第七十七話 遠州沖大地震
昭和二十三(1944)年十二月七日、俺たちは大阪に来ていた。
あのクーデター騒ぎによって総理と共に辞任した俺は、軍も退官することとなった。流石に統合参謀長を務めた人間がそのまま居座る訳にもいかない。
それに、どちらにしても異例の任期となっていた統合参謀長の職は来年にも後任に任せるという話をしていたところだ。それが半年早まったところで俺自身はどっちでも良かった。
「父上、どうですか、幸太郎。東京に行った時より大きくなったでしょう」
娘の真理愛がそう言ってくる。うん、さすがに三歳にもなると違うもんだ。
「ホント、こうしてみるともうお爺ちゃんですね」
アナスタシアにそう言われてしまった。仕方がないと言えばそうなんだが。未だ四十代の君と一緒にしないでもらいたいな。
「アーシャが若すぎるんだ」
俺はそう還すのが精いっぱいだった。
「あ・・・・」
なんだか温かいと思ったら、幸太郎が・・・・
「ごめんなさい、三歳にもなって恥ずかしい・・・・」
そう言って真理愛が俺の膝に乗った幸太郎を抱き上げて連れて行った。
俺も着替えるために部屋へと向かう。
俺は退官後に一度、全国を見て回ろうと北海道から台湾までを駆け足だったが視察に赴いている。前世とは比較にならない新潟の発展には驚いたし、北九州も以前警備隊時代に居たころとは別世界だった。
東京と各地の軍施設程度しか足を運んでいない間にずいぶんと様変わりしている。写真で知っていても生で見ると全く違った。
何がすごいって、改軌して標準軌になった鉄道が複線どころではなく4線も走ってるその情景には開いた口がふさがらなかった。青森から舞鶴まで時折海岸と内陸に別れながら続いている。舞鶴から京都へ向かう路線と山陰を進む路線に別れるが、山陰線は高規格複線のまま鳥取へ至る。鳥取から長門までの区間にも貨物専用線が敷かれており、とにかく使える土地は全て工業用地化すると言わんばかりの勢いで発展している。そして、北九州も前世と変わらない。そして、その繁栄は瀬戸内にも入り込み、大阪を中心に瀬戸内沿岸へもその恩恵を受けている。
ただ、日本やロシアがそんな状況だが、朝鮮半島だけは異常なほど発展していないという。確かにプサンや元山にはロシア人街があり、工業化も進んでいるのだが、ロシア革命の混乱時に義父が朝鮮を支援国へ譲渡するという話をしていたことから、半ば空白地帯となり、その後、米国が暫定統治をおこなう状態に至り、今でも東岸にはロシア人が、西岸には米国人が多く暮らす地域となっている。本来の住人である朝鮮人はロシア人街では人並みの生活が出来ているが、米国人は奴隷以下の扱いしかしていないという。
やはり、コロンビア号事件以来、米国人の朝鮮観は好転することなく、先の済州島事件でさらに低下しているそうだ。
今現在、一応九州までの視察を終えて、大阪に来ている。台湾へは大阪から出る船で向かう予定だ。
そういえば、今年、地震があるはずだったが、今のところ地震は起きていない。昨年の鳥取地震は酷かった。が、舞鶴以西の改軌はあの地震で一気に進んだ。政府は地震復興を名目にインフラ整備に予算を投入して複数個所から改軌をしていったわけだ。不通区間があることを理由に随分な区間を止めて一気に工事をしてしまっている。軍まで投入して一年少々で行う意味はどこにあったんだろうな。
そのおかげで境港や浜田、長門だけでなく、鳥取まで工業化が始まっている。
着替え終わって戻ってみると、真理愛たちは帰るところだった。
「あれ、もう帰るのか?」
「父上たちの邪魔しても悪いし、私も仕事があるんです」
「そうか。せっかく久しぶりにのんびり昼食だったんだがな」
俺は名残惜しんだが、娘はそうでもないらしい。まあ、男親なんて娘にとってはそんなもんか。
「仕方ない。船が出るまでまだ丸一日あるんだが、俺たちはのんびりしていようか」
俺はアナスタシアと二人、午後のひと時を過ごすことにした。
のんびりコーヒーを飲んでいる時だった。
「俺ももうすぐ六十だよ。なんだかあっという間だったなぁ」
「私がデンカに出会って二十五年、まだまだ恩を返しきれていませんから長生きしてくださいね」
アナスタシアにそう言われるが、
「俺はなんだか十分恩を返されて、それ以上のものを貰ってると思うんだがな」
「私は還せたとは思いませんよ。できればあと百年は欲しいですね」
あと百年。いくら長生きできても六十年以上余る計算になるが、一体何歳まで生きればいいのやら。
「百年か。アーシャが良かったと思うまで付き合うよ」
「ぜひそうしてください」
そう言ってほほ笑むアナスタシアは綺麗だった。
俺がアナスタシアに見惚れているといきなりぐらぐら揺れだした。
「地震だ!」
なかなか揺れが収まることは無く、数分にわたって揺れたと思う。俺はすぐさま政府機関に連絡を取ったが、状況は判然としなかった。記憶の通りなら東南海地震だろう。東海地方が大打撃を受けたはずだ。
午後の早い時間だったことから、すぐさま軍は偵察機を飛ばして周辺を見て回り、東海地方での被害を発見している。
当時、太平洋岸の工業地帯としては最大であった名古屋周辺の工業地帯は軒並み大打撃を受けている様も報告されている。
そして、潮が退いているのも確認され、すぐさま避難を呼びかけが行われることとなった。
こうした行動の下地にあるのは、俺が前世の記憶を取り戻してすぐ、巨大地震の年表を元老たちに伝えたことにより作成された地震対策計画によるところが大きい。
まあ、言ってる俺自身が忘れかけていたんだが。
翌日の新聞には地震のニュースが大々的に載っている。名前は東海地震ではなく遠州沖大地震と呼称されている様だ。
名古屋近辺の工業地帯が被害を受けたが、軍需工場は東京湾岸、呉、佐世保、そして台湾に集約されている。名古屋近辺には存在しないので、軍事的被害は大きくない。民需にしてもその主要な地域は秋田から舞鶴にかけてにある。名古屋周辺はロシア公国が出来る以前の工業地帯で、今では重要性は低かった。 今では名古屋周辺は関東平野と並んで農業振興地帯になっている状態で、前世、秋田や新潟が担っていた食糧生産の中心地へと変貌している。老朽化した工業地帯が復興するとも思えない。どうやら名古屋には前世の様な発展した姿は訪れないだろう。これでより一層、中部地域の農業化が進みそうだ。




