第四十四話 電タソ
レーダー、それは前世の21世紀においては軍事にも民間にも常識といえる装置となっている。飛行機を探知する大型のものから自動車の車間距離を測る超小型のものまで存在している。
それがいつごろできたものか?多くの人がおおよその事を知っているはずだ。このレーダーが貧弱であった日独があの戦争の敗者であったという結果によって・・・
レーダーは元をたどれば1903年にドイツで開発された船の衝突防止装置に行き当たる。この時、五㎞離れた船を探知できたそうだ。そして特許も取得しているようだが軍が見向きすることはなかった。
そして時は流れて1925年、日本で今でもテレビアンテナに使われる「八木アンテナ」が発明される。しかし、日本でその重要性に気づく者はいなかった。1927年には画期的な陽極分離型マグネトロンも開発されているが、当然ながら・・・
そしてこの両者は翌年海外へと論文を発表している。
そう、誰もが思っていることだろう。
「日本は何という勿体無い事をしたのだ」
と。
当然、俺もその一人であった。そしてこちらの世界でそのあたりの事を調べていたら、少し時間はずれていたが、明治三十八(1905)年にそれらしいものが存在していた。が、それに飛びつくことはしない。
一応の資料とはしたが、そもそも日本では電気機器の技術レベルが英独の最新発明品を正確に再現できるレベルではなかった。持ち帰ってきたところでどうにもならない。まず必要なのは技術の底上げという身もふたもない現実がそこにはあった。
各種技術の底上げ、電気系は内燃機関にも必須の技術であるので怪しまれることなく技術導入も育成も行えたのは幸運だったろう。こちらの世界で八木アンテナが誕生したのは昭和二(1923)年と若干早かった。すぐさま軍がその技術を囲い込んで機密指定にした。これで十年間軍内部でしか研究できない。 もう片方のマグネトロンだが、これは前世と同じく昭和六(1927)年に開発され、軍で囲い込んだ。こちらも十年と行きたかったが五年となってしまった。
それには訳がある。すでに八木アンテナを使って物体を探知することには成功していたのだが、どう表示するのかという点で問題があった。ブラウン管を使うというのは俺が言うまでもなく実行されており、マグネトロンと同じ年にその映像化にも成功した。ただ、そこで一つ問題があった。日本よりも進んだ技術者がロシア公国にいるというのである。その人物を招くにあたり、研究契約上、彼は昭和十二(1933)年までの契約しか結べないという。その結果、ロシアとの共同開発に切り替える可能性を考慮して、八木アンテナの機密指定解除に合わせて海外へも基礎的な技術を公開することとなった。
そうして昭和十(1931)年には前世の海軍が完成させたレベルのレーダーが完成する運びとなった。歴史を十年進めた形だ。
ただ、陸軍はともかく海軍は艦艇にレーダーを搭載したがらない。前世においても1937年に戦艦にレーダーを装備した米国海軍だが、その使用には慎重というか冷淡で、後に言われるような効率的な運用は英国における効果を目の当たりにして以降の話といわれている。
昭和十一(1932)年に試験的に搭載した際、まさにその状態だった。しかも、性能的にはまだまだ満足できるものではないため、巡洋艦に装備して非装備部隊と夜間に対抗演習をやってみた結果、島の有無や海象条件次第ではレーダーの効果がほとんど発揮できないという有様だった。唯一、効果があるのは沿岸警備隊の見張り任務という状態だったが、これがある意味、幸運をもたらすことになる。
海軍艦艇は戦時において不用意に電波を発信して自己の位置をばらしてはならないというのが当時の絶対条件だった。レーダーを運用するというのは真っ向からこれに反する。しかし、沿岸警備隊は平時において航路の哨戒、犯罪の摘発を行うため、電波の発信に制約はない。そのため、各種レーダーの試験の多くを警備隊が担い、大型でも夕張型巡洋艦しか持たないがために機材の小型化、簡易化が真っ先に取り組まれ、さらに、方位や距離の正確性もそれと同じ程度に求められた。
例えば、対空見張りを行う大型レーダーの場合、最悪、方位とおおよその位置が分かれば後は警戒出来るが、沿岸警備隊ではそうはいかない。領空侵犯の有無や島への接近に注意を促す必要があった。水上においてはより精度が求められる。船舶間の距離や船と島の位置関係は救難活動や海賊追跡に必須の条件である。
そのようにして沿岸警備隊で二年間試験運用されて改良や改善、精度のさらなる向上要求など、開発サイドからすれば戦時かと思うほど過酷な状況が続いていた。そのおかげか、昭和十四(1935)年には俺が前世で雑誌で読んだ記憶から言うと、米軍が使用した戦時中のレーダー並の性能には達していると思われた。
そのまま海外へ出すわけにはいかないのだが、とはいえ、技術者がロシアへ帰る関係からロシア公国政府と協定を結び、共同開発していくことで合意した。
ロシアが求めていたのは当然ながら大陸に設置する大型の長距離対空レーダー。日本が開発してきたものとは方向性が少し違った。ただ、日本が開発してきたものも移動式レーダーとして使える代物なので、大いに評価をされた。
そして翌年、昭和十五(1936)年には英国が話を聞きつけて開発に参加した。
ここから飛躍的に信頼性が上がるのだから、やはり俺としては日本はまだまだなんだと改めて考えなおすきっかけとなるのだった。




