をあげるなど、まるで演劇の一幕のようじゃないか」
その言葉に、ジーンは大きく目を見開いた。そして、みるみるうちに顔が熱くなっていくのがわかった。
「どうして、それを」
「嘘の報告は感心しないよ、スズキ大尉。君のような優秀な人間が、自分の事を悪く言われたくらいで我を失うはずがない。少し探りを入れてみたら、フィスティナ子爵はすぐにボロを出したけどね。確かに、軍の中に性差はないとは言え、正当な理由なく女性を殴ったなどと知れたら、社交界での評判は地に落ちてしまう。利害の一致というわけか。君も彼女を巻き込みたくなかったのかもしれないが、果たして彼女はそれを望んだのだろうかね?」
「……」
つらつらと並べられる正論に返す言葉もなかった。実際、あの後カレンはジーンをきつく叱った。自分の判断は、恐らく間違っていたのだろう。
「閣下はどこまでご存知なんですか……」
「なに、私の手にかかれば君程度の人間の情報くらいどうってことはない。その時君が庇った彼女が、今は私の甥のクリスのところにいるというのも実に面白い」
「……別に、カレン・チェイン中尉とはそういう仲だったわけではないので」
「でも、セックスはしたんだろう?」
ヒューバートはにっこりと笑った。親子だ、とジーンは心の中でボヤいた。
「まあ、君の性生活のことに深く突っ込むつもりはないよ。ただ、君の倍以上を生き、欲しいものは全て手に入れてきた私からの助言は、そうだな……君がまだ彼女に未練があるのなら、その気持ちに従った方がいい。男と言うのは、そういうことを一生引きずる生き物だからね」
ヒューバートの言葉には確かな重みがあった。