第三十話 第一次世界大戦終結
大正七(1918)年、ロシア革命により軟禁されたニコライ二世やミハエル大公を救出するために日米が動いたのだが、それはこれまで頑なに参戦しなかった米国を欧州へと導く事にもなった。
前世では前年に参戦しているのだが、この世界では通商破壊が水上艦に限られるため許容限度を超えていなかった。そして、メキシコだが、米国が前世ほど脅威に思っていなかった節がある。しかも、この頃には伊藤さんが米国に接触しており、メキシコの事より極東の利権が重視されていたのかもしれない。
そんなこんなで日米はバイカル湖沿岸に防衛線を敷き、英国の協力もあって有力な白軍を呼び込むことに成功した。しかも、盟主はニコライ二世ではなく、人気のあるミハエル大公という事も効果的に作用している。
ただ、彼自身は療養の為米国に渡っていたのだが。
この極東ロシア公国建設には密約があった。
上手く盟主級要人を救出できた場合は、白軍誘引に英国が協力する替わりに、米国が欧州へ参戦し、日本も陸軍を派兵する事。
日米はその密約にしたがい、米国は三月には参戦を決定し、日本も動員によって余裕が出来た砲兵を中心に欧州派兵を決め、五月には欧州へと送り出している。
米軍は五月には作戦を開始し、日本軍も七月には布陣を行っている。
この時の欧州派遣軍には顧問の形で乃木元帥が同行している。実は乃木さんは元帥授与を拒み続けたが、欧州派遣での発言力には必要だから、一時的措置として押し付けている。
一度授与したものを返すことなど出来ない。兄に悪い笑顔で俺はそう言った。
当人以外は元帥授与を当たり前と考えていたので返還など無理だが、乃木さんはその事を知らない。
ただ、知ってか知らずか、塹壕戦における効率的な戦いかたはやはり乃木元帥の十八番だったらしく、元帥号などよりその作戦内容によって連合軍で一目置かれている。
派遣した砲兵部隊も時代を先取りした装備で、まだ試行錯誤が続く牽引車を投入した。更に、非力ではあるが、タイヤ式の砲自体に動力を取り付けて短距離の陣地転換は自走可能になっている。
もちろん、当時の砲としては無駄に複雑化、重量化しており、全ての部隊に配備できる兵器ではないのだが・・・
そんな欠点はあるが、自衛隊の榴弾砲を参考にしただけあって時代を超えた陣地転換速度を実現して味方だけでなくドイツ軍にも驚かれている。
戦車はともかく自走砲は戦後直ぐに実用化されるかもしれん・・・
日米の参戦があったからと言って劇的に戦況が変わることは無かったが、ドイツの疲弊は加速度的に増していた。
既に海軍は日英に対抗する戦力は無く、英国がクイーン・エリザベス級戦艦を量産し、日本も英国の協力で工期を短縮した金剛型や土佐型を増強したことよって差が開くばかりとなっていた。
更に、日本は通商派破壊艦対策に軽巡洋艦を派遣している。正確には俺がデザインを考え、日本で基本設計したモノを英国で量産した。
五千トンの船体に5.5吋連装砲を載せた代物で、阿賀野型軽巡洋艦を小型化した様な艦だ。副砲として4吋砲も備えており、仮装巡洋艦や防護巡洋艦を簡単に圧倒出来る。主砲も6吋砲と大差のない射程を持つ長砲身で、前世では試作に終わった砲を採用している。
軽巡洋艦 夕張型
排水量 5600トン
全長 146メートル
幅 14.5メートル
機関 蒸気タービン2軸
出力 45000馬力
速力 30ノット
兵装 5.5吋連装砲3基
4吋単装砲5基
21吋連装魚雷発射管4基
設計は日本で行ったが英国の建造計画と歩調を合わせる必要性から船体には英国軽巡洋艦のそれが流用され、日英共通の軽巡洋艦として量産されている。
主目的が通商破壊艦の捜索、撃破や哨戒、船団護衛と、前世の日本艦艇とはかなり異なる仕様になった。
船団護衛の重要性が認識されたこの世界では、日本海軍も攻撃一辺倒とはなっていないからこそ採用しているのだが。
さて、そんなこんなしていた十一月にドイツで革命が起こり、僅か一週間で俄に停戦となった。
戦車や航空機の参戦はなく、米国参戦も遅れた為、前世よりドイツ有利な状態での停戦となった。




