第九十四話 雷神乱舞
昭和二十六(1947)年三月十二日、日本で未だ正式な決定が行われる以前にソ連軍の侵攻が始まった。
日没ごろからイルクーツク周辺は慌ただしく自動車が動き回り、当たりが夜のとばりに覆われる頃、川を湖へと向かう車列が静かに動き出していた。
ソ連がこの日のために密かに準備していた侵攻部隊だった。
ソ・フィンにおいてもソ連軍は凍結した湖面に線路を施設して輸送を行っていたりした。ここでも同じように、凍結した湖面を侵攻路として利用する腹積もりだった。三月まで連れ込んだ理由は、こちらでは測りかねるものだが、警戒が強い時期を敢えて避けてきたのかもしれない。
夜のうちにセレンゲ川の河口地帯へと上陸部隊を送り込む。
ロシア軍もその可能性を考慮して防衛線を敷いていたため、激しい戦闘が発生した。夜で航空攻撃が出来ない時間を狙って次から次へと押し寄せるソ連軍に後退を余儀なくされるロシア軍。
そして、夜の間に橋頭保を築いたソ連軍は夜明けとともに航空戦力を展開してバイカル湖上の制空権を握りに来る。
日ロ両軍もチタに広大な基地を構えており、ソ連軍を押し返そうとするのだが、あまりの数の多さに防戦が目立つ展開だった。
湖畔のシベリア鉄道沿線もソ連軍が侵攻し、海と陸の補給路を確保する展開になりつつあった。
そして、懸命に探して見つけることが出来ていなかった北岸からも大量のソ連軍が侵攻してきたことで、ロシア公国は震撼した。首都、ハバロフスクでさえ日本へ逃げようとする者、アメリカへ向かうために大連を目指すものが出る騒ぎとなっていた。
「北岸から来るのは想定内だよ。何のために我々が居るのか。来なかったら我々は何の役にも立たないじゃないか」
バイカル湖北岸、スタノボイ山脈の中にある寒村に作られた臨時飛行場でそう言って笑う日本人の姿があった。
そこは将来を見越して作られた北岸鉄道の沿線で、バイカル湖北岸から東へ160㎞ほどの地点だった。更に東約100㎞にも更なる拠点飛行場を設けて準備万端、ソ連軍を待ち構えていた。
実戦配備に就いたばかりの最新鋭襲撃機、45式襲撃機「雷神」は、新型ジェットエンジンであるターボファンエンジンを装備し、機首に23ミリ機関砲を備えている。低翼の主翼には所狭しとハードポイントが並び、ロケットポットや爆弾が装備可能である。
前世の人間がそれを見たならば、A-10攻撃機というだろうこと間違いなしの機体だった。当然のようにコクピットは装甲で守られ、燃料タンクは防漏タンク、操縦系は三重、すべてがA-10のそれをコピーしていると言って過言ではない機体だった。
フィンランドでの実戦の結果、少数の爆弾による攻撃ではソ連の大軍を止めるには数が少なすぎる。そして、単発機では対空砲火の餌食になりやすい。
装甲車両を広範囲に攻撃するには爆弾より大口径機関砲を上空から撃ちかけた方が良い。
そうした要素から自然に装甲化されたコクピットを持つ機体で、大口径機関砲を備えるために双発となった。更に、ターボプロップでは速度の面でも、エンジンの取り付け位置の面でもジェット機に劣る事から、ジェット機が選ばれることになった。
そして、前線の簡易飛行場からの離発着が可能な低圧大型タイヤの採用なども加味して設計された機体は、A-10のそれだった。
唯一、誘導弾が実用化されていない段階では、ミサイル装備とはいかず、ロケット弾や小型爆弾しか装備されていないことが違いとしてあげられる。
計画当初はターボジェットが計画されたが、より燃費効率が良いターボファンエンジンが開発されたことで、エンジンはターボファンとなり飛行時間が延びることとなった。
三月十八日、バイカル湖北岸に現れたソ連軍部隊に対して初出撃した雷神は総計十二機、上空では日ロ両軍とソ連軍による空戦が行われる下を潜ってソ連地上部隊へ肉薄して、装甲車両に機関砲を浴びせかけ、野砲や輜重車列にロケット弾を撃ち込み大損害を与えて無事に帰投している。
翌日も十二機で出撃したが、航空攻撃を予測して対空砲火を準備していたソ連軍による反撃で二機が損傷したもの、対空砲火を沈黙させ、新たに増えていた侵攻部隊にさらなる打撃を与えて全機帰投している。
二週間にわたる作戦の期間中、作戦には最終的に四十二機が参加し、被撃墜は僅かに五機、それもロシア勢力内まで戻ることに成功した事で人員の被害ゼロという驚異的な実績を叩き出している。
ソ連軍は雷神排除に躍起になるが、低空へ戦闘機を差し向けると日ロ軍が上から攻撃し、対空砲火で迎え撃とうにも低空を静かに飛んでくるため発見が遅れて返り討ちに遭う。よほど当たり所が良くないと墜ちないという状況から、ソ連軍では「空飛ぶ重戦車」や「鬼神」、「疫病神」と呼ばれて恐れられる存在になって行った。




