第六十一話 新世代機
昭和十七(1938)年、大型機用ターボプロップエンジンの開発チームである提案がなされた。
「排ガスで推進力を得ることが出来るなら、プロペラをなくせばプロペラ効率の呪縛から解放されるんじゃね?」
その意見は一定の賛同を得るに至る。そして、駆動軸の減速機を取り除いた試作エンジンが完成したのは翌年だった。
ただ、エンジンだけ完成しても飛ばすことは出来ない。計算上は飛行艇や双発機をこのエンジンに換装して飛ばすことも可能なのだが、航空機部門がウンと言わない。唯一、試験機を作ってよいといったチームが機体の設計を行い、その図面が完成したのだが、エンジン開発チームの想像とは違い、それは単発の小型機だった。
「大型機用だぞ?これ」
そう疑問を口にする者もいたが、試験機チームは全く問題なしと答えている。
そうして試験機が完成したのは昭和二十(1941)年一月だった。
実機でエンジンを始動させると、まず問題となったのが、推力を産む排気ガスを地面に吹き付けることで舞い上がる砂ぼこりと効率の悪さ。
これまで通りの尾輪式の機体は推力式エンジンと相性が悪いことが分かり、急遽設計変更が行われ、機体の改修は五月までかかっている。
五月に改修を終えた機体で再度試験が再開され、六月十七日にとうとう初飛行が行われた。
この時は全力飛行をしなかったが、それでも軽く600㎞は出るという優れた性能を見せていた。
幾度かの試験飛行と不具合の改修を行い、八月八日に初の全力飛行試験が行われ、792㎞を記録する。
この速度まで達するとプロペラ機ではプロペラの設計や回転速度がものすごくシビアになる。生半可な設計ではエンジンの馬力を殺すことにしかならず、このような速度は望めない。そんな領域にいとも容易く踏み込む快挙に関係者すべてが注目した。
既に舶用タービンやターボプロップで実績のある「ガスタービン」自体の信頼性には問題ないが、いくら速くとも、効率の悪いエンジンでは航続距離が知れている。
そのため、防空戦闘機としての運用は出来るが、それ以外の用途への普及はしばらくかかるという結論に達している。
そして、防空戦闘機という話になったが、一昔前の高速双発機の時代に考案された高速重戦闘機という機体は高出力のレシプロや戦闘機用ターボプロップで十分な速度と攻撃力を備えており、ジェット戦闘機よりも航続力が望めた。
速度が上がれば会敵時間も減ってしまう。無暗に速度を落とせば加速に時間を要する。ほんの一瞬しかない有効攻撃時間に効果的な攻撃が出来る機銃という事で、これまでの12.7mmや14.5mmではなく、さらに大型の23mmや30mmの大口径機関砲が検討されている。
「そもそも、今の時点で800㎞なんて言う速度が必要なのか?操縦特性が違うから搭乗員も一から教えなおしになる、今急いで開発、配備するよりも、エンジンの効率改善を優先してもいいのではないか?」
戦時中でもない現在、急いで「高額な無敵兵器」を開発する事よりも、身の丈に合った戦力の拡充が優先されていた。
安定や安全、そして必要性の評価という時間のかかることがのんびり話し合われていた。
結局、昭和二十(1941)年はジェット機の方向性すら定まらない中で暮れていくことになる。
「効率ならターボファン、加速性ならアフターバーナー、攻撃力なら空対空ミサイル、速度を求めるなら後退翼や三角翼」
回答がそこにあるが、興味のある少数の技術者が研究を始めるのみで一斉に飛びついてどうにかしようという雰囲気ではない。
「やはり、これが平時かぁ」
俺はそのことを心底実感した。
片や欧州はそうでもない。つい最近までスペイン内戦が行われていたし、ソ・フィン戦争もあった。
そのことで広まり始めたターボプロップや高出力のレシプロエンジンを積んだ軍用機が次々と開発されている。
日本の場合、40式戦闘機や同じくターボプロップを積んだ軍用機群が実戦配備に就き始めているので焦りがある訳ではない。
それで良いのかと言うと、良いとは言えないが、他国にわざわざ答えを見せるよりは、少しでもリードした技術で実用化することを重視している。言い訳かもしれないが・・・
今日は本文以外に架空戦記創作大会のお題を同時投稿しています。




