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第八十五話  転生なんちゃって農家 2

 俺が情報提供して数年後、昭和十(1931)年だったか、まずは今でいうハーベスターが完成した。


 ハーベスターは脱穀と選別を一度に行うことが出来る機械で、佐藤さん所の佐藤式脱穀機と唐箕、振るいを組み合わせた機械だった。

 この時は刈り取った稲を一定期間乾燥させたのち、田んぼに運んだハーベスターで脱穀、選別を行うもので、この頃普及し始めた耕運機からベルトを使って動力を取り入れて駆動する仕組みだった。

 ただ、この時完成したのは手で持ったわら束を脱穀する佐藤式脱穀機の下部に唐箕と振るいを取り付けただけの機械で、チェーンにわらを噛まして自動で脱穀できる代物ではなかった。


 外部動力ではなく、動力式とするにはエンジンの小型化というのが一つの課題だった。そしてもう一つは、水田の泥ねいにハマっても動けるように履帯式にした方が良いという事。鉄製クローラでは無暗に重くなるのでゴムクローラが適しているため、国内のタイヤメーカーにゴムクローラーの開発も早期に依頼はしているが、この時点では未だ実用化までは程遠い状況だった。


 そうこうする昭和十三(1934)年にはバインダーが完成した。結束機構が未完成だったが、ガソリンエンジンと刈り取り機を組み合わせて稲が一定量溜まれば横へ落とすという事で、稲刈りの能率を格段に向上させることを証明して見せた。


 ハーベスターとバインダーの完成で稲の機械化はある程度前進することとなり、昭和十八(1939)年には全国で普及するまでに至る。農機製造会社も雨後の筍の如くで、それはもうすごかった。


 コンバインで先に実用化したのは、予想通りというか、普通型だった。

 完成したのは昭和十五(1936)年の話で、扱ぎ胴がない欧米のコンバインに比べてはるかに画期的だったのだが、如何せん、予想通りに稲刈りには向いておらず、挙句の果てに車輪式であったために水田で脚を取られて身動きが取れなくなるというオマケまで付いてしまった。しかし、このコンバインは大豆やソバと言った稲以外の作物を主とした地域には早速普及し、製造権を得たメーカーがこぞって生産し海外輸出まで行われるようになっていく。もちろん、軸流式の特許を世界中で取ったのは言うまでもない。


 コンバインが出来ると問題も起きた。


 そう、乾燥が必要になったのだ。


 これまでならば刈り取って干しておけばよかったのだが、刈り取りと脱穀を同時に行ってしまうので「干す」時間がない。収穫後に干すことになるが、それではせっかくのコンバインが意味をなさないことになる。

 まずは炭を利用して下から熱する方法がとられていたが、それでは一度に乾燥できる量が限られるし時間もかかる。


 そこでそういえばと思い出したのが、前世、母方の祖父の家で使っていた枠とバーナーだけの乾燥機。我が家にあったのはよくある乾燥機で、コメや麦をベルトコンベアで内部に投入して、徐々に循環させるタイプだった。流石に昭和十年代にいきなり作れと言って簡単にできるとは思っていない。


 そこで、祖父母の家にあったタイプを山岡さんや佐藤さんに伝えて作ってもらう事にした。

 これはすぐ完成して普及していくことになった。


 そして、俺の知るチェーンにわらを噛ませて自動で脱穀できるハーベスターがとうとう昭和十七(1938)年に完成した。エンジンの小型化も進み、鉄製クローラによる自走式となったことは大きな進歩だった。

 普通型コンバインは前輪を鉄製クローラとし、後輪をタイヤという、ハーフトラックを逆に向けたような構造に進化して、北海道でその姿が見られるようになる。


 ヤンマー、佐藤、窪田に加えて伊関がこの頃にはコンバイン開発競争に加わってきた。

 競争が生まれたことで開発は加速するかに見えたが、バインダーとハーベスターをどうつなぎ合わせるのか。

 ただ刈り取ったものを掻きこめばいいいい普通型と違い、如何に茎を保持して綺麗に脱穀部へと導くかは各社とも大変苦労していた。


 ヤンマーは早くも昭和二十(1941)年に一応の完成を見せるが、全体をシャーシから持ち上げる機構に耐える小型の油圧シリンダーが確保できず、失敗に終わる。そして、刈り取り部を独立させて上下させながら、稲を常に保持するという構造をいち早く完成させたのは、伊関だった。昭和二十二(1943)年に完成させたが、伊関にはハーベスター側に問題を抱えていた。実はあまりに急いで開発したため、刈り取り速度に追随できるだけの処理能力を持っていなかった。ゆっくり動かすならともかく、刈り取り速度で動かすと、詰まるか米粒を残した状態でわらが出てくることになった。


 そして今年、佐藤と窪田が実用に耐えるコンバインを完成させ、この春から拓いた皇室農園、もとい、俺の趣味の農地での実演が今日行われるところだった。

 ちなみに、ゴム製クローラはいまだ試験段階で、市販が可能になるにはもう数年は必要だろうと言われている。


「せっかく殿下の目前で実演できると張り切っていらしたのに、誠に残念です」


「そうだな、せっかく皆が久しぶりに揃うと思っていたのに・・・・」


 見上げた空はやはりどこまでも青かった。


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