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3.ルヴィア・ラルフ

啜り泣く声が聞こえた。

はっきりとしない意識に、ゆっくりと目を開く。薄暗い部屋にはベッドが一つ。そこには身体を起こした少女が、顔を手のひらで覆いながら涙を流していた。

「起きたのか……」

起きたのは自分の方なのに変なことを聞いたな、と寝ぼけた頭で考える。ジーンは欠伸を一つすると、自身が座っていたベッドサイドの椅子を動かして、ベッドに近づけた。

「すみませ……わたし……」

彼女、エルシーがなぜ泣いているのか、ジーンはなんとなく理解していた。近くにあったタオルを渡すと、彼女は申し訳なさそうに受け取った。

「目立った外傷はない。すぐに退院できるはずだ」

「……はい」

エルシーが泣いている理由に、ジーンはあえて触れなかった。

「あの……大尉が、抑え込んでくれたんですよね……?」

「ああ……あんな大きな力を受けたのは初めてだ。さすがに、少し骨が折れた」

「骨折れたんですか!?」

「違う、馬鹿。言葉のあやだ」

目が覚めて間もないエルシーは、どうやら頭が回っていないようだった。

「私、あんまり覚えてなくて……おねーちゃんが倒れてて、ブラッドベリー少尉が大尉に銃を向けた所くらいまでしか……」

エルシーがその後の展開を知りたいのは、至極当然のことである。しかし、ジーンは今この状態の彼女に真実を伝えてもいいのか、迷っていた。

「……俺の『能力』は『無効化』だ。俺の身体に触れているものは、『能力』に関する影響が『無効化』される」

「はい」

「あの時、お前の暴走した『能力』を抑え込んだのも俺だ」

「はい」

「お前の『能力』の発動条件は不明だ。だから、あの時のことを話す前に保険として、お前の手を握らせてもらう」

「そんなこと、いちいち許可なんていりませんよ」

改まったジーンに、エルシーは涙を流しながらも笑ってみせた。

ジーンはエルシーの涙で濡れた手を握る。あの日みたいに、彼女が暴走してしまっても大丈夫なように。

そして、ゆっくりと口を開いた。

「マーガレット・イル中尉は命に別状はない。しかし、あの時顔に受けた爆撃で両目を失明。彼女の『能力』も意味をなさなくなってしまった。……昨日付で、軍を除籍になったところだ」

エルシーはその言葉を、まばたき一つせずに真剣に聞いていた。あの時、エルシーは一瞬だが彼女が血を流している姿をその目で見ていた。ある程度の覚悟はあったのか、ひどく驚く様子はなかった。

「……ブラッドベリー少尉は?」

あれだけのひどい仕打ちを受けても尚、エルシーは彼を少尉と呼ぶのをやめなかった。それだけ、彼女にとっては尊敬できる先輩であったのだろう。

それだけに、ジーンは事実を伝えるのが心苦しかった。


「死んだ。お前の『能力』の暴走に巻き込まれてな」


短く淡々と告げたその言葉に、エルシーの目が大きく見開かれたのがわかった。

「共犯の二人は無事だった。あの後すぐに捕らえられて、今頃尋問中のはずだ」

少し離れた場所にいた共犯の二人にまで被害が及んでいたら、彼らに捕らえられていたメグも無事ではいられなかっただろう。それに、共犯の二人は貴重な情報源でもある。

「私、が……?」

ひどくショックを受けている様子のエルシーを見て、心が痛まないわけではなかった。ジーンは当事者の一人で、その一部始終を目撃した数少ない人物である。

「……今まで、人を殺したことは?」

「ない、です」

エルシーは言葉に詰まった様子を見せながらも、そう答えた。

内乱の恐れがある地方なら話は別であるが、比較的平和な首都において新米下士官が人を殺すことはそうそう起こり得ることではない。

「大尉は、あるんですか?」

「ああ。数え切れないほど。ちょうど、俺が就役した頃は西部での紛争が活発だったからな。首都の兵士も大勢駆り出された。今は落ち着いているようだが」

それはジーンにとって決していい思い出ではなかった。ただでさえ西部地方は砂漠地帯だ。首都の近郊で育ったジーンは、その慣れない環境に順応できなかった。

「……きっと、私の両親はそれ以上にたくさんの人を殺めているんですよね」

「『鮮血のヒューバート』『氷柱姫ルヴィア』、二つ名だけでも物騒だからな」

ジーンもエルシーも、彼らが最前線で活躍していた時代は知らない。伝え聞く限りでは、今よりも対外関係がよろしくなかった当時に、彼らは相当活躍していたとのことだ。そしてそれには必然的に『人殺し』の肩書きが付きまとう。

「軍人である以上、避けられないことだ。……まあ、こんなことがあった以上、お前がこのまま軍人でいられるとは思えないが」

自身が軍人であることに拘っていたエルシーだが、さすがに今回は口を噤んだ。こうもあからさまに狙われてしまっては、職務を全うできるはずもなかった。

一瞬の沈黙が訪れた時、ドアをノックする音が響いた。


「入っても大丈夫か?」


それはジーンもよく知る声であった。かつての後輩である。

「おにーちゃん……?うん、いいよ」

エルシーが今にも再び泣きそうな声で、そう応えた。

ゆっくりと開かれたドアの向こうには、クリスとその副官であるカレンが軍服姿で佇んでいた。

ジーンはその二人を見て、露骨に嫌そうな表情を浮かべたが、立ち上がってクリスに椅子を譲る。クリスは譲られた椅子に座ると、先ほどまでジーンが握っていたエルシーの手を握る。

「目が覚めたんだな、よかった。丸二日も眠っていたから心配したんだ」

にこにこと笑うクリスは、相変わらず胡散臭いことこの上ない。ジーンは彼のこの真意の見えない笑顔が苦手であった。

「悪いんだけど、エルシーと二人きりで話がしたい。カレン、スズキ大尉、三十分ほど席を外してくれるか」

クリスは顔をこちらに向けることもなく、そう淡々と言い放った。

「はい」

臙脂色の軍服をぴしっと着こなしているカレンが、短い返事をする。

逆らう理由はない。ジーンはクリスの副官であるカレンと二人で病室を出た。

ドアをぴたりと閉め、数秒間の沈黙の後、先に口を開いたのはカレンの方であった。


「……久しぶりね。煙草が吸いたいわ。屋上へ行きましょう」


彼女は先ほどまでの張り詰めた表情を崩し、柔らかく笑った。



***



「ん」


屋上に到着してフェンスに凭れかかるなり、カレンはジーンに向けて手を差し出す。何かを要求しているようだが、心当たりはない。

「なんだ」

「煙草よ。持ってるんでしょう?一本ちょうだい」

「自分のがあるだろ」

「あいにく禁煙中なもので。上司が大の煙草嫌いなのよね」

「……三十分で煙草の臭いがそう簡単に消えると思えないんだが」

「承知の上よ。別に禁止されてるわけじゃなくて自主的な禁煙だし。こういう時でもないと、逆に吸うタイミングがなくて」

ジーンの知るカレンは、ヘビースモーカーだった。そんな彼女が上司の影響とはいえ、禁煙などという行為を自発的に行っているとは俄かには信じられなかった。

「いいから、早く」

促されて仕方なく、ジーンは履き古したパンツのポケットから煙草の箱を取り出し、カレンに一本差し出した。

「なに、あなた随分と重いの吸ってるのね。そのうち体壊すわよ」

「昔のあんたの方がもっと重いやつを吸ってただろうが。それに、俺はどこかの誰かさんと違って、一日に何箱も吸うわけじゃない」

ジーンの反論など気にも留めず、カレンは火のついていない煙草を加えて、顎をくいっと動かす。火をつけろ、と催促しているのだろう。

カレンにいいように使われているみたいで癪だったが、わざわざ反抗するのも面倒に感じ、ジーンはポケットからマッチの小箱を取り出して火をつけた。愛用のジッポは油を切らしている。

「まさか本当にあなたがラルフ伍長……いいえ、アリソン殿下のお守りをしてるなんてね。あれからまだ家に帰ってないんでしょう?」

煙草の煙を吐きながら、カレンはジーンに話しかける。微かな風に彼女の長い赤毛が揺れる。真ん中で分けられた長い前髪が彼女の横顔を隠し、表情を窺えない。

「あいつの力がいつまた暴走しないとも限らなかったからな。側についていろとのご命令だ。……まあ、数日間風呂も入れなかったいつかの前線任務よりはずっとマシだ」

「あったわね、そんなことも」

カレンは横髪を耳にかけながら、懐かしそうに微笑んだ。

「あんたこそ、昇進の話を蹴ってまで、よくあんな男の犬でいられるな」

「あら、よく知ってるのね?そういえば、今はあなたの方が階級が上なのよね。敬語の方がよろしかったでしょうか?大尉殿」

その言葉からは微塵も尊敬の念が感じられなかった。馬鹿にされているとしか思えない。

ジーンは不快さに歪む顔を取り繕うことなく、大きく溜息をついた。

「やめてくれ」

短く一言そう吐き捨てると、ジーンは煙草を咥えて火をつけた。一度大きく吸って吐き出すと、煙が風に吹かれて消えていく。

「私はね、階級なんて飾り物には興味がないの。それよりも、イル中佐の番犬、っていう二つ名の方がよっぽど価値があると思ってるわ」

「犬と呼ばれることが嬉しいのか。随分とマゾヒストな思考だな」

「あながち間違いではないけど、そうじゃないわ。私は自分で考えて行動し部下を使う役目より、長いものに巻かれている方が性に合ってるのよ。それに、彼は貴族よ?その恩恵にもあやかれるしね」

貴族、という言葉にジーンはわかりやすく反応した。カレンは恐らくそれを知った上で、わざとそこを強調したのだろう。

「……あんたはあの年下の上司と付き合ってるのか?」

「愛してると耳元で囁かれながらセックスする関係を付き合っていると言うなら、そうでしょうね。……まあ、あの人にとってそんな相手はあと五十人くらいはいると思うけど」

付け加えられた一言には、呆れと共にほんの少しの妬みを感じた。

「士官学校で学んでいた時は、お互い夢や希望を語ったものだけど。偉そうに先輩面をしていた私は中佐の犬となり、優秀だったはずの後輩のあなたは窓際部署で殿下のお守り。皮肉なものね」

カレンはそう自嘲の笑みを浮かべたのだった。



***



屋上から病室に戻ると、クリスはカレンを連れてさっさと帰ってしまった。再びエルシーと二人きりになったジーンは、クリスが持ってきたと思われる見舞い品のリンゴの皮を剥き始めた。一人暮らしをして随分と経つため、家事は慣れていた。

「おにーちゃんから聞きました。私が目を覚ますまでずっと側についていてくださったんですよね?本当にありがとうございました」

「命令だからな。軍曹や少尉が来ている時は休んでいたし」

エルシーの眠っている間、キャロルやパットも見舞いに来ていた。彼らはジーンに労いの言葉をかけ、僅かな休息をくれた。

「……私、しばらくは復帰できないみたいです。残念ですけど、仕方ないですよね」

クリスの話というのは、案の定彼女の処遇についてだったようだ。頭ではわかっていたのだろうが、その表情には寂しさが浮かんでいた。

「退院したら、実家に戻って療養します」

「そうか」

彼女は貴族の中でも最上級の爵位である公爵家の一人娘であり、現国王の姪である。その自宅は恐らく警備もしっかりと整った安全な場であるはずだ。


そんな時、コンコン、と再びノックの音が鳴った。


「俺が出る」

ジーンは皮を剥いていたリンゴとナイフをサイドテーブルに置き、立ち上がってその引き戸を開けた。

そこには首都軍の臙脂色の軍服を着た見知らぬ女性の軍人が立っていた。歳はジーンよりも上に見える。パットと同じくらいだろうか。

「失礼します。わたくし、ルヴィア・ラルフ中将閣下の補佐官を務めています、ユリア・ロット中尉と申します」

彼女は背の高いジーンを見上げながら、敬礼をする。

「ユージン・スズキ大尉だ。何の用だ」

ジーンもユリアに向かって敬礼をする。私服のよれたシャツ姿のため、様になってはいない。

「ラルフ中将が、貴方をお呼びです。この病院の三階第四会議室にいらっしゃいます。警備は私が変わりますので、そちらへ」

ジーンはユリアの胸にあるバッジに目を向ける。彼女の胸にはユ・リーレ国軍の証であるバッジ、首都軍の証であるカーネーションを模したバッジ、そして所属する部署の数字のバッジがつけられている。その数字は一桁で、将軍閣下の直属の部下であることを示していた。

ジーンは彼女の目を見て、口を開く。

「ビセンテは何処に行くの?」

ジーンが短くそう告げても、ユリアは眉ひとつ動かさない。

「人々の行く所へ」

彼女は淡々とそう答えた。合言葉である。

「わかった。ここを頼む」

「はい」



***



第四会議室と書かれた部屋を開けると、そこには首都軍の証である臙脂色の軍服に長い銀髪を左肩で一つに束ねた妙齢の女性と、北部軍の証である藍色の軍服に短い黒髪の初老の男性が椅子に座って待ち構えていた。

二人の軍服には肩章がついており、将軍の地位にあることを示していた。

「お初にお目にかかります。ユージン・スズキ大尉です」

ジーンは再び私服で敬礼をした。

「ルヴィア・ラルフ中将だ。そしてこっちが、」

「カルヴィン・イル大将だ」

二人はそう名乗ると、ジーンに椅子に座るように促した。

会議室と呼ぶには手狭に感じるこの部屋には、会議用の長机が正方形になるように並べられている。ジーンは彼らの向かい側の席に座った。

「まずは礼を言おう。娘を助けてくれたことに感謝する」

ルヴィアが凛とした声でそう言った。実際に会って話すのは初めてであったが、彼女の吊り目がちな大きな蒼い瞳に、その声はよく合っていた。

こう見てみると、エルシーに彼女の面影はほとんどなかった。目の色以外は恐らく父親譲りなのだろう。

「……俺、いえ、私は何も。マーガレット・イル中尉の件に関しては、何と謝罪をすればいいのか」

感謝されても素直に喜べない理由がそこにあった。確かにエルシーのことは守りきったが、メグには取り返しのつかないことをしてしまった。それは決してジーンだけの責任ではないとは言え、罪悪感に苛まれるには充分すぎた。

「お前達の元へメグを寄越したのは私だ。少しでも戦力の足しにと思ったのだが……それが裏目に出てしまったようだな。考えが浅かった」

ルヴィアが目を伏せながら、溜息をついた。彼女もまた、責任を感じているのがわかった。

「おいおい、やめてくれ。まるで死んだみたいな言い方をしてくれるなよ。メグは生きてるし、父親としてはそれで充分だ」

深妙な面持ちの二人に耐え切れなかったのか、メグの父親であるカルヴィンが口を挟んだ。彼は隣に座るルヴィアの頭をぽんぽん、と優しく宥めるように撫でた。

「命の重さに優劣をつけるつもりはないが、あの状況で守るべきだったのはエルシーだ。そのためにメグが死んでいたとしても、俺はそれを責めたりはしない。メグは軍人だし、本人もそれくらいの覚悟はしていたはずだ。……まあ、除籍になってしまった今は、俺が命に代えても娘のことは守ってみせるけどな」

そう迷いなく言ってみせるカルヴィンに、ジーンの心は少しだけ救われた気がした。今まで幾度となく仲間が死んでいくのは経験していたが、いつまで経ってもそれに慣れることはなかった。

「そうだ、本題に入る前に一つ聞いておきたいんだが。大丈夫か?ルヴィア」

カルヴィンのその言葉に、ルヴィアは無言で頷いた。

「スズキ大尉、君は王家の家系図が頭に入っているか?」

「……いえ、直系の方々以外は正直あまり明るくはありません」

「素直でよろしい。まあ、無理もないな。王政を取っているとは言っても名ばかりだし、殆どの国民は王家の家族構成に興味なんてないだろう」

ジーンが知っているのは、せいぜい同じ部署の後輩であるエルシーが、現国王の姪であるということくらいまでである。

「知っておいて損はない。まず、俺の出自についてから話そうか。最近の若い兵士たちによく勘違いをされるんだ。俺とルヴィアが兄妹なのは、流石に知ってるよな?」

「はい」

ジーンは頷いた。実に有名な話であり、軍の中で知らないものはいないだろう。

「そう、ここまではいいんだ。それで、よくされる勘違いというのが、俺がイル伯爵家の生まれで、その妹のルヴィアも当然イル伯爵家の人間だったという奴だ。恐らく君もその口だろう?実はそうじゃない。逆だ」

「逆?」

「ああ。ルヴィアはイル伯爵家から王家に嫁いだんじゃない。ルヴィアは元から王家の人間だ。そしてその実の兄である俺もまた、元は王家の人間だったりする」

随分と昔のことだがな、とカルヴィンは笑った。彼の言う通り、ジーンはカルヴィンが伯爵家の生まれであることを信じて疑っていなかった。

「じゃあなぜイル伯爵家の姓を名乗っているかというと、話は簡単だ。跡取りのいなかった伯爵家に養子に入った、それだけのことなんだ。その時俺は王家の名を捨てて、王位継承権も剥奪された。俺は前国王の甥にあたる。父親が前国王の弟で、俺は二代目だ。まあ、本来なら今のエルシーと同じ立場だと考えてくれればいい」

「兄の言葉に補足すると、その妹の私も同じ立場だ。前国王の姪で、現国王の従妹にあたる。私は王位継承権を今現在も保持している」

ジーンは彼らから得た情報を頭の中で整理した。確かに話自体はそこまでややこしいものではない。しかし、どこかで決定的に誤解を生む要因となっている事象があった。

そしてジーンはある一つの事実に気がついた。

「……アリソン・ラルフ伍長の父親であるヒューバート・ギルバート近衛師団団長は、現国王の弟君でしたよね?つまり、ラルフ閣下とギルバート団長は従兄妹同士というわけですか」

「その通り。こいつらが従兄妹同士で結婚したから、こんなややこしい誤解を生んでるってわけだ。もちろん、ヒューと俺も従兄弟同士だ」

カルヴィンは少し呆れたような声でそう説明したが、ルヴィアも負けじと横目でそれを睨み付けた。二人は髪の色こそ違えど、そっくりな蒼い目をしていた。カルヴィンの髪が白髪になったら、今よりも似るのかもしれない。

「と、ここまで言えば後はわかるな?」

「アリソン・ラルフ伍長だけでなく、マーガレット・イル中尉も狙われた理由、ですか」

「そうだ。メグとクリスは本来なら王家の人間だ。……これはあまり大きな声では言えないが、俺が養子に入って王家とは縁が切れたように思われているが、実際は違う。俺や子どもたちは未だに王家とほとんど同じ扱いを受けているし、伯爵家でありながら貴族の中ではルヴィアが属するラルフ公爵家の次に重要視されている」

本来なら伯爵というのは貴族ではあるものの、公爵や侯爵に比べたらその地位はそこまで高いものではない。

しかし、その関係者に元王家の人間がいるとなれば話が別であった。この国では王家と貴族は似て非なる意味を持ち、王家の地位はその他のものとは比べ物にならなかった。

一般的に王家と名乗れるのは男女関係なく直系から数えて三代までであり、非常に近しいものだけなのである。カルヴィンとルヴィアは前国王の弟が父なので、そこから数えて二代目に当たる。

エルシーも父親のヒューバートが現国王の弟なので二代目だ。クリスとメグは三代目になり、血縁的にはここまでが王家の範囲内だ。

カルヴィンのように別の貴族の家に入ることとなればその権利はなくなってしまうが、実質的な立場は変わらない。あくまで彼は王家と同じような待遇を受けているというわけである。


「で、ここからが本題だ」


ルヴィアがそう言ってジーンに何かの書類と思われる紙を差し出す。ジーンは椅子から立ち上がってその紙を受け取る。

「これは……」

「辞令だ。ユージン・スズキ大尉、貴様をアリソン・ラルフ・ハイピスリタ・ユレ王女殿下付きの護衛官とする。従って、所属も首都軍から近衛師団へと異動になる。階級は据え置きのままだが、この騒動が収まり次第昇進も有り得る」

ルヴィアが淡々とそう告げた。彼女から手渡された紙にも大体同じような内容が記されている。

「お前の上司、フレデリック・エルウィーナ大佐には既に話は通してある。なに、一時的な措置だ。そこまで深刻に捉えなくてもいい」

ルヴィアは僅かに目を細めた。氷柱姫と呼ばれる彼女がこんなにも柔らかい表情をするなど、ジーンは知らなかった。

「これはお前にしか頼めない仕事だ。引き受けてくれるな?」

カルヴィンのその言葉には、反論を許さない圧があった。それ自体にあまりいい気はしなかったが、ジーンは上官、しかも将軍からの命令に逆らう気は毛頭なかった。

「わかりました。ですが、引き受けるに当たっていくつか質問をさせていただきたいのですが、構いませんか?」

「私たちに答えられることなら、なんでも」

ジーンは一度目を閉じてから、深呼吸をした。


「一つ目。私が大の貴族嫌いだと、ご存知でしたか?」


ジーンの頭の中には、エルシーが配属された時のことが頭に過った。確かにあの時、ジーンは彼女が自分の部署に配属されることを良しとは思わなかった。理不尽に当たった記憶もある。

「もちろん。どこの馬の骨ともわからないやつに娘を任せたりはしない。出自、士官学校時代、軍に入ってからの行いも全て調べてある。ユージン・スズキ大尉。本名はユージン・エチェベリア。軍では母方の姓を通名として使用している。生まれはここから五十キロほど離れた農村。母子家庭で中学までは地元で過ごし、その後首都の士官学校で学ぶ。同期の中では非常に優秀であり、在学中に『能力』も開花した。特に銃の扱いでは幾度となくトップの成績を収めたと聞く。卒業試験の成績も良く、首都軍の花形部署へ准尉での配属になった」

この国の軍では『能力』が全てである。『能力』が開花しているものは無条件で尉官となり、それ以外のものは下士官からのスタートである。もちろん、それ以外にも並外れた身体能力や武器の扱い、優れた頭脳などを持っていれば同等の扱いを受けることもある。

ジーンは前者であり、『能力』の開花を以ってして尉官からのスタートだった。

「入隊して三年目で問題を起こして現在の部署に左遷。上官に手をあげたことももちろんだが、相手が悪かった。フィスティナ子爵の一人息子だったからな。あそこはプライドだけは一人前だからなぁ」

カルヴィンが笑いながら言った。

「理由は確か、父親を馬鹿にされたからだったか?若いな」

ルヴィアもニヤリと意地悪く笑った。その笑みは言葉以上に何かを見透かしたような嫌な笑みだった。

「……違います。父親のことは、ほとんど覚えていません。とんでもないテロリストで、母はそのせいで故郷を追われたと聞いています。恨みはすれど、尊敬する要素はありません」

恐らくそんなことは既にお見通しなのであろう。しかし二人は黙ってジーンの話を聞いていた。


「俺は俺のことを父のせいで馬鹿にされたことが許せなかった、それだけです」


貴族というのは実に厄介で、家柄や出自を必要以上に気にする傾向があった。彼らはそうやってすぐに同僚たちの個人情報を嗅ぎ回っては馬鹿にして回るため、胡散臭く思う人々も多い。

ジーンは自身の父がいわゆる犯罪者であったことを負い目に感じていたわけではなかったが、それをネタにして自分の努力を否定されるのが何よりも許せなかった。

特に士官学校時代から優秀だった彼には、そういう妬みは常について回ったのだ。

「なるほどな。お前が貴族を嫌いな理由はわかった。……それで?」

ルヴィアの言葉には棘しかなかった。試されているのだと、ジーンはすぐに察したが、中々喉元から言葉が出てこない。


「いえ、」


やっとのことで口に出して声はひどく掠れていたと思う。

ルヴィアはその答えに満足したのか、蒼い瞳を細めて笑った。

「で、他の質問は?」

カルヴィンが催促をする。

思いの外ルヴィアが先ほどの質問に丁寧に答えてくれたため、残る質問は一つだけだった。


「アリソン・ラルフ伍長を、うちの部署に配属したのは何故ですか?」


これはジーンにとって一番気がかりなことであった。殿下を護衛するという意味では決して戦力として充分でないフレディの部署に、なぜ彼女が配属されたのか。

そしてそれは、ある一つの仮定をジーンの中で生み出したのだった。


「君がいたからだよ」


それはあまりにもあっさりと語られた。カルヴィンは何の躊躇いもなくそう告げたのだ。

ジーンの仮定はどうやら当たっていたようだ。


「……あなた方は、彼女の『能力』を知っていたんですね」


そう、エルシーのおぞましい『能力』は、あの時開花したわけではなかったのだ。

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