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第四十一話  昔話

 昭和十三(1934)年九月、俺は隠居した伊藤さんを訪ねていた。


「こんにちは」


 そこには仙人かと思うような人物がいる。それが今の伊藤博文である。


「おお、上総宮殿下」


「いいですよ、今日は私用です」


 伊藤さんは俺が前世の記憶が甦って以来の付き合いだ、外では宮様と元老だが私用ではそうしたものをなしにしている。もともとは俺が「中身は平民ですから」と言ったことが始まりだった。あれはいつだっただろうか・・・


「伊藤さん、お元気そうですね」


「元気なもんか、この十年で五人も子を産ませたお前さんとは違うわい。女嫌いかと心配しておったら金髪美人に惚れられてあれよあれよとこうなるとはな」


「私は嫁一筋ですから」


 俺が笑うと伊藤さんは呆れていた。


「嫁が夫思いで良かったわい。そうでなければお前さんから情報が外に漏れてしまうわ」


「あれ?日露の講和以来、米国の金髪美人とお盛んだったんじゃありませんでしたっけ?」


「ワシの場合はお前さんとは違う。ココとコレがな」


 何がとは言わないが、ああ、サイですか。


「しかもだ、その伝手で米国要人の情報まで仕入れておったんだからな」


 そう、このスケコマ氏は米国からハニートラップ仕掛けられたのを逆手にとって二重スパイに仕立ててしまっていた。もう、いろんな意味で凄いよ・・・


「稀代の好色家ですしね、あ、これって男色だけでしたか?まあ、それは置いておいて・・・」


 伊藤さんは俺の言葉を鼻で笑っている。


「そもそもワシは二十五年前に死んでるんだったな。ニコライ二世が死期を知ったがために歴史が変わって日本は負けた。おかげでワシは九十を超えてまだ生きておる。他に誰も生きておらんというのにな」


 そう、ハルビン事件は日本の敗戦で伊藤博文ではなく、米国務長官ノックスがその場にいた。


「そうですね。日本が敗れたがためにその場にいたのがあなたではなく、米国人になりました」


「そうすると、他でもそうなのか?欧州大戦後に起きると言っていた事変は何一つ起きておらん。満州はロシアのものだし、上海には日本軍は僅かばかりで、そもそもシナ軍には日本軍を攻撃する理由もない、かといって代わりに米軍が事変を起こすわけでも攻撃されるわけでもない」


「歴史が変わったからですよ、私は前世で読んだ物語の中でも、米国に勝つ話よりも戦をせずに乗り切る話の方が興味惹かれましたから」


 縁側で二人座ってのんびりそんな話をしている。徹底した取り締まりもあって極左や極右の活動も下火でクーデターも起きていない。

 そもそも、クーデターの大義とされた東北の凶作はとるに足らない問題である。今の東北は農業よりも工業発展が著しく離農や農夫不足が深刻となっており、離農者にとってはよい口実を与えている。代わりに関東や甲信からの出稼ぎ者や一部農業企業による耕地買収と労働者用宅地売買の摩擦が起きているほどだ。

 明治の改憲で統帥権干犯の芽も摘んだし、陸海軍は参謀本部の統制を受ける組織へと改変された。軍務大臣も一人しか出ていないし、もちろん、総理大臣に強い権限を持たせて大臣罷免もできる。大臣がゴネたところで政策がひっくり返ったり内閣が倒れたりはしない。完全に「戦前」の制度ではない。


「そうすると、三百万人とかいう犠牲者も生まれないのか。いや、ソ連との関係があるからそちらに向かうだけかもしれんのだな?」


「ああ、確かに・・・そうですね。欧州では前世と同じくドイツが戦争を始めると思います。ただ、未だに独裁政治を始めずに首相の座に収まっているので今後がどうなるかはわかりませんね」


「日露戦争で日本が敗れてから歴史が完全に変わったしの。本来死んでいるはずの皇女に五人も子を産ませる輩も居るぐらいだし、これからのことは分かるまいよ」


「ええ、まあ、五人ですが・・・」


「そのドイツの事情というのはどうなんだ?もしかして、ニコライ二世のような記憶持ち、あるいは・・・」


ニタニタしていた伊藤さんが真剣な顔になってきて来る。


「可能性がないとは言えません。特に義父のような記憶持ちである可能性は非常に高いでしょう。私と同じであれば私と同じことをするはずです。前世のドイツでは後の時代を左右する大きな技術発展がありましたが、今のところ分かっている限りでは、私のように未来知識を持っている兆候はありません。ただし、義父のように『やり直しや修正』を行っている可能性はあります。未だに強引な手段による独裁権力を手にしていないのはその表れかと。このため英国はおろか、フランスでさえ警戒心が薄い状態です」


 現在のヒトラーは俺から見ると非常に巧妙だ。ドイツの団結を叫んではいるが、前世の東方拡大のような主張は影も形もない。フランスを批判するが前世のような過激なことは言っていない。ただ、彼の演説が国民を魅了していることだけは確かなようだ。


 この世界でも不況にあえぎ、約十年遅れてフランス軍が進駐してきた。その結果ドイツ経済は大混乱となり、恐慌にさらなる追い打ちをかける結果となった。


 しかし、その対策としてヒトラーは仕事とパンの用意を行っている。この辺りは前世を踏襲、あるいは更に上を行っているかもしれない。


「気を付けた方が良いぞ。『前世持ち』ではないにしても、失敗した記憶からのやり直しならばより巧妙になっているだろう。失敗しない選択を探し出して、負けた選択を避けて事に当たるだろう」


「はい、そこのところは気を付けます」


 ヒトラーは果たしてどういった人物なのか。まさか、俺と同じような事はないと思うのだが・・・



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