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4.カレン・チェイン

暑い夏の日のことだった。

二年前の九月に入隊したジーンは、順調に出世街道を歩んでいた。


「暑いわね」


食堂で一人で昼食をとっていると、よく知る顔が目の前に当然のように座ってきた。

「南部は四十度を超えたそうよ。大変ね」

「……」

「あら、なに辛気臭い顔してるのよ?私とご飯を食べるのがそんなに嫌?」

「別に、」

嫌というわけではないが。

喉元から出かけた言葉を飲み込んだ。下手なことを言えばすぐに揚げ足を取ってくる。この女はそういう奴だ。

「少尉昇進おめでとう、ジーン。やっぱりすぐ追いつかれちゃったわね」

「ありがとう、ございます」

歯切れ悪く礼の言葉を口にする。

ジーンは先の西部地方の紛争で、新人とは思えないほどの立派な戦果を収めた。その活躍を評価され、先日准尉から少尉へと昇進したのだ。これがジーンにとって初の昇進だった。

「今日仕事終わったら時間あるわよね?」

「……拒否権は?」

「優しい先輩がお祝いしてあげるって言ってるのよ?そんなものあるわけないでしょう」

この強引な先輩が優しかった記憶なんてジーンにはまるでなかった。士官学校時代の上級生との訓練では変に目をつけられ理不尽にしごかれたし、彼女が卒業してからも休日に寮に押しかけられては街へ連れ出されて引っ張り回された。

「じゃ、駐車場で待ってるから」

しかし、ジーンは彼女のその悪戯っぽい笑みが嫌いではなかった。



***



仕事を終えて車を停めた駐車場に向かうと、煙草をふかしながら彼女が待っていた。

「カレン」

ジーンが彼女の名前を呼ぶと、向こうもこちらに気がついてにっこり笑って手を振ってきた。

臙脂色の軍服を脱いだ彼女は、白いシャツに黒いパンツという軽装でジーンの車に凭れかかっている。長い赤毛が揺れた。

「で、俺はどうすればいい」

「家でいいわよ。ワイン持ってきたの。何か作ってあげる」

「泊まるのか?」

「明日休みなの。あなたも昼からでしょう?」

「なんで俺のシフトまで把握してるんだ」

車に乗り込みながら、他愛のない会話をする。カレンは寮住まいであったが、ジーンは違った。少し離れた住宅街に手頃なアパートを借りている。

車を発進させると、助手席で上機嫌なカレンが鼻歌を歌っていた。タイトルまではわからないが、最近の流行歌だ。ジーンはカレンと違って流行りものには疎い。

「ねえ、知ってる?次の秋にイル伯爵家の双子が入隊するって話」

「あのカルヴィン・イル大将の子どもか」

「そうそう。二人とも優秀らしくて、尉官以上での配属が内定してるとかなんとか」

「尉官以上って、それ以上があるのか?」

「さあ?過去にはあったみたいだけど。それこそ、イル大将もそうだし、『氷柱姫ルヴィア』『鮮血のヒューバート』……彼ら三人は類稀なる才能と実力で、佐官スタートだったとか」

「何十年前の話だ、馬鹿馬鹿しい」

少なくとも、ジーンの知る限りではそんな特例は見たことがなかった。

「でも運がいいわよね、彼ら」

「西部地方の紛争か?」

「そ。私たちはアレに駆り出されたけど、彼らはもうその心配もないし」

ここ数年激化していた西部地方の紛争は、数ヶ月前にようやく落ち着いた。ジーンもカレンもほんの半年前までは前線に送り出されていたのだ。

二人は運良く生きて帰ってこられたが、互いの同期が何人も亡くなった。できれば思い出したくない苦い記憶だ。

「まあ、私はジーンがあんなところで死ぬとは思ってなかったけどね」

「俺も、あんたが死ぬなんて考えたこともない」

そう言って二人は笑いあった。


「私が『最強の矛』で、あなたは『最強の盾』だものね」


カレンのその言葉には自信が満ち溢れていた。



***



その夜は彼女が持ち込んだ生ハムで作ったボカディージョと、残り物の野菜と肉を煮込んだスープを、少し高めのワインで頂いた。

決して豪華とは言えなかったが、新米軍人であるジーンにとっては充分すぎるほどの贅沢だった。寮住まいのカレンはまだしも、一人暮らしのジーンには家賃という大きな出費もあった。田舎に住んでいる母親に仕送りもしている。下士官よりは多くもらっている給料も、贅沢をすればすぐに吹き飛んでしまう。


「睡眠薬、まだ飲んでるのね」


一糸纏わぬ姿で掛け布団を被ってベッドに横たわるカレンが、サイドテーブルに置いてあった小瓶を手に取って呟いた。

「御守りだ」

ジーンは小さなライトで本を読みながら、そう答えた。一時期に比べたら症状は幾分軽くなったものの、ストレスが溜まると再発するのだ。

ジーンが寮生活を好まないのもこのためであった。士官学校時代と違い個室が与えられているとはいえ、集団生活は彼の生活スタイルに合わないのだ。

ジーンは読んでいた本に栞を挟んで閉じる。それを合図にして、カレンがこちらの方に寄ってくるのがわかった。ジーンはそれを受け入れ、彼女を抱き締めた。

シングルのベッドに、男女が寝るのは決して容易なことではない。特に、ジーンもカレンも身長はかなり高い方だった。こうやって密着しなければ寝ている時にどちらかがはみ出してしまうのだ。

「あつい」

「我慢しろ」

この乾燥した首都では昼間より夜の気温がかなり低くなる。とは言え、夏は夏である。暑いものは暑い。

そんなことを考えていると、カレンがジーンの方に顔を寄せ、そのまま唇を重ねた。

ちゅ、という音を立ててから、そのまま深く口付けた。煙草の味がした。



***



「聞いたぞ。お前の父親、テロリストなんだってな」


秋も深まり冬に差し掛かろうという時期に、爆弾は投げ込まれた。

フィスティナ少佐。たしか子爵の一人息子だった。背の低い彼はトレーに昼食を乗せたジーンを見上げながら、得意げにそう言い放ったのだ。

ジーンの隣には当たり前のようにカレンがいた。慣れているジーンは比較的落ち着いていたが、カレンは所在無さげに固まっていた。

「それが何か」

ジーンは煽りに乗ることなく、冷静に返す。それが気に入らないのか、フィスティナは眉根に皺を寄せる。ジーンより身長が低いのはもちろん、下手したらこの男、カレンよりも小さいのではないだろうか。

「要件はそれだけでしょうか。すみませんが、昼休みも限られているので、失礼します」

ジーンは冷たく言い放ち、その場を去ろうと踵を返した。

しかし、それが気に入らなかったのか、フィスティナはジーンの脚を思い切り蹴り上げた。体勢を崩したジーンだったが、咄嗟に身体を反転させた。その結果、本来ならカレンに直撃するはずだったトレーの上の昼食が、フィスティナのもとへ飛んで行ったのだった。


「熱っ!!」


運が悪いことに、今日の献立はミネストローネだ。夏ならガスパチョだっただろうに。自業自得であると、ジーンは尻餅をつきながらも口元には笑みを浮かべていた。

カレンが青ざめた顔でジーンの隣に座り込んだ。

「ジーン、怪我は?火傷は?」

「……大丈夫だ」

思い切りついた尻餅のせいで、尻には痣ができるかもしれないが。トレーを瞬時に離したお陰で、自分に被害はほとんどなかった。


「おい!」


頭上から声がした。

ミネストローネを被ったフィスティナがこちらを睨み付けていた。

ジーンは立ち上がり、頭を下げる。

「申し訳ありません。私の不手際で少佐にこのような仕打ちを」

ここは食堂だ。周りもこの騒動に気付いて視線はこちらへ向いていた。上官も多く、目撃者も多数いるはずだ。どう考えてもフィスティナに不利な条件揃いである。

「覚えてろよ!!」

自分から吹っかけておきながらなんて理不尽な、と思ったが口には出さない。

フィスティナは短い脚で大股に歩き、その場を去っていった。その後ろを取り巻きたちが慌てて追いかけていくのが見えた。

「散々な目に遭ったわね。とりあえず、後片付けしなくちゃ。手伝うわ」

そう言ってカレンは散乱した皿を拾っていた。

「悪い。巻き込んだ」

「いいのよ。それより、ありがとう。私に被害が及ばないようにしてくれたんでしょう?」

カレンはにっこりと笑った。



***



それからもフィスティナからの嫌がらせは続いた。日に日にエスカレートするそれに、ジーンはすっかり疲弊していた。

食堂の件はどう考えてもフィスティナの方に非があったため、ジーンにお咎めはなかった。逆に、フィスティナは厳重注意を受けたようだ。それが影響してか、彼は人目につかないところでジーンに対して嫌がらせをすることが増えたのだ。

「ひどい顔ね……」

夜勤の合間の一時間の休憩が、別の部署のカレンとたまたま一緒だった。給湯室で鉢合わせた彼女は心配そうにジーンの元へ駆け寄った。

「最近、眠れなくてな」

ベッドサイドで御守りと化していたはずの睡眠薬の小瓶は、いつの間にか空っぽになってしまった。ジーンは不眠症を再発していた。

「あの少佐の嫌がらせ、本当にしつこいわね」

コーヒーを飲みながら、カレンが悪態をついた。ジーンとカレンは時間が合えば一緒に昼食をとる間柄であったし、今のように休憩時間が重なれば二人で過ごすことも多い。そのため、彼女はフィスティナの嫌がらせを度々目撃し、巻き込まれたこともある。

「背だけじゃなくて、器も小さな男。ジーンを蹴落としたところで何のメリットもないのに」

「貴族様というのは、そういうものなんだろ。気に食わない相手を徹底的に貶めて、己の力を誇示したがる。平和ボケの首都軍らしいな」

少なくとも、二人が西部の紛争に配属されていた時には、こんな陰湿ないじめなどは起こらなかった。士官学校時代も派閥や対立はあれど、汚い手で相手を貶めるなどというやり方をする者は存在していなかった。皆それだけそこで生きていくのに必死だったのだ。

「ねえ、ジーン。私はあなたのことを尊敬しているわ」

「なんだ急に。気持ち悪い」

カレンにそのようなことを言われるなんて、ゾッとする。いつだって彼女はジーンに対して高圧的で強引であった。

「失礼ね。尊敬してるって言ってるのに。……私が同じ立場だったら多分、あの少佐に殴りかかってる気がするわ」

「相変わらず血の気が多いな。……まあ、父親とは言っても面識がないからな。実感もない。服役中とは聞いているが、興味もないしな」

ジーンにとってテロリストの父親は、御伽噺のようなものであった。今回のような変な因縁をつけられないように、名前だけは本名ではなく母の姓を名乗ってはいるが、それ以外には特に意識はしていない。

中学の卒業と同時に母から聞かされた事実であったが、まるで自分とは関係のないことのように感じていた。仲間と結託して、隣国の要人に怪我を負わせたなどというのは俄かには信じ難い。

「そういえば、あなたってあまり怒ったりしないわよね。苛ついているのはよく見るけれど」

「面倒なだけだ。下っ端の俺が吠えたところで何か変わるわけでもない」

「確かにそうね。あなたは昔からそういう状況判断には長けていた気がする。私が訓練でどれだけ理不尽に当たり散らしても、決して反抗しなかったし」

「理不尽に当たり散らしてた自覚はあったのか」

「そりゃ、もちろん。誰だって自分より射撃の上手い後輩がいたらそうなるわよ」

「ひどい暴論だな」

「そうかしら?みんなやってることよ」

カレンは全く悪びれずそう言ってのける。ジーンはカレンのこういう素直なところが嫌いではなかった。

「それに、その憂さ晴らしならベッドの上でさせてあげてるでしょう?」

カレンはにやりと笑う。こういう所は好きじゃない。

「付き合ってもいない男の家にいつも勝手に上がり込んでくるのはどこのどいつだ……」

「満更でもないくせに。あなた、私以外に友だちいないじゃない」

「余計なお世話だ」

実際、ジーンとカレンは正式に恋人としての契りを結んだわけではなかった。士官学校時代、カレンが卒業する際に済し崩し的にそういう関係を持ってしまったのだ。以来、こうしてなあなあの関係が続いている。

学生時代から本ばかり読んでいたジーンには友人がいない。互いの力を競い合う程度の仲の同期はいたが、運が悪いことに先の西部の紛争で皆死んでしまった。将来有望な若手ほど、死に急ぐものだ。

対してカレンはコミュニケーション能力の塊みたいな女であった。しかし、本人は人との繋がりにさほど執着がないようで、特定の誰かと深い仲になろうとはしなかった。

そんなカレンが唯一興味を持った相手がジーンであり、彼女の一年間の猛アタックによってようやく心を開くに至ったのだ。今では憎まれ口を叩き合うほどの仲になった。

「眠れないなら、いつでも子守唄を歌ってあげるわよ」

「遠慮しておく」

そんなジーンとカレンの絶妙な距離感を保った関係は、突然終わりを迎えたのだった。



***



その年の冬は例年より早く雪が降った。

首都では冬になると天気が崩れることが多く、雨や雪が降る日が増える。気温も夏の暑さからは考えられないくらい低くなる。以前そのことに悪態をついていたら、極寒の北部地方出身の同僚に鼻で笑われたことがあった。

窓の外は曇り空で、今にも雨が降り出しそうだった。先週降った雪はすっかり溶けてしまったが、ここ数日で再び一段と冷え込んだ気がする。

「スズキ少尉、書類の整理終わりました」

コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていたジーンに、秋からこの部署に配属された新入りであるクリストファー・イル准尉が声をかけた。

ジーンはクリスから書類を受け取って目を通す。彼の几帳面で丁寧な字は非常に見易く、仕事も早い。新入りながら彼はこの部署で重宝されていた。貴族の息子ということでジーンは少し身構えていたが、蓋を開けてみれば礼儀作法もしっかりした男であった。しかし、その完璧さが逆に胡散臭い。

「降りそうですね。傘を持たずに来てしまったので、帰りまで保てばいいですけど」

男性にしては少し高めの声で、クリスはそう言った。カレンから聞いた話だが、クリスのその甘いマスクと澄んだ声は若い女性士官に大人気とのことだった。

「この前の一対一の訓練、勝ったそうだな」

「え?ああ、一昨日のですか。まぐれですよ」

軍の訓練には様々なものがある。その中でも個々の実力が如実に現れるのが一対一の対戦形式での訓練だった。一人で扱える武器なら何でも持ち込み可であり、『能力』の使用も許可されている。ただし、実際相手に重傷を負わせることはルール違反であり、勝負がついたと審判が判断したところで終了になる。

この訓練は一人一人に対して定期的に行われており、クリスは二日前に自分より随分と階級が上の者と対戦していた。明らかに階級が違うもの同士での訓練の場合、必ずしも勝利することを求められてはいない。上官の攻撃を上手くやり過ごし、隙をついてひと泡吹かせることが出来れば御の字であり、それだけでも評価に値する。

しかし、クリスはそんな相手に見事勝利してみせたのだった。これは滅多にない事態であり、その事実は首都軍全体に一斉に知れ渡ることとなった。

「お前の『能力』は、白兵戦に向くものではないだろ。小細工なしで上官相手に勝利を収めるなど、容易なことではないはずだ」

「そうですね。でも、そういう油断の隙をつくのもまた、大切なことですから。それはスズキ大尉もよくご存知のはずでは?」

クリスはそう言ってにやりと笑った。その笑みの真意が一体どこにあるのか、ジーンはわからなかった。

「なぜ俺に同意を求める」

「しらばっくれないでください。知ってますよ、士官学校時代のこと。当時無敗だった『最強の矛』相手に、後輩の貴方が勝利したこと。それと同じことです。貴方の『能力』も決して白兵戦向きとは言えないですが、それでも『最強の矛』相手に勝利してみせた。要は使い方、ってわけです」

「その件をどういう風に伝え聞いているかは知らないが……お前が思っているほど、いいものじゃなかったぞ」

「そうでしょうか。結果が全てだと思いますけどね」

クリスの言っていることは事実である。しかし、ジーンにとってはそれこそ『まぐれ』のようなものであり、とても誇れる勝ち方をしたとは思っていなかった。

対してクリスの言う『まぐれ』は半ば謙遜のようなものである。比べ物にならない。

「俺は父のように『能力』で力を見せ付けることができません。この『能力』が開花した時は、正直複雑な気持ちでした。どうせなら父のように派手で強い力が欲しかった。でも今は開き直って、この力をどう使うか機転を効かせるのが楽しくてたまらない。俺は頭を使う方が向いてるみたいです」

クリスの横顔は清々しかった。この実力に裏付けされた自信こそが、彼の強さを象徴している。

「どうしてそこまでストイックになれる?」

「ストイック……ですか。その言葉は俺より少尉の方が似合うと思いますが。でもまあ、強いて言えば、」

クリスは何かを思い浮かべるようにして天を仰いだ。


「守らなきゃいけない人がいるから、ですね」



***



気がついたら、彼女が横で倒れていた。

ごつん、と鈍い音をたてて、彼女はコンクリートの廊下に頭をぶつけた。

それはほんの一瞬の出来事で、何が起こったか理解するのに数秒を要した。倒れているカレンの口元から血が滲んでいた。


「……カレン!」


ジーンは慌ててカレンの隣にしゃがみ込む。意識はあるようで、呻き声が聞こえた。

カレンの頭を支えるようにして上半身を起こしながら、ジーンはカレンを殴った相手を睨み付けた。その相手は全く悪びれる様子もなく、こちらを見下ろしていた。

「……カレンがあんたに何をした」

ジーンの声は低く、怒りが滲んでいる。

「私の話を遮った、生意気な女だ」

フィスティナはそう言いながら、倒れているカレンの足を踏みつけた。

ジーンの中で何かがプツリと切れる音がした。



***



二週間の謹慎だった。

正気に戻った時には既に遅く、そこには原型がわからなくなるほど殴られて顔を腫らしたフィスティナと、ジーンを止めに入った兵士たち、そして怯えた顔でこちらを見上げるカレンがいた。


「馬鹿、大馬鹿!」


自宅謹慎をして一週間経った頃、彼女は何のアポイントもなしにジーンの家に押しかけてそう言った。その顔には珍しく余裕がなかった。

カレンの顔に傷跡は残らなかった。歯が折れたらしかったが、見た目にはわからない。

「なんでエリート街道まっしぐらだったあなたが、恋人でもない女のために上官を殴ったりしたのよ」

「別にあんたのためじゃない。俺が苛ついたからだ」

嘘は吐いていなかった。父親のことをどれだけ悪く言われても何も思わなかったジーンだったが、カレンが殴られているのを見た時、一瞬で頭に血がのぼったのだ。

「私、あなたのことを過大評価してたみたいね」

カレンはそう溜息をつきながら、ジーンに凭れかかって、そのまま背中に腕を回した。ジーンはそれを受け止めると、カレンに触れるだけの口付けをした。

「相変わらず煙草臭いな」

「お互い様じゃない。それより、いつまで客人を玄関先に立たせておくつもりよ」

「あんたが勝手にそこで話し始めたんだろ」

相変わらずの理不尽な物言いに不満を漏らしながらも、ジーンは左手で床に置いてあったカレンの荷物を拾い上げ、もう片方の手でカレンの腕を引っ張った。

ジーンはリビングの椅子の上に鞄を置くと、カレンをそのまま寝室へと連れ込んでベッドの上に放り投げた。

「ちょっと、」

あまりに雑な扱いにカレンが不満そうな声を漏らす。

「私、今日はそういうつもりで来てないんだけど」

「こんな下着を身につけておいてよく言うな」

「洗濯が間に合わなかったのよ」

ジーンはカレンの前開きのブラウスのボタンを外しながら、彼女の首筋に吸い付く。

彼女の身につけている下着はいわゆる勝負下着というやつで、ジーンも見覚えがあった。

口では抵抗しているが、カレンはジーンの行為を止めようとはしなかった。

「ねえ、ジーン。話があるのよ」

「後でいいだろ」

「後っていつよ」

「三回」

「どれだけ溜め込んでんのよ……じゃなくて、そんなの私が疲れちゃうじゃない。やっぱり今言うわ」

カレンは形のいい胸を下着越しに触っていたジーンの手を掴む。ジーンは不機嫌そうな表情を浮かべたが、カレンは無視して起き上がった。


「異動になったの。サラッカ支部に。来月には本部を離れるわ」


カレンの言葉に、ジーンは目を大きく見開いた。彼女には今回の件での処分はないはずだった。

「あなたと違って左遷じゃないわよ。私が異動願いを出したの」

「どうしてそんなものを」

「そんなの、気まずいからに決まってるでしょう」

カレンは目を伏せながらそう言った。

「ずっとサラッカにいるつもりはないわ。いつか絶対戻ってくる。だからあなたも、左遷先で頑張って、ちゃんと這い上がって来なさい」

カレンは俯いているジーンの顔を両手で挟んで前を向かせ、自身の額をジーンの額にぴたりとくっ付けた。

「カレン、俺は……」

何かを言いかけたジーンの口を、カレンは自身の唇で塞いだ。深い口付けを終える頃には、ジーンが言おうとしていたことはすっかり喉の奥に引っ込んでしまった。

「あなたに会えて、本当に良かった」

「ほんの数年の付き合いだがな」

「言われてみればそうね。もう十年以上も一緒にいるような気分」

「煙草、少しは控えろよ」

「そうね、考えとくわ」

誰から見ても明らかな二つ返事である。ジーンは呆れたように溜息をつくと、カレンの長い赤毛を手に取って口付けた。

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