第二十六話 ユトランド沖海戦
大正五(1916)年、今だ続く欧州の戦乱は日本に好景気をもたらしてはいたが、これがいつまでも続かない一過性のものだという意識はどこか欠落していた。
欧州には海軍や沿岸警備隊が大挙派遣され、通商破壊艦の捜索や護衛が盛んに行われている。
波照間型も船体が丈夫なため、船団護衛用にとオーストラリアやニュージーランドが購入してくれた。
その様な最中に北海で大海戦が起きたとの報がもたらされた。
五月三十一日から翌日にかけて、日英艦隊とドイツ艦隊が交戦したというものだった。
まずは、土佐、加賀の回航から話をしないといけないだろう。
日本は大正三(1914)年に水圧機の不良から土佐、加賀を英国へ回航し、改修することになった。
当時、計算上は可能とされた国産水圧機だったが、実際に動かしてみると力量が不足している事が判明した。
元々、限界ギリギリだとは分かっていたのでより強力な水圧機が開発できればすぐにでも交換することを前提に設計、建造が行われていた。
その為、力量不足の発覚と同時に英国に問い合わせて、すぐさま対処が出来たと言うわけだ。
ただ、それは否応なしに第一次世界大戦に参戦する道でもあったが。
そして、当の英国はというと、金剛の実態を見て、戦艦の今後を悟ったらしく、比叡の竣工と時を同じくして、金剛型の設計を流用して自国向けに一隻の戦艦が起工した。
その後、日本艦隊の訓練を見て、更に二隻が追加で起工されて、現在、大正五(1916)年五月の時点で早くも英国の三隻ともが艦隊に就役しているという早業を見せられている。英国パネェー
この海戦にはドレッドノート以後の高速戦艦が二十隻以上も参加し、金剛型に準拠したクイーン・エリザベス級三隻の姿もあった。
海戦の推移は英国側に不利な形で始まっている。
偵察艦隊同士の遭遇戦は、風向きの関係から英国艦隊は自分達の排煙や砲煙に視界を阻まれ、ドイツ艦隊は西日に映る英艦隊をハッキリ捉えた形で戦闘が行われていた。
英国艦隊は次々と砲弾が命中し、損害を増やしていくばかりだった。
本隊が追い付き、本格的な戦闘になるが、形勢は変わらず、英国艦隊の損害は更に増していく。
この形勢を逆転させたのはクイーン・エリザベス級と日本艦隊からなる別動隊だった。僅かな隻数ながら他の追随をゆるさない大火力によって英国艦隊はなんとか立て直すことに成功する。
そして、夕暮れが迫るなかでドイツ艦隊を捉えて反撃に転じる事が出来たが、乱戦はその後も続く。
英国艦隊は夜半になって夜戦の弱さを懸念して砲撃を停止するなかで日本艦隊はさらなる追撃と砲撃を続行している。しかし、呼応して作戦に加わる英国艦隊は少なく、効果的な追撃はそこまでとなってしまう。
ドイツ艦隊を壊滅するには至らず、英国艦隊も多大な犠牲を払ったこの海戦で唯一、その大火力によって優位に敵を追い回した日本艦隊の評価は高かった。
外から見たら、高評価は当然だったが、土佐、加賀は不具合と格闘しながらの交戦で、重大な損害を出さずに済んだのは不幸中の幸いだった。
しかし、そもそも、海戦に参加する前に故障して漂流してしまった装甲巡洋艦鞍馬が外国で話題になることは少ない。
鞍馬の漂流は日本では大問題となり、国内技術力の未熟さに衝撃を受け、更なる向上を促す事になるが、それはまた別のはなし。




